no.3

 思わず、陽仁の喉から悲鳴が漏れる。

 すると晶良がちらりと陽仁を振り向いた。

 晶良が優美な流し眼を陽仁に向け、微笑んだ。長い前髪が目元にかかっている。

 暗くてわかりにくいが、きっとその頬も唇も桜色を帯びているだろう。

 美しい顔だった。


屍鬼しきです、大丈夫、そこから動かないでくださいね」


 陽仁は晶良の言葉を信じるしかない。異形のものを前にしても動じないこの少年に、自分の命を預けねばならないと覚悟せざるを得なかった。

 屍鬼が山羊に似た瞳を晶良に向け、首を傾げている。

 その隙を狙って彼がなにやら腕を動かして、声をあげた。


青嵐せいらん、警護に当たれ!」


 陽仁の鼻先に花の香が漂う。

 気付くと、藤立涌ふじたてわく模様の十二単を着た女が陽仁の横に立っていた。

 しかし、姿がゆらゆらと陽炎のように揺らめいているため、人でないことがわかる。その手に鉄色の扇を構えている。扇は女が動くたびに澄んだ金属音を発した。


 晶良が動いた。

 右足を出してから両足をそろえ、今度は左足を出し両足をまたそろえる。兎歩うほという歩き方でゆっくりと床をすべるように進みながら、屍鬼の左手に回り始める。


 鬼はたかってくる蝿を追い払うようなしぐさで、彼の顔めがけて腕を振った。紙一重でよけ、わずかに長い髪が乱れ散った。

 晶良が、穴から這い出した屍鬼の前をゆっくりと半円を描いて巡った。

 陽仁に顔を向けた、晶良の長めの前髪のあいだから覗く大きな瞳が真剣な色を帯びているのがわかる。顔を屍鬼に向けたまま、すっすっと足を繰り出している。陽仁は彼の美しい顔が緊張に満ちているのを知った。おそらく、彼が全力で屍鬼を封じる呪文を唱えているためだ。


 今まで汗ひとつかいてなかった晶良の額からひと粒の雫が流れるのが窺える。

 いまだに息は白い。けれど、彼の体からは蒸気がもうもうと上がりだす。どれほどの体力を消耗しているのだろうか。

 上気した頬が紅色に染まっており、息つく暇のない詠唱にほんの少し足並みが乱れてくる。


 その隙を突いて屍鬼が、鋭いかぎ爪を晶良の頭上に振り下ろした。さすがの彼もここまでかと陽仁は思わず目をつぶった。

 突如なにかがぶつかり合う金属音が室内に響いた。


 ガキンッ――!


 続いて金属が滑る音がした。


 キュイィン――!


 陽仁が目を開くと、太刀を手にし、屍鬼のかぎ爪をその刃で食いとめている男が立っていた。

 両耳のわきで髪を丸く結い、美豆良(みづら)の形にした男が、晶良をかばうような態勢で屍鬼と対峙していた。

 筒袖というゆったりとした服を身に着け、足首の部分を紐でくくった褌を穿いている。


 晶良が男になにか合図するようにうなずき、静かに兎歩を続けだした。

 男が屍鬼の攻撃から晶良を守ると、闇に溶け込むように姿を消した。

 しかし、屍鬼の目が晶良を追い、ぐぐっと歪に首を捻じった。壁に当たると晶良が踵を返し、元の半円を歩き出す。反時計回りで異形の化け物の前方を何度も繰り返し歩き続けるのを陽仁は見守るしかなかった。


 両者ともお互い目をそらすことなく睨み合っていた。

 その動きが焦燥を伴うほど緩慢に思え、陽仁は手のひらの脂汗を握り締めた。

 晶良を凝視する屍鬼の右側、ちょうど陽仁の正面に晶良が回り込み、また踵を返す。晶良が呪文を唱えながらしずしずと足を進め続けるのを、陽仁は黙って眺めた。

 暗闇の中、冷たい空気や悪臭と醜悪な屍鬼とがあいまって、ここが幽世(かくりよ)であるかのような雰囲気を醸している。


 屍鬼が吼える。


 しかし、歩を緩めないまま、元の位置まで晶良が半周し終えた。

 今まで晶良との間合いを見ていた鬼が、長い腕を大きく振って彼をなぎ倒そうとした。

 一瞬そのか細い体が屍鬼になぎ払われたように見えた。

 だが、晶良の体が屍鬼の攻撃をひょいと何事もなく受け流した。わずかに上体をそらし、手の指は印を組んでおり、今度こそ朗々と呪文を唱えだした。


「ひふみよいむなや――」


 屍鬼の動きがわずかに鈍る。

 晶良がトンと跳ねるように退いた。

 屍鬼が反射的に晶良を追う。

 しかし、なにか目に見えない壁に阻まれ、その場から動くことができずにいるようだ。

 もどかしげに屍鬼が凄まじい咆哮を放った。


 晶良が右手を腰にやり、ポーチからヒトガタの紙を一枚取り出した。それに素早く指をかざして九字を切っている。

 指先で数枚の紙を挟み、屍鬼に向けて投げつける。

 空を切り、それは一直線に屍鬼に向かって飛んでいく。屍鬼の眉間にカッと音をさせて突き刺さった。

 屍鬼が狂ったように咆哮を繰り返す。


 この圧倒たる体躯を持つ屍鬼に、薄い紙ごときが対抗できるとは到底思えなかった。

 しかし、屍鬼が額の紙に手を触れることもできず、身もだえしながら腕を振り回すのを目の当たりにし、陽仁はこのヒトガタの紙に相当の力が込められているのを理解した。


 晶良が軽やかに陽仁の右横まで飛び退った。

 次第に鬼の眉間の紙から光が漏れてくる。

 その光は交差する九本の線で構成されている。格子状の光が徐々に屍鬼の体を覆い、包み込む。

 光の縄に束縛され、屍鬼は振り解こうとあがいた。しかし、光の拘束はますます強まり、格子を縮めながら小さくなっていく。

 これ以上縮まれば巨大な体が千切れ跳んでしまうと陽仁が思ったとたん、目を焼くような閃光が屍鬼を中心に爆発し、収縮した。


 陽仁は目を開けて、ようやく部屋から屍鬼が消えていなくなったことを知った。

 いつの間にか陽仁の横に、陽炎のようにたたずんでいた青嵐と呼ばれた女もいなくなっていた。


 気がつけば、室内はうっすらと明るくなっていた。あれほど寒かった空気が、だんだんと暖かくなってきたのを感じた。

 床にはヒトガタの紙が散乱している。

 隣に立つ社長が深いため息を吐いた。

 陽仁は身をかがめ、紙を拾おうとした。


 しかし、突然発せられた晶良の鋭い声に、彼は手をとめた。


「それを拾わないで! そのままこの部屋から出てください。後始末をします」


 陽仁は晶良の言葉におとなしく従った。

 晶良が線香立てと一緒に置いていた榊の枝を手にし、それを振りながら兎歩で部屋を一周し始める。


「あれは、なにをしてるんですか」

 陽仁が社長に訊ねると、

「部屋を清めてるらしい」

 と説明してくれた。


 晶良が部屋を清めたあと、部屋中に散らばった紙を拾い集め、取り出した袋の中に収めている。


 陽仁は部屋の様子をぼんやりと眺めていた。

 あれほど暗かった室内は、カーテンの隙間から漏れる太陽光にほのかに明るくなっている。

 さきほどの興奮はまだ冷めやらないが、気がつけば今までの冷凍室に放り込まれたような寒さが嘘のようだった。陽仁はじっとりとした汗が首筋を伝うのを感じ、腕でこすった。


 先ほどまでの異常な事態は嘘のようだった。

 しかし、クローゼットの前の床に散乱した瓶のかけらが、嘘ではないことの証拠だった。

 なにごとかが終わったのだということはわかった。


「彼はなにものなんですか」

 陽仁はずっと聞きたくてたまらなかった言葉をやっと口にした。


 社長が目を細め、晶良の姿を見つめて言った。

「彼は屍鬼祓師しきはらいしだよ、屍鬼専門の掃除屋」

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