第53話寡婦のロシア人

警備員の夜勤を終えバイクで、仕事先から帰路に着く途中の事故だった。

信号の無い交差点で、優先道路を直進中、右から一旦停止を無視して飛び出してきた

ゴミ収集車にぶつかって跳ね飛ばされた。責任の割合としては10:0。

不慮の事故としか言い様がない。


ほんのわずかなタイミングで彼はあちら側へ行ってしまったのだ。

運命の歯車というものは確実に存在していて、そいつは確実に死へ向かって

回転を続けているのかもしれない。改めてそう思った。


彼とは3年ほどの付き合いだった。

私の行き着けのバーで意気投合したのが、3年前の夏だ。

私より3つ年上。彼もまた離婚経験者だった。

最も彼の方は実際的な意味での離婚を経験していた。

彼の奥さんはロシア人だった。


ロシアンスタイルに慣い、献杯的なものも、やはりウォッカで執り行われた。

何倍呑んだのか、もちろん記憶などあるはずなかった。


ウオッカの残り香とともに目覚めたのは、10時過ぎだった。

起きてまず最初に私はトイレへ駆け込んだ。

信じられないくらいの量の小便をした。


次に、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し

紙コップに注いで一気飲みをした。キッチンに立ったまま。

体中の血がすこし薄まるのがなんとなくわかった。



私は自炊というものを一切しないので

食器さえ、すべて使い捨ての物を使用していた。


友人にそのことを話すと環境によくないと指摘されることもあった。

洗剤を垂れ流すことの方が、私には余程、環境に悪いように思われた。

要するに考え方の違い。


とはいっても、料理が苦手というわけではない。

料理も自分から遠ざけてきた物のひとつなのだが・・・。



仕事を辞めてもうすぐ4ヶ月が経とうとしているのだと改めて実感した。

こんな時間に起きようと、誰一人文句を言う者は居ない。今日が月曜日だとしてもだ。

しかし、失業してからも夜は12時までには歯を磨いて布団に入り、

7時半には起きるという生活を意識して続けてきた。

いくら失業中で、自由の身とはいえ、昼夜逆転の生活など始めてしまったら

精神的にも駄目になることだろう。

いつかは、またあちらの世界に戻って、真っ当な生活

私自身が真っ当と感じているかどうかは重要ではないが

夢幻のルーティーンを開始しなければならない。


その時のためのトレーニングのようなものとして、続けていた習慣だった。

4ヶ月の間に、朝寝坊をしたことは3回かあったか無かった。その程度だ。


昨夜のことを思い出そうとしたが、上手くいかない。

どうやら右のこめかみの辺りで、てんとう虫が暴れているようだ。

紙コップにもう一杯水を注ぎ、キッチンに手をつき今度は二息に分け飲み干した。

てんとう虫があきらめて飛び去ってくれるのを待った。

確か、車を置きに戻って来て・・・そこからいつものバーへ行って・・・

てんとう虫が飛び去る瞬間に羽音が響いた。そんな気がした。

羽音と思っていたものはどうやら、

ベットサイドテーブルの上で携帯電話の着信を知らせる

バイブレーターの唸りだったみたいだ。


私は慌ててキッチンから寝室へ行き電話を取り上げた。

ディスプレイは全く見覚えのない番号を映していたが

私は迷うことなく電話に出た。自分でも驚くほどの潔さだった。


「もしもし?」


「Hello?」


女の声だ。

もう一度、もしもしと問いかけてみたが反応がない。

何かの悪戯だろうと思い切ろうかどうか迷って

どうせ暇なのだからと思い直し、悪戯に付き合ってみることにした。

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