第4話(改)

 しばらくして襖が開き、両手にお盆を持った瑪瑙が入ってきた。立ったまま両手が塞がった状態なのに勝手に襖が開いたのだ。もちろん足で開けた様子などない。

 彼女が入ってきた途端、なんと表現していいか変な臭いが立ち込める。


(これが例の薬湯か……?)


 薬湯というには生臭いし、沼の匂いが漂う。


「どうぞ」


 差し出された湯呑みのなかには、川の淀みに浮くものようなものがあり、濁った緑色の底は見えない。


「こ、これは……」


「うふふ。特製の薬湯なの。疲れなんてあっという間に吹き飛ぶわよ。もしかしたら魂も吹き飛ぶかもしれないけど」


(物騒だ……)


 晶良が付け加える。


「死にはしませんけど、一気に飲めば気絶だけで済むかも……」


(やっぱり物騒だ……)


 けれど「出されたものは必ず完食する」をモットーにしている陽仁としては覚悟を決めないといけない。思い切って湯呑みを手に取ると、むわっと鼻をつく生臭さにうっとなる。


 目をぎゅっとつぶり、息を吸い込んで、薬湯を一気飲みした。

 ものすごい刺激にむせそうになった。口のなかで蛇やらムカデ、イモリ、ヤスデ、とにかく長くて足の多いものや無いものが、暴れまくる。それが口のなかからぞろぞろと喉を通って胃の腑へと落ち込んで、さらにそれらがぐねぐねと蠢くと同時に吐き気に襲われた。


「ぐっ……」


 こんなものを口にしたのは生まれて初めてだ。生臭さは次第に土そのものの味になり、さらに粘土の味になった。舌の上にそれらがとぐろを巻いて離れようとしない。今、鼻で息をしたら本当に気絶すると思った。


 がっと両手を畳について、身悶える。何度もつばを呑みこんで、胃のなかで暴れる得体の知れない存在を押さえ込もうと努力した。

 しばらくそのままの姿でじっとしていたら、段々と体内を這い回る気持ち悪さが落ち着いた。


「まぁ、残念。晶良ちゃんのお友達はあれが飲めたのね」


(あれ……?)


 陽仁は青ざめた顔を上げて瑪瑙さんを見た。


「陽仁さんが飲めたのは、僕のマネージャーたる所以ゆえんです」


「そうね、そうでないと晶良ちゃんのお友達なんて無理ね」


 瑪瑙が悲しそうな顔をする。


(どういうことだ? 所以ってなんのことだ?)


 咳き込みながら、陽仁は座り直した。口のなかがまだ泥臭い。そこへ無名が水の入った湯呑みを持ってきた。


「どうぞ、白湯です」


「……ど、も……」


 ようやく声を出して、白湯を一気飲みした。すっと爽快感が喉に染み渡る。口のなかの不快感が嘘のようになくなった。

 生きた心地がしなかった。それより、この姉弟のやり取りが気になる。


「一体何を飲ませたんですか」


 責めるように瑪瑙さんを見やる。


「うふふ。あなたの体に魔が宿ってたら食い破る術式を飲ませたのよ」


「は?」


 今度は晶良を睨みつける。晶良が済まなそうに陽仁を見た。


「すみません。でも、陽仁さんが大丈夫なのはわかってましたけど、吐くかと思ってました。すごく不味いから」


「いや、不味いとかそういうレベルじゃないだろ!? それに魔ってなんだ。食い破るとか物騒なこと言ってるじゃないか!」


 晶良の代わりに瑪瑙さんが答える。


「あのね、晶良ちゃんの側には邪気のない人しかいられないの。晶良ちゃんに飲ませるのは晶良ちゃんに食いついてる妖かしを滅する薬なんだけど、邪気を持つ人が飲んだら死んじゃうのよ」


 怒りや驚きを通り越して呆れる。


「はぁ?」


 死んじゃうって、瑪瑙さん、すごく軽く言ってないかと、改めて化物でも見るような心地で瑪瑙に見入る。

 このひとが魔女と呼ばれて恐れられる意味が少しわかった。だからといって瑪瑙をいくら責めても暖簾のれんに腕押しであることもなんとなく察せられる。だったらそれを黙って見ていた晶良に問題があると踏んだ。


「晶良……」


 ゆっくりと晶良を見据える。


「俺に問題がないってわかってたら、飲むのを止めるのが友達だろう? 俺を試したのか」


 晶良が首を振る。


「そんなつもりはないです。でも止めればもっと酷い目に遭うってわかってましたから」


 いや、止められたはずだと、陽仁が後で覚えてろという顔をしてみせると、瑪瑙があっけらかんとした調子で言った。


「晶良ちゃんが止めてたら、もっと確実に邪気を探り当てる式神使ってたから。そしたら内臓全部それに舐め回されてたんじゃないかしら。少しでも邪気があると喜ぶから。妖かしって邪気が大好きだもの」


 まるで可愛い兎のぬいぐるみの話をするみたいにウキウキした調子で言われた。


「妖かしを滅するのに妖かしを使ってるんですか……?」


 すると、瑪瑙が驚いたのか目を丸くする。


「晶良ちゃん、この子、飲み込みが早いわね」


「当然です」


 瑪瑙がニコニコしながら話す。


「わたしは妖かしが好きなの。妖し世を散歩するのも好き。妖かしってあまりにも無心じゃない。邪気を食べることしか頭にないの。そこが好きなの」


 陽仁が反論する。


「妖かしみたいなものが好きなら、邪気だらけの人間が嫌いってどういうことですか?」


 瑪瑙が困ったような顔をする。


「邪気があるからって、それがいいわけじゃないのよ? 愚かなのと無心は違うわ。人間は愚かなの。とっても頭が悪い。それにお行儀も悪いわ。欲にまみれて、他人に何をしてもいいと思ってる。約束も守らない。この世界で自分が一番だと思ってるところが嫌いなの」


 そう言われると陽仁も何も言い返せなくて「グッ」と黙るしかない。

 なんだか瑪瑙がこんな山奥に引っ込んで人形を作って妖かしと戯れる少女のように見える。そんな彼女が魔女だからという理由で他の姉妹から恐れられているとは思えない。

 しかも、普通の人間に異能力を与える事ができる唯一の人だなんて……。


「陽仁さん……」


 晶良が声を低めて声をかけてきた。


「外見と言動にだまされないほうがいいですよ」


「でも……」


「無心だから妖かしは思い通りにできる。わたしの手足にできるの」


「ほら、別にかわいいから好きというわけじゃないんです」


 そんなふうに話す瑪瑙は瞳がキラキラと輝いていてとても楽しそうだ。


「そう言えば柘榴ちゃんは元気?」


「はい、一応」


「今度遊びに来てって伝えてね」


「はい、一応……」


 今にも帰りたそうにしている晶良に、陽仁は目配せする。ここに来る前に晶良と話をしたことを瑪瑙に聞きたかったのだ。

 晶良が仕方ないとでも言うように肩をすくめる。


「あの……姉さん」


「なぁに?」


 おっとりとした調子で瑪瑙が返事をする。


「確か術式を簡略化した道具を作れましたよね? 佐伯に持たせるために」


 瑪瑙が何か思い出すように考え込んでから、ニコリと笑った。


「そう言えば、押し入れの奥にしまった気がするわ。あれがどうかしたの?」


「陽仁さんが僕の手助けをしたいから欲しいと言ってるんです」


 すると、瑪瑙が表情を明るくして陽仁を見つめる。


「まぁ! あなた、あれが使いたいの?」


「僕はやめたほうがいいと思ってるんですけど……」


「なぜ? せっかく晶良ちゃんのお友達になったんでしょ? 晶良ちゃんみたいになりたいんじゃないの?」


 陽仁が勢い込んで言った。


「晶良の後ろくらいは守れるようになりたいし、いつも晶良に守られてるのは性に合わないんです」


 瑪瑙がニッコリと笑ったまま固まった。かなり長い間動かないので、陽仁は心配になってくる。もしかしたら反対されるかもしれないと思ったのだ。

 だが、ようやく瑪瑙が口を開いた。


「無名、あれ持ってきて」


「はい」


 無名が部屋を出ていった。

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