第36話 ブレッドヴァルの住人たち
櫂を使って水夫たちは船を寄せると、縄を持って次々に海へ飛び込む。水面はもう浅く、腰から下までしかない。彼らは縄を持って進み、浜辺へ上陸すると船を引き上げた。
初めてみた時と違って、昼間に見る浜は白い砂で覆われていて実に美しかった。打ち揚げられた『六角の銛』号から縄梯子が降ろされ、スピネイルたちは上陸する。数日ぶりの揺れない地面で、安堵感と共に腰から砕ける者さえいた。
「汗を流したいね……」潮を被ってべたべたする黒髪を撫でつけながらスピネイルは呟いた。
「近くに集落がないか探してこなきゃならねぇ。あったらそこの長に挨拶して、俺たちが悪さをしねぇってことを伝えないといけない。俺たちは海賊じゃないんだからな」
「北方の海には海賊がいるのですか?」
「いるよ。俺たちは『海のホー』と呼んでるがね。半島やブレッドヴァルからの追放者、小さき者のはぐれ者、そんな奴らが固まって、ひと気のない岩浜や小島に潜んでるのさ」
海のホーたちは時折、舟に乗って海岸線の集落を襲うのだという。そして反撃を受ける前に海へと逃げる。
「海は広い。逃げようと思えばどこへでも逃げられるからな」
「そういうものか……」
水夫たちが船を固定し、帝国軍兵士たちと当座の寝床を確保している間、スピネイル、インファ、フーマ船長の三人は探索に出かけることにした。
フーマ船長は潮焼けした肌の上から袖を切った短衣、ゆったりと布をたるませた袴に、以前獲ったという尖角の革製の長靴を履き、腰には手斧と短剣を挿していた。
「人前に出るんだから一張羅を着ねぇとな」
「短剣とは珍しいですわね」
「こいつも尖角の骨で出来ているんだぜ、良いだろ」鞘と柄は美しい光沢を放つ骨を加工したものだった。
一方、スピネイルとインファである。船上で動きやすい様にと胸甲を外していたスピネイルは鎧下に籠手脚甲のみ、インファはおなじみのお仕着せ侍従服であるが、インファは荷袋を一つ背負っていた。
「モグイ庄から持ってきた、織物と薬草が入ってますわ。使者が話を持ち出すときは贈り物をするものですもの」
「結構結構。じゃあ行こうか、船長」
浜から先は林が広がっていたが、明らかな人の行き来による径が走っていて、三人はそこを辿った。
通る中、林そのものも近隣住民による厳重な管理のされたものであるとスピネイルは感じた。生えている木々に統一感があり、幹の太さもある程度揃っている。
林を抜けると、なだらかな下り坂になっており、その先に人家の集まりが確認できた。三人が抜けてきた林は一種の防風林だったらしい。
しかし集落の周辺は耕作されている割にひと気が全くなかった。あるのは穀物を啄む鳥を威嚇するための案山子ばかりだ。
降りていくと耕地へ導水するための水路に沿って道が引かれていた。この水は何処から流れているのだろう。
「誰もいないな……」村人などがいたら話しかけて、長に紹介してもらえるかもと思っていたのだが、当てが外れたようだ。
三人はさらに集落へ近づいていった。十五から二十戸程の質素な民家が集まっているだけの小さな村に見えた。
だがスピネイルはその時、奇妙な感覚に囚われた。何かが空気を震わせているのだ。
その感覚は以前にも覚えがあった。リシン・ダオが自分の天幕へ忍び込んできた時だ。
はっと地表を見た。水路もあり、耕作された起伏ある地面に人型の影が隠れていた。その数、ざっと数十人。
それに気づいた時、流石のスピネイルも息が止まりそうだった。自分たちはいつの間にか取り囲まれている!
咄嗟にフーマ船長とインファを呼び止めた。そして静かに歩き、二人に耳寄せた。
「どうやら我々はかなり警戒されているみたいだ……既に取り囲まれている」
それを聞いた二人の顔色が変わった。スピネイルは続ける。
「なるべく平静を装って、村の中に入ろう。ここはだだっ広すぎて、相手しきれないよ」
二人は顔をこわばらせながら頷く。
スピネイル達三人は、そのまま物見遊山の体で周囲を見晴らしながら歩き、集落の中へと歩を進めた。
歩きながら、スピネイルはどうすれば自分たちの有利なように進めれるか考える。姿を隠しているのは、リシン・ダオの戦士達だろうか? それとも、浜に漂着した余所者を警戒する、只の住民なのか? あるいは、その両方かもしれない。
集落は目を密に詰めた木柵で囲まれていた。三年前厄介になった、ウェイダ村を思わせる造りだ。三人はそのまま中に入った。集落の中心には石造りの井戸があり、かなり大きい。
三人が井戸の傍まで歩いても、周囲には誰もいなかった。だがその時、入ってきた村の入口で何かが動いた。
それは藁や薪に使う小枝を束ねたものだった。大人オーク一人分はある巨大な藁束が地面を引きずりながら動き背後を塞いだのだ。
「これは!?」
「お嬢様、足元!」
インファが示した三人の足元は、不揃いの石敷きがされていたが、石の隙間から土が吹き出ていた。
吹き出た土が風に吹かれるように独りでに動いていた。それは三人を取り巻くと立ち上がり、薄い壁となって包み込んだ。
気付いた時には、三人は土製の檻に閉じ込められていたのだ。
「はっ!? おい、なんだこりゃ! おい、出せ! 出しやがれ!」
フーマ船長が壁を叩くが、あんな薄い土で出来ているとは思えない程固い感触が返ってくる。
「悪いな半島の人ら。あんたらを捕まえろと代官様のご命令なんでね」
壁越しに誰かが応えた。若い男のようだ。
「あんたらが何しに来たのか知らないけど、しばらくそうやってじっとしてるんだな」
「私たちはリシン・ダオと話をしに来ただけだ。手荒な真似はごめん願いたい」
スピネイルの言葉に壁向こうで別人が応えた。
「陛下の御名を軽々しく口に登らせるな、半島の者よ」
「代官様!」
どうやら今の声の主が、村を仕切っている代官なる人物の様だ。
「村長、報告では三人、うち二人は小さい奴だったといったな?」
「はい、そうです代官様」
「故なき訪問者諸君。お前たちの中に小さい、オークではないものがいるか?」
「いる。私と、もう一人だ」
「……ではその二人だけ、解放しよう」
代官の言葉に周囲が動揺しているのが聞こえた。
「我らが魔術王陛下は小さき人にのみ用がある。他の物は村で取り扱うがよい」
「へい、分かりました……」
「訪問者よ。我々もお前たちに危害を加えるつもりがないことを約束しよう。もし、お前たちの目的が、陛下へのお目通りならば、大人しく従うがよい」
「……あんたたちには従えない、と言ったら?」
「このままこの土牢に閉じ込めておくことになるな。……お前たちが飢えて死ぬまで」
実に癇に障るな、とスピネイルは思った。
だが、こちらも目的はあくまで交渉。変に手荒なことをするのはあまり良い手ではない。
「わかった。あんたたちに従うよ。こっちは私たちが乗ってきた船の船長がいる。彼と彼の部下には手を出さないで欲しい」
「わかった。良いな? 村長」
村長の返事は聞こえなかったが、その沈黙は肯定だろうと思うに十分だった。
「よし。では、土牢から出してやるゆえ、暫く待て」
代官がそう言うと、何かが牢の上部から叩きつけられる音がした。
「おい! なんだこれは?」フーマ船長が驚きの声を上げる。
「土牢を破壊してやっているのだ。お前たちは魔術を使えぬ半島の者らであろう?」
何を驚いているのか、とでも言いそうな声だった。どうやら魔術人の呪い消しのような便利なものはブレッドヴァルのオークには無いらしい。
とはいえ、こうして自分らの周りでがんがんと騒音をまき散らされるのを我慢するのは辛いものだ。耳鳴りがしてくる。
「……インファ! ヨアレシュからもらったあれ! 持ってきてる?」
「少しお待ちください!」
器用なインファは灯りのない中、荷袋の中を手探りしてそれを取り出しスピネイルに渡す。
ヨアレシュが仕立てた魔術返しの麻布で作った長三角旗だ。
(この牢屋も他の魔術と同じく、瞬間的に作用しているだけの物なら、これで何とかなるかもしれない)
スピネイルはその長三角旗で拳を包んだ。
包んだ手で土牢を触る。不思議な感覚がスピネイルに返ってきた。生温い泥の中に手を突っ込んだような感じだ。
と同時に外からどよめきが聞こえてきた。
「土牢からなんか出てきた!?」
「お。面白い反応」
スピネイルはそのまま突っ込んだ手で、土牢をぐるりと掻きまわした。
円形に牢の壁面が切り取られ、外に落ちた。闇に慣れた目に強烈な外光が沁みる。
三人はその穴から脱出し、自分らを誰が取り囲んでいるのか確認できた。
多くの者は青い肌のオークであり、波を象った紋様を刻んだ織物で仕立てた服を着ている。その中でも目立つ革製の額当てをしている背の高いオークが居て、どうも立ち位置的にこいつが村長のようだ。やはり若い男である。
そしてこの背の高い村長の隣に立ち、柔らかくなめした海獣の革に毛皮を合わせた丈長い装束を着込んでいる小男が代官だろう。手には杖を持っている。
代官と村長は目玉が飛び出さんばかりに驚いていた。
「お、お前たち、一体何をした?!」
「どうして牢をぶち破らずに外に出られるんだ?!」
さて、何と説明すればよいのやら、とスピネイルは途方に暮れた。
その時、驚きの表情で三人を見ていた村民の一人が何かに気付いたように大声を上げた。
「こいつら、ヤハオの魔術を使ってるんだ!」
「ヤハオ?」
「ヤハオだと?」
ヤハオと言う言葉に村民たちに動揺が走る。
「……静かに。これはヤハオではない」
代官が周囲の動揺を抑えるべく言った。
「でも代官! こいつら魔術を……」
「ヤハオは伝説だ。真実ではない」
「しかし……」
「くどいぞ。さて、小さき者ら、陛下に会いたいというなら、私と共に来てもらおう。ついてまいれ」
ざわつく村民を残し、代官は歩き出ていく。
少し腑に落ちないが、目的は変わらない。スピネイル達はここで一旦別れることにした。
「船長、後は頼む」
「おう。船とあんたらの部下については任せてくれ。あんたらはあんたらの仕事をしな」
代官は村を出て、何もない耕地の間に走る径で立ち止まった。
「その方らを陛下の宮殿へお連れするよう仰せつかっておる」
「へぇ……それで、どうやってその宮殿とやらに行くのかな? この辺りには無さそうだけど」
「私が転移の魔術を使う。私に捕まっていれば諸共飛ばしてやろう」
「それはまた、便利ですわね」
身一つで遠い場所へ行ったり来たりできるのだから、広い国を治めるのにそれほど便利な魔術もないだろう。
「……しかしだな。恥ずかしながら私の魔術はまだ未熟でな。武器を佩びているものを運ぶことは出来んのだ。すまぬがその腰の物を外してもらいたい」
代官の目はスピネイルの腰に佩かれた刀に向けられていた。
スピネイルは言われるままに、腰帯から刀を抜いて手渡そうとして……手を止めた。
「どうした? 小さき者」
「インファ」
「はい」
「その男を捕まえて」
「はい」
インファの行動は素早かった。
代官の目の前で浅黒い肌の小さい者 (代官はモグイ族を知らなかった) が地面に沈み込んだかと思うと視界から消えた。次の瞬間、彼は足を払われて地面に倒れ込み、片腕を背中に向けて捻じりあげられていた。
代官が悲鳴を上げるのと、スピネイルが鎖を解いて分銅を投擲するのは同時だった。
投擲された方向には何もなかった。だが、分銅は何かに直撃して止まった。
直撃したものはうめき声を上げた。
「動くな! 姿を現せ。さもなければ代官を殺してしまうぞ」
厳しく誰何する声に、隠れていたものは正体を現した。
不可視の魔術を掛けて身を潜めていたオークの戦士がいた。それも一人や二人ではない。隙を付けばスピネイル達を圧倒できるだけの戦力がそこに伏せてあったのだ。
組み伏せられてる代官が叫んだ。
「なぜだ!? なぜ姿隠しの魔術を見破った? お前たちは半島の生まれ、魔術を使えないはずだ!」
「知りたければリシン・ダオに言うんだね。一度割れた手妻を何度も使うのは悪手だと」
「ええい! 不敬な奴め。何度も陛下の御名を口にして! お前ら、私はいい、こいつらを始末しろ!」
代官が差配した戦士達が動く。彼らはリシンが持っていたような鋭い石突付きの棍棒を持っていた。
彼らの手から一斉に火球や雷光がスピネイルに向けて発射された。
「お嬢様!」
インファの危ぶむ声をしり目に、スピネイルは横っ飛びにそれらを回避する。同時に分銅を投擲、戦士の一人が額を砕かれた。リシンもそうだったが、ダオ族のオーク戦士は兜や鎧のような防具類を身に着けないのだ。
戦士たちが次々に地面に手を付き、土の壁を地面から引き出した。壁を楯にするつもりなのだ。
そうさせぬためにスピネイルは鎖を巻き取り接近、刀を抜く。
目の前にそびえつつあった壁を間一髪、精一杯の跳躍で飛び越え、大上段から肩口へ切り付けた。
この場にいたダオの戦士たちは、リシンや彼の側近たちほど接近戦には慣れていなかった。
壁を飛び越えてきたこの小さな戦闘者が、黒髪を流れるように振り乱し、紅に光る瞳で睨みつけながら飛び掛かってくることに対応することができなかった。
間合いを取ろうと戦士たちは個々に火球などの投擲魔術を使うか、あるいは新たな土の壁を築き上げようとした。
だが素早く動くスピネイルは火球や雷光は避け、バラバラに作られた壁は迂回することが出来た。
自分らの周りで大立ち回りをし、そして徐々に減っていく仲間たちを垣間見た代官は戦慄した。
「な、なんなんだお前たちは!? 魔術も使ってないのに……なんでこんな……」
「あら、魔術なんてなくても大抵のことは出来るようになるものですよ。……おっと」
流れ飛んできた火球を横目で見てインファは避けた。
ダオの戦士たちのうちで最後まで立っていた一人を抜き胴で切り倒すと、漸くスピネイルの動きは止まった。
「……ふぅ。ざっと十五人か。随分と用意周到だな。さて、代官殿。どうしてこのような真似をしたのか説明してもらいたいね」
血を拭った刀を代官の頬にひたひたと当てながらスピネイルは聞く。代官は血の気を失った。
「……陛下は小さき者の女がいたら、その者が持つ刀を奪ってこいと仰せられたのだ」
「そんなところだろうとは思っていたが……」
リシンがなりふり構わず刀を狙ってきたところにスピネイルは気分を引き締める。
「……この村の者に迷惑をかけてしまったな」
「ふん。この村の農奴は一つしか魔術を使えぬ下等民だ。我らからすれば道具のようなものよ」
「いちいち癇に障る方ですわ、ね!」
インファが腕を一段と締め上げた。
「私はダオ・オーク族の統治体制に物言うつもりはない。ただ、私は半島のオークの王から全権を授けられた使者として、リシン・ダオ陛下にお会いする義務がある」
「はん! 陛下は半島の情勢に関知するつもりはもうないとのことだ! お前たちに話すことなどない!」
「それを判断するのはお前じゃないんだよ、代官殿」
スピネイルは鉄靴の先を代官の口にねじ込んだ。
羨ましい、とインファはこっそり思った。
「改めてお願いしたい。私たちをリシン・ダオの所まで案内してくれ……頼むよ、代官殿」
ぐり、ぐり、と硬く冷たく、耕地を駆け巡って泥だらけになった靴先を押し込みながらスピネイルは言った。代官は涙目になり、呻いた。そのまま押し込み続ければ前歯を踏み折られるだろう。
代官は苦しみと屈辱の淵に追い込まれた。そして、首を振った。
翌日。陸上で休息を取ったスピネイルたちと帝国軍兵士たちは、村で補給と補修をするフーマ船長たちと別れを告げ、出発した。
先頭を行くスピネイルとトゥラク隊長の前には、手指を縛り付けられ、ぼろ雑巾のように惨めな姿の代官が槍でせっつかれながら歩いていた。
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