The Evil Castle 38

 甲殻の無い眉間に着弾したにもかかわらず、タイラントはわずかに頭を揺らした程度で、さしてダメージを受けている様には見えない。分厚い脂肪と強固な骨格、強靭な筋肉が銃弾を絡め取り、浅いところで破裂させてしまったのだろう。

 それでも普通の弾薬で撃たれたよりは、ダメージになっているはずだが――

「硬いな」

「まあそう言うなよ――ここ何十年か、手応えの無え雑魚どもばかりでフヤけてたところなんだ。人間丸くなるのも考えもんだぜ? 久しぶりに後先考えずに暴れてみるのも悪くねえだろうさ」

 軽く塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を旋廻させ、アルカードは唇をゆがめてゆっくりと笑った。

 ギャルルルアァァァァッ!

 咆哮をあげて、タイラントが床を蹴る。一気に間合いを詰めて繰り出してきた拳の一撃を、ふたりはそれぞれ横に跳んで躱した。

 みっつの拳が背後の壁を瓦解させ、ごとごとと音を立ててコンクリートの砕片が隣室の床に撒き散らされる。

 ギィィィィィッ!

 右手のうち一本の手首を押さえ、タイラントが悲鳴をあげた――塵灰滅の剣Asher Dustを頭上に振り抜いた体勢のまま、アルカードが唇をゆがめて嗤う。おそらくその一撃でタイラントの手首の動脈を切断したのだろう、噴き出した血が壁紙を赤黒く染めた。

「足を潰せ!」

 声をあげて、アルカードが床を蹴った。

Aaaaaalieeeeeeeeee――アァァァァァァラァィィィィィィィィィィィ――ッ!」 咆哮とともにその脇を駆け抜けながら、アルカードが剣を振るう――左足首のあたりを薙がれて、人間同様そこに腱があるのだろう、タイラントがその場で体勢を崩す。エルウッドが一瞬遅れて右脇を駆け抜けながら繰り出した一撃で右足首をへし折ったために、タイラントはその場で膝を突いた。

 グルルルルル……

 狂犬の様なうなり声をあげているタイラントに向き直り、アルカードが再び床を蹴る。

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォォォアァァラァァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮とともに、アルカードがタイラントの頭蓋めがけて塵灰滅の剣Asher Dustの刃を叩きつける――首を斬り落そうとしても分厚い筋肉に阻まれるのならば、最初から筋肉で絡め取る様な真似など出来ない箇所を狙えばいい。

 鈍い音とともに、塵灰滅の剣Asher Dustの物撃ちがキメラの頭蓋に喰い込んで止まる。思った以上に頭蓋骨が強固だったのだろう、アルカードが小さく舌打ちするのが聞こえた。

「アルカード、そのままだ!」 声をあげて、エルウッドは千人長ロンギヌスの槍を手に飛び込んだ――こちらの意図を悟って塵灰滅の剣Asher Dustを残したまま槍の間合いの外まで退避したアルカードと入れ替わりに、タイラントへと殺到する。

 エルウッドは長大で重い千人長ロンギヌスの槍を横薙ぎに振るって、タイラントの頭蓋に喰い込んだままになっていた塵灰滅の剣Asher Dustの峰に横腹から叩きつけた――まるで鏡餅に喰い込んだ包丁の峰を叩いて餅を割ろうとする様に、分厚く重い槍で峰を撃ち据えられた塵灰滅の剣Asher Dustの刃が衝撃でタイラントの頭蓋骨にさらに深く喰い込んで、タイラントがすさまじい絶叫をあげる。

 だがそれすらも致命傷には至らないのか、タイラントが身を起こした――塵灰滅の剣Asher Dustをいったん消して手元に再構築しながら、アルカードが小さく舌打ちを漏らす。

「しぶといな」 小さな舌打ちに続くエルウッドのそのつぶやきにかぶせる様にして、アルカードが指示を飛ばす。

「燃やせ!」 端的なその指示に、周囲の空間に魔術式を展開する――大気魔力の粒子同士がぶつかり合う鈴の音の様な澄んだ音とともに構築された術式に魔力が流し込まれ、物理現象となって結実した。

 同時に太陽の尖塔ピーク・オブ・フレイムの術式が発動し――タイラントの全身が紅蓮の劫火に包み込まれる。

 エルウッドが持っている炎を操る魔術の中でもっとも強力な部類に属する魔術だが、本来はこんな近間で使う様な魔術ではない。それはエルウッド自身が百も承知の上だったが――

 高熱に曝された床の絨毯が発火して燃え上がり、炎の舌が天井を舐め、そのまま天井を這い進んで天井の構造材を焦がす。熱波が壁紙をちりちりと焦がし、火柱にもっとも近い位置の壁紙が煙をあげたあとで燃え上がった。毛足の長い絨毯が燃え上がり、乾燥した絨毯の上を一気に炎が広がってゆく。

 スプリンクラーヘッドをふさいでいた硝子バルブが砕け散り、天井から消火用散水が降り注ぎ始めた。同時に火災報知機の非常ベルがジリリリリリリという耳障りな鐘の音を鳴らし始める。

 頭上から降り注いでくる消火用散水は、十分な水量にもかかわらずタイラントの体を燃やす炎を消し止めることは無い――炎の温度が高すぎて、消火用散水が炎に降り注ぐより早く蒸発させられているのだ。

 とはいえ――それも限度がある。空気中に大量の水蒸気が混じれば、それだけで炎は勢いを減じるものだからだ。

 だがそれも一秒や二秒で起こるというものではない――少なくとも急激に発生した炎によって温められた空気が急激に膨張し、爆風となって押し寄せてくるのを抑えてくれる様なたぐいのものではない。

 だが次の瞬間には、炎を巻き上げながら押し寄せてきた爆風が見えない壁に阻まれたかの様にぴたりと止まった。天井へと伸びていた炎の舌も、ドーム状の障壁に遮られて天井へ届かない。

 呪文の詠唱は聞き取れなかったが、アルカードの防御結界がタイラントの全身を包み込んだからだ。

 摂氏数千度の高熱火炎で全身を焼かれ、炭化してゆく肉体を高い再生能力で維持しようとしながら、タイラントが絶叫をあげる――が、その絶叫も防御結界に遮られてこちらには届かない。

 降り注ぐ消火用散水は防御結界に遮られてキメラには届かず、ドーム状の結界の表面を伝って床に流れ落ちてゆく。

 床の上で転がっても、無駄なことだ――否、あれは床の上で転がって火を消そうとしているのではなく苦痛で悶絶しているのだろう。あるいは気づいていないのか。

 精霊魔術太陽の尖塔ピーク・オブ・フレイムは炎を維持するのに可燃性物質は必要無いものの、支燃性物質は必要とする性質を持っている。魔力は薪など燃料の代用には出来るが、酸素の代用は出来ないのだと言い換えてもいい――そのため太陽の尖塔ピーク・オブ・フレイムの行使には、必ず周囲に酸素などの支燃性物質が必要になる。

 儀典魔術『防壁ウォール』は隙間の無い形状に構築されると、結界の内外を完全に分断してしまう。そのために酸素供給が断たれて、炎の維持に燃料供給は必要無いものの酸素の供給を必要とする太陽の尖塔ピーク・オブ・フレイムの炎はすでに鎮火している――炎自体はすでに鎮火しているが内外の熱の移動を遮断する性質を持つ『防壁ウォール』によって内外が完全に分断されているがゆえに熱は外に逃げず、失われた酸素の供給源も無い。

 キメラの肉体がどれほど強靭であっても、酸素欠乏による窒息に対する脳組織の脆弱さは人間とさほど変わりない。周囲の空気が炎の燃焼によって完全に消費し尽くされたことで呼吸を封じられ、さらに高熱に晒されて全身に火傷を負っている。火傷自体はキメラの復元性能を以てすれば、回復出来ない損傷ではないのだろう――が、修復能力が発揮されるのに不可欠となる酸素の供給は断たれており、したがって回復の見込みも無い。

 あとはこのまま、完全に死ぬまで放っておけば――

 だが次の瞬間、タイラントが三本ある右腕のうちの一本、その手の指先に生えた鈎爪を床に突き立てた。

 文字通り最後の力だったのだろうが――高周波数で振動する鈎爪が床の構造物を粉砕して大穴を穿つ。タイラントはそのままその大穴に転げ落ちる様にして、下階へと姿を消した。

「逃げたか」 小さく毒づいて、エルウッドは千人長ロンギヌスの槍を肩に担ぎ直した。

「追うぞ」 アルカードが言いながら術式への魔力供給を断ち切って防御結界を消滅させ、床に穿たれた穴に身を躍らせる。エルウッドもそれに続いて、階下へと飛び込んだ。

 最上階の床下、つまり下階の天井裏との間に這わされた配管が破壊されたからだろう、ばちゃばちゃと音を立てて大量の水がしたたり落ちている――いずれも上水で、下水が無いことにだけ安堵しておくべきだろう。

 最初にフリーザ様と接敵した客室、披露宴会場のあるフロアの廊下、宴会場。スプリンクラーでずぶ濡れになるのは本日四度目だ――盛大に水を頭から浴びて、まるで脱水が終わった洗濯物みたいになっていた法衣の生地が再びたっぷりと水を含んでゆく。

 トイレの排水をかぶる羽目にならなかっただけ、喜んでおくべきだろう――後ろ向きな気分で自分を慰めながらアルカードに続いて廊下に降り立ち、エルウッドは周囲を見回した――最上階よりもワンランク下のスイートだ。

 最上階が五百平方メートルの部屋を四室用意しているのに比べると一部屋の面積がかなり狭く、そのぶん部屋数が多い。

 それだけ捜索にも手間取るだろう――部屋数が多いということは、それだけ隠れやすいということでもある。大雑把な位置はあれだけの図体だ、隠し様が無くとも、どれだけの遮蔽物があるかわかったものではない。

 厄介なのは、タイラント以外のキメラを駆逐し尽くしたわけではないということだ――タイラント以外のキメラが全員あの宴会場にいたかといえば、そうではない。

 ほかのいくつかある宴会場にいた可能性があるかと問われれば、答えはイエスだ――彼らは壁にへばりついて移動することが出来るから、窓から外に出て廻り込むことも出来る。

その意味では、そもそも部屋をひとつひとつ確認することにすら意味が無い――すでに索敵し終わった部屋に外から侵入されたら、簡単に廻り込まれてしまう。

 極論してしまえば、キメラを完全に駆逐するには、キメラが老衰で死んで種が絶えて絶滅するか、もしくは餓死するまで、最大で四ヶ月前後ホテルを封鎖したままにしておく必要がある――ホテル内の餌を喰い尽くしてしまえばあとは死を待つだけだし、人間の女性が繁殖に必須だから、彼らが老衰で死んでしまうまで誰も入らなければ種は絶える。

 だが――言うまでもなくそれは現実的ではない。

 このホテルは百年以上の歴史を持つ、日本のホテルの顔だ――それがテロリストに襲撃された(対外的にはテロリストに占拠されていることになっている)となれば、日本経済に与える影響は相当なものになるだろう。

 テロリストに占拠されたのはホテルの責任ではないから食中毒を出したほどのイメージダウンは無いだろうが、大量の死人が出たとなれば話は別だ。

 これほど多くの死人が出たとなると、対外的に取り繕うことも難しいだろう――テロリストをでっち上げるのは簡単でも、一晩で数百人が死んだ事実は消えない。

 当然その事態を許してしまった警察にも非難の声が殺到するだろう。警察にとっても受難の時代になるか――胸中でつぶやいたとき、アルカードが足を止めた。

「これは――」

 床に穿たれた大穴を目にして、アルカードが小さくつぶやく。

 エルウッドが目にしたのは、廊下に穿たれた直径四メートルほどの大穴だった――穴は各フロアを次々とぶち抜いて、はるか下の階まで続いている。

 考えてみれば簡単な話ではある。キメラの高い運動性能と成長速度、それに再生能力を支えているのは、常人の数十倍にまで早回しにされた代謝速度だ。それだけ燃費が悪いのだと言い換えてもいいが、つまりキメラは傷を負えば、その治癒速度に見合った栄養とカロリーを必要とする。

 タイラントの母体になった女性の上に死体が山積みにしてあったのは、つまりタイラントの餌だ――あの体格にまで成長させるために、出産直後から十分な食事を摂れる様にあの魔術師はあらかじめタイラントの餌として大量の死体を用意しておいたのだ。

 だがその死体も、食べ尽くす前にアルカードたちとの戦闘が始まったために全部喰いきれたわけではない――なにより、アルカードとエルウッドのふたりを相手にした交戦によってタイラントは手傷を負い、それを治癒させるために大量の食糧を必要とするはずだ。

 つまり――

「奴は食事に行ったらしいな。行くぞ、披露宴会場だ」 そう毒づいて、アルカードが穴から下に飛び降りる。それに続いて、エルウッドも大穴に身を躍らせた。

 一瞬で景色が入れ替わり、彼らは見覚えのある宴会場の床に山積みになった瓦礫の上に降り立った。

 相変わらずスプリンクラーからは大量の水が降り注いでおり、床には水が溜まって絨毯が完全に水没していた。タイラントがぶち抜いた穴は天井裏に碁盤目状に張りめぐらされた配管の隙間を抜けたらしく、幸いというべきか否か消火用散水の勢いは減じていない――否、幸いというべきだろう。スプリンクラーから水が降り注いでいる間は、キメラたちの能力は制限されたままなのだから。

 新郎新婦席近くの壁際にうずくまって、タイラントが手当たり次第に招待客たちの死体を貪り喰っている――周囲には十数体のキメラが群がり、まるで王に供物を捧げる臣民の様に次々と死体をその足元に積み上げていた。

 なるほど、暴君タイラントか――

 さすがに狂王の名を冠するだけあって、タイラントはほかのキメラを顎で使えるらしい。

 カロリーが補給されているからだろう、タイラントが負っていた傷や火傷は猛烈な勢いで修復されつつあった。否、それだけではない――切断された腕までもが生え変わっている。

「あのへぼ研究者の評価を見直すべきかな? 欠損した四肢を接合するんじゃなく、欠損箇所から生え変わる様なキメラははじめて見た」 アルカードがそんなコメントを口にする。

「となると、目玉や鼓膜も回復してると見るべきか」

「つまり、全回復状態で仕切り直しか」 アルカードの言葉に、エルウッドはげんなりと溜め息を吐いた。

 キメラどもはほかの宴会場で殺した人間たちだろう、すでに喰われた形跡のある死体を次々と運び込んできている。逆に言えば、今はこのフロアにほぼすべてのキメラが集結しているのだろう。

 アルカードが挽肉製造機ミンチ・メイカーを引き抜いて、キメラに向かって据銃した――本当は加害範囲の広いエクスプローダーに装填し直したいところだろうが、だらだら時間をかけている暇は無い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る