The Evil Castle 42

 数分経って、結果が出た――恒温性生物の体温程度の高温の反応無し、生物の脳幹が発するものと思われる電磁場の反応無し、気温、湿度の検索による動態反応無し、質量の移動で発生する空間歪曲の変化による動態反応無し。

 結論――ここにいる二名を除いて、現在当該建物内に生きている生物はいない。

 

 口元をゆがめて、アルカードは小型無線機の送信ボタンを押し込んだ。

「シルヴァー・ワンよりゼロ・アルファおよびゼロ・ブラヴォー」 という呼び出しに、あまり期待はしていなかった――軍用規格の無線機はともかく、携帯電話用のイヤホンマイクには防水の概念など無いだろうと思っていたからだ――が返事はちゃんと聞こえてきた。一応動いてはいるものの、ノイズがひどい。だがそれでも話が出来ているのだから、この際文句は言うまい。

「ゼロ・アルファ」

「ゼロ・ブラヴォー」

「戦闘終了、エクスレイは殲滅した。ホテル内に脅威はもう無い、入ってきて大丈夫だ。残念だが生存者はいない――全滅だ」

「……ゼロ・アルファ了解」

 やや間を置いて、伊東がそう返事を返してきた――声が震えているのは当然だろう。警察の力が及ばない出来事とは言え、彼らの守護の対象である民間人が、この一日で数百人死んだのだ。しかもその大半は遺族に引き渡せないほどひどい損傷を受け、タイラントに喰われた人間に至っては髪の毛一本さえ残っていない。

「ゼロ・ブラヴォー了解。これより現場の封鎖を開始する」

「シルヴァー・ワン了解。シルヴァーはこれで引き揚げる――ゼロ・アルファ、シルヴァーはこれからそちらに帰投する。受領通知アクノレジ

「ゼロ・アルファ了解。ご苦労だった」

「シルヴァー・ワンよりゼロ・ブラヴォー」

「ゼロ・ブラヴォー」

「シルヴァー・ワン。先に言っておくが、内部の状態はかなりひどい――心の準備をしておいてくれ」

 ゼロ・ブラヴォーの受領通知アクノレジを待たずに、アルカードは小型無線機をはずしてエルウッドに放り投げた。

 ついでに足元に落ちていた憤怒の火星 Mars of Wrath の顕現の際に弾け飛んだ甲冑の手甲を拾い上げ、これも頼む、と押しつける。

「先に行け。大使館に戻って神田セバたちと合流しろ」

 そう告げて、アルカードは歩き始めた。客に提供するための酒や飲料の置かれたテーブルの向こう側に置かれた衝立の裏側、壁に設けられた換気口に歩み寄る。

「おい?」

 エルウッドの呼び掛けには答えずに、アルカードは壁に穿たれた換気口から霧と化した身を漂い出させた。

 

   †

 

 全身に大粒の雨を浴びながら、ステイル・エン・ラッサーレは屋上の貯水タンクのそばで荒い息をついた。

 タイラントの尾で撃ち据えられたときに折れた肋骨が、熱を持ってひどく痛む――ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタが飼っている下っ端吸血鬼の口車に乗せられて吸血鬼アルカードに対する復讐を目論見、アジアの果てまでやってきて、アルカードの所在を掴んだまでは良かったのだが、まさか虎の子のタイラントがああもあっさり斃されるとは思っていなかった。

 くそ、くそ、くそ、くそ――なんなんだ、あの化け物は!? 弱体化しているんじゃなかったのか!

 毒づいて、ラッサーレは仮想制御意識エミュレーターに魔術の圧縮術式アーカイヴを読み込ませた――読み込んだ術式は高次光学迷彩シースールー、周囲の空気の屈折率を変えて自分の姿を隠蔽しその空間に誰もいない様に見せかける、一言で言えば透明化する術式だ。

 キメラは全滅し、タイラントは破壊され、残ったのはラッサーレの貧弱な肉体とお世辞にも潤沢とはいえない魔力だけ。魔術師として秀でているとは言えないラッサーレの手持ちの駒は第一位の聖堂騎士、それにファイヤースパウンの奥儀を譲り受けたドラキュラの『剣』を相手に事を構えるには貧相すぎる。

 とにかくいったんこの場を離れなくては――

 そう考えて構築された術式に発動のための魔力を流し込もうとしたとき、術式の構成が粉々に破壊された。なんの意味も持たなくなった魔術式の残滓が、雨粒に溶ける様にして消えてゆく――今のは明らかに、魔術の構築の失敗ではない。ほかの魔術師による『式』に対する干渉を防ぐためのファイアーウォールを外部から破壊され、術式を組み換えられて発動を妨害されたのだ。

「な――」

「――どこへ行くつもりだ? まだ用事が残ってるだろう」

 背後から聞こえた声に、戦慄する――恐る恐る振り返ると、苛烈な殺意を湛えた双眸がこちらを見据えていた。薄暗がりの中でおのずから輝く魔人の

 吸血鬼アルカード。ワラキアの真祖ヴラド・ドラキュラ公爵の『剣』。

 獅子の鬣を思わせる暗い金髪は大粒の雨滴に濡れそぼり、魔力の動揺がまだ収まっていないからだろう、その双眸は暗闇の中で爛々と金色に輝いている。

「馬鹿な、どこから!? 扉の開く音は――」 金髪の吸血鬼はその言葉に鼻を鳴らし、負傷でもしているのが忌々しげに顔を顰めながら、

「俺には関係ねえよ――俺は水気のある場所なら、霧に姿を変えてどこにでも行ける」

 靄霧態ミストウィズインの能力くらいは聞いたことがあるだろう――その言葉に混乱の極みに達して、ラッサーレは激しくかぶりを振った。

 確かに高位の吸血鬼は、大気中の水分を触媒にして霧に姿を変える能力を持っている――自分自身の体内の水分を触媒に使うことも出来るので、湿度がゼロの場所でも霧に姿を変えることが出来るのだが、持続時間が極端に短い上に水分を消費して消耗するためにほとんど意味は無い。もちろん緊急回避には役に立つのだが。

 だが霧が出ていたり、あるいは雨が降っていて大気が湿っている場合は、吸血鬼はその霧や雨の及ぶ範囲で長時間霧に姿を変え続け、またその霧や雨によってもたらされた湿気の及ぶ範囲において、どこにでも瞬時に移動し、好きな場所で実体化することが出来る。

 だが――

「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な! 霧に姿を変えられるのは――靄霧態をとれるのは真祖ロイヤルクラシックだけのはずだ、噛まれ者ダンパイアにすぎない『剣』にそんな真似は――」 その言葉に、アルカードが嘲弄もあらわにクックッと笑った。

「ここにも騙されてる馬鹿がいたか――とはいえ虚偽情報ディスインフォメーションなんだから、騙されてくれなけりゃ意味が無いがな。俺がてめえに一言でも、俺は噛まれ者ダンパイアですなんて言ったか?」

「な、それでは貴様は――」

 ラッサーレが続きを口にするより早く、アルカードが動く――まるで獲物に襲いかかる蛇の様に素早く伸びた左手で喉笛を鷲掴みにされて背後の給水タンクに叩きつけられ、ラッサーレは短い喘鳴をあげた。人差し指の付け根あたりを喉仏に押しつける様にして気道を圧迫しながら、アルカードがすさまじい膂力でラッサーレの体を給水タンクに磔にする。

「がっは……!」

「黙りな」 底冷えのする様な冷たい声で、アルカードが口を開く。空気を求めて喘ぐラッサーレを気にした様子も無く、

「俺は端っからてめえとおしゃべりするつもりなんざねえよ、三流。さぁ、三百年前の続きをやろうか、クソ魔術師――今度は逃がさんぜ」 言いながら、アルカードが右手に霊体武装を構築する――ラッサーレにはっきりと見せるためだろう、彼は霊体武装を隠そうとさえしなかった。

 ずぐ、と音を立てて、吸血鬼がラッサーレの下腹部に霊体武装を突き立てる。

 焼ける様な激痛と喉の奥にこみあげてくる熱いものの感触に、ラッサーレは水音の混じった悲鳴をあげた。それを聞きながら、吸血鬼が目を細めて酷薄な笑みを浮かべる。

「よぉ、気分はどうだ、魔術師? この程度じゃあ死なねえんだろ? 気分爽快なんじゃねえか?」

 霊体武装の鋒がタンクに穴を開け、そこから漏れ出した水が屋上の床に滴り落ちてびちゃびちゃと音を立てている。

「どうした? 笑えよ、ステイル・エン・ラッサーレ」

 アルカードがそう言って、ラッサーレをタンクに縫い止めた霊体武装の柄から手を離し、懐から格闘戦用のものと思しい大型の短剣を引き抜く。彼はその鋒をラッサーレの左脇腹にあてがい、肋骨の隙間からゆっくりと肺に刺し入れながら、

「約束したよな、どの程度まで痛めつけたら死ぬか試すってよ――まあ、テント用のペグはここには無いから短剣で勘弁してくれ」

 激痛に涙を流しながら絶叫をあげているラッサーレの顔を下から覗き込み、アルカードが目を細める。

「どうした? こんな程度の傷ならじき治るんだろ? このくらいでいちいちぎゃあぎゃあわめくなよ」

 顔の下半分を濡らす生温かい血の感触に戦慄しながら、ラッサーレは首を振った。

「やめろ、やめてくれ……」

「あのちっこい村から攫った女たちや、この事件の被害者も同じことを言っただろうな――」

 そう告げて、アルカードはわざと心臓を避ける様にして手にした短剣の鋒を深々と押し込んだ。短剣の鋒が肺胞と毛細血管を引き裂きながら、背中まで貫通する。

 出血で血圧が低下したことによる酸素供給量の低下を補おうと、心臓が早鐘の様に拍動している――だがそんなものにはまったく意味が無い。出血量が増えるだけだからだ。徐々に手足の感覚が失われつつあることを悟って、ラッサーレは水音の混じった声で嘆願した。

「やめてくれ、頼む――」

「――ああ、そうだ。頭が吹っ飛ばされても復元するかどうか試してみるか?」 ラッサーレの懇願を無視して、アルカードが水平二連の銃を引き抜く。本体の丁字型のレバーを引いたのは、弾薬がまだ入っているかどうか確認したのだろうか。アルカードはそれをラッサーレの口に捩じ込もうとし、うまくいかないことに舌打ちして、ラッサーレの顎を無理矢理はずして強引に口の中に銃口を押し込んだ。発砲することで頭蓋骨が丸ごと吹き飛ぶ様に、力ずくでグリップを押し下げて射角を変える。

「さあ、カウントダウンだ。あとみっつ数えたらぶっ放す――頭が無くなっても生きていられるかどうか、せいぜい神様に祈るんだな。ひとつ、ふたつ――」

「あえお、あええうえ、あうええうえ――」 やめろ、やめてくれ、助けてくれ――その嘆願にも、吸血鬼にはまったく心を動かされていない様だった。彼は爛々と紅く輝く瞳で噎び泣くラッサーレの貌を見据え、

「聞こえねえよ。はっきりしゃべれ」

 吸血鬼がそう告げた瞬間、銃声と頭蓋骨の砕ける轟音とともに、ラッサーレの意識は消滅した。

 

   †

 

 ただ一度だけ、屋上に銃声が轟いた。頭蓋骨が砕けて血と脳漿がタンクの外壁に飛び散り、それを雨粒が洗い流してゆく。

 ここに到着するまでの道中に降り始めた雨はこの数時間の間にどんどん激しくなっており、すでにシャワーで撒くかのごとき様相を呈している。これでは狙撃チームの任務にも支障が出ているだろう。

 ショットガンの銃口を下ろし、心臓破りハートペネトレイターを魔術師の胴から引き抜いて――魔術師の体を貯水槽に縫い止めていた塵灰滅の剣Asher Dustへの魔力供給を断ち切ると同時に、漆黒の曲刀が形骸をほつれさせて消滅した。

 それまで昆虫標本の様に魔術師の体を貯水槽に縫い止めていた塵灰滅の剣Asher Dustが消滅し、魔術師の体がどさりと足元に崩れ落ちる。

 心臓破りハートペネトレイターの刃を汚す血糊を雨粒が洗い流していくのに任せながら、アルカードは足元に崩れ落ちた魔術師の死体を見下ろした。

 上顎から上の無くなった屍は弱々しく痙攣を繰り返すばかりで、もはや動き出す様子は無い――アルカードは装備ベルトの腰回りにつけたポーチのひとつから青い液体の充填されたカプセルを取り出し、捩じ込み式の蓋を開けて中身を魔術師の死体に振りかけた。

 青い液体が触れるや否やジュウジュウと音を立てて魔術師の肉体が崩れ、なんの意味も持たないペプチドとなって消滅してゆく。皮膚や肉だけでなく骨までもが瞬時に溶かされ、雨水に混じって薄れて流れてゆく。

 金具を残して衣服も溶けてゆくのは、衣装が綿かなにかだからだ。この溶解液は有機物であれば、あらゆる物体を溶解する。金属や合成樹脂、化学繊維には効果が無いが、有機物であれば生体組織はもちろん、絹や木綿といったものも完全に分解してしまう。

 溶解液の後始末は考えなくていい――溶解液は水に弱く、同体積程度の水が混ざると薄まって効果が弱まるだけでなく、化学反応によって十数分程度で完全に溶解能力が失われる。その際に無色透明になるので、雨に洗い流されれば痕跡は残らない。

 それを見届けることもせずに唾を吐き棄て、アルカードは踵を返した。

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