用語解説3―7話~9話編

<7話 入学式>用語解説


〇暗闇坂

麻布に実在する坂。作中の説明にある通り、オバケが出るという伝説で有名だった。たぶん、鬱蒼と木々が生い茂っていて不気味だったから、そんな噂が流れたのだろう。

「幽霊の正体見たり、過労かな?」byこわいもの係・梨崎佳乃

ちなみに、追いはぎは出たらしい。さすがに、近くに女学校ができたころには、そんなに物騒な坂ではなくなったと思うが……。



〇広々とした木造校舎

作中のメイデン友愛女学校のモデルとなった東洋英和女学校も、木造校舎だった。

関東大震災が起きた時、神田猿楽町の仏英和高等女学校などは校舎が全焼する甚大な被害を受けたが、麻布の東洋英和女学校は木造校舎でありながら被害は軽微だったらしい。

ちなみに、「この物語の女学生たち、関東大震災でどうなったんだろう……」とか心配しなくて済むように、東洋英和女学校を桜子たちの学校のモデルとして選んだ。



〇年々、入学者が増えてきているから、最近、講堂を大きくしたらしい

作中、メイデン友愛女学校の全生徒数は約200人で、年々入学者が増えているという設定である。

これは、モデルとなった東洋英和女学校の生徒数の年々の増加を反映している。

東洋英和女学校では、大正10年(1921)の時点で在籍生徒数が152人だった。その翌年の大正11年(1922)――すなわち、『花やぐ愛は大正ロマン!』の物語と同じ年――には199人に増加している。

生徒数はその後も毎年増加し、昭和初期にいったん減るものの、再び増加を始め、昭和9年(1934)には384人になっている。

これは、子供たちを女学校に行かせるだけの経済的余裕を持つ家庭が増えてきた証なのだろう。



〇サマセット先生は(中略)カナダのプリンスエドワード島というところから日本にやって来た新しい学校長

作中のサマセット学校長は、プリンスエドワード島出身の東洋英和女学校校長ミス・ハミルトンがモデルである。

ミス・ハミルトンは、東洋英和女学校の第15代・第17代学校長だった。

また、『赤毛のアン』の翻訳者・村岡花子も東洋英和女学校の生徒だった関係もあり、東洋英和女学院(中学部・高等部)では現在でもプリンスエドワード島に語学研修として生徒がホームステイしている。

ちなみに、『赤毛のアン』の時代背景は1880年代~1890年代ごろらしいので、アンとサマセットはほぼ同年代だと思われる。

コメント欄でプリンスエドワード島に反応してくれた坂神慶蔵さん、グッジョブ("´∀`)b



〇袴を短くして足を出すというオシャレが一部の女学生の間で流行っている

大正時代に実際に流行した、ミニスカートの袴バージョン。

この当時、女性が素足をさらすのははしたないことだと考えられていたので、大人たちはミニ袴の女学生を目撃して仰天したかも知れない。






<8話 女学校の仲間たち>用語解説


〇医務室

明治31年(1898)、「公立学校ニ学校医ヲ置クノ件」の勅令が公布されたことにより、公立学校に学校医が配属されることになった。この法令は公立学校を対象としたものだったが、次第に各地の私立学校にも普及していったと思われる。



風花かざはな柊子とうこ

私の短編小説『大正十年のメリークリスマス』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054882205552)のヒロイン。『大正十一年のエイプリルフール』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054882862157)でも重要人物として登場。

『大正十年のメリークリスマス』の時よりもちょっぴり成長し、桜子たちの頼れる先輩として活躍する。



〇森永のミルクキャラメル

明治32年(1899)、森永が創業とともに販売開始。最初はばら売り・量り売りだった。

明治41年(1908)、携帯してどこでも食べられるように10粒入りの缶容器(森永ポケットキャラメル印刷小缶)を売り出す。しかし、缶容器ではコストがかかってしまうため、大正3年(1914)に紙の容器(20粒入り)で販売して大ヒットした。






<9話 デイジー先生>用語解説


〇みなさん、猫を背負ってますヨ! 猫背はダメです!

大正~昭和時代の漫画家・田中比左良ひさらはエッセイで「日本の婦人の80パーセントまでが猫をしょっています。後屈です。それが日本服にはかえってうつる場合がありますが、洋服では絶対駄目。後屈の婦人には洋装厳禁のことです」と語っている。



〇国語の授業は教科書でいろんな小説を読むことができ、女学生たちには人気があった。

「国語」は公立の女学校でも、「家事」「裁縫」と同じくらい重要視され、授業数の多い教科だった。

文学少女が多かったその当時、教科の中で「国語」が人気ナンバーワンだったらしい。『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』(著・稲垣恭子 出版・中公新書)によると、かつて女学生だった人たちへの調査で女学校時代に好きだった科目に「国語」を挙げた人は、全体の約52パーセントだった。「国語が嫌いだった」と答えた人は3パーセントほどしかなく、だいたいの女学生が「国語」好きだったことが分かる。



〇文学少女が多かった女学生

これもまた『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』によると、女学生たちが読んでいた本のジャンルは「日本文学」(49パーセント)、「少女小説」(46パーセント)、「外国文学」(30パーセント)、「自伝・伝記」(25パーセント)、「大衆文学」(23パーセント)で、おもに文学作品や少女小説が好まれる傾向にあった。



〇「裁縫」という授業もあった

「裁縫」の授業は女学生たちには不人気だったようである。

前述(『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』)の「どんな科目が女学生は好きだったか」という調査によると、当時の女学校で「裁縫」が嫌いだったと答えた人は全体の25パーセントを超えている。

ただ、担当する先生の授業のやり方が退屈で嫌いになったという意見もあるようである。



〇この時代の服屋には、買ってすぐに着られる完成品の服が売っていなくて、服の材料となる布などを買って自分でお裁縫し、着物にするのだ。

この時代、衣服はほとんど手作りである。オーダーメイドのサービスもあったけれど、もったいないから普通の家庭はお母さんや奥さんの手作りだったはずである。

古くなったら捨てたりせず、何度も仕立て直すなど、衣服を大切にあつかった。

ちなみに、衣服事情の解説は『大正処女御伽話たいしょうおとめおとぎばなし』(著・桐丘さな 出版・集英社)という大正ラブコメ漫画を参考にした。主人公の珠彦たまひことヒロインの夕月ゆづきの心温まるラブストーリーがとてもおススメなので、大正時代に興味がない人もぜひご覧あれ!!

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