In the Flames of the Purgatory 2

 

   ‡

 

「――北海道に?」

 部屋のソファーに浅く腰かけたセバスティアン神田の言葉に、アルカードは彼の前にコーヒーを置きながらそう尋ね返した。

「はい」 白い封筒をテーブルの上に置きながら、セバスティアン・神田がそう返事をして小さくうなずく。

 二月の頭に千代田区のホテルで起きた大規模テロ事件――その事件からすでに二ヶ月以上が経過している。

 警察の情報操作もあって、あの事件に関してはすでにある程度の鎮静化を見ている――ちょうど時期を前後してライブドア社長が証券取引法違反容疑で逮捕されており、その報道が連日行われていた時期で、そちらをマスコミに大きく取り上げさせることでテロ事件のほうを埋もれさせた格好だ。

 聖堂騎士団は以前『クトゥルク』追跡の手を緩めてはいないものの、そればかりに集中しているわけにもいかず、残念ながら成果は挙がっていなかった。

 神田はコーヒーカップのソーサーからスティックシュガーを取り上げて封を切りながら、

総本山ヴァチカンとしましてはドラゴス師に現地に拠点を移していただき、本格的な索敵排除サーチ・アンド・デストロイに当たっていただきたいという意向です」

「東京は完全に留守にするということか」 うなずく神田に視線を向けて、アルカードは顎に手を当てた。

「御都合が悪いですか?」

 神田の言葉に、アルカードは首を振った。

「こっちが俺にとっては『本業』だ。別に不都合ということは無い――ただ、つい三ヶ月前に有給潰して長期休暇を取ったんでな。今回はもっと長くなるかもしれないから、きちんと話を通さないといけないだけだ」

 それでアルカードが勤め人なことを思い出したのだろう、神田が納得した様に小さくうなずく。

「問題になるでしょうか? なんでしたら大使館から、いくらかでも補償が出る様に――」

「否、話を通せば問題無い。ただ、ほかの作業はともかくとして、事務処理のたぐいはうちの従業員の中で俺しか出来ないんでな」 その言葉に、神田が再びうなずいた。アルカードは店の経営者である老夫婦に次ぐ従業員のナンバースリーで、フロアスタッフの長であるのと同時に事務処理のたぐいを一手に請け負っている。

 別にアルカードが抜けたから、その日のうちにどうなるというものではない――だが、不在が長期間になると残りのスタッフの負担が増えてくる。

 荷受けはほかのスタッフでも出来るが、事務処理のたぐいはそうはいかない。香港に行って一週間空けたときも、帰ってみたら事務処理で半日潰す羽目になった。

 アルカードは一瞬考えてから、

「まあそれは置いといて――場所は?」

「北海道千歳市にあるカトリック系のミッションスクールです。大使館から向こうに話は通っておりまして、この案件に関しては学園側から全面的な支援を得られます。ドラゴス師にはこの学校に、ALTとしてとして潜入していただきたく――」 その言葉に、アルカードは片手を挙げて彼の言葉を遮った。

「待ってくれ。俺のこの外見で講師ってのは無理があるだろう――留学生とか、生徒のほうがよくないか?」

 アルカードの外見は、吸血鬼に変化したときからほとんど変わっていない――雰囲気のせいかあまりそう見られることは無いが、つまり彼の外見は十七歳そこそこの少年のそれなのだ。

 それはわかっているのだろう、神田はあっさりとうなずいてみせた。

「それはそうなのですが、学生ですと行動範囲が限定されてしまいますので。学生ではなく講師や教師のほうが、はるかに動きやすい。大使閣下と団長、渉外局長ちちとの相談の結果、アンダーカバーとして行動するならば講師のほうがよろしいだろうという結論に落ち着きました」

 そう言われると反論の余地は無い。アルカードは溜め息をついた。

 大丈夫です、ドラゴス師は雰囲気的に十代には見えませんから――フォローのつもりかそうでないのか、神田がそんなことを言ってくる。ちっともうれしくない。

「それって喜んでいいのか、神田セバ?」 思いきり顔を顰めて口にしたその返答を、神田は適当に黙殺した。

「あと、ALTってなんだ?」

「アシスタント・ランゲージ・ティーチャーの略称です。つまりは外国語の教師の補助を行う外国人教師のことですね」

 ああ、ポールさんか――

 そんなことを胸中でつぶやいて、アルカードはうなずいた。ポールさんというのは街の南のほうにある女子高に英語教諭の補佐として来ていた、カナダ人男性の名前らしい。マリツィカが以前、そんな話をしていた。

 つまり、視聴覚室で英語の映画を観たりしながら授業をするのがそのALTという仕事なのだろう。

「俺で務まるのかね?」

「私が思うに、師の英語は下手なイギリス人よりよほどクィーンズ・イングリッシュに近いと思いますが」

「そうか」 どうやら逃げ場は無いらしい。溜め息をついて、アルカードはソファに座り直した。

「ドラゴス師の身分は十年前から日本に帰化しているルーマニア人夫婦の息子、二十四歳のルーマニア系日本人ということになっています。身分証等はここに」

 白封筒の中から免許証を取り出して差し出してくる神田の涼しげな顔をまじまじと凝視して、アルカードは再度溜め息をついた――この銀髪イケメンは、自分が二十四歳に見えると本気で思っているのだろうか?

 頭の中身はどんどん老獪になっていくのに、体は十七歳のときから成長しない。これはこれでコンプレックスではある。

「なあ、神田セバよ。それならライルが先生、俺は留学生かなにかの形で潜入したほうがよくないか?」 という未練がましいアルカードの言葉に、神田はあっさりとかぶりを振った。

「ライルは昨日日本を発ちました。欧州で行われる、大規模な魔術師コミュニティーの掃討作戦に参加するためです」 あとライルは英語を話せませんが、と神田が付け加えてくる。そういえばそうだった。あいつアングロサクソンのくせにヴァチカン生まれのヴァチカン育ちだから、英語からっきしだった。

「……そうなの? 今聞いたよそれ」

 アルカードの疑わしげな返答に、

「ええ、昨日の夕方命令が下りまして、それを受けて昨夜八時ごろに出発しました。連絡を差し上げる時間が無かったのでしょう」

 しれっと返事をしながら、神田がテーブルの上の白封筒をこちらに押し出す。『学校法人 千歳白星学園』という校名と一緒に、磔刑像の十字架と学校の電話番号、FAX番号、ホームページのアドレスが印刷されているところをみると、単に学校のパンフレットであろう。

「そっちには俺にお呼びがかからないんだな」 通常、アルカードとライル・エルウッドは二名一組ツーマンセルで行動することが多い――彼が欧州に呼び出されるときはアルカードも一緒に呼び出されることが多い。まあ、今回もそうだし香港の案件もそうだった様に、エルウッドひとりだけがほかの総本山待機組の応援要員として召還されることは別に珍しくないが。

 今回の場合は向こうに人手が必要だがこちらを空にするわけにもいかないので、ヴァチカンが動かせる最強の駒であるアルカードを残してエルウッドだけを呼び戻したのだろう。

「代わりにライル以下アンソニー、リッチー、リーラ、エルウッド団長に加えてバーンズ副長も同行されます」 澄まし顔で神田がそう答えてくる。レイル・エルウッドとブレンダン・バーンズを除く四名は、神田が基礎クラスを共に過ごした同期たちだ――彼ら四名は基礎クラスからずっとアルカードの教室なので、神田も一時期アルカードが教えていた。彼は渉外局への配属が決定していたので戦闘員になる予定が無く、訓練は基礎クラスだけで終わってしまった――が、出身教室を示す徽章を持たない神田がアルカードを師と呼ぶ理由はそこにある。

「で、ターゲットは?」

「『アルマゲスト』です」 欧州でも著名な魔術師コミュニティーのひとつの名を挙げて、神田はそう返事をしてきた。

「キメラ学の研究材料として生きた人間を使用している嫌疑がかかり、それに関して査察を拒否しましたので」 付け加えられた言葉に、アルカードは肩をすくめた。正直に言って、他者の研究に対してヴァチカンが口をはさむというのは彼らの傲慢だと思っているからだ。

 とはいえ、同時に生きた人間を研究材料にする様な研究は気に入らない。そもそもそれをどう思っていようが、アルカードにはヴァチカンの行動方針に口を出す権利は無い――ので、アルカードは彼らの行動方針には口を出さないことに決めていた。

 少なくとも、アルカードが味方をすべきは自分の弟子たちがいる聖堂騎士団だろう――少なくとも今回派遣された者たちは、全員彼の教え子だ。

 それに、どのみちキメラ学はアルカードも嫌悪するところだ――あれはいろいろな意味で外道に過ぎる。

「あいつらだけで大丈夫なのか?」 と、尋ねておく。

「不安がありますか?」

「そこらの魔術師相手ならともかく、『アルマゲスト』だろう?」 俺の弟子たちは吸血鬼相手なら一流だが、魔術戦になるとな」 『アルマゲスト』は神田も言った様にキメラ学にも手を出しているが、魔術師としての本分はキメラ学ではなく魔術だ。

 いまだに天動説を唱える本をバイブルにしているあたり、自分で自分の首根っこを掴んで持ち上げれば空を飛べるはずだとか信じている様な胡散臭い研究者肌の連中ではあるが、魔術師としての能力はまあ侮れない。

 アルカードの弟子は世代を問わず、吸血鬼相手であれば十分な能力を持っている――刻印魔術によって補強された彼らは、ロイヤルクラシックか『剣』を相手にするのでもない限りは負けることはまず無い。まして、チームを組んで行動するのであれば。

 だが、対魔術戦の備えが十分であるとは言い難い。魔術の訓練を受けた者もいるが、相手の魔術の術式構成プログラムを書き換えることで無害化・暴発させる術式改竄クラック技能の習熟度が十分とは言えないからだ。

 魔術による攻防は、単純な力比べになる――そのため、織り込む術式に技能の差が顕著に出てくる。魔術師相手の戦闘で重要になるのは、そもそも魔術を使わせないこと、発生前に潰すことだ――その技能で劣る者たちを魔術師の集団にぶつけるのは、お世辞にも正しい判断とは言えない。攻撃向けの霊体武装を持っていれば自分の霊体武装で魔術師の構築した魔術式を斬れるので、多少の優位性が無くもない――が、強力な魔術の式を迂闊に破壊するとどういう結果を招くかは、アルカード自身も八十年ほど前に一度痛感している。

「まあそれだけいれば十分か、と言いたいところだが、相手が魔術師の集団だとな」 アルカードの返答に、神田が小さくうなずく。

「たしかにもう少し補助戦力のほしいところですね」

「ま、それはしょうがない――あいつらに棺桶を引きずって帰ってこられたら気分が悪いし、伝手を当たってみるよ」 アルカードはそう返事をして、封筒に手を伸ばした。

 白い封筒には白星学園という学校名の下に、Christian school HAKUSHOU GAKUENとアルファベットで記載されている。だとすると読みは『しろぼし』ではなく『はくしょう』らしい。

 グループの学園があるとしたら、赤星学園とか黒星学園とかがあるのだろうか。赤星は阪神タイガースで活躍した選手を連想するからいいとして、黒星は『負け』、おまけに中国製トカレフの別称だ。ダメじゃん。

 そんなことを考えながら、アルカードは、中身を引っ張り出した――表紙にマリア像の写真が印刷された、フルカラーの綺麗なパンフレットだ。

 ちょうど新学期の学生向けに配布されるたぐいのものらしく、設備や教育理念などを説明するものらしい。アルカード自身は学生の経験が無いので、マリツィカが持って帰ってきた大学やら短大のパンフレットくらいしか見たことが無いが。

 なんとなく自動車のカタログを思い出しながら、とりあえずパンフレットを開いて中身に目を通してみる――『世界に、飛び出そう』、そんなキャッチフレーズとともに教育目標という項目、理事長を務めているらしい初老の女性の写真がその下に配置されている。とりあえず開校六十周年記念・ラーメン開発プロジェクトというのはいったいなんだろう。

 次のページには学園の全景写真が掲載され、学園施設というタイトルとともに体育館や武道場、トレーニングジム、講堂と一緒に聖堂や特別教室、前庭のバスケットコートや野球場、サッカー場などが写真入りで説明されている。

 クラブ活動は小等部と中等部は統合されており、小中等部と高等部それぞれで三十前後あるらしい。

「ミッション系の学校って、具体的にどんな授業をするんだろう?」

「さぁ、ご存知の通り、私は日本の学校に通った経験がありませんのでなんとも」 アルカードの口にした疑問に、似た様な仕草で首をかしげながら神田がそう返事をする。

 幼稚園と大学もあったらしいが、現在は小学校から高校までに絞り込んでいるらしい――幼稚園と大学が無くなったわけではなく、単に白星学園として運営しているのが寮住まいが可能な年代として七歳から十八歳までの間ということらしい。幼稚園と大学はそれぞれ学園と敷地は接しているものの、直接行き来は無い様だった。

 女子制服はフランスのデザイナーがコーディネイトしたもの、男子制服は七つボタンの詰襟らしい。フランスの士官学校の制服をモデルにしたものらしいが、アルカードにはよくわからなかった――詰襟な時点で、正直なところどんなデザインでも同じに見えてしまう。

 運営母体はマリア会という組織らしい――アルカードは宗教団体と結託している割に宗教にはまったく興味が無いので、マリア会というものに関してさほど知識は無かった。

神田セバ、マリア会ってなんだい?」 予備知識程度のつもりで投げた問いに、

「フランス人の神父ギョーム・ジョセフ・シャミナード神父によって一八一七年にボルドーに創立された、カトリックの教育修道会です。ローマに本部を持っておりまして、現在では世界全土に支部を置いています」 神田がそう返答を返してくる。

「ふむ」 アルカードは手にしたパンフレットを机の上に放り出して、

「それで、赴任予定はいつからなんだ?」

 アルカードの言葉にとりあえず彼の同意は得られたと判断したのか、神田は小さくうなずいた。

「今週の土曜に移動していただければと」

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