四 神との取引

われが行こう」


 それまで晶良を護る側に立っていた朱鸛しゅこうが前に出た。その大太刀が紅蓮の炎に包まれる。ざわりと古木を包む毛が騒ぐ。朱鸛の振るう太刀筋が一閃の残像とともに空気を断ち割る。びしびしと白い毛が飛び散った。

 咆哮。獣の苦しげな叫びが重苦しい空気を震わせ、一瞬緊張が解けた。


 陽仁と陽向が息をつく。


「どういうこと?」

 翡翠がいぶかしむ。


「我は火。青嵐は土。あれは金。ましらの姿はまやかしだ」

「意味が……」


 朱鸛の謎かけに晶良が目を丸くして訊ねた。


「五行……」

 翡翠がつぶやく。


「わたしの式神はすべて木。金剋木(きんこくもく)。金は木につ。なぜ猿の姿を?」

「そういうことか……」


 青嵐が晶良に寄り添い、空中に文字を書いた。青い光が宙に文字を浮かび上がらせた。


 申


「猿はさると申しまする。さらに申は申すに通じまする」


 そこまで言われても、この二人にの式神の言いたいことがわからない晶良が訊ねた。


「申すって……?」

「善悪を……。この古きまつろわぬ神は物事の善悪を申しまする」


 白い毛の大猿はのそりと古木の梢を這っていく。白猿が雄叫びをあげる。その雄たけびに理解できる言葉が混じる。


 ――申すぞ、申すぞ……!


 予言を与える対象物に出会い、ましらが己の役割を全うせんと、怒号を発する。


「もし、よくないことを言ったらどうなるの」

 陽向は地面に伏したまま青嵐に訊ねた。


「それはそのまま実現する。予言じゃ」

「……予言」

「死ぬと申せば、死ぬ。苦しむと申せば、苦しむ。そのままじゃ」


「さ、最悪……」

 陽向の顔色が青くなった。


「晶良、火に弱いなら朱鸛がなんとかしてくれないのか」

 陽向と同じように地面に伏した陽仁がうめいた。


「なんとかって……。相手は神ですよ? 神殺しはこちらの歩が悪いです」

「善悪……。申す……」

 先ほどから翡翠が思案気につぶやいている。


「不入山は土佐藩領……。まつろわぬ神……、そうか……」

 何かひらめいた顔つきで翡翠が顔を上げた。


一言主ひとことぬしよ」

 三人が翡翠を見やった。


「一言主?」

「天皇と戦って負けてしまったせいで土佐に流され落ちた神。この山は一言主を封じた山だったのよ」

「それがどうして……」


 晶良の問いに翡翠は眉をしかめる。

「それはわからない」


 ――余は申すぞ……!


 今にも一言主が予言を下してしまいそうな、おどろおどろしい気配が辺りを満たしていく。


「それでもこのままにしていてはいけない」

 翡翠が唇をかみしめる。


「あの、まつろわぬとか、落ちた神とかって、どういう意味なの?」

 陽向はおずおずと訊ねた。


「あがめられなくなった神は、いずれいつかはまがまがしくなってしまいます。邪神になったり魔物になったり……あの神ももうすぐその姿同様の大猿の妖怪になってしまうでしょう」

「お祀りされなくなると神様って落ちぶれるの?」


 晶良の代わりに青嵐が答える。

「そうじゃ、陽向どの。神になりたければ、我々は自然の大いなる力だけでなく、ひとの信仰という力も必要なのじゃ」


 その言葉を聞いた時、陽向の胸のペンダントがじゃらりとなった気がした。陽向は胸に手をやり、それを見た。晶良が自分にプレゼントしてくれた磐座(いわくら)のかけらだった。


「そしたら、また、祀られるようになれば変わるんじゃない?」

 陽向はかけらを見つめたまま言った。


「可能性はあります」

 でもどうやって、と晶良の瞳が怪訝そうに陽向を見つめている。


「これ」

 陽向は胸のペンダントを取り、差し出した。ペンダントを差し出されて、晶良が戸惑っている。しかし、陽向の思惑を翡翠が理解してくれた。


「磐座の神気を使うのね」


 ――余は申すぞ、この世は……!


「時間がない」


 陽仁が叫んだ。晶良が少しでも一言主の言葉を遅らせようと自分の力を解放した。白い光が晶良の体から漏れ、白猿の体に当たる。不意を突かれ、言葉が止まった。


「一言主よ! 我々が神慰めする。この磐座に降りられよ! もう一度、崇め奉らん!」


 陽向のペンダントを頭上に掲げ、翡翠が声を限りに叫んだ。

 一言主が金色の炯眼けいがんを翡翠へ向け、轟くような声を放った。


 ――まことか!


「必ず、神慰めする。まずそこから離れ、この磐座に降りられよ!」


 晶良が足元の地面に結界を敷く。結界の中の清浄な場にペンダントを置いた。


 ――真か、まことか、まことか!


 真実と誠実さと信用を問う言葉が辺りを大音響で包む。四人は思わず耳をふさいだ。恐ろしく大きな地鳴りが響き、巨大なましらの体が陽向の頭上に降ってきた。


「きゃあああ!」


 ――清き乙女に祀らせよ。余は一言主なり。


 陽向が叫んだと同時にましらの体はかき消えた。

 ふわりと雪が舞う。いや、白い毛が雪のように空中にとけながら、カイである槐の大樹から舞い落ち始めた。




 すっかり毛は舞い落ち、地面に敷き積もったが、雪のように跡形もなく消え去った。辺りに充満していた重く息苦しい清澄な空気は霧散し、鳥の鳴き声の聞こえる山の生気に満ちあふれた。梢が日を遮り、苔むした地面がひんやりと肌に当たる。陽向は慌てて立ち上がった。隣の陽仁もため息を吐きながら腰を上げた。

 四人の目の前には、槐の古木と結界が張られた一種の神域に小さな磐座が鎮座していた。


 陽向はペンダントトップから磐座を外そうと、ペンダントに触れようとした。


「触ってはだめです!」


 晶良が陽向を制した。陽向は不思議そうに晶良を見やった。


「もうその欠片は立派な神のおわす磐座なんです。易々と不浄な手で触れてはなりません」


 不浄なんだ、と陽向は自分の汚れた手を見つめた。しかし、晶良が言う不浄とは土で汚れているからではないのだろう。


「清き乙女か……」

 翡翠が呟き、じっと陽向を見つめた。ぶしつけに翡翠が陽向に問うた。

「陽向ちゃん、処女よね?」


 翡翠の言葉に陽向は顔を赤くして、兄や晶良を交互に見て、慌てて首を激しく横に振った。

「な、な、なに言ってるんですかぁ! ちょ、なにもこんなとこで聞かなくても良いのに!!」


「でも重要なことだから」


 晶良が納得したように言った。

「一言主を慰める役割を持つ巫女、ということですね。確かに陽向さんはうってつけですね。磐座を差し出した本人なわけだし」


「磐座の欠片をくれたのは、晶良ちゃんじゃない」

 巫女と聞いて、陽向は焦って矛先を晶良に向けた。


「いえ、僕は男ですから」


 晶良が澄ました顔で答えた。陽向は救いを求めるように、兄である陽仁を横目で見つめた。


「よかったじゃないか。これで晶良の手助けができるな」


 にやにや笑う陽仁のすねを、これでもかと陽向は蹴り上げた。


「いってぇ!」

「他人事だと思って! 巫女なんて、あたしにできるわけないよ!」


 翡翠が朗らかに笑いながら宥めた。

「大丈夫。私が手取り足取り教えてあげるから。それに、毎年神慰めにここに来られるわよ」


 それを聞いて、陽向はがっくりと肩を落とした。晶良のサポートをしたい、その思いがこんな結果になるとは予想だにしていなかった。


「で、カイは?」

 陽仁が翡翠に訊ねた。


「ちゃんと傍にいるわ。呼んでみる?」


 言うまもなく、翡翠の脇に白緑色の水干を着た少年が佇んでいた。三人を見やると、仰々しく礼をし、再び姿を消した。


「木を克する金が消えた……。これで、カイも元に戻ったわね」

 そういう翡翠の表情に心なしか、安堵の色が浮かんでいた。






 大岩の転がる河原の傍には、川底まで透けて見えるほど澄んだ水が蕩々と流れている。川にせり出すように岩がある真下は淵になっており、あまりの透明度に空の色すら移し、水底は深い碧に見える。

 陽向は岩に腰掛け、足を冷たい清水につけ、晶良や陽仁、翡翠の様子を眺めていた。


 今こうしていると、先ほどまでのびりびりとした緊張感が嘘のようだった。ましてや、自分が一言主の巫女になってしまうなど考えもしていなかったのだから。


「年に一回は必ずここに来なくちゃね」

 物思いに耽る陽向のそばに、翡翠が来て言った。


「念願のマネージャーだな」

 某ネズミのイラストがプリントしてある海パンをはいた陽仁が、にやにや笑いながら浅瀬に立って、陽向に目を向けている。


「大丈夫ですよ、その時はちゃんと僕も付いてきますから」

 陽向座っている場所近くの岩に腰掛け、薄い水色のパーカーに紺色の水着を着た晶良が慰めるように声を掛けてくる。


「慰めになんないよう」

 オレンジのパステルカラーのワンピースを着た陽向は泣き言を漏らした。


「清いなら私だって清い乙女なのに」


 などと、翡翠がつぶやいた。誰もその言葉に突っ込みを入れない。晶良の姉たちの年齢は、極秘事項なのだ、といつか晶良が蒼い顔をして漏らしたことがある。


 四人がいる場所は、四万十源流に近い。ざぁざぁという清流の音が辺りを満たしている。真夏の暑さが水しぶきに冷えて、肌に涼しい。他に人は見当たらない。ここに来るのにも韋駄天を使った。車もない。人の足ではよほどの者でないと辿り着くことのできない穴場だ。


 四人はひとしきり遊び、疲れた体を太陽に暖められた岩に押し付け、思い思いの場所で日向ぼっこをし始めた。


「ねぇ、翡翠さん、なんで神様はお猿の姿で出てきたの」


 ずっと疑問に思っていたことを、陽向は翡翠に訊ねた。年経たましらを一言主と見破ったのは、翡翠だ。

 翡翠がにっこりと笑う。


「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神。申す神。申すは申年の申と書くでしょ?」


 確かに、申は申年の申だ。では、なぜセンもカイも猿には勝てなかったのだろう。陽向は腕を組んで首をかしげた。

「う~ん……」


 その様子を見て、翡翠が優しく微笑む。

「それに、申は金気。五行の金に当たるの。五行は木土水火金もくどすいかきんと五つの相があって、それぞれが力の均衡を保っていると考えられている。そのために、金は木につ。反対に火の属性を持つ朱鸛しゅこうは、金の属性を持ったましらに克つことになるの。樹木の精霊であるカイもセンも、金気を属性とする一言主に何もできなかったのよ」


「いまいちわかんないけど……」


 陽向は眉をしかめた。学校で習う勉強よりも小難しい。だいたい五行というのが分からない。それを言うと、追々勉強しましょう、と不吉なことを翡翠が告げた。


「それにまだあるわよ? 一言主は葛城氏が祀っていたの。葛城一言主神社っていうのが有名ね。葛城氏は製鉄にも関係してた。古墳時代、製鉄を手にした豪族は非常に力を持っていたのね。製鉄に使う鉄は金。金は金気をしめし、申ということになるの」


 そんなに強い豪族の神様なら、なんでこんなところにいたの?


「多分……」

 翡翠が緑深い山々を見渡した。


「続日本紀にはこう記されてる。一言主が雄略天皇と目見え、意気投合し交友を深めたが、ある時、雄略天皇の狩った獲物を一言主が盗ったため、天皇が怒り、土佐に流した。いわゆる流刑に処したの」


 陽向は驚いて目を大きくした。

「神様を流刑にしたの!?」


 翡翠が微苦笑した。

「まぁ、昔の伝説だから……。何かの揶揄と思うわ。史実としては確かに雄略天皇は一言主を神とする葛城氏と争い、勝利した。それまで天皇と比肩するとまで言われた葛城氏は衰退していったと言われてる。その神がなぜ不入山にいたかは不明だけど、土佐藩が不入山を枝一本、葉さえも持ち帰ることを許さないお留山としていたのは確かなの」


「そこに流刑されてからずっと一言主は封じられていたのかぁ……」

「崇められなくなり、忘れられてしまったまつろわぬ神は、いずれあやかしと変じてしまう……。その姿がましらだったのね」

「でも、磐座に収まって、毎年神慰めして神様として崇めたら、また神様になるの?」


 不入山に枝葉を伸ばし根付くカイの根元に鎮座した、一言主に思いをはせ、陽向は呟いた。


「ええ、何年かかるかは分からない。本当に長い月日、かの神は貶められていたから」


 でも、と陽向が唇を尖らせた。

「金でさる。申だからお猿なんて、一言主ってダジャレが好きなんだね~」


 それを聞いて翡翠が苦笑いを浮かべた。




 四人は日が暮れる前に不入山を下った。


不入山いらずやまは土佐藩のお留山とめやまだったんだけど、実際の理由は神のいる山に立ちいらず、という意味で不入山と名付けたかもしれないわね」

 山を降りながら翡翠が感慨深げに漏らした。


 一言主は晶良の張った結界の中に鎮座する磐座のかけらにこもり、穢れを浄化する祭祀に入った。あとは定期的に一族のもので神慰めの儀式を行い、穢れがなくなった時、晴れて遷座する。それまでは一族のものとともに陽向も巫女として役割をこなさねばならない。

 確かに重要な役割を担うことができた。けれど、出来ることなら晶良を直接助ける役目が欲しかった。

 なんだか釈然としない陽向なのであった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

屍鬼祓師(しきはらいし) お友達クラブ + 番外編 藍上央理 @aiueourioxo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

カクヨムがいつの間にか、過去作品の格納庫に…… 昔の作品で文字起こしできなかったものはエタってます。 と言うかデータが現存してません。 新連載始めました。 ツイッターID:@aosatoru もっと見る

近況ノート

もっと見る

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!