不入山の金猿〜金克木〜

一 神篭(かごめ)の磐座(いわくら)

 世間は夏休みに入り、七月も終わりにさしかかった。

 晶良の住む街にはあまり関係のないことかもしれないが、やはり街ゆくセレブのご婦人方のファッションが夏真っ盛りであることを物語っている。


 青々とした街路樹のトンネルの先に、エントランスに設けた英国式の小庭園がひときわ目立つマンションがある。小庭園の先には通常のフロアへ続くホールの入り口と、五階のペントハウスへと続くガラス張りの自動ドアがある。

 屋上にはペントハウスまでさらに空中庭園が青い空の真下に広がっている。二百平米の敷地を余すところなく贅沢な娯楽施設が配備され、美しいガラスタイルで色どられたペントハウスの外壁は、ガウディの建築を思わせる。


 マンションの周囲には建築法のためか高い建物があまりない。抜けるように真っ青な空を背景にペントハウスの外壁がきらめいて見える。その青空に陽仁の絶叫が響き渡った。




「いってぇええ!」

「アニキ、だらしないゾ」


 畳の上に半裸でうつぶせに寝そべっている陽仁の体に、陽向が容赦のない力で湿布を貼っていく。愛嬌のある顔をしかめて、筋肉痛に叫ぶ兄をたしなめた。

 陽向は陽仁によく似ている。快活な性格は服装の趣味からもうかがえる。肩につくくらいの髪を後ろに一つに結び、白いTシャツに紺のサブリナパンツ姿は、爽やかで清潔感がある。


 二十畳のだだっ広いリビングの片隅に設えた、六畳ほどの畳敷きの段の上に陽仁がうつぶせに寝転び、陽向が湿布を片手に座っている。座卓を挟んだ向こう側で晶良がテレビを見ている。


「ぐはぁ」


 今朝方、晶良と陽仁は一宮家の分家である佐伯のものに自宅まで送られてきた。

 陽仁だけが筋肉痛に苦しんでおり、晶良はというと、なんともない顔で六十五インチの液晶薄型テレビの前に座って、バラエティ番組を楽しそうに笑って観ている。


「なんでお前は筋肉痛にならないんだ!?」


 陽仁は悔しげにテレビの前を陣取っている晶良に向かって毒づいた。そんな彼を振り返り、晶良が苦笑いを浮かべた。

 陽仁は湿布だらけの背中を上にして、折りたたんだふかふかの座布団に頭を乗せてうめいた。びたんと音がするほど激しく陽向が兄の背中に湿布を貼るたびに、陽仁は盛大に悲鳴を上げた。


「もっと優しくしろ!」


 情けない声で訴えても、今回の仕事に連れて行ってもらえなかった陽向の機嫌は一向に良くならないようだ。どんなに遊びではないと陽仁が言いきかせたところで、陽向には関係のないことだった。


「なんでアニキだけ晶良ちゃんのマネージャーなわけ? あたしだって結構役に立つと思うのに!」


 まずもって、陽仁だけが晶良のマネジメントだということ自体承服しかねる部分があるようだ。しかし、それに関しては晶良や陽仁に権限のあることではなかった。


「だからぁ、それは俺が決めたことじゃないって何度も言ってるだろ!」


 兄の言い訳をかき消す肌をたたく鋭い音を響かせ、陽向は容赦なく湿布を貼っていく。そのたびに陽仁の口から悲鳴が上がった。


「じゃあ、晶良ちゃんにお願いしてもらうようにアニキから言ってよ!」


 陽向のその言葉を聞き、テレビを見ていた晶良が振り向いて、無理だと手を横に振った。それを吊り上がった目で陽向がにらむと、首をすくめて晶良が視線をそらした。仕事を晶良に言いつけているのは彼の姉である翡翠であったし、四人の姉の言いつけにはひどく従順なのだ。


「別にさ! 絶対連れて行ってほしかったわけじゃないんだよ! 少しはさ! 妹に対して日ごろの労いがあってもいいんじゃないのかなってさ!」


 語調を強めるたびに、びたんびたんと勢いよく湿布を貼っていく。


 陽仁は絶叫をかみ殺し、

「遊びに行きたかったら高校の友達と行きゃいいだろ! 何もくそ面白くない仕事についてきたがら……、うぎゃあ!」

 と文句を言い募っていたが、太ももの一番強張ったところに陽向から湿布をびたんと叩きつけられ、それ以上言葉を続けることが出来なくなった。涙目でもだえていると、晶良が「あ」と軽い声を上げた。


「どうしたの、晶良ちゃん」

 陽向が晶良を振り向いた。


 晶良がごぞごぞとパンツのポケットを探り、昨日伊那から持ち帰った磐座いわくらの欠片を取り出した。

「これ」


 笑顔で差し出されたものを陽向は条件反射で受け取った。握り締めた掌の中でほのかに暖かなものを、陽向は改めて眺めた。

 赤茶けた石。プラス晶良の体温。石自体になんの感動もなかったが、掌に感じる体温は心に暖かかった。


「これなに?」

 しかし、やはりわざわざ手渡されたなんの変哲もない石をいぶかしく思い、陽向は晶良に訊ねた。


 晶良が満面の笑顔で身を乗り出し、熱心な口調で説明した。

「これは神気の篭った磐座いわくらです。神様が宿っているのとおんなじだから、陽向さんにお土産にしようと思って持ってきたんです」


「え」


 晶良が口にした「陽向さんにお土産」という部分に敏感に反応して陽向は、たちまち頬を染めた。しかし、神様が宿った磐座とは何のことだろうと思った。


 すると、質問する前に晶良が説明を始めた。

「どんなものでもそうなんですが、長い年月を経たものには魂が宿るんです。けれど、ものには寿命があります。壊れてしまうとその中に宿っていた御魂みたまは霧散してしまいます。けれど、こういった岩や山、樹木など、なかなか器そのものが壊れてしまわないものがあります。そうした長く保てる器を持った御魂の中には清い力を持つものもあって、そういった存在が何百年何千年と力を蓄えると、ごく稀に神霊という存在にまで成長するんです。その存在は簡単に言うと神様見習いの卵です。神様見習いまで成長できれば、多少器から離れても御魂が霧散するようなことはありません。例えば、朱鸛しゅこうもそうですよ。器の磐座に戻ることができなくなっても、なんらかの形で神気を閉じ込めることができれば、力を失ったりすることがないんです。神霊を失った器の中には、それと同等の力が満ちていますから、磐座がある場所とここと同時に存在できるんです。まぁ、朱鸛はその器をなくしたから、僕の中にいるんですけどね」


 晶良の説明を陽向はきょとんとした顔で聞いていた。

 しかし、陽向の様子をあまり気にしていないようで、専門分野の話が出来て反対に嬉しそうに見える。楽しそうな晶良を陽向は幸せな気持ちで見つめた。


「――で、その石の欠片は神様が宿ったご神体と同じくらいのご加護があるんですよ」


 晶良が語る話の半分も耳に入っていなかったが、陽向はさも感心したようにふむふむと相槌を打ちながら聞いていた。


「へぇ、そんなにありがたい代物だったんだ」


 トランクス一丁というあられもない格好の陽仁が、体を起こして晶良に言った。陽向は覗き込んでくる兄の視線から石を隠して、口を尖らせた。


「ほしいって言ってもあげない」

「ほしいとか言ってないし」


 晶良が二人のやり取りを見て、心配そうな顔で言った。


「もう一つくらい探して持って帰ってきたほうが良かったですか」


 すると、陽仁がうんざりした顔をして、脱いだTシャツを着ながら首を振った。


「だからいらないって言ってるし」

「ねぇ、晶良ちゃん、長野の伊那までわざわざ磐座を砕きに行ったわけじゃないんだよね? 今回の仕事って一体どんなことしたの?」


 詳細な仕事の内容を一切知らない陽向は、石を眺めながら晶良に訊ねた。


「さっき話したように、長い時間ときを経たものには御魂が宿るっていうのと関係するんですけど、神様見習いから晴れて神にまで神格が上がった御魂が、神界に昇天して残された器が空っぽになったりすると、大きな災害が起こったりするんです。すごい力を培った神が神界に還られて、それまでその神と均衡を保っていた龍脈がバランスを崩してしまったんです。陽向さんも知ってると思うんですけど、最近中央高地に災害が集中していたでしょう? あれは、今回バランスが崩れた龍脈が原因なんです。そのバランスを元に戻したのが、今回の仕事っていうわけです」


「えーと、つまり、どういうこと?」


 陽向は苦笑いながら聞き返した。


「簡単に言うと、空になった器にそれまで入っていたものと同じくらいのものを詰め込んできたんです」

「それって、神様を詰めてきたってこと?」


 晶良が陽向の言葉を聞いて優しく微笑んだ。


「神様は無理ですけど、同じくらいの力なら可能です」


 そういわれて、やっと彼女は腑に落ちた。神のいなくなった磐座に神に等しい生命の力を込めに、長野の伊那まで行ったのだ。おそらく仕事は無事完了させたのだろう。目の前で微笑んでいる晶良が、その証拠だ。

 しかし、生命の力を使うと言うことは、晶良にとって命を削ることになる。多分、仕事を行った後、死にかけたに違いない。陽向は晶良の傍についていたかった。


 陽向は自分が晶良にとってそれほど重要な役割を持っていないことはわかっている。実際、日常生活において百パーセント彼の世話をしていたとしても、それは陽向でなくても出来ることだった。例えば、隣でTシャツとトランクスというデリカシーのない格好で座っている兄にも出来る。しかし、陽向は晶良の命を守る琥珀のようにはなれない。自分は自分でしかない。目の前にいる、年上なのに頼りない晶良の視界の中に常に自分も含まれていることを願って止まなかった。


「そんなすごいものの欠片なの?」


 陽向は晶良に念を押すように聞いた。晶良が首を縦に振った。


「そうですよ」

「それをあたしに?」


 陽向は「陽向に持ってきた」という点を強く晶良に確かめた。陽向の真意など知らずに麗しい笑顔を浮かべて、晶良が言った。


「そうです、陽向さんのお土産にいいなって思ったんです」


 陽向は顔がだらしなく緩んで、ニヤニヤ笑いそうになるのを懸命にこらえた。


「ありがと! ペンダントにしてみるよ。大事にする」


 絶対肌身離さず持ち歩こう。陽向は心の中で舞い踊りながら誓った。


「じゃあ、朱鸛は神様なのにおまえの使いっ走りをやってるってことなのか?」

 横で聞いていた陽仁が晶良に訊ねた。


「朱鸛ってあの体の大きな男の人だよね?」


 陽向は朱鸛のことを大昔に亡くなった人の幽霊くらいに思っていた。しかし、今聴いた話によると、朱鸛は磐座という巨岩に宿る神だったようだ。神を晶良が使役しているというのだろうか。


 すると、晶良が困った顔をした。

「朱鸛はまだ神じゃないですが、僕の手伝いをする契約を交わしたことで、将来神になることが出来るんです。任期満了したら朱鸛は神界に昇天すると思います。この点では、青嵐もおんなじなんです。彼女も僕の手伝いをすることで穢れを清め神界に戻ることが出来ます」


「へぇ」


 まるでファンタジー小説の世界だった。陽向は目を輝かせ、晶良に言った。


「晶良ちゃんはどうやってそんなすごい人たちを仲間にすることが出来たの? 仲間になってくださいって頼んだの? 例えばゲームみたいにそういう人ばかり集まった場所があって仲間を募ったの?」


 陽向にはまだ式神という概念が理解できていない。晶良がさらに戸惑った顔をした。


「式神が集う場所なんてないです。それに、陽向さんはがっかりするかもしれないですけど、彼らは仲間ではないんです。彼らとは主従関係を結ぶんです。いわゆる僕の奴隷なんですよ。でも神霊のような存在がそんな屈辱的な関係を結ぶことはありません。そんなことをすれば、たちまち彼らは恐ろしい荒魂あらみたまに変貌して、祟り神になってしまいますよ」


「じゃあ、なんで晶良ちゃんにはできたの?」


 陽向の素朴な疑問に対して、晶良が苦笑った。


「そこのところが僕にもわからないんです。だから、当時、師匠や一族のひとに説明するとき、本当に困ったんです。あり得ないことだから」

「どんなことがあったの?」


 陽向は話を先に進めたくて適当な相槌を打つと、話の続きを晶良に促した。


(この下りは「式神感得編」を参考にしてください)

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