第三章 『逆流』

3-1


 なお、豪運はそこで使い果たした。


 『聖域』フロアから戻る途中、久丈の歩く床が抜けて危うく足を折りかけ、天井の一部が落ちてきて鼻先をかすめれば、校内を根城にする不機嫌な野良猫(シマネコだから野良というより野生)が久丈をひとしきり引っ掻いて満足気に去っていった。


「なんだか凄いわね、ジョーくん……」


 さしもの一華も呆れ顔である。


 その隣の瑛美が朗らかに笑った。


「こういうときのジョーくんには近寄らない方が良いですよ。巻き添えくらいますし」


 二人から微妙に距離を取られた久丈がげんなりと呟く。


「制服、いつまで保つかな…………」


 三ヶ月と保たない。その事実を知るのは、彼には酷であろう。


 夕暮れに彩られた放課後の校内を、三人は歩いていた。一華が学園を案内しているのだ。


 ここは第二校舎、一階、トレーニングルーム。


 広い部屋内に、様々なトレーニングマシンが所狭しと並んでいる。


 一華が解説した。


変身トランスすれば身体能力は強化されるわ。けれど、あくまで強化。だから『元の身体能力』を上げることは必須ね。研究によると、元となる身体能力値にプラスではなく、掛け算で計算されるらしいから、通常時では僅かな差でもトランス時には大きな差になるわね」


 瑛美が手を挙げる。


「ジョーくんはイイ身体してます! 細マッチョです!」


「余計なことは言わんでいい」


 一華が頷く。


「ええ、ジョーくんはイイ身体してるわ。見事な筋肉の付き方よね」


「余計なことは言わないでください」


 一瞬、お互いに見合った二人の視線が、久丈に突き刺さる。


「どういうこと? なんでジョーくんの筋肉の付き方を一華お姉さまが知ってるの?」


「それはつまり、瑛美さんがジョーくんの裸を見た、ということかしら?」


 脂汗を流しながら、二人にどうにか説明を試みる久丈。


「……その、バトルのときに、見たんだ、です」


「「ふぅん?」」


 まったく信用していない二人。


 一華に裸を見られたのは、昨日の双刃邸でのベッドの上だ。だから瑛美には嘘をついたことになる。たいへん心苦しいと久丈は思う。だが、瑛美の方も幼馴染ゆえの深い付き合いで見られたこともある。だが見られただけだ。それ以上のことは、瑛美とは何も無い。何か起きる前にあっけなく終わってしまったのだ。思い出したくもない、あの事情によって。


 瑛美は久丈の気持ちを知らない。


 昨日、一華が見抜いたあの気持ちを、瑛美は知らない。


 今はまだ、伝えることもできない。


 だから、まだ引きずっているのだ。


 睨み合うでもなく、淡々と視線をまじわせる二人を見て、両手に薔薇だな、と久丈は思った。トゲが刺さって痛いこと痛いこと。


 一方、一華と瑛美は、より正確に相手を認識していたのであった。


――やはり瑛美さんこの子、ただの幼馴染ではない。


――やっぱり一華お姉さまこの人、ただのパートナーじゃない。


 久丈が複雑な気持ちでビビリつつ見守るなか、一華が先に動いた。口を開く。


「瑛美さん」


「はい、一華お姉さま」


「ひとまず、仲良くしましょう」


「ええ、そうしましょう」


 一華の差し出した右手を、瑛美が緩く握って握手を交わした。停戦協定のように見えた。


――ひとまずって何だ……。


「トーナメント戦が終わるまで、ジョーくんは私がもらうわ」


「トーナメント戦が終わったら、ちゃんと返してくださいね」


 ふふふ、と笑い合う二人。


「それはそのとき、また話し合いましょう」


「そうですね、三人で」


 あ、それ僕も入ってるんですね、などと、とても言える雰囲気ではなかった。


 日はまだまだ高い。




「――と、そういうわけで、五人の勇者こと『伍勇星』が戦争を終結させたのね」


 第一校舎、正面玄関。


 縦に五メートル、横に二十メートルはあるデカイ壁画を前に、一華が講義していた。


 その絵は、戦場を駆ける五名の勇者たちを中心に描かれている。騎士然とした彼らが身にまとう西洋甲冑は、優美でありながら派手すぎず、何よりも胸に刻まれた『鷹翼』の紋章が印象的だ。そしてその紋章は、壁画の中心と四隅の五ヶ所にも配置され、彼らとこの壁画を象徴するものであることを示していた。


 それが勇者と魔術大戦の様相を描いた絵であることは、久丈も瑛美も中学でさんざん習っているのだが、一華の説明が――その声が快適すぎてつい聞き入ってしまっているのであった。


「第二次世界大戦――今では『魔術大戦』と呼んでいるその戦争は、世界中の国を巻き込んで長いこと続いたわ。このままでは人類が滅ぶ、そう思った五人の魔術士が、伝説のクラス『勇者』を使って、戦争を終わらせた。ではその方法は? ――はいジョーくん」


「えーと、魔術を消し去った」


「正解。五人の勇者こと『伍勇星』は、同盟国と枢軸国と共和国と連合国とその他諸々の軍事施設を電撃戦で完膚無きまでに破壊し、その際に奪った魔力で地球上から『クラス・ウェポン・システム』を消し去った。正確には、魔術士が変身する際に接続する『地球ほしとの回線』を封じ込めた。そしてその後は――はい瑛美さん」


「『勇者』を首領にした複合魔術協会『英雄連合』が発足して、『冠装魔術武闘クラス・トランス』を創生。世界中を監視しつつ、争いが起きないようバランスを保っている」


「はい正解。五人の勇者はそれぞれ五つの組織を作った。それが『英雄連合』。まぁ勇者たちは神輿に担がれただけの傀儡となってしまったのだけれど。それでも『連合』はきちんと機能しているわね。再び戦争が起きないよう動きつつ、武力の代替として『冠装魔術武闘クラス・トランス』を提供している」


 一華の補足に、久丈が確認する。


「世界中のカードを管理している『冠装魔術協会セフィロト』も、連合が作ったんですよね」


「ええ。最も、彼らもカードがどうやって創られているかはわからないみたいよ」


 一華の説明に、瑛美が声を上げた。


「へっ、そうなんですか?」


「そうなの。セフィロトも聖域も、元々は五人の勇者が創ったみたい。今はもう、勇者たちが生前に定めたアルゴリズムに従って、自動的にカードとクラスが生成されているの。下手にいじると何が起こるかわからないから、今は放っておくしかないみたいよ」


 久丈が呟く。


「誰にも変えられない、誰も触れないシステム……」


「その名の通り『聖域』ね。まぁ、今のところは公平性もバランスも保たれているし、上手くいっているんじゃないかしら」


「なんだか、製作者の死んだMMORPGみたいですね」


「えむえむおーって、なにそれジョーくん。ゲーム?」


 クラス・トランスにしか興味のない瑛美に、久丈が答えた。


「そう、昔のな」


 一華が思い出したように、


「ゲームと言えば今でもたまに言われるわね。『冠装魔術武闘クラス・トランス』が与える悪影響、とか」


「あるある! ボクも言われたことあるよ。全国優勝した時に、色々と」


 肉体を変貌させ、精神から創り変えるクラス・トランスは、プレイヤーに与える影響も少なくない。


 その一つが、『逆流』と呼ばれる現象だ。


 戦士系は歩き方が変わったり、身体的な面で影響が現れやすく、魔道士系は想像力が豊かになったり、先のことを予測するようになったり、考え方に変化が出る。


 そのクラスと相性が良ければ良いほど『逆流』は起こりやすい。翻せば、『逆流』が起こるクラスは、そのプレイヤーと相性が良いとも言える。


 クラスプレイヤーを何年も続けていると、やたらとノリが良くなったりするのも効果の一つだ。魔術士としてバトルする感覚そのものが『逆流』してきているのだ。


 ただ、ほとんどのプレイヤーはその程度――姿勢が良くなったり思考が論理的になったりやたら陽気になったりするくらい――の影響で収まるのだが、極稀に、世界で戦うトッププロレベルになると、『相性が良すぎて』起こる弊害もある。 


 一華もそうであった。


 これは一部の者しか知らないのだが、『舞踏剣闘士ブレイド・ダンサー』と相性が良すぎて普段なにげなく過ごしているときでさえ、まるで魔法を使ったかのように周囲を錯覚させてしまうことがあるのだ。


 それはたいてい、一華が何気なく想像したことに起因する。


 例えば、『入学式』で大勢の前に立った時、全裸だったらどんな気持ちだろう、と考えてしまったり。


 例えば、好きな相手を『誘惑』する時、その人の五感を全て自分で満たしたい、と考えてしまったり。


 例えば、突然『演説』することになった時、演歌のナレみたいな口上が欲しいな、あ、スポットライトも欲しいな、皆にも盛り上がってほしいな、などと考えてしまったり。


 ただまぁ、飽くまで錯覚なので、本物の魔法みたいな効果はない。一瞬だけ裸に見えたり、ただでさえエロい仕草が余計に艶かしく見えたり、やけにテンションが上がりやすくなったりするだけである。ある程度の強い意志があれば、錯覚することすらない。


 トッププロでも滅多に無いことだから、周囲からすれば『逆流』の影響下にあることすら思い至らない。


 ついでにもう一つ、『逆流』の特殊な例として、『クラスそのもの』の人格と対話できるようになってしまう――というケースも稀にあったりする。


 だが『冠装魔術武闘クラス・トランス』が与える悪影響のイメージとして最たるものは『死の感覚』であろう。


 全身の力が抜けて、次第に寒くなっていき、やがて何も考えられなくなるあの一瞬――死と復活の狭間の一瞬。痛覚値を抑えられるとは言え、そのフィードバックは軽くない。


 ただ、軽くはないが、重くもない。しばらくすると慣れてきて、居眠りみたいに思えてくる。めちゃくちゃ眠い授業中に一瞬だけ意識が飛ぶアレだ。ノートがシャーペンに描かれたミミズと口から垂れた涎でぐっちゃぐちゃになってるあの瞬間、妙に気持ち良いよね。


 そもそも『冠装魔術武闘クラス・トランス』を始める際には適性検査を受ける義務があり、まず見られるのがこの耐性だ。診察と疑似体験により許可が下りなかった者はプレイヤーになれないが、そんな者はまずいない。クラス・トランスは、『意識が途絶える一瞬に慣れる適正』が必要だが、それは例えば『プールで泳ぐために顔を水に着けられること』や、『自転車に乗るためのバランス感覚』だったり、『逆上がりをするための少しの勇気と勢い』と同じ程度の適正である。泳いだり自転車を請いだり鉄棒をしたりするのと同じようなもんなのだ。


 しかし、クラス・トランスが始まり五十年以上が経過した今でも、先入観と無知と無関心による誤解はしばしば起こる。それがテレビを通じて各家庭に配信されたりするから、意外と減らなかったりもする。


 その揶揄として、インターネットでよく上げられているネタにこんなものがある。




■マスコミの考えるクラス・トランス脳

「あー。バトルみたいに誰か殺してーなー。死んでも生き返るしなー」




■実際のクラス・トランス脳


「あの子エロいから絶対踊り子だ……。組みたい……ちょー組みたい……(実は罠士)」


「そこの植木に忍者隠れてそう」


「ここの壁登りつつ詠唱して、屋上から『火炎系爆発呪文花火』打ち上げたい」



 中学の全国大会で優勝を果たした瑛美も、早朝のニュース番組に呼ばれコメンテーターの見知らぬオッサンに「普段から人を斬りたいって思うの?」などと聞かれて絶句したりした。全世界で流行しているとはいえ、なかなか偏見は減らないんだなぁと、十五歳の少女は世の中を知ったものである。


「お前をぶった斬りたいよ、とは言えなかったよねーさすがにねー」


「言わなくて良かったよ……認めちゃってるよそれじゃ……」


「あ、私も言われたことあるわ。家でもそんな格好なんですか、って。ほら、踊り子服」


「……………………………………」


 昨日、色々見てきた久丈は黙っていることにする。


「なんて答えたんですか? お姉さま!」


 興味津々で尋ねる瑛美に、おいバカよせ聞くな。と内心焦る。


 しかし一華は、流れるような動きで瑛美の顎に手を置くと、目を細めて囁いた。久丈は百合の花が咲いたのを『錯覚』した。


「あなたのご想像通りに、脱がせてくださいまし」


「――めっちゃエロい!」


「うふふ。ありがとう」


 興奮する瑛美と、優雅に微笑む一華。


 仲良き事は美しき哉、とひっそりと思う久丈であった。


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