第2話(改)

 まるまると太った赤い体に、背に亀のような甲羅を背負ったが、リュックに入れておいたはずのわっぱ弁当箱を開けて中身を食べている。


「うわ……ちゅーか、こいつ、いつの間に!」


 驚きよりも、勝手にリュックの中身をあさられたことに怒りを感じて首根っこを押さえようとした。しかし、ぬるっとした感触がして手が滑ってつかめなかった。


「ひゃあ、こりゃ、怖や」


 弁当箱を落として、それが叫んだ。

 顔を上げたそれの目は、まるで魚の眼のようだった。眼球だけがグリグリと大きい。鼻はなくて穴だけが開いている。口は真横に大きく、どこかひょうきんな感じだ。頭には毛はないが、ぴろぴろととげのようなものが生えていて、皮膚に密着している。気持ち悪さよりも、面白いという形容が当てはまる。


「な、なんだ……こいつ」


 晶良がほうっとため息をつく。


山童やまわろです。だからお弁当はいらないって言ったのに」


 山童がじっと陽仁と晶良を見上げて言った。


「食うてもよいか。このうまや、食うてもよいか」


 不安になって晶良を見ると、彼は諦めたような顔をして答える。


「どうぞ、食べてください。その代わりいたずらはなしですよ」


「いたずらはなしか……そうか……」


 どこか残念そうなのが気になる。


「では参りましょう」


 無名が踵を返して、来た道を戻り始めた。

 すると、山童がさらにすがってきた。


「そこにあるうまや、もっとくれ。もっとくれ」


 陽仁のジーンズにすがりついて離れない。


「わかったわかった、やるから」


 山童が頭の上で手を叩いて喜んで、そのまま踊りながら暗がりに消えていった。

 陽仁は腕にはめたデジタル時計に目をやった。


「なんだ?」


 デジタル表記がめちゃくちゃになっている。すでに数字でもない。液晶も消えかかっている。


「あ、ここではそういうものは全く使えないですよ」


 晶良が無名についていきながら、陽仁を振り返った。


「晶良、ここは一体どうなってんだ……」


「だからさっき言ったでしょう? あや。妖かしの世界です」


「妖かし……妖怪ってことか?」


 晶良は少し考えて答える。


「そうとも言えますね。黄泉でもかくでも現し世でも常世とこよでもない場所です」


「地獄でもない?」


「そうです」


 陽仁に理解できるのは、天国とか地獄、後は黄泉だけだ。状況も意味も飲み込めず難しい顔をしている陽仁に晶良が言った。


「例えば、子供が神隠しにあったとします。この子供は神の国に行ったんじゃないんです。いたずら好きの妖かしにこの世界に引っ張り込まれたんです。この世界には時間もない。だから年も取らないし、機械みたいな文明の利器も全く意味を成さないんです。それである日ひょっこり、当時神隠しにあった歳のまま子供が現し世に戻ってくるのはそういうことなんです」


 そう言われて、無名のかざす提灯を見た。


「あれはいいんだ……?」


 晶良は提灯を眺めて、遠い目をした。


「あれは特製なんです。多分あの明かりを持てるのは瑪瑙姉さんと、あの無名だけです」


「瑪瑙……さん……」


 陽仁はそれまで抱いていた、翡翠や柘榴に似たような人物イメージをそっと横においた。どうも、そういう女性イメージを持ってはいけない人のような気がした。

 道は提灯が照らす部分だけがよく見える。それ以外は相変わらず、ほの暗い紺色に沈んでいて、少しざわついている。


「いやだな……」


 晶良がひとりごちた。


「何がいやなんだ? さっきからどうしたんだ」


「妖かしはいつも僕のエネルギーを食べちゃうんですよ。青嵐が言うには僕はこの世界ですごく目立っているらしくて、そのきらめきをちぎって食べてるそうなんです。でもそれはいいんです……」


「いいのかよ……」


「ぼくがいやなのは、疲れた僕に瑪瑙姉さんが出す薬湯なんです」


 何かとんでもないことでもされるのかと思っていただけに、拍子抜けした。


「薬湯ならいいだろ。優しい姉さんじゃないか」


 すると、晶良が恨めしそうな目つきで陽仁を見やる。


「じゃあ、陽仁さんも飲んだらいいんですよ」


 珍しく晶良が不機嫌になってしまった。


「わかったよ。俺もお相伴しょうばんするからさ」


「後悔しますよ……」


 不穏なことを口走る晶良を陽仁は困惑したように見つめた。


(それにしても……)


 この妖し世の道を通ってどうやって奥州まで行くのだろう。列車を乗り継いでいくか飛行機で行くか、少し楽しみながら想像していただけに、残念ではある。


 しかも案内人はどこかしら不気味な男だ。

 どのくらい歩いただろう。かなり歩いたように感じる。やがて道の先に白い光が見えてきた。少なくともこの世界よりは明るい。

 光は針の穴程度のものから次第にバスケットボールくらいになって、一気に陽仁たちを包み込んだ。あっという間もなく、陽仁は光に呑み込まれ足を滑らせた。


「うあっ!」


 気が付くと山の斜面に転んで尻餅をついている。相変わらず周りは薄暗い。まだ夜明け前のような暗さである。


「大丈夫ですか」


 見上げると無名が手を差し伸べてくれていた。その手を見ると、あの気味の悪い節のある手ではなく人間そのものだった。


(どういうことなんだ……?)


 どうやらここは自然木が密生する山の尾根らしく、斜面が両脇にある。陽仁たちがいるのは人道のない獣道だ。


あるじの住まいはこの上です」


 人間としか思えない表情で、無名が微笑んだ。しかし、それはまるで人形の笑みのようだった。





 平坦な道からいきなりの山道を、しかも手が入ってない獣道を無名が先導して登っていく。いくら体を鍛えているとは言え、陽仁の息はいやでも上がってくる。ふと横の晶良を心配になって見てみると、意外に平気そうだ。軽々と木の根や岩を乗り越えて斜面を登っていく。


 朱鸛しゅこうが彼の代わりに坂道を登っているのだろう。そうすれば晶良自身の体力を使わなくて済むのだ。

 いつもそれを羨ましく思う。けれど、晶良の体質を考えるとそうせざるをえないのだろうと諦める。


(楽っていやぁ、楽なんだろうけど……)


 命にかかわるのは遠慮したい。しかし、晶良はそんな危ない綱渡りのような生活を幼少期から続けているわけだから難儀といえば難儀だ。

 茂る梢で遮られていた空が見え始める。空があけに染まり始めている。厚い雲に朝日が反射して紫に紺色から紅とだいだいへ変化していく。


 朱色だった空は次第に紫に染まり、東雲しののめ色の光を放った。

 それまで静まり返っていた森のなかに驚くほど様々な音が戻ってくる。それはまるでミュージックプレイヤーを再生したような、そんな感じだった。

 鳥のさえずり、風に葉のれる音、遠くから響くせせらぎの音。そして自分たちが立てている茂みをかき分け、土を踏みしめる音まで。


 温度も何も感じなかったのに、音が生まれると同時に空気まで生き返った。強烈な山のが鼻を突く。強烈な青々しい香りと土の香ばしい匂いだ。

 それらは五感を刺激して、何も食べていなかった陽仁の腹を刺激した。腹を鳴らしていると晶良が振り返った。


「お弁当が残っているか見てみたらどうですか?」


「そういや、作ってたな」


 立ち止まってリュックを漁ったが、わっぱ弁当箱はどこにもなかった。二、三度リュックの中身をかき回したが見当たらない。


「ない……」


 呆然として言うと、晶良がくすっと笑う。


「今回は僕に悪さをせずに、代わりにお弁当を持っていったようですね」


 それであの赤い妖かしを思い出した。


「あの赤いやつか」


「他にも。きっと今頃、舌鼓を打ってますよ」


「マジで持ってくとは思わなかったな。やられた……」


 狐に化かされたような気分だ。

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