第3話(改)

 天井の黒い蛆を凝視したまま、鳥羽が口走る。


「でいそ……? なんだそりゃ……」


 天井から目をそらして、晶良が指で弾指たんじを鳴らした。あぶくが弾けるように、指を鳴らすごとに泥蛆が消えた。


「さぁ、問題のフロアに案内してください」


「お……は、はい」


 目の前で異様なものを消してみせた晶良への、鳥羽の態度が変わる。


「こちらです」


 エレベーターに案内されて、四階のボタンを押す。

 エレベーターのなかも暗い。明滅してないにしろ、空気はさらに重たくなっていく。まるで地球の重力が一気にのしかかってきたようで押し潰されそうだ。

 肩に砂袋を置かれたみたいな感じで背中が曲がる。しかも段々と異臭が漂ってきた。生ゴミの匂いだ。


「また掃除サボりやがって……」


 鳥羽がグチグチ言っている。

 多分、生ゴミではない……。陽仁は今までの経験からそう思った。

 魚のえた血の匂い、海の潮臭さが混じる、腐った臭い。キッチンの生ゴミを魚の骨と一緒に放置したときの悪臭だ。

 そして、クーラーが効きすぎたような冷たさも感じる。七月に入ったばかりで、外は蒸し暑さに汗をかくほどだ。風がいくらか涼しいとは言え、建物のなかにまでは吹き込んでこないし、ましてやエレベーターなど論外だ。


(例の寒さだ)


 陽仁は、これは瑕疵物件の清掃に行くと毎回感じる寒気だと察した。

 冷凍庫に突っ込まれたような、極寒の地に薄着で放り出されたような、息が白くなる寒さがエレベーターに満ちている。

 現に三人とも息が白い。鳥羽が不思議そうにエレベーターの通風口を見ているが、原因はそこじゃない。

 問題の四階に近づいているからだ。

 ポンという軽い電子音とともにエレベーターの扉が開く。

 扉の外は真っ暗だった。それまで軽かった悪臭が、一気に鼻孔びこうを直撃する。


「臭いッ」


 咳き込みながら鳥羽が急いでフロアの電源を探しに行った。けれどやがて急いで戻ってきて言った。


「電源がつかないが、大丈夫ですか」


 鳥羽の言葉に晶良が首を傾げる。

 陽仁はすかさず晶良に声をかけた。


「ろうそくならあるけど」


「いいえ、これくらいなら青嵐せいらんがなんとかします」


「青嵐? ライトの名前か何かですか」


 鳥羽が不思議そうに言った。

 その受け答えがおかしく陽仁は口元を緩めた。


「青嵐」


 晶良がちゅうに呼びかけると、どこからともなく女の声が返ってきた。


「あい、ぬしさま」


「明かりを」


 晶良の言葉とともにポウッと青白い光が灯る。燐光を発する女の姿が浮かび上がる。

 滝のように長いつややかな黒髪に抜けるように色が白く、目元にしゅをさした十二単じゅうにひとえの女だ。しかも宙に浮いている。


「う、うわぁ……! ゆ、幽霊!?」


 鳥羽が驚いて後退あとずさった。


「式神ですよ。僕の使役です」


 ニッコリと晶良が微笑んだ。

 陽仁は灯し火に浮かぶ青嵐を見やる。彼女は白狐の青嵐。神狐から妖狐になりかけたところを晶良に救われた。それ以来、晶良が死ぬまで仕え、再び神狐になるつもりでいるのだ。

 顔は小造りで鼻がツンと上を向いていて、ふっくらとした頬につぶらな瞳、柔らかそうな唇を見ると普通の女性に見える。けれどその頭からは白い大きな耳がピンと立っていて、彼女が人間でないことがわかる。外見も少女に見えたり妙齢の女性に見えたりと様々だ。


 灯し火が宙高く浮き上がり、同時に今まで見えなかったものが見えた。

 エレベーターを出るとすぐフロアが広がっていて、青白い光が床と天井を照らしている。

 椅子や机はなく、だだっ広いフロアには赤いカーペットが敷かれているだけだ。そのカーペットと天井と壁に、泥蛆が伸び縮みしながら蠢いている。うぞうぞと動くさまは動きの鈍いゴキブリに似ている。

 晶良はフロアの広さを目で図ると、腰のバッグから紙を取り出して指に挟む。その紙はときによってただの四角い紙だったり生き物の形だったりする。

 今日はどうやら御札のような紙にしたようだ。紙には朱墨で複雑で判読できない模様が描かれている。

 それを晶良がピッと放り投げた。ただの紙がまるで手裏剣のように鋭く空を切って壁にピタッと張り付く。

 その途端に今までノロノロと蠢いていた泥蛆が、まるで伸び切ったゴムを掴む手を失ったように勢い良く粘り気を見せながら奥へ消えた。

 また一枚一枚、同じように晶良が紙を飛ばす。天井と左右の壁へ紙が張り付く。そのたびに泥蛆が物凄い勢いで逃げていく。


「おふたりともそこから動かないように」


 いつものセリフを晶良が吐く。彼は一人で清掃を済ませる。その際に邪魔が入らないように能力のない人間に動かないように命じるのだ。

 陽仁はいつもそれを聞くたびに、自分にもできることがあるんじゃないかと思ってしまう。けれど、晶良は陽仁には何もさせてくれず、一言「危ない」と言うだけだ。毎回それを歯がゆく感じてしまう。

 晶良が両手の指を組み合わせながら、前に進む。ズーンという重たい音が響く。術法を使うとき彼が歩くたびにその音が響くけれど、その音のもとを教えてもらえたためしがない。

 そうなってくると彼の様子は神がかってくる。華奢な背中がいつもの倍に見える。背丈も倍に伸びて部屋中に彼の気配で満ちる。いつも後ろ姿だけしか見えないので彼の顔を拝んだことはないが、きっとどこか人間離れした顔つきなっているんじゃないか。

 陽仁は無意識に鳥羽が飛び出したりしないように、体でかばっていた。


「泥蛆は小物ですが、能力のない人間にとっては害のある存在です。取り憑かれれば悪心と生気を吸い取られて死に至ります」


 いつか晶良が言っていた。「だから陽仁さんは後ろにいてもらいます」今でもその言葉は自分には苦々しく感じられる。だったらなぜ自分は晶良の相棒なのだろうか。


 ――運命さだめじゃ


 頭のなかで女の声が響いた。ふと見ると青嵐が冷たい視線を自分に注いでいる。


「運命だって?」


 思わず声を出してしまう。


 ――主さまにとってそなたは必要不可欠な役割を担っておるだけじゃ


(なんだって俺なんだ……)


「誰と話してるんですか」


 鳥羽が青い顔をして陽仁に聞いた。


(ああ、青嵐の声は俺にしか聞こえてないのか)


 ――愚か者。主さまの手足となって守るのがそなたの役割じゃ


(手足かよ!)


 陽仁は苦笑いを浮かべる。


 あれは一年前、依頼を受けて晶良と岡山の孤島へ行き、化け物と戦った。そのときに散々自分は晶良のために奔走したじゃないか。

 青嵐はつんとそっぽを向いて、晶良の背後に回った。

 その間も晶良は禹歩うほというゆっくりとした足取りで奥へと歩いていく。結婚式に新婦が歩く歩き方に似ている。とろとろしていて、見ているとイラッとするが、それにも意味があるらしく、泥蛆が出た部屋ではいつもこれを始める。

 そうやって晶良が自分の結界を張っているのだそうだ。

 今回の結界はすでに三方の札で結界の一部は出来上がり、後は床だけだった。

 追い詰められた泥蛆が煮詰められた漆黒の泥のように、ボコボコとあぶくを湧かせドロドロと天井から床に落ちては天井へと戻っていく。

 さながら爆発寸前の闇だ。

 晶良が、胸元で何度も手印しゅいんを組んで、鋭く言い放つ。


「オン ビシビシ カラカラ シバリ ソワカ!」


 その瞬間、眼に見えないガラスが音を立ててながら割れて崩れ落ちていく音がした。

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