In the Flames of the Purgatory 15

 

   §

 

「それでは、どうもおつきあいいただいてありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 折り目正しくお辞儀をする薫に会釈を返し、アルカードは薫が教師寮の三階に続く階段を昇っていくのを見送った――さて、自分も部屋に戻ろうか、それとも食堂のおばちゃんの愛犬マトリョーシカに挨拶でもしに行こうかとちょっと迷ってから、結局部屋に戻ることに決める。

 踵を返したとき、ちょうどアルカードに与えられた部屋の隣の部屋から外国人の男性が出てくるのが視界に入ってきた。

 彼はこちらを見つけていったん足を止め、濃い髭に覆われた顔に人懐こい笑みを浮かべて近づいてくると、

「君がアルカード・ドラゴス?」

「はい」

 アルカードがうなずくと、彼は右手を差し出して、

「僕はザザ・ゴグア。サカルトヴェロから来ました。音楽部で弦楽器を教えています。どうぞよろしく」

 サカルトヴェロ――グルジアの公用語であるグルジア語で、自国名を指す言葉だ。ややたどたどしい日本語の発音にも、グルジア語の訛りがある(※)。

 アルカードは手を伸ばしてゴグアの手を握り返し、

「よろしくお願いします――ところでどうして僕のことを?」

「学園長がさっき君を訪ねて来てました。ちょっと待ってて」 ゴグアがいったん自室にとって返し、茶封筒を持って出てくる。

「これを渡してほしいと言ってました」

 分厚い封筒は糊で封をされ、印鑑で割印がされている――差し出された茶封筒を受け取り、アルカードは頭を下げた。

「ありがとうございます」

「僕は部活の指導をしないといけません。ごめんなさい、もう行きます。よかったら、あとで晩ご飯一緒にどうですか?」

「喜んで」 そう答えると、ゴグアはうれしげに笑ってから彼のかたわらを通り抜け、校舎に通じる渡り廊下に向かって歩いていった。

 それを見送って、手にした封筒に視線を落とす――蓋が糊づけされた茶封筒を手に、アルカードは自室の扉を開けた。

 部屋の鍵を机の上に置いて、車のキーをペーパーナイフ代わりに使って茶封筒の封を切る。

 中身の書類はアルカードが依頼した、最近やってきた職員のリストだった――全部で三十六人、内訳は男性が十五人、女性が二十一人。結構多い――職種は教師や講師が二十二人、事務員や図書館の司書や食堂の勤務員、用務員といった附属施設の職員が九人、各学年代の聖堂や大聖堂に勤めるシスターや司祭といった職員が五人。

 高等部に勤務する教員はふたりで、そのうちのひとりが先ほどのグルジア人男性、ザザ・ゴグアだ。

 どのみちゴグアが『クトゥルク』である可能性はゼロだ――ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタは女なので、男性だというだけで除外出来る。

 ゴグアがやってきたのは五ヶ月前。言うまでもなく、『クトゥルク』が日本にやってくるよりも前の話だ――それにこの書類によれば、ゴグアはそれまでは中等部で教えていて、白星学園における勤務歴そのものは今年で十年目らしい。ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタと、少なくとも直接のかかわりは無い。

 問題はゴグアが『クトゥルク』の下僕サーヴァントもしくは噛まれ者ダンパイアになっていた場合だが、これは除外してよさそうだった――ゴグアが吸血鬼だったなら面と向かって対峙したアルカードが気づかないはずが無いし、それ以前にほかの職員や生徒に不審をいだかせずにまともな生活が送れているはずが無い。

 次は全職員の月ごとの勤務記録――こちらは全職員を網羅しているので、とんでもない数になる。

 だがいずれも見た限り冠婚葬祭で休んだ者が数人いるだけで、長期間の休職や無断欠勤をした者はいない――その休職や欠勤が出勤によって途中で途切れている者は除外していい。

 注意しなければならないのは休職や欠勤が連続しており、かつそれが現在までずっと続いている場合だ――つまり金曜日まで、もしくは職種によっては本日までということだが。

 なにしろ人数が多いので三回見直したが、不審な休みの取り方をした者はいなかった。

「ふむ――」

 ふうっと息を吐いて、アルカードは書類を机の上に放り出した。

 細かなマスに書き込まれた○×ばかり見ていて目がちかちかしてきたので軽く頭を振ってから、腕組みして状況を整理する。

 ザザ・ゴグアも含めて、少なくとも学園の校舎施設に勤務する職員は当面は除外しても大丈夫だろう――学校の校舎というのは開口部が多い。

 吸血鬼は真祖の『剣』でもない限り、日光にあらがうことは出来ない。

 下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアを特定するのに勤務記録で事足りるのは、日光を浴びたら浴びた部分が塵になり、頭や胴体に日光が当たると即座に死んでしまうために、日中に出歩くことが出来なくなるからだ。

 その個体が下僕サーヴァントであったにせよその犠牲者となった下位個体の噛まれ者ダンパイアであったにせよ、日光に弱いという弱点は変わらない。吸血鬼化した状態で、周りに不審をいだかせることなく日常生活を継続することは不可能だ――下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアは吸血鬼に変化する過程以外の特徴は一部を除いてほぼ同一で、日光を浴びれば浴びた部分が即座に塵になる。

 つまり晴天の日中に屋外に出ることはもちろん、日光が射し込んでいる窓に近づくことすら出来ない――大雨が降っているときの様に昼間でも暗いと感じるほどの分厚い雲が出ているならともかく、そうでないなら雲に遮られていても薄いカーテンなどの遮蔽物を通していても、あるいは鏡などの反射物から跳ね返ってきた光であっても、下等な吸血鬼にとっては重大な危険を伴う。

 直射日光ではなかったとしても、ほんの一瞬でも日光が当たったが最後当たった部分が硫酸でもひっかけられた様な状態になるのだ――日光に当たったことが原因で負った受傷は、どんなに血を吸っても二度と回復しない。全身が焼けただれたら生涯そのまま、失った手足の欠損が元通りに修復されることも無い。

 学校の校舎というのは通常大きな窓が大量に設けられていて、室内の採光は実に良い――白星学園もその例に漏れない。学校の校舎の様な開口部の多い建物で、下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアが日中に周りに不審をいだかせずに行動し続けることはまず無理だ。

 要するに昼間に出歩くのは彼らにとっては自殺と同義なので、下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアになったが最後、平然と仕事に出てくることなど出来ないのだ――例外は『剣』くらいだが、真祖とは吸血鬼化の過程そのものが異なる『クトゥルク』はそもそも『剣』を作れないので、これも関係無い。

 つまり現状において普通に出勤している校舎の教員は、全員ターゲットから除外出来るということだ。

 無論残る施設の職員が吸血鬼ではないという保証は無い――たとえば図書館であれば日光で本が傷むから開口部は無い、あるいは遮光がされているだろう。聖堂も採光部はステンドグラスくらいで、日光を豊富に取り込める様な開口部はあるまい。そういった施設の職員は、きちんと個別に会って確認する必要がある。

 たとえ『クトゥルク』本人でなかったとしても、下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアが紛れ込んでいる可能性は否定出来ない――出退勤記録には不審な記録は無いが、日の出前に出勤して日の入り後に退勤していれば、勤務中はまず建物から出ない勤務パターンの職員であれば不審をいだかせずに行動することは出来るだろう。職員も利用出来る施設を利用するために施設外に出ることがない――たとえば昼食に食堂を利用せずに弁当を持ってくるとか――のが大前提になるが。

 とはいえ、今の時点ではこの線も薄い。

 下僕サーヴァント噛まれ者ダンパイアの形で吸血鬼化したら、少なくとも数日に一度は人間を襲わないと生きていけない。ひとりふたり吸血鬼がいれば、連続失踪もしくは連続殺傷事件かなにかで新聞に載っているだろう――インターネット上の新聞社などの公式サイトは吸血鬼を探すうえで役に立つのでまめにチェックしているが、今のところ千歳市やその近辺で行方不明者や変死体が出ているという情報は無い。

 新聞というのは政治的な面ではまるで当てに出来ないし、特定の在日外国人が犯罪を犯すと本名で報道せず名前と国籍を隠蔽したりする悪癖があるが、まあこういった案件に関してはそれなりに役に立つ――彼は外国人犯罪を探しているわけではないし、吸血鬼が人間相手に逮捕されるはずもないからだ。犯人が逮捕されている様なら、吸血鬼の事件である可能性はほぼ無い。

 共産主義者や社会主義者といった胡散臭い自称リベラル派は新聞を抱き込んで情報の隠蔽や歪曲といった工作をしているが、今のところ日本国内で新聞社を抱き込んでいる吸血鬼はいない。

 もちろん市民のパニックを避けるために警察が情報を止めている可能性が無いわけではないので、百パーセントあてに出来るわけでもない――だが聖堂騎士団は警察内部にパイプを持っているので、それが日本のどこで起きた事件であっても吸血鬼の事件であると疑うに足る一定の要件を満たせば、ローマ法王庁大使館の神田を通じてアルカードもしくはライル・エルウッドに報告される。

 こちらに関しては情報が差し止められることは無いし――個人的な友人である神城忠信が警視庁の折衝役を行っていた当時、当時の総理大臣と警察庁長官の連名で全国規模で周知徹底されている――、警察側としても警察官にリスクを冒させないために積極的に情報を流してくれている。ローマ法王庁渉外局の名前を出せば問い合わせが拒否されることはまず無いので、神田も当然北海道警を通じて千歳市近辺で不審な事件が無いかどうか問い合わせることはしたはずだ。

 にもかかわらず神田がなにも言ってこなかったということは、少なくとも千歳市警および北海道警は千歳市近辺における不審死、および失踪を把握していないということを意味する。

 あとは――胸中でつぶやいて、アルカードは顎に手をやった。ただ、隣接する幼稚園と大学に関しても念のためにチェックだけはすべきかもしれない。

 問題は『クトゥルク』本人だった――ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタは女性なので、男性職員が『クトゥルク』本人である可能性はまず除外出来る。

 仮に彼女がこの学園にいるとするなら、高等部の関係者ではない――『クトゥルク』によるものと疑われる昏倒の患者が小等部にも出ていることから察するに、彼女は様々な年代の学生に接触出来る立場にある。

 となると、食堂や体育館、プールや図書館など、年代ごとに設けられた個別の施設の勤務員ではない――勤務形態をあらためて把握し直す必要があるが、それらの施設の職員が今週は小学校のプール、来週は高校のプールという様に頻繁に内部で交代しているのでない限り、それらに勤務する職員が『クトゥルク』である可能性は極めて低い。

 となると様々な年代の学生が利用する施設、か――

 薫は学園の敷地に隣接する大学の図書館は、かなり大規模だと言っていた。ならほかの年代の学生が専門的な資料を探して、大学図書館に出向くことはあるかもしれない――『クトゥルク』の生贄の選び方は単なる魔力の質と彼女に対する親和性だから、仮にベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタが大学の施設に勤務していても、大学生に被害者が出ていないことそのものは別に不思議ではない。質の合わない魔力を持つ人間をいくら集めても役に立たないからだ。

 だが、論文の書き方も勉強し始める中学や高校の年代ならともかく、小学生がわざわざ大学の図書館にまで行って調べ物などするだろうか――否、まあ、するかもしれないが。

 でも決して多くはないよな――胸中でつぶやいて、アルカードは首をひねった。マリツィカが彼女の出身高校の図書室にはゴルゴ13の単行本があったと言っていたから、あるいはそういう漫画目当てだろうか。

 否、でも小学生がゴルゴ? というか、大学の場合は論文とかの資料だろう。

 待て待て、別に図書館に『クトゥルク』がいると決まったわけじゃないんだから。自分にそう言い聞かせてから、アルカードは最初に手に取った書類に手を伸ばした。

 新入りのリスト、出退勤記録記録ともに学園関係者のものだけだが、大学図書館だけは学園の生徒が利用することがあるからかリストに含まれている――二月以降に学園に勤め始めた教師や講師、事務員や図書館の司書や食堂の勤務員、用務員といった附属施設の職員が八人、各学年代の聖堂や大聖堂に勤めるシスターや司祭といった職員が五人。

 そのうち女性職員は十四人――同じ法人内の転勤によって姉妹校から転勤してきた者が五人、したがって純粋な新参者は九人。

 そのうち教師はふたり、小等部と高等部、それぞれひとりずつ。事務棟に勤務する事務員がふたり、中等部と高等部の体育館のトレーニングジムの施設管理員がひとりずつ。残るは大学の司書がひとり、聖堂に勤務する聖職者が三人。どこの聖堂とは書いていないので、決まった所属があるわけではないのかもしれない。

 そして残った新参者九人のうち、外国人はふたり。大学図書館の司書がひとり、聖堂に勤務する聖職者がひとり。ターゲットはおそらくこのどちらか。

「さて、どうしたものか――」

 声に出してつぶやいて、アルカードは腕組みした。じかに職場まで会いに行ってみるか、それともしばらく泳がせるべきか。

 アルカードとしては、別に『クトゥルク』が行動を起こすまで待つ必要は無い。すぐに仕留められれば、それが最上の展開だ。

 ただし確実に相手が『クトゥルク』であることを確認しなければならない――無関係の人間を間違えて殺すことも問題なら、本命の『クトゥルク』を仕留め損なうことも問題だ。

 それに、あの少女たちもだ――儀式の生贄に使われれば、彼女たちは魔力の性質を変換する際の身体的負荷に耐えきれずに確実に死ぬ。

 ただ、大学図書館はともかく聖堂勤務員の勤務場所が明確に記載されていないのが問題だった。

 聖堂が大聖堂以外に複数あるのも問題で、これではどの聖堂に誰がいるのかわからない。

 もしかすると、決まった場所に勤務するわけではないのかもしれない――今週はこっち来週はあっち、という様に持ち回りだったり、あるいはシフト制の可能性もある。どっちにしても厄介だ。

 そこらへんに関しては、月曜にでも鳥柴鏡花に細かく聞いてみるべきだろう――あるいはまた話す機会があるのなら薫でもいいが、事情を知っているのは鳥柴だけなので彼女のほうが望ましい。言葉を選ぶこと無くストレートに聞けるし、不審をいだかれない様に考えながらしゃべる必要も無い。

 小さく息をついて、アルカードは立ち上がった――荷物の上に放置していた、結局飲まずじまいだった缶コーヒーを手にとり封を切る。

 さて――胸中でつぶやいて、アルカードはG-SHOCKの腕時計を見下ろした。

 とりあえず、神田に連絡を入れておかなければならないだろう。

 まだ時間は十分にあるが、神田本人は大使館内にいるときは携帯電話を持ち歩かないので直接連絡がつかないことのほうが多い――緊急の用件であれば大使館に連絡を入れたほうが早い。まあ急ぎの用件でなし、これで十分だ――留守番電話に伝言を残せば、あとは向こうで都合がつけば連絡を寄越すだろう。

 そう考えて、アルカードは空いた手で机の上に放置していた携帯電話を取り上げながら缶コーヒーに口をつけた。


※……

 グルジアは現在(二〇一七年十一月時点)では日本語で登録された国号をジョージアに改めていますが、作中時期は外務省が正式に外名を変更した二〇一五年四月よりも前であるため、ジョージアではなくグルジアのままで表記しています。

 サカルトヴェロはジョージア中心地域の古くからの名称であるカルトリの民を意味する言葉で、ジョージア人が自国を現す内名として用いています。Japanと日本みたいなもんですね。

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