In the Flames of the Purgatory 12

 

   *

 

 頭上から降り注ぐ如雨露で撒いた様な大粒の雨滴が暴風に乗って横殴りに吹きつけ、ばたばたと音を立てて砕けてゆく――まだ風雨に晒されてから数分と経ってはいないというのに、先ほどまでの戦闘で獣脂を擦り込んで防水性を持たせた外套を失ったこの身はすでに濡れ鼠。金属で作られた重装甲冑の装甲板の表面を雨滴が伝い落ち、その下に着込んだ鎧下もぐっしょりと水が染みている。

 周囲に発生した濃霧の様に濃い水蒸気のために視程は利かず、肌に触れる水蒸気は水を満たして火にかけ沸騰した鍋を覗き込んだときの様にじっとりと生温かい。

 もうもうと立ち上っていた蒸気は強風に振り払われてあっという間に吹き飛ばされ、開けた視界の中で周囲の状況は一変していた。

 ほぼ四角錘状だった構造物はその上半分が完全に吹き飛び、それまで彼らが戦っていたもとは部屋だった場所は雨曝しになっていた。彼らが立っているより上の階の構造物は完全に消滅しており、足元のそれまで床だった場所の大部分は熔け崩れて陥没している――瞬間的に発生した超高熱によって融かされ、熔岩状になって下の階の空間へと流れ落ちたのだ。

 だがそれも数瞬のこと、噴火寸前の火口のごとき様相を呈していた熔けた石材は降り注ぐ雨滴によって濃霧のごときもうもうたる水蒸気を立ち昇らせながら冷却され、今やほぼ固まっている――煮え滾る熔岩と化した石材に触れ、あるいは触れる前に放射する熱だけで瞬時に蒸発させられた大量の雨滴こそが、先ほどまで周囲を濃霧のごとく包み込んでいた水蒸気の正体であった。

 視線の先で、魔術師の身に纏った長衣ローブが上昇気流に煽られて揺れている――『翼』で熔岩と化した足場から少し高いところに浮いている彼と同様、魔術師もまた床からよりも少し高い空間に浮遊していた。

 島を襲う大嵐は、今なお過ぎ去る兆しも見えない。それどころか空を覆う緞帳のごとき黒雲に突き刺さった雷撃魔術の影響であろうか、嵐はますます激しくなる一方であった。

 少し離れたところで、魔術で作り出した鬼火が揺れている――仮想制御装置エミュレーティングデバイスで作り出したものだ。この三十年ほどの間に可視光線以外の光を光源にしたり、温度でものを見る能力――高度視覚の扱いにも慣れてきたが、やはり可視光線視覚で戦うのが一番楽でいい。高度視覚の中には熱源増幅視界サーマルイメージ・ビュアー高感度視界スターライト・ビュアーの様に、急激な温度上昇や強い光に極めて脆弱なものもあるからだ。

 とはいえ――先ほどまで戦場になっていた室内でならともかく、この状況では鬼火もあまり役に立たない。

 極端に白すぎる鬼火の光は雨滴による乱反射でさほど遠くまで届かず、その結果この大雨の中ではさほど視程を確保出来ていない。もっと黄色みがかった光にすれば視界を確保しやすいのだが、一度作った鬼火の設定項目を変更する手段は無い――おそらくリアルタイムでの術式構築に長けた本職の魔術師なら出来るのだろうが、彼が魔術師に作らせた仮想制御装置エミュレーティングデバイスにはその設定を行う機能が無いのだ。鬼火の光の色味を変えようとするなら、新たに魔術を作り直さねばならない――彼の仮想制御装置エミュレーティングデバイスは複数の魔術を同時に発生させることが出来ないので、鬼火を作り直そうとしたら今の鬼火は消さねばならない。

 そして鬼火を消した瞬間、視界は完全に失われる。ロイヤルクラシックの暗調応が完全に機能するまでには数秒かかるので――隙を作るまいとするなら高度視覚に変化させることは予想出来ているだろうから、眼前の魔術師は膠着状態を打開するためにそれ・・を潰せる様な攻撃を仕掛けてくるだろう。

 とりあえずは――もう少し時間が必要だ。魔力の動揺が収まるまで、もう少し時間を稼がなければならない。

 とりあえず、話でもするか――

「――やるな」

 彼の口にした賞賛の言葉に、彼と同じ様に濡れ鼠になった魔術師が唇をゆがめる。もっともこちらはぞろりとした長衣ローブを着込んでいるおかげで、彼ほどの被害は無さそうな感じではあった。

 背丈は彼より指一本ぶんほど高いくらい、黒髪黒瞳に痩身長躯の、整った顔立ちの若者だ。見た目には二十代の半ばほどに見える――つまり、外見上は彼よりもいくらか年上に見えた。無論魔道氏族ファイヤースパウンの長を名乗るのだから、見た目通りの年齢ではないのだろうが。

 ゆったりとした長衣ローブの下に上下が一体になった黒い衣服を着込んでおり、今は見えないが腰には剣の鞘を下げていた。先ほどまでの戦闘で失って、中身は無い――が、おそらく本来はそんなものは必要無いのだろう。

 先ほどから観察している限り――いちいち持ち歩かなくても、彼は剣などその場でいくらでも創り出せる。

 足元は膝下まである長靴ちょうかで固めており、特に体を装甲で鎧ったりはしていない。ただ作業着めいた衣装はそのままだと動きにくいからか、要所要所を革のベルトで縛っていた。

「貴様こそ――神威雷鎚サンダー・ブラストにまで耐えるとはな」

 男の口にしたその返事に、彼はすっと目を細めた――顔に正面から雨風が吹きつけてきているために、その拍子に目に入った水で視界がぼやける。

「否、どうだかな。今の雷があと二、三秒持続してたら防ぎきれなかっただろうよ」 そう答えて、彼は再び口元をゆがめて笑った。

 ぎゃあぎゃあと頭の中に直接響く絶叫をあげる塵灰滅の剣Asher Dustを肩に担ぎ直し、

「驚いたぜ――敵と戦うときは常に相手のほうが倍は強いと思え、そう親父が言ってたが……生身の人間じゃないとはいえ、まさかここまでやるとはね。殺すにゃ惜しい奴だぜ、気に入った」

「ほざけ――いかなロイヤルクラシックが相手とはいえ、斬り合いしか芸の無い輩にはそうそう引けは取らんつもりだ。それにそう言う貴様こそ、この俺の魔術や魔獣までも捌くとは――何者だ?」

「……あ?」

 かすかに眉をひそめ、それから状況を理解して、彼はクックッと笑った。

「なんだよ――知らないで戦ってたのか? っとに面白おもしれぇ野郎だよ」

 男がその言葉に、わずかに眉をひそめる――彼はもう一度声をあげて笑うと、手にした漆黒の曲刀を足元の床に突き立てた。

 戦意を失ったことを示すために柄から手を離し、

「まあいいや――そう言えば人間やめてから、名乗りを上げるのはじめてだな。俺は――」

 

   *

 

 あおおおん、という狼の遠吠えがどこかから聞こえてくる。それを聞きながら、エルウッドはグリーンウッドとレイルに続いて城門をくぐった。

 城壁は三メートルほどの厚さがあり、その裏側に城門の内側から城壁に昇るためだろう、簡素な手摺がついただけの幅一メートルほどの階段があった。

 床には淡く輝く円陣が描かれていた――小さな円の周囲に周を接するみっつの円が描かれ、そのみっつの円をやはり周を接する大きな円で囲っている。刷毛で掻いた様な太い線で描かれたそれらすべての円が、よくよく見ると細々とした無数の文字によって構成されているのがわかった。

 先ほどの山羊の頭のガーゴイルは、どうやら城門の裏側でずっと控えていたらしい――床に描かれた魔法陣はこの場所がガーゴイルを作り出した場所であると同時に、あのガーゴイルが活動に必要な魔力を随時『充電』するための待機場所であったことを示している。最近日本で流行り出したロボット掃除機ルンバが作動していないときに待機している、充電クレードルみたいなものだ。

 あのいかつい山羊頭の動く石像が敵が来るまで城門の内側で座り込んで待機している絵面を想像すると笑えなくもないが、まあそれはどうでもいい――いずれにせよ、魔法陣が存続しているままだと、この魔法陣からまたガーゴイルが形成される可能性がある。

 エルウッドは千人長ロンギヌスの槍の穂先を覆う布を取り払い、そのまま足元に投げ棄てた。大身槍の長大な穂先全体からにじみ出てきている血で湿った布が、べしゃりと音を立てる。

 それ自体が聖性を帯びた血で濡れた刃を一瞥し、エルウッドは穂先の尖端で魔法陣を引っ掻く様にして大身槍を振るった。穂先の先端から飛び散った血がびしゃりと音を立て、油性マジックで引かれた線にシンナーをぶちまけたときの様に、構成式の一部を傷つけられた魔法陣がゆっくりと薄れて消えてゆく。

 城壁は二重になっている様だった――城壁の外壁と内壁の間には幅五メートル近い空濠が設けられており、底になにやらどす黒い液体が溜まっている。

 嵩はそれほど無さそうではあった――濠の深さそのものが外にあった空濠と同じであれば、その液体の深さは二十センチほどだろう。

 液面がまったく揺れていないのは、おそらく風が無いからではないだろう。黒々とした液面は、見た目には粘り気がありそうに見えた――使い古されて真っ黒になったエンジン用の機械油の廃油が魚の煮凝りの様に凝ったとしたら、こんな感じに見えるだろうか。

 空濠の上にはさも頑丈そうな、欄干の無い石造りの橋が架けられている――その向こうには第二の城門があり、鋼鉄製の門扉は固く閉ざされていた。

 おそらく内壁の内側、もしくは内壁の城塁上に外門の跳ね橋を操作するための起重機キャプスタンがあるのだろう、内壁城塁上部から外壁の城塁上部に向かって二本の鎖が伸びている。

 濠を設けているのは大軍が一挙に攻め込むのを防ぐためだろうが、それなら内壁の橋も跳ね橋にしておいたほうがいい気がするのだが――胸中でつぶやいたとき、先頭にいたグリーンウッドが無造作に片手を翳して後続の面々に止まれと合図した。

「どうした?」 グリーンウッドがレイルの問いかけに足元から小石を拾い上げて、橋の上に向かって放り投げる――橋の石畳に当たって当然跳ね返りそうなものだが、石はそのまま石畳をすり抜けて空濠へと落ちていった様だった。

「幻術か」 エルウッドの言葉に、グリーンウッドが小さくかぶりを振る。

「否――違う。『稀薄化』だ」

 おそらく小石が濠の底に到達したのだろう、ぽちゃんという音が聞こえてくる――同時に濠の底がにわかに騒がしくなった。

 風も無いというのに濠の底をまんべんなく濡らす液体が、橋の下、小石が落ちたあたりに集まる様にしてうぞうぞと蠢いている。

「なんだあれは――スライムか?」 ベルルスコーニの言葉に、グリーンウッドがうなずいた。

「そうだ――おそらく、この濠に落下した生物を取り込んで分解してしまうんだろう。この橋は実際に存在するものだが、魔術によって『薄められて』いる――まあもっとも、どちらかというと外からの侵入者ではなく、内部から脱出しようとする者を殺害するためのものだろう」

 十人も二十人も一度に城に訪れたら、この濠に転落するのはひとりかふたりだけだろうからな――そう付け加えて、グリーンウッドは適当に肩をすくめた。

 魔術によって『薄める』という言葉の意味はエルウッドにはどうにも理解出来なかったが、グリーンウッドにとっては説明するまでも無いほどわかりきったことらしい。橋の袂に設置された小さな石碑に歩み寄り、その表面に指を滑らせる。

 御影石の様な石質で、形だけなら天面が手前に向かって傾斜したコンソールの様に見えなくも無い――わかりやすく表現するなら、円柱状の御影石の尖端が竹槍の様に斜めにカットされているのだ。手元を覗き込むと、石碑の天面にびっしりと細かな文字が刻まれていた。楔形文字に似た文字は、魔術師が魔術式を記述するのに使うものだ。

「これは?」

「橋の密度を操作する制御装置だ。これに刻まれた魔術によって、この橋の密度を『薄めて』いる。『薄める』と、見た目には存在しているし光を遮るから影も見えるが、実際に触れることは出来ない状態になる」

「立体映像みたいなものかしら?」 リーラの言葉に、グリーンウッドはかぶりを振った。

「どうだろう――なにに例えればわかりやすいかは、ちょっと思いつかない。だが、そんな感じだろうな――実際には実体のある橋を『薄めて』立体映像の様にしてあるわけだが。この装置で操作すると、その立体映像が一時的に実物と同じ機能を果たす様になる」

 リーラの言葉にそう答えて、グリーンウッドが石碑の表面に刻まれた文字の上で指を滑らせる。するとグリーンウッドの指先がなぞった瞬間、刻み込まれた文字がぽう、と光った。同時に、石碑の天面に刻まれた文字がめまぐるしく明滅し始める。

 やがて天面に刻まれたすべての文字が白く輝き始めたところで、グリーンウッドは天面から手を離した。

「よし、これでいい」 そう言って、まずは自分が実践してみせようということか、橋の上へと足を踏み出す。

 彼が両足を橋の上に置くと、石造りの橋はその見た目の通りにしっかりと彼の体重を受け止めた――ブラックモアが恐る恐る、彼に続いて橋に足を踏み入れる。彼はベルルスコーニの腕に掴まって爪先で橋の床板を何度かつついたあと、思い切った様に橋に足を載せて、

「ほんとだ、ちゃんと渡れる」

 こういった大規模な魔術を見るのは珍しいからだろう、興味深そうに橋の欄干を爪先で蹴飛ばしたり手すりを拳で小突いたりしているブラックモアに、さっさと渡り終えたグリーンウッドが声をかける。

「早くしろ、この橋はいつまでも実体化しているわけじゃない。十秒二十秒でまた『薄く』なるわけじゃないが、遊んでいると橋が消えて濠に落ちる羽目になるぞ――まあ、あのスライムどもの餌になるのが御希望なら止めないがな」

 たぶん骨も残らんぞ、と付け加えてくる――それを聞いて、ブラックモアがあわてて足を速めた。

「それと、霊体武装持ちは橋を傷つけない様に気をつけろ――槍遣い、おまえもな。橋に組み込まれた魔術式が傷つくと、橋を維持している魔術が壊れる危険がある――それで橋が実体化したままになるならいいが、突然『薄まって』元に戻らなくなったり、最悪橋の構成素材が原子レベルまで分解して、放出されたエネルギーが熱に変換されて大爆発が起こる可能性もあるからな」

 それを聞いて、エルウッドは千人長ロンギヌスの槍を肩に担ぎ直した――こういった大規模な定置式の魔術に関してはさっぱりだったので、相手の言うことを信用するしかない。

「あの城門、またなにか出てきたりしないわよね」 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある『真実の口』の様な顔が彫刻された門扉を見ながら、リーラが嫌そうな声を出す。

「城門がしゃべって『うまいもの食わせろ』って言ってくるかもな」 ベルルスコーニの言葉に、ブラックモアが適当に肩をすくめる。

「なら、三日前の弁当と胃薬でも放り込んでやろう」

「棄ててしまえ、そんなもの」 エルウッドの返答に、レイルが話に入ってくる。

 橋を渡りきったところで、それまで橋のたもとで待っていたグリーンウッドが再び歩き出した。彼が城門に歩み寄ると、城門がひとりでに内側に向かって開き始める。

 リーラとバーンズが内側からなにが出てくるかと身構えたが、城門の奥からはなにも出てこなかった。

 城壁の内側には外壁と同様城塁の上部に昇るための階段があり、それとは別に、岩盤を刳り抜いて人ひとりが通れるくらいの大きさの穴が掘られている――おそらくそれが城の上部に続いているのだろう。

「上からいきなり、でかい岩とか鉄球が転がり落ちてきたりしないよな」 穴を覗き込んでエルウッドがそうつぶやくと、グリーンウッドは適当に肩をすくめた。

「この穴の上からなにか転がしたら、俺たちを潰したあとで城門に直撃する。それはやらないだろう。敵の気配も感じ取れない――が、どうしても不安なら、こうしておこう」

 グリーンウッドが右手を翳す――次の瞬間、その手の中に硬式野球のボールくらいの大きさの光球が生じた。

「穴の正面に立つなよ」 グリーンウッドの警告の声。バチバチと周囲に細かな電光を走らせているそれがなんなのかに気づいて、エルウッドは小さくうめいた。魔術の内容、それに出力もだが、それ以上に構築速度に戦慄する。

 だがそれにはかまわずに、グリーンウッドは構築した魔術――獄焔細弾ゲヘナフレア・ペレットを穴の奥へと投げ込んでいた。

「頭をひっこめろ」

 マツザカのピッチングもかくやという素晴らしいスピードで、光球が真っ直ぐに穴の奥まで飛んでいき――おそらく岩盤に穿たれた穴の向こうで起爆したのだろう、岩盤を貫通した通路を通って猛烈な熱風が噴き出してくる。それが収まるのを待って、彼は連れの面々を振り返った。

「よし、行くぞ」

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