In the Flames of the Purgatory 69

 その後ろに続いて、大聖堂のほうに歩いていく。大聖堂といってもほかの聖堂より大きいくらいの意味合いらしく、一般に大聖堂と呼ばれる様な――たとえばノートルダム大聖堂の様な規模の大きな代物というわけでもない。

 だがさすがに在校生徒数が多いからだろう、聖堂自体もそれなりに大きなものだった――収容人数だけでいえば、東京カテドラルなどの名だたる大聖堂に匹敵するかもしれない。

 左手側の階段を昇って細かな装飾の施された木製の扉を押し開け、シスターが聖堂の内部に足を踏み入れる。それに続いて踏み込んだところで、アルカードは足を止めた。

 扉をくぐってすぐのロビーのところに犬用のケージが設置されて、そこに真っ白な毛並みの小さな兎がいた。扉を閉めるときの蝶番のきしみに反応して、兎が長い耳をピクリと動かす。肢に怪我でもしたのか後肢の一部が円形に脱毛し、歩くときに左の後肢を引きずる様にしている。

 憤怒の火星Mars of Wrath透視機能スキャナーで透視してみると、左の後肢の骨がいったん折れたあときちんと治らずに、ずれた状態で治癒しているのがわかった――人の手が加えられた形跡は見てとれないから、怪我をしておかしなふうに治り、後遺症を負った状態で保護されたのだろう。

「聖堂の仕事を手伝ってくれる女生徒が保護した兎です」 アルカードが足を止めたのに気づいて数歩先で振り返り、シスター天池がそう説明してくる。

「逃がしたら狐に狩られてしまうかもと、女生徒が泣くもので」 苦笑いに似た表情で、彼女はそう言ってきた。

 手を伸ばすと、兎は警戒もあらわにこちらを見据えてきた――これをどうぞ、とシスター天池が差し出してきた細切りの人参を口元に差し出してやると、途端に人参に喰いついてくる。

「本当に人参を食べるんですね」 ちょっと感心したアルカードの言葉に、シスター天池は右手を頬に当ててうなずいた。

「はい。でも、あまり大量にあげるのもよくないらしいですけれど」

「それはどうして?」

「糖分が多すぎるんだそうです」 シスター天池が壁に掛けられた額縁を手で指し示す――写真や賞状を入れるための豪勢な額縁に、『可愛がり十ヶ条』とタイトルがつけられた、プリントアウトされたコピー用紙が収められていた。

 曰く、

 一・人参は与えないで下さい、病気の原因になります。

 二・キャベツも与えないでください。お腹にガスがたまります。

 三・ケージを叩いて大きな音を出したり、大声を出したりしないでください。兎がおびえてしまいます。

 四・人が食べるものを絶対に与えないでください。病気になります。

 五・アボガド、ネギやタマネギ、サトイモ、ジャガイモ等一部の野菜や果物は兎には毒性があるので、与えないでください。

 etcetc。

 人参一本でもう気を許したのか、差し出した手にすり寄ってくる兎の顎の下を指先でくすぐりながら、アルカードはシスター天池に視線を向けた。

「名前は?」

「どんべえです」 とシスター天池が答えたときにはどんべえはすでにこちらに興味を無くしたのか、餌のボウルに満載になった牧草を食べ始めている。小さく苦笑して、アルカードは立ち上がった。

 あらためてシスター天池が奥の扉――こちら側を円弧の外側にした曲面の壁に、三枚設えられている――のうち、中央の扉を手で指し示した。

「正面が礼拝堂になります」 そう告げてから扉に歩み寄り、彼女はどこか畏敬の感じられる恭しげな仕草で扉を開け放った。

 聖堂は中央奥の祭壇を囲む様な造りの半円形で、二層構造になっている。頭上に二回席が庇の様に張り出しており、ちょうどコンサート会場の二階席の様な造りになっているらしい。壁は正面を含めて八面――そのうち一面は出入り口の扉がある壁で、残りの壁にはすべて大きなステンドグラスが設えられている。

 ズラリと並んだ椅子には今はひとりの人の姿も無く、照明も落とされてどこか物悲しい。

「すごい数ですね」 椅子の数に関してそう感想を述べたのがわかったのだろう、シスターは小さく微笑むと、

「在校生全員を収容するとなると、千人規模が必要になりますから。二階席も含めると、千二百人が収容出来ます。収容人数だけなら、こういう学園附属のものではなく本格的な大規模聖堂も上回るはずです――東京カテドラルで、五百人程度だと聞きますし」

 先生は東京カテドラルには行ったことがおありですか? そう続けてきたので、アルカードは周囲を見回しながらうなずいた。

「仕事の関係で、何度か――シスターの様に宗教的な用件ではありませんが」

 神体は四つ、おそらくそれぞれが聖母マリアと聖ヨハネ、聖アンナ、聖ヨセフを表しているのだろう。五ヶ所の扉、二階席を支える柱は両翼合わせて十二本。それに七枚のステンドグラス。

 ひとつの祭壇を中心に教徒たちが集まり、二位の天地の間にあって、みっつの姿のキリストを見守り、四つの神像が信者に語りかけ、一階席二階席合わせて五枚の扉が開かれて、六本の柱は神民と使徒を象徴し、七枚の壁が教会の七大秘跡を表す。

 小さな唇から歌う様に滑らかに礼拝堂の意匠を語るシスター天池の横顔から視線をはずし、アルカードは周囲を見回した。

「ところで、シスター」

「はい?」

「今日はほかの方はおいでにならないんですか?」 彼女の話が途切れるのを待ってそう尋ねると、シスター天池は軽く小首をかしげてうなずいた。

「ええ、わたしはただ自分の仕事の残りを片づけに来ただけですから。普段は司祭様も含めて十人程度いらっしゃるんですけれど」

 明日雨が降らなければ、全員に顔を合わせる機会もあるか――胸中でつぶやいて、アルカードは祭壇を見せようとしているのか礼拝堂の奥のほうに歩いていくシスター天池について歩き出した。

 半円状に広がって祭壇を取り囲む一階の席は緩い勾配がつけられて、祭壇に近づくにつれて低くなっている。

 前方後円墳みたいに奥のほうが広くなっているのは予想していたが、ちょっとした映画館並みの広さだというのは想像の範囲外だった。

 一階席と祭壇を仕切る手すりを廻り込む様にして、祭壇に近づく。穏やかな口調で神体について解説するシスター天池の横顔から視線をはずして、アルカードは少し周囲を見回した。

 パイプオルガンはここからだと見えない――シスター天池の説明だと、二階席の後方にあるらしい。

 ここが儀式場になる可能性もあるか――胸中でつぶやいて、アルカードは祭壇の横に廻り込んだ。

 石で造られた密閉された施設は、いくつかの『点』に吸い上げられた魔力を一箇所に集積するのに向いたものだ。

 魔術の儀式の場としては、なかなか適した場所だと言える。

 そんな見立てをしながら、アルカードはシスター天池に視線を戻した。

 彼女の名前は学園長から受け取った名簿の中にあった――洗礼名はマリアだったはずだ。勤続は三年――彼女自身は『クトゥルク』ではないし、直射日光下を出歩いているからその下位個体でもない。

 アルカードはシスター天池に視線を向けて、彼女の話が一段落するのを待って口を開いた。

「シスター」

「はい?」 胸元で手を組む様な仕草をしながら、シスター天池がそう返事をしてくる。

「シスターは普段はこちらで勤務なさってるんですか?」

「ええ、でも聖堂の職員は必要に応じて互いに人員を差し出したりしてますから、書類上大聖堂勤務でも実際には違う聖堂にいたりということがよくありますわ。そういう意味では、出勤記録が一番当てにならないのはわたしたち聖堂職員でしょうね」 シスター天池がそんなことを言いながら、くすくすと小さく笑う。それにうなずきかけたとき、

「あ、駄目だよ、どんべえ!」 黄色い声が扉のほうから聞こえてきて、ふたりはそちらを振り返った。アルカードがそちらに体ごと向き直るのに遅れること一秒、シスター天池もそちらを振り返る。

 開けっ放しになっていたロビーに通じる扉からあの兎――どんべえが入り込んできている。それを追ってあとから入ってきた小柄なショートカットの女生徒が扉をくぐったところで足を止め、

「どんべえ、どんべえ?」

「どうしたの、高村さん」 シスター天池が声をかけると、女生徒はこちらに向き直った。

「あ、シスター。ごめんなさい、どんべえを散歩に連れ出そうと思ったんですけど、目を離した隙に聖堂に入ってきちゃって――あ、どんべえ!」

 女生徒があわてた様に声をあげて、椅子の下を覗き込んでいる。シスター天池と話している隙に、どんべえを見失ったらしい。

 アルカードは話に加わらずに、足早に一階席への階段を昇った。

 そのまま数百も並んだ椅子の間を縫って歩を進め、いったん足を止める。

 その場で憤怒の火星Mars of Wrathを起動させると、肉眼の視界とは別のセンサー視界が脳裏に展開された。

 青、赤、緑、黄色――熱源分布を視覚化した色鮮やかな映像が、少女のシルエットを映し出す。床の上に小刻みに残った足跡は、どんべえの体温の残滓だ。温められた床が冷えるにつれて、足跡は徐々に薄れて低温を示す青色へと近づいてゆく――だが、椅子の下に入り込んだ兎の動向を追うのには十分だ。

「ふむ――」

 割と近くの椅子の下に小さな影を認めて、アルカードはそちらに近づいていった。椅子の下にもぐり込む様にして座り込んでいたどんべえを抱き上げて立ち上がり、

「見つけたよ」

「あ、どんべえ!」 こちらに背を向けて椅子の下を覗き込んでいる女生徒に声をかけてやると、片腕で抱いたどんべえの姿を認めた女生徒がこちらに近づいてきた。

「ありがとうございます」 受け取ったどんべえの体を胸元に抱き寄せて、高村と呼ばれた女生徒が安心した様に微笑む。祭壇のほうに戻ろうと視線を転じたとき、左右の壁沿いにそれぞれひとつずつある昇降用の階段のうち、アルカードが使ったのと同じ階段を昇ってシスター天池がこちらに歩いてきていた。

「ありがとうございます――見つけるのがすごく早かったですね」 左手を頬に当てて小首をかしげながら、シスター天池がそんな言葉をかけてくる。アルカードはその言葉に、苦笑を浮かべてうなずいた――大量の椅子の存在は人間の目では問題だが、アルカードにとっては椅子が何十脚並んで視界を妨げていようと問題にならない。

「シスター、この人は?」

「ドラゴス先生よ――高等部の短期講師の先生ですって。鳥柴先生の補佐になるそうだから、高村さんも講義を受けることになるんじゃないかしら。先生、こちらは高村結衣さん。高等部四年生――高校一年の子です」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」 わずかに相好を崩してそう返事をしてから、アルカードは女生徒――高村結衣の抱いたどんべえに手を伸ばして両耳の間を軽くちょんと突いた。

 赤い瞳でこちらをじっと見つめているどんべえの前肢を軽く握ると、どんべえは厭がっているのかすぐにその手を振りほどいてしまった。

 苦笑して、誰からともなく聖堂の入口のほうに歩き出す。彼らがいるのは聖堂の奥のほう、照明が落とされているので見通しが悪い。ステンドグラスから差し込む光を頼りに通路を歩きながら、どんべえを抱いた結衣が口を開く。

「先生はどこの出身なんですか?」

「ルーマニアのブカレスト、知ってる?」 結衣の質問に、アルカードはそう尋ね返した。

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