The Evil Castle 19

「――第三眼瞼がんけん?」

 第三眼瞼は瞼とは別に存在する、もうひとつの瞼の器官である。

 瞼は通常上眼瞼と下眼瞼、要するに上瞼と下瞼のことだが、つまり上下に二枚ある。第三眼瞼とは通常の瞼の内側にあるスクリーン状の瞼で、垂直に開閉する通常の瞼と異なり水平に開閉する様に出来ている。

 第一眼瞼と第二眼瞼の内側にあるために、キメラ学者たちはこれを第三眼瞼と呼ぶ――身近なところでは犬や猫、キツネザル、アフリカ大陸原産の土豚や駱駝、北極圏に棲息する羆の仲間やカモノハシ等に見られる(※)。

 そのほかには爬虫類や両棲類、鳥類などに見られるが、これらの備えた瞼はキメラ学者の間では第三眼瞼ではなく瞬膜と呼ばれる場合が多い――瞬膜という名称自体は目の内側から高速で出てくるためだが、彼らはそもそも第一眼瞼と第二眼瞼、つまり上瞼と下瞼を備えていないため、眼瞼という呼称自体が適切ではないからだ。

 第三眼瞼や瞬膜は眼球を砂塵などの異物から保護するといった防御目的のほか、啄木鳥の様に高速で頭部を前後に運動させる生き物の眼球が眼窩から飛び出さない様に抑えつけると同時に、木を突いた際に飛び散る破片が眼球を傷つけない様に保護するといった役割を果たす場合もある――猛禽類は雛に餌を与えるときに雛の嘴で眼球を突かれない様に瞬膜を閉じるし、ビーバーなどの水棲生物は水中で眼球を保護するために第三眼瞼を使う。北極に生息する熊は雪眼炎、いわゆる雪目にならない様に眼球を第三眼瞼で保護しているし、ハヤブサは獲物を狙って急降下する際に瞬間的に眼球が乾燥しない様に繰り返し瞬きをして潤いを保っている。

 構造は似通っているが、役割は種によってまるで違うのだ。

 猫の場合は、第三眼瞼自体はさほど重要な役割を果たさない場合が多い――第三眼瞼に附着している筋肉が少ないために反応が鈍く、また第三眼瞼の不透明度が高すぎて第三眼瞼を閉じた状態で視程を保てないからだ。

 もっとも、この鎧の中身の場合、第三眼瞼が役割を果たしているかどうかは微妙なところではあった――この鎧の第三眼瞼は不透明度が高すぎる。これではおそらく、第三眼瞼を閉じた状態では視野が確保出来ないだろう。

 おそらくは猫のそれと同様、第三眼瞼自体は機能を果たしておらず、一緒に備えている第三眼瞼腺のほうが重要なのだろう。

 第三眼瞼腺は人間でいえば涙腺に相当する器官で、涙を供給して眼球の保湿を行う。哺乳類以外の生き物は瞬膜で、哺乳類の大半は瞼で涙を眼球に塗り拡げると同時に異物を除去し、角膜の研磨を行うのだ。

 内側の瞼を拡げてみると、こちらは人間のそれに近い眼球の造りであることがわかった――もっとも、やはり細かい構造は違うらしいが。

 わざわざ構造の違う眼球を二対備えているということは、それぞれの対の眼球で役割が違うのだろう。

 おそらく外側の眼は動態視力こそ高いが視力自体は低いので、おそらく左右二対の眼でたがいの欠点を補い合う様になっているのだろうが――

 よっつも目があると、しかもその眼が一対ずつそれぞれ構造と役割が違うと、どんなふうに見えるのだろう?

 首をかしげつつ、ついでに装甲板もひっくり返して調べてみる――顔面を鎧う面頬を裏返して観察するが、よっつ並んでついた眼球の視界を確保するために目のスリットが横に広いこと以外には特に見るべきものは無かった。

 こちらもやはり顔面に直接へばりついているらしく、引き剥がすために刃を入れたせいで金属板の裏側が短剣の鋒で引っ掻かれて傷だらけになっていた。

 とりあえず装甲板を脇に放り棄てて、鎧の中身の胸部を正中線に沿って縦に切開する――胸骨はかなり強固に出来ているらしく、刃が当たったときにかちりと音を立てた。儀式用短剣セレモニアルダガーの刃によって滑らかに切断された真っ赤な肉の切れ目から、ぷつりぷつりと赤黒い血が滲み出てくる。

 派手に噴き出さないのは、首を刎ねたときに切断面から血が噴出して血管の圧力が下がったからだ。

 血の色は赤い――烏賊などの無脊椎生物の中には呼吸色素が銅を主体に造られた青い血液を持つ生物種もあるが、キメラの場合はまず存在しない。人間がベースになっていることが多いからというのもあるが、銅を主体に造られた呼吸色素は鉄を主体に造られた呼吸色素に比べて酸素運搬能力が低い。

 さらに条件によって周囲の水素イオン濃度に影響を受けやすく、たとえばタコやイカなどの場合は海水の水素イオン指数が酸性に近くなると血球の酸素運搬能力が低下する。

 だからだろう、銅を主体にした呼吸色素を持つタコは、長距離を高速で泳ぐことが出来ない――イカの様に海水を取り込んで一気に噴出させることで高速移動することも出来ないので、代わりに墨を吐いて敵の目をくらましてから逃げるのだ。

 正中線に沿って胸部を首元から鳩尾のあたりまで縦に斬り裂き、切れ目の両端を今度は水平に切り開く。そうしてから切れ目に指をかけ、アルカードは箱を開ける様にして大胸筋を骨格から引き剥がした。

 牛肉の塊を掴んだときに似たぐにゃりとした手応えに顔を顰めながら、切開した胸筋の下の骨格を覗き込む。

 胸部の骨格は人間のものとはまるで異なり、肋骨が存在しない――正確には胸骨とつながった肋骨は板状で、上の骨の下に重なる様にして下の骨が入り込むことで蛇腹状になっている。

 胸骨は鋼の様に強固で、断面形状は丁字状になっている。

 丁字の棒の交点の左右の下側に軟骨があり、それを介して肋骨と接続されており、接合箇所を保護しつつ蛇腹状になった肋骨のスムーズな伸縮を維持しているらしい。

 胸骨と肋骨の接合部分に儀式用短剣セレモニアルダガーの鋒をこじ入れて体重をかけると、ばきりという音とともに胸骨が継ぎ目からはずれてきた。

 はずれた胸骨を横によけて内臓をあらわにすると、心臓と肺が異様に肥大化しているのがわかった。

 首を刎ね飛ばされてなお、心臓は生命の兆候を示して早鐘の様に拍動を続けている――もっとも首を切断されたときに大量の血が放出されたために、その拍動にはなんの意味も無かったが。

 心臓と肺が異常に大きく、その代わりに消化器官は非常に小さい。痕跡程度とまでは言わないが胃も消化管もかなり短く、その中で大腸だけが人間のそれとそう変わらない長さだった。

 おそらく食物の摂取自体は必要とするのだろうが、食糧として与えられるのがペーストあるいは液体状のもので、固形物は与えられないのだろう。固形物を消化吸収しないために、胃と小腸の機能は必要無いのだ。面頬の口の部分に呼吸用の丸い穴がいくつも開いていたが、そこから細い管を突っ込んで食糧を流し込むためのものでもあるのだろう。

 異臭を放つ内臓は人間のものと対応する器官もあれば、まったく見慣れない器官もいくつかある。人間にも存在する臓器はどれがそうなのかの判別もついたが、見慣れない臓器についてはどんな役割を果たすのかなど考えても仕方が無いので、考えるのは放棄しておく。

 やっぱりキメラ研究者か――なかなかいい出来だ。

 胸中でそんなつぶやきを漏らし、アルカードは腕組みした。

 胃の構造から察するにこのキメラは拠点防衛用のもので、戦場に戦力として放り込めるたぐいのものではない――食糧が専用のものになるからだ。

 戦場に放り込まれたキメラは敵を殺し、その死肉を喰らい続けることで糧を得る――キメラたちにとって戦闘とは、敵の排除であると同時に狩猟でもあるのだ。

 胴を薙いだ個体が即死しなかったのは、つまり再生能力が高いからなのだろう――首を切断されてなお心臓を拍動させ、生命の兆候を見せる鎧を見下ろして、アルカードはそう結論づけた。甲冑も体の一部の様だが、それも治癒するのだろうか。

 おそらく通常の生物の数十倍もの代謝速度とそれによる再生能力によって、あのしぶとさを可能にしているのだろう――それはつまり生命活動そのものを早回しにされているということでもあるので、寿命もかなり短いのだろうが。

 すでに体内にほとんど残っていない血を循環させようと拍動している心臓に儀式用短剣セレモニアルダガーを突き立ててとどめを刺し、アルカードは鎧をうつぶせにひっくり返した。

 背面の装甲に刃を入れて剥ぎ取り、はずした装甲板を脇に放り棄てる。背中の筋肉を削ぎ取って背骨を剥き出しにすると、脊椎の構造自体は人間のそれとさほど変わらないものの、骨格が鋼の様に強固な構造になっているのがわかった。

 それ以上特に見るべきものも無かったので、アルカードは儀式用短剣セレモニアルダガーの刃にこびりついた血と肉片を絨毯に擦りつけて拭い取り、鞘に納めてから立ち上がった。

 しかし――これだけ騒ぎを起こしたのに、人間の兵士どもがやってこないのはどうしてだ?

 胸中でつぶやいて、アルカードは首をかしげた。表の兵舎は潰してきたから、追加の兵士は来ないだろうが――こいつらがいるから、城内には巡察動哨も立哨も置かれていないのだろうか。

 俺だったら、見回りの巡察動哨くらいは配置するがな――そんなことを考える。

 もしこの鎧が巡回の警備兵と侵入者の区別がつかないのだとしたら――ままあることだ――、活動領域を完全に分断しておく必要があるのかもしれない。ホールの中をうろついていたら、誰彼構わず襲ってくるかもしれないということだ。

 それもそれで生活しにくい気がするが。清掃とか来客とかどうするのだろう。別に王様に忠誠を誓ってフランスにいるわけでもないだろうが、王様が視察に来たときに鎧が王様を殺してしまったらさすがにまずい気がする。

 首をかしげつつ、アルカードは周囲を見回した。ここまで来ると隠密行動もへったくれもないので、とりあえず周囲に視線を向ける。

 温度分布を可視化することで障害物を透過して周囲にある熱源を透視する赤と青の視界の中で、燭台の小さな炎だけが赤い点となってゆらゆらと揺れている――周囲に動く熱源はなにも無い。鎧の反応が無いのは近くにある残りの鎧は空っぽなのか、それとも甲冑が内部の熱を完全にシャットアウトして外に漏らさないのか。

 とはいえ外部に熱を放出する手段が無いというのも、それはそれで生物学的に問題を生じそうだが――胸中でつぶやいて再度実体化させた塵灰滅の剣Asher Dustを鞘に納め、アルカードは書斎から外に出た。

 再びホール外周の廊下に出て、そのまま歩みを進める――外周に配置されている鎧の目の前を通り過ぎても、書斎内の鎧と同様巨大な壁楯と長剣を帯びた鎧は動く様子も見せない。

 鎧の目の前を通り過ぎたところで、アルカードは軽く拳を握り込み――その場で転身すると同時に抜き打ちにした塵灰滅の剣Asher Dustを振るって、かたわらの鎧を頭頂から股下まで一撃で分断した。

 耳障りな音とともに鎧が崩れ、ばらばらになって床の上に散乱する――同時に鎧を飾るために中に仕込んであった帽子掛けみたいな骨組みも左右に分断され、ふたつに分かれてパタンと倒れた。

「――空か。廊下にある鎧はみんなそうなのかね?」 疑問を独り語ちつつ、歩みを再開する――かなりの騒音のはずなのだが、やはり誰も出てこない。

 廊下に限ったことではないが、場内の様子はどうにも彩りに欠ける――城というのは砦であると同時に、権力者の威容を示す権力の象徴でもある。

 それゆえ純粋に防衛拠点としての意味合いしか持たない城塞はともかく、君主の居城は職人や設計者が技術の粋を尽くして壮麗な城を築く場合が多い。

 これは王から封じられた一領主でも同じことで、庶民に自分の威勢を示したり、あるいは王の使者や王本人を迎えるのに非礼が無い様に、居城はそれなりに見端を整えておくものだ。

 たとえ城の主本人がそういったことに興味が無い性質たちでも、これは礼儀作法の問題なのだが――

 不躾だな。

 胸中でだけつぶやいて、アルカードは飾り気の無い廊下を歩きながら目を細めた。ヴィルトール・ドラゴスも華美豪奢より質実剛健を重んじるたちではあるが、この城の中に満ちる雰囲気はアルカードの考える質実剛健とはまるで別物だ。

 そこにいる人間に居心地の良さを感じさせようとする、そういった要素がなにも無い。

「住めば都……とは云うがなぁ」

 そんなぼやきをこぼしつつ、おもむろに扉を開けて部屋の中を覗き込む――部屋の中には調度品はなにも無く、代わりに部屋の中央に珍妙な物体が置かれている。

 どれくらい珍妙かというと、まるで海栗の棘が無数の腕に置き換わったかの様な、なんとも形容しがたい悪趣味な外見をしている。頭部も人間の様な胴体も無く、足は存在せず、代わりに体の下側の腕十数本が体を支えていた。

「こんなもんがある都は嫌だ」 そんな感想を口にして、アルカードは扉を閉めた。

「調度品だったら剥製とか壺とか甕とか、あと絵画とか彫像とか、もうちょっとほかにあるだろう。壁際の甲冑も――おっと、甲冑はもう出てきたな」

 そんなことを独り語ちながら、さらに次の部屋へ――壁の内側に壁際に沿う様にして、背の高い壺が大量に並べられている。

 おそらくは人形のものなのだろうが、まるで生け花の様に壺の中から人間の脚が生えている――悪趣味極まりない光景に思いきり顔を顰めて、アルカードはドアを閉めた。

「ふむ」 今の部屋でホール外周の廊下は終わりなので、いったんホールに戻って二階を見に行かなければならない。そのまま踵を返して、アルカードは背後にあったホールに通じる扉の取っ手に手をかけた。


※……

 北極圏に棲息する羆の仲間というのは北極熊ポーラーベアのことなのですが、北極熊は羆と共通の祖先を持つ近似種です。

 分岐分類的に北極熊は羆にきわめて近いとされており、たがいに交配して生殖能力を持つ子孫を残せることが知られています。

 現代では地球温暖化の影響で棲息圏が変化したためか、北極熊と羆の交雑種ハイブリッドが生まれた例がいくつか確認されています。そちらが顕性遺伝なのか白い体毛を備え、同時に盛り上がった肩と土を掘るための湾曲した長い爪など羆の表現形も受け継いでいます。

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