The Evil Castle 4

 少し体温が下がりすぎている――半端に溶けてシャーベット状になった雪が鎧下に沁み込んで、それがまた体温を奪っていく。

 体温が元に戻るにはしばらくかかるし、食事も必要だ。ここの連中の食糧が無いかと思って周囲を見回したが、どうも備蓄糧食のたぐいは無いらしい。

 まあ、末端兵士の食糧に期待してもろくなものはもらっていないだろう――洋の東西を問わず、世の中なんてそんなものだ。ハンガリー王国から供給されていた携行糧食も、オスマン帝国軍がトゥルゴヴィシュテに運び込んでいた携行糧食も、実にひどい味だった。だが、養父の言う通りだ――どんなにまずくても、食べなければ死んでしまう。

 というか――ウマいとかマズいとかそういうこと以前に、熱の補給源が無かったら死んじまうぞこんな場所。

 嘆息して、アルカードは襷掛けにしていた鞄の中から燻製にした鹿肉を引っ張り出した――あの子供たちを保護する前に野営していた野営地で、一晩かけて燻したものだ。

 血を抜いた鹿肉を塩漬けも乾燥もせずただ燻しただけのものなので、あまり保存性は高くない――さっさと消費してしまうに限るのだが、こんなに早く出番が来るとは思わなかった。

 備蓄糧食のたぐいは無いが調理器具も食糧庫と思しき収納も(空だったが)あったので、ただ単に備蓄糧食を暇にあかせて喰い尽くしてしまっただけなのかもしれない――糧食を深く考えずに消費するのは、自分を追い詰めるだけなのだが。

 だから暇にいて猥談してやがったのか――そんなことを考えつつもとりあえず鍋を一個手にとって、アルカードは焚火のところに引き返した。

 鹿肉は寒さが原因で組織が凍りついて硬くなっており、そのままでは到底食べられたものではない――それに凍った食糧を冷たいまま食べるのは、深体温を下げる原因になるという意味で自殺行為だ。

 吸血鬼は低体温症で死ぬことは無いが、低体温症が原因で行動不能に陥ることはままある。死なないだけに苦しい時間が長く続くうえ、敵が近くにいれば恰好の獲物にもなってしまう。

 片手鍋だったので、三脚を使わなくても火に翳すことが出来る――味つけもなにもしていない肉の切れ端を数枚鍋に放り込み、岩塩を細かく砕いた塩を振りかけて、アルカードは鍋を揺すり始めた。

 油もなにも引いていないので、気を抜くとすぐに焦げついてしまう。一番いいのは鍋自体を低温に保って、徐々に熱を伝えることだ。

 悪魔の外殻クチクラで作った装備品ロードアウトは、焼き入れを施していないので熱に曝しても問題無い――そのため、まあ嫌悪感に目をつぶれば包丁代わりなりフォーク代わりなり、食事用に使うことが出来る。

 脛の装甲に括りつけていた鞘から引き抜いた心臓破りハートペネトレイターを使って肉を何度もひっくり返し、十分に加熱されたことを高度視覚で確認してから、アルカードは鍋を火の上からどけた。短剣の鋒を突き刺して肉を一枚取り上げ、口に入れる。

 体が冷えている状況で暖を取るのに一番いいのは、温かい液体を飲むことだ――食事はあくまで熱に変換する材料を取り込む行為で、熱を直接体に入れる行為ではない。したがって、食事は低体温症の解決には直結しない。

 が、残念ながらここには水が無い。外から雪を集めてきて溶かすという手もあるが、出るのが嫌だったのでやめておく――雪は解けると体積が極端に少なくなるので、十分な量のお湯を手に入れようとするとかなり大量の雪が必要になる。

 あの猛吹雪の中で、何度も往復して雪を集めるのは面倒臭い――その行動が原因で、さらに体温を下げる結果を招くだけだろう。それに体が冷えてはいるが、時間があれば回復する程度のものだ。

 空になった鍋にさらに肉を追加して、アルカードは再び鍋を火に翳した。今度は焦げつくだろうが、まあ仕方が無い。

 案の定鍋に焦げついたことに舌打ちしつつ、アルカードは短剣の尖端で削ぎ取る様にして肉を鍋から剥ぎ取ってひっくり返した。

 二回目の肉も食べ終えたところで、とりあえず人心地ついて息を吐く――鞄もだいぶ軽くなった。

 いったん立ち上がって焚火に背中を向け、両脚の裏側が乾くのを待ってから、再び椅子に腰を下ろす――風の音は相変わらず聞こえてきており、吹雪はやむ気配は無い。

 窓の下に溜まった雪に視線を向けてから、ふと思いついて立ち上がり、窓際に歩み寄る――窓板の上端に蝶番を取りつけ、窓の桟と窓板の間につっかい棒をして開ける一般的な窓だが、窓板の下端から太い氷柱が伸びている。

 アルカードは手を伸ばして氷柱を数本へし折ると、それを壁に直接板を打ちつけて造りつけた棚の上にあった大鍋に放り込み、鍋を焚火の上の三脚に吊るした――雪はいくら溶かしても得られる水の量はたかが知れているが、氷は溶かせばそこそこの量の水が採れる。食糧の消化には水が必要なので、手に入るなら飲んでおいて損にはならない。

 鍋の中で急速に溶けてゆく氷の塊をぼんやりと眺めながら、アルカードはしばらくの間椅子に座っていた――カップ一杯ぶんほどの量の水が沸騰したところで、しばらく冷ましてから手持ちの金属製のカップに移して口をつける。味気ない白湯ではあるが、今の体調では温かい液体はどんな美酒よりも極上のものだった。

 開けたままの窓から、冷たい風が吹き込んできている――しばらくの間吹雪はやまないだろう。

 このまま吹雪が収まるまで暖を取り続けてもいいが、そろそろ出発しないといけないだろう――あまり長いこととどまっていると、再び寒いところに出るのが辛くなる。

 アルカードは手甲をはずして手を伸ばし、三脚のてっぺんに引っ掛けていた布につまむ様にして触れた。元々雪が溶けずに堆積していただけだったので、小屋に入ってすぐ雪が降り払われたためにさほど濡れていなかった布地はこの数十分で完全に乾燥していた。

 それだけ確認して、左手を炎の中に突っ込んで温石を拾い上げる――温度を調整するための布にくるんで懐に収めてから、アルカードは手を伸ばして頭巾にしていた布を手に取った。

 布を頭からかぶり、目の部分だけ出して頭全体を覆う様にして端末を結わえてから、アルカードは立ち上がった。

「さて――」 気乗りのしないまま、小屋の出入り口に歩み寄って外套を手に取る。

 扉を開けて、小屋の外に出ると、吹雪はさらにひどくなっていた。

 霙の混じった湿った重い雪が大量に堆積し、ガスはさらに濃くなって一ヤード先も見えない様な有様で、これでは出発どころではない。

 盛大に嘆息して、アルカードは小屋の中に引き返した――吹雪が収まるまで、小屋の中で待っていよう。

 この調子だと橇沓かんじきがいるな――胸中でつぶやいて、アルカードは材料になるものが無いかと小屋の中を見回した。

 材料になる木はなんとかなる。ちょいとつらいがそこらの角材や、場合によっては小屋の板をはずせばどうとでもなるだろう。乾燥した木材は生木や若木と違って弾性が無いので、湯に漬けて軟らかくする必要がある。湯を沸かすために雪や氷を確保しなければならない――雪を溶かして水を取り出すのは非効率な作業だが、代替手段が無いなら選択の余地は無い。窓の氷柱はもうすべて折ってしまったから、屋根から氷柱が垂れていればいいのだが。

 やれやれ、結局雪集めか――胸中でつぶやいて、アルカードは肉を焼くのに使った片手鍋を手に取った。

 

   *

 

「さて、と――」 変電所から数キロ離れた九十九折りの道路の端で車を止め、アルカードはコートの内ポケットから携帯電話を取り出して番号のひとつを呼び出した。

 まだ人里には程遠いが、別に街まで降りる必要も無い。真っ暗な山の中ではあるが、谷側は大きく視界が開け、生活の営みを偲ばせる人里の明かりが視界に入ってくる。

 夜も遅いが、一コールで相手が出た。

「神田です」

神田セバ、俺だ――遅くにすまんが、首尾の報告だ。目標の建物で吸血鬼と接敵コンタクト、殲滅した――建物も破壊しておいた」 そう告げると、電話の相手が眠そうな口調を改めて返事をしてきた。

「承知いたしました」

「テルミットを使った内爆インプロージョンを仕掛けてきたよ。完全に瓦解してる――山の中だからな、すぐに発見されることは無いだろう。十数年も電力会社からも放置されてる様だから、ことによるとこの先もずっと発見されないかもな」

 テルミットというのは本来アルミニウムで金属酸化物を還元する冶金法や、その際に生じる化学反応のことを指す。

 別称としてアルミノテルミー法とも呼ばれ、またH・ゴルドシュミットにより発明されたことから、ゴルドシュミットにちなんでゴルドシュミット法とも呼ばれる。

 金属酸化け物と金属アルミニウムとの粉末混合物に着火すると、アルミニウムは金属酸化物を還元しながら高温を発生する。この還元性と高熱により目的の金属融塊は下部に沈降し、純粋な金属が得られる。また、この方法は炭素燃料を使用しないため、生成金属には炭素が含まれないという特徴もある。

 化学反応としては、たとえば三価の酸化鉄とアルミニウムの反応では、化学反応によって三価の酸化アルミニウムと鉄を生成するわけだ。

 アルミニウムと金属酸化物の金属のイオン化傾向の差が大きいほど、多量の熱を発生する。

 高熱を発生するために軍事目的では焼夷弾として使われることが多く、現用としてもテルミットに硝酸バリウムや硫黄、バインダーを添加したサーメートと呼ばれる焼夷用に特化したテルミットがTH3焼夷手榴弾の名で米軍で使われている。

 アルカードが使ったのもテルミットの応用ではあるが、加害効果は異なり、厳密にはテルミットそのものではない。と言うよりも、テルミットでは酸化鉄の様な金属をアルミと一緒に使うのだが、アルカードが用立てたのはアルミホイルを丸めて鑢で削ることで取り出したアルミニウム粉末と、それに小麦粉だった。

 テルミットでは駄目なのだ――金属酸化物を使うと、アルカードが意図した効果は得られない。

 第一次爆破によって散布されたアルミニウム粉末と小麦粉は、空気中に飛散した状態で第二次爆破によって点火される――高速の燃焼によって周囲の酸素が消費し尽くされ、周囲の気圧を一気に下げるのだ。

 それによる建物内外の気圧差によって、建物は一気に押し潰されてしまう――外部に大量の破片を撒き散らすことも無く、派手な爆発音もしない。

 これがテルミットなら、派手な轟音とともに建物の残骸を周囲に撒き散らすことになる。

 建物自体を派手に吹き飛ばすのと違って、爆薬が少量で事足りるのもいい――アルカードは構造力学についても訓練を受けたからあの程度の建造物を吹き飛ばすのは造作も無いが、それをしないのにはみっつ理由がある。

 ひとつ、特殊な品物の使用量が少量であればあるほど、耳ざとい人々の興味を引きにくい。

 ふたつ、破片を撒き散らして周囲の道路に証拠をぶちまけることが無い。

 みっつ、大量のプラスティック爆薬をえっちらおっちら運ぶよりは、いくつかのスーパーマーケットで薄力粉とアルミホイルを買い込むほうが怪しまれにくい。

 ちなみにインプロージョンというのは本来爆縮という英語で、建物の力学的な主要構造物、家で言うなら大黒柱を破壊することで内側に向かって自重で崩壊させる爆破方法を差し、爆破解体などで使われる技術がこれに当たる――滋賀県琵琶湖沿いにあった木の岡レイクサイドホテル(通称・幽霊ホテル)が以前爆破解体されたことがあるが、日本で行われたインプロージョンを用いた建造物の解体はそれ以外には日本国内ではあまり事例が無い。そもそもそのレイクサイドホテルの解体も、アルカードの目から見ると失敗に終わっているのだが。

「そう、それと――死体を大量に発見した。標的に拉致されていたらしい女の子だ。腐りかけてるから、蘇生の恐れは無い。車と一緒に置いていく。教会関係者で弔ってやってもらえる様に伝えてくれ」

「承知いたしました、ドラゴス師。ところで首尾は?」

 その言葉に、アルカードは電話のこっち側で適当に手を振った。

「あー、ダメダメ、全然駄目だった――奴は付け焼き刃の魔術を刷り込まれて好き勝手やってただけで、なにも知らなかったよ」

「そうですか、わかりました――すでに教会の手の者がそちらの位置を捕捉しています。車を置いてそこから離れてください」

「了解、と――」 軽妙に返事をしてから通話を切って携帯電話をポケットにしまい込み、アルカードは運転席のドアを開けて外に出た。山の中の清浄な冷たい夜気が、埃だらけの変電所の空気にさらされた肺の中を洗っていく。

 すでに九十九折りを上ってくる数台の車が見える。あれが教会関係者だろう。アルカードとしてはあまり彼らと顔を合わせるわけにはいかない――この国で活動する教会の工作員の大半は『ヴィルトール教師』が吸血鬼だと知らないので、主に情報保全上の理由だが。彼らを適当に遣り過ごして山を下り、ホテルに戻って帰る準備をする。

 ホテルには彼の私用車があるから、それに荷物を載せてフェリーなり高速道路で帰る――明日の夜までには十分帰りつけるはずだ。

 せっかくの土日はお化け退治で潰れたか、とアルカードはひとつ溜め息をついて――ガードレールを乗り越え、斜面に身を躍らせた。

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