第52話顔を洗ってみた結果

顔を洗ってみたが期待した成果はでなかった。


嫌気がさして、洗面所の鏡に映った自分の顔を眺めてみた。嫌気が増幅しただけだった。

冴えない顔をした自分の顔を見つめても勇気なんて微塵も湧いてこなかった。

初めから期待はしていなかっただけに、落胆の幅はすくなくて済んだ。


こうやって自分を傷付けないように、自分を擁護しているのだろうか?

こうやってつまらない人間になってくのだろうか?


髭が伸びはじめている。

3日前に友人の葬式に行ったきり剃っていなかったことを思い出した。


眉毛もそろそろ整える必要がありそうだ。

鼻毛はまだ大人しく、鼻の穴に収まってくれているようだ。

顔中の毛という毛を隈なく点検した。


結局、髭はもみあげより下の部分だけを処理して、剃らないことにした。


何故私は、こんな風に毛と格闘して日々を過ごさなければならないのだろう?

鼻毛にしても、その必要性はなんとなく理解できるが・・・。


時間を持て余すと、種々雑多に様々なことの因果を知りたくなる。


しかし、今の私にとっては今夜の予定とそれに付随する様々な因果を究明することが先決だった。

不細工に乱れはじめた眉毛のことなど放っておいて。


気分を切り替えるために、口笛でマイルス・デイヴィスのSo Whatを吹いてみた。

そのまま風呂に入るのも悪くない気がしたが、夜の8時に出かけるのだとしたら

その前にシャワーを浴びた方が良さそうな気がした。


風呂は後回しにして、ダイニングテーブルに一旦腰掛けてみた。

コーヒーを飲もうと思い立ち、ケトルでお湯を沸かし、紙コップにインスタントコーヒーを淹れた。

もちろん砂糖もミルクも入れない。この家にはそういった類の物は置いていないのだ。

テーブルに落ち着き、コーヒーを啜りながら再び口笛で

マイルス・デイヴィスのSo Whatを2回半リピートしたところでようやく気持ちが落ち着いてきた。


まず第一に・・・

かりんは、何故私の連絡先を知っていたのだ?

確かに私は、かりんの連絡先を知っている。

テーブルの上には、昨日もらったばかりの名刺が置いてある。

私はタブロイド紙の上に置かれた名刺を手に取り、隈なく点検してみた。

そして名刺の裏に書かれた電話番号と、携帯電話の着信履歴を見比べてみた。

確かに一致している。でも、私からは連絡先を教えた覚えがなかった。

さっき私が電話で話した相手が、かりんだということは間違いなさそうだ。

そして今夜8時に飯を食いに行く約束をしたのだ。

既に私の心は、昨夜の別れ際の優しいキスが本物だったのかどうか

それを確かめたい一心に侵食されている。


So What?


第二に・・・

今夜は、優子と2ヶ月ぶりに逢うことになっていた。

今日は私の誕生日の前祝いとして、飲みに出かけることになっている。

優子はいつも、誕生日当日は誰か他の女と約束があるだろうから・・・と気遣って

誕生日の1週間前に、誕生日を祝ってくれた。今年で3回目だ。

去年と一昨年は、実際に誕生日当日は彼女と過ごした。

でも今年は、誕生日を一緒に祝ってくれる女など居やしない。

優子にそう伝え、3年目にして初めて、誕生日当日にして欲しいと言ったのだが断られた。

「私のなかでは、あなたは10月8日生まれになってるの」と優しい笑顔とともに・・・。

そう言った時のあの素敵な笑顔に込められた優子の思いが胸に痛かった。


So What?


2ヶ月前に優子と逢った時、帰りにタクシーで家まで送る途中の一幕。

確かあの夜も雨が降っていた。そして次はいつ逢えるのかという私の問いかけに遠い目をして

「しばらく忙しくなるから、あなたのお誕生日の頃かしら?」と言っていた。


あれから2ヶ月。


あの夜、私は優子に仕事を辞めたことを結局言い出せなかった。

そのことを伝える目的で逢ったのにどうしても駄目だった。

伝えた時の優子のリアクションが手に取るようにわかっていたからだ。

しかしこのまま、嘘を吐き続けるわかにもいかない。

今夜こそ、すべてを打ち明ける気でいた。


12時間ほど前までは・・・。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る