用語解説8―21話~23話編

<21話 柳一の優しさ>用語解説


〇柳一さんが、初めてわたしの名前を呼んでくれた……

当時の女の子の名前はどんなものが多かったのか、調べてみた。

大正元年(1912)の女の子の命名ランキング~1位「千代」、2位「ハル」、3位「ハナ」、4位「正子」、5位「文子」、6位「ヨシ」、7位「千代子」、8位「キヨ」、9位「静子」、10位「はる」。

現代よりも子供が死にやすい時代で「長生きして欲しい」という思いがあったからか、「千代」「千代子」という名前が多かったようだ。

ちなみに、桜子たちが女学生だった1920年代ごろの命名ランキングを見ると、「久子」「幸子」「美代子」「照子」など、「~子」と命名するのがブームになっていたようである。






<22話 来訪者は高級牛肉とともに?>用語解説


〇お粥は、赤色なのか、緑色なのか、黄色なのか、それとも紫色なのか、何だかわけのわからない色をしていて、クラリとめまいを起こしてしまいそうな強烈きょうれつな臭においをはなっていた

絶対に食べてはいけない。



〇冷蔵箱

電気式の冷蔵庫が昭和三十年代に普及するまでの間に使われていた、氷式の冷蔵庫。氷箱とも呼ばれていたようである。

アメリカではすでに19世紀半ばから使われていた。日本でも1900~1910年代の書物を見ると氷箱(冷蔵箱)が使われていたことが確認できる。

ただ、和製の冷蔵箱と舶来の冷蔵箱では品質に差があり、「日本製のは手が抜いてあって、舶来のは念が入れてある」と評する書物もあった。(食道楽・続編 秋の巻 著・村井弦斎 出版社・報知社 出版年・1913年)






<23話 小さな太陽>用語解説


〇ビスケット

明治8年(1875)、風月堂の米津松造がフランス人に製法を学び、日本最初のビスケット製造に成功した。

明治28年(1895)、風月堂は鮭肉入りのビスケットをビールの肴として売り出した。

軍需用のビスケットが大量に製造されるようになったのは、昭和7年(1932)のことである。(満州事変の戦火が上海へと拡大したのが影響していると思われる)



〇チューインガム

アメリカの食品会社リグレー(ウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー)が、大正4年(1915)ごろに新聞広告で大々的に宣伝してチューインガムを売り出している。

チューインガムが何なのか分からない日本人のために商品名の横に「噛み菓子」と書き、「クリスマス年末年始の最好贈答品」「楽しい うれしい クリスマスと正月 大喜びで飛んだり跳ねたり」などという謳い文句だった。



〇この時代に関西で食べられていて、あと数年もしたら東京でも広まることになるすき焼き

この物語の翌年(1923)に発生する関東大震災で牛鍋屋の多くが焼けてしまった。そのため、関西のすき焼きが東京に進出し、東京の人々もすき焼きを食べるようになったのである。

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