In the Flames of the Purgatory 31

 

   *

 

 海賊どもは変わらず距離を保ったまま、こちらを見据えている――いずれも金属や革で作られた上半身だけを鎧う簡易的な軽甲冑に、船の上での取り回しを優先した小剣と短剣の中間くらいの中途半端な長さの舶刀カトラスを帯びていた。上半身裸の者や、火縄銃マッチロックガンを持った者もいる。

 最初に腕を斬り落とした海賊だけが甲板の上にへたり込んで、斬り落とされた腕を傷口に押しつけて元に戻そうと無駄な努力をしながらすすり泣いていた。

 それを見ながら唇をゆがめ――アルカードは横跳びに跳躍した。甲板を――否、甲板上に設けられた船内に降りるためのハッチの蓋を貫いて、銃声とともになにか鈍色の塊が視界を縦断してゆく。

 覚えのある臭いですぐわかる。硝石の溶けた水を染み込ませて乾燥させることで硝酸を染み込ませた木綿の糸と樹皮を撚り合わせて作られた、火縄マッチの燃える臭い。

 火縄マッチ点火ロック小銃マスケット、いわゆる火縄銃マッチロックガンだ。歩兵にとっての最大の脅威。

 中央凹甲板から第一甲板(第一甲板とは外気に露出した上甲板アッパー・デッキ、すなわち一般的な意味での『甲板デッキ』よりもひとつ下の階層のことで、上から順に第一、第二、第三と船内の階層を表す言葉です)に通じる閉じられたハッチの下から忍び寄っていた、それまで船内にいた海賊たちの銃撃だ。この船を扱うのには甲板上にいた人数では――衝撃波で吹き飛ばした人数も込みにしても――少なすぎると思っていたが、船内にとどまっていた者もいるらしい。

 おそらくこちらの位置をおそらくは船尾あたりから特定して、ハッチ越しに不意討ちを仕掛けようとしていたのだろうが――彼らの手にした銃に装填された火薬の臭いと、同時に漂ってきた火縄の燃えるきな臭い臭いが、アルカードにその所在を看破させたのだ。

 唇をゆがめて笑いながら、アルカードは手にした塵灰滅の剣Asher Dustを甲板に突き刺した。右手を空けて、外套の下で左脇に吊っていた長銃身の銃を引き出す――口径はほぼ一インチ、銃身長は腕の長さほど。銃の機関部には火縄マッチなどを取りつけた撃鉄も火皿もついておらず、側面からはグリップと一緒に握り込める作りになった撃発作動桿が伸びている。

 歯輪ホイール点火ロック滑腔式歩兵銃マスケット――火縄マッチの代わりに燧石フリントと外周が鑢状に加工された鋼鉄製の歯輪ホイールを用いて撃発を行う、歯輪ホイール点火ロック式と呼ばれる撃発方式の銃だ(※)。

 とある職人が設計して製作したものの、ほかの歯輪ホイール点火ロック式とは異なる特殊な構造のため値段が高価すぎるうえに、構造が複雑だという技術的な問題から生産性が低いという欠点もかかえている。

 さらに試作されたこの銃は口径が非常に大きく反動が大きすぎたことから、生産がこの一挺だけにとどまって職人の家の倉庫で埃をかぶっていたのだ――いわゆる軍の制式採用試験に提出するために製作されたものの一挺だったらしく、ほかの歯輪ホイール点火ロック歩兵用小銃マスケットには無い火皿を持たないという利点があるのだが、どうも彼の作品の提出を受けた貴族はその利点よりも欠点のほうが気になったらしい。まあ理解出来なくもないが。

 アルカードは腰の装備品用の雑嚢鞄の中からから小さな包みを取り出すと脚甲の踵で穴だらけになったハッチを蹴り破り、穿たれた穴に向かって油紙でくるまれた包みを投げ込んだ。

 続いて銃口をハッチの蓋に穿たれた穴の中に突っ込み、引鉄を引く――轟音とともに銃が火を噴き、銃身内部で燃焼しきらなかった火薬が銃口の周囲で燃焼してハッチの穴から火炎が噴き出してきた。

 それがなにをしたのかはわからなかっただろうが――怒声とともに数人の海賊が襲いかかってくる。そちらに視線を呉れて唇をゆがめ、アルカードは甲板に突き刺した塵灰滅の剣Asher Dustを引き抜いた。

 ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、海賊が振り下ろしてきた船上白兵戦用の舶刀カトラスを迎え撃つ。いずれも人間を相手にするならそんなに腕も悪くないのだろうが、吸血鬼相手では物の数にもならない。

 こんなでなければ、舷側から投げ棄てた小銭が海面に触れるよりも早く全滅している。

 火花とともに切断された舶刀カトラスの刀身が、甲板の上に落下して音を立てる。同時にその一撃で胴を薙がれた海賊たちが、折り重なる様にしてその場に倒れ込んだ。

 そのころには、先ほど投げ込んだ包みも効力を発揮している。

 黒色火薬ブラックパウダーの白い硝煙とともに、ハッチの下から悲鳴があがる――中身をくるんだ油紙が銃口炎で燃え、その炎が包みの中身を燃焼させたのだ。

 硫黄と松脂、完全燃焼させるための硝石を混合したもので、言ってしまえば木炭の代わりに松脂を使った火薬の一種だ。ただし黒色火薬ブラックパウダーよりも硫黄の比率が高く、そのぶん黒色火薬ブラックパウダーよりも大量の煙を発生させて、それが生き物にとっては毒気として作用する。

 毒気の煙は空気より重く、下にいれば逃れることは出来ない――それがわかっているわけでもないだろうが、ハッチ下にいた海賊たちは毒気の煙から逃れる様にハッチを破り、我先にと甲板上に飛び出してきた。まあ一番いいのは風通しのいい場所に逃れることなので、その意味では彼らの行動は正解だ。

 だが次の瞬間には、海賊たちはアルカードが振るった塵灰滅の剣Asher Dustの一撃で数人まとめて薙ぎ倒されている――無論こうなることを見越して燻り出したわけだが、飛び出してきた海賊たちをその場で仕留めておかなければ甲板上に敵が増えるだけの結果になる。


※……

 歯輪ホイール点火ロック滑腔式歩兵銃マスケットは、火縄マッチ点火ロック式の直接的な後継にあたる機械式メカニカル点火機構ロッカーを備えたマスケットです(マスケットという単語は『前装式の滑腔式歩兵銃』という意味で『銃』の意味も含んでいるため、日本での一般的な呼称である『マスケット銃』という呼び名は正しくは誤りです)。 

 歯輪ホイール点火ロック式は鋼輪式もしくは歯輪式と和訳されるもので、ゼンマイ動力を使って外周に鑢状の加工を施した鋼製の歯輪ホイールを回転させてそこに撃鉄(正確には『ドッグ・ハンド』と呼ばれる部品で、歯輪ホイール点火ロック式は鎖国などの諸事情によって日本には直接伝来しなかったため正しい和訳が存在しません。撃鉄と呼称しているのは便宜上のものです。日本に存在する歯輪ホイール点火ロック式マスケットは、久米くめえいもん通賢みちかたという人物によって独自に考案されたものです)によって押しつけられた燧石フリントを摩擦することで火花を飛ばし、それを装薬に点火する方式です。

 ありていに言えばZippoの様なフリント式のオイルライターの発火を機械動力式にしたものだと考えれば理解しやすいと思います。

 火縄マッチ点火ロック式マスケットの主だった欠点、たとえば火縄マッチの保存管理、射撃準備を整えると常に火縄マッチに火がついたままになるために臭いや光、煙等によって発見されやすくなるなどといった弱点を克服するという点において利点を持ちます。すなわち、夜襲やゲリラ戦に適した点火機構ロックシステムだったのです。

 ただし火皿の点火薬に直接火のついた火縄マッチを突っ込む火縄マッチ点火ロック式に比べてトリガープルから撃発までが一拍遅れる欠点もあり、動体狙撃には向かないという問題もありました。

 歩兵用小銃マスケットや騎兵用短銃ピストルに一時期採用されましたが、構造が複雑であることから調達単価が高く、また故障率も高かったことから普及はせず、火縄マッチ点火ロック式も延命することになります。また歯輪ホイール点火ロック式自体がじきに淘汰され、やがて次世代の燧石フリント点火ロック式にとって代わられることになりました。

 ただし巧く作動した場合は燧石フリント点火ロック式に比べて火花が強く、不発率が低いという利点もあります。その巧く作動するかどうかが問題なわけですが。

 現代にも歯輪ホイール点火ロック式を採用した短銃ピストルなどが現存していますが、ほとんどは貴族向けに調達された装飾性の強いものです。


※2……

 以前ゴルゴ13の『再発・ギランバレー症候群(単行本第155巻収録)』でゴルゴが蝙蝠の糞と硫黄、ガソリンを混ぜたものに火をつけて催涙ガスを発生させるということをやっていましたが、基本的に同じものです。

 蝙蝠の糞はバット・グアノ、つまりそこに含まれる硝酸化合物を酸化剤として利用するためのもので、ガソリンと硫黄が可燃物、硫黄はこの場合ガスの主成分として使っています。

 硫黄は完全燃焼することで二酸化硫黄――亜硫酸ガスと呼ばれる刺激性の気体を発生させます。つまり、ゴルゴが発生させたガスの正体は亜硫酸ガスです。

 アルカードが投げ込んだものは可燃物としての硫黄と松脂、高速で完全燃焼させるために酸化剤として精製済みの硝石を混合したもので、亜硫酸ガスを発生させるためのものです。古代でも風上を取った軍が硫黄と松脂を混合させて燃焼させ、風下にいる敵に亜硫酸ガスを浴びせるという戦法があったそうです。

 なお黒色火薬ブラックパウダーも同様に硫黄を含んでいるために、その燃焼煙も亜硫酸ガスを含んでいます。このため風の無い時期の大砲の使用や砲甲板ガンデッキの様な室内での大砲の発射は、煙の吸入による中毒症状の危険を伴いました。

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