Dance with Midians 25

 

   *

 

「ライル、細かいのは任せた。俺はあのデカブツをやる」

 ライル・エルウッドにそう言い置いて、彼のぞんざいな返事を聞き流しながらアルカードは前に出た。

 先ほどガーゴイルの打擲から救い出した少女が、こちらの背中を視線で追っている。なにか服でも貸してやりたいところだが、三十七キロもあるコートではなんの役にも立つまい。

 救い出したときにプラスティック製のタイラップは切断しておいたから、逃げようと思えばいつでも動き出せるはずだ。もっとも、あの小型のガーゴイルの群れに入り口を塞がれている以上、すぐに逃げ出すのは不可能だろう――すぐに逃げ出されても、それはそれで困る。

 出来ればふたりの少女たちは記憶を消したうえで解放したいというのが、アルカードの本音だった。

 教会によって支配の魔眼ドミネーティングと名づけられた彼の魔眼の能力は、実際にはさほど使えたものでもない――アルカードの魔眼の能力は他人を自分の命令に服従させる能力だが、相手が強い心理的抵抗を感じる命令に服従させるのは難しく、場合によっては拒絶によって錯乱することすらある。

 そういったリスクを伴わない使い方ではせいぜいがこちらに注意を集中していない相手の気をそらしたり、あるいは頼み事を普通に頼めば聞いてくれる相手に頼む過程を省略する程度のことしか出来ないが、アルカードは別段それに不便を感じていなかった。

 どのみち、普段は魔眼など使おうと思ったことも無いのだ――自分の身内に魔眼を使う気にはならないし、口で頼めば望みを叶えてくれる相手に魔眼の形でその作業を強制するのも馬鹿馬鹿しい。

 問題はこういったケースの場合だ――彼の魔眼は出力を抑えていた場合相手がはっきりこちらを探していたり、あるいは騒動が起こって注目している様な状況では効果が無い。記憶を消す様な使い方も難しい――彼の魔眼は記憶喪失を引き起こすのではなく、思い出すのを禁止することしか出来ない。

 彼女たちが受けた辱めを思えば、その記憶は強烈に残っているだろう。さんざんな凌辱を受け、あのデザインセンスゼロのカニ型ガーゴイルも目撃し、あれだけ多くの人間が目の前で虐殺されていく光景を目にしたのだ。

 印象インパクトは強烈なものだろう――それを魔眼の能力で強制して様にさせるのは、到底不可能だ。本来の出力でことを強制すれば、彼女たちは壊れてしまうだろう。

 となると、教会の医療班に引き渡す手配をするしかないか――聖堂騎士団にはアルカードやエルウッドの様な『現場組』を支援するための専門のチームがあり、民間人負傷者の回収と治療、痕跡の糊塗や偽装、情報操作、死者の葬儀などを請け負っている。

 彼女たちに降りかかった災厄は気の毒ではあるが、吸血鬼被害としては珍しいものではない――彼らに引き渡せば、カウンセリング等も含めて万全のケアをしてくれるだろう。

 そんなわけで、あのふたりにはとりあえずおとなしくしていてもらわなければならない――まあいずれにせよ、エルウッドの結界がある以上彼女たちはこの建物から外には出られない。放っておいても問題は無いだろう――そう判断して、アルカードは足を止めた。

 巨大なコンクリート製のカニが、地響きを立てながら向きを変えてこちらに向き直る――床が抜けなければいいのだがと、アルカードは思った。まかり間違って地下駐車場のゲレンデヴァーゲンが下敷きになろうものなら、帰りの足が無くなってしまう。

 どうでもいいが悪趣味な造形だ。本来のガーゴイルというのはそもそもが悪魔像だし、そういう意味では醜悪であることはガーゴイルの第一条件だと言える。

 だが恐ろしげであることと、単に不格好なのは別物だ。

 魔術的な意味でのガーゴイルとゴーレムの違いは完全に自律して行動するか否かだけで、別に姿形は関係無い。無いのだが――まあ、質量が大きいぶん一撃一撃の破壊力が大きいことは認めよう。

 ガーゴイルはゴーレムの様に低級霊が制御するわけではなく、魔術師の『式』によって構築された制御プログラムによって動いている。ゆえにいったん込められた魔力が完全に使い果たされるまでの間、与えられた命令に従って完全に自律して動作する。

 したがってあらかじめ命令を『式』に書き込んでおけば、術者がいちいち命令を下す必要は無い。

 いわゆるゴーレムとの最大の差異は、ゴーレムに比べてサイズや重量の制限が緩いことだ。

 ガーゴイルは魔術によって制御され、内部に蓄積された魔力を動力源にして動いている。そのためにそのパワー・ソースの一部を割いて構造材に魔力による補強を施すことが出来、物理的な耐久性がゴーレムに比べて高い。全身に緩い魔力強化エンチャントが施されている様なものだ。金属や鉱石などの大質量の物体で出来たガーゴイルであっても、自重で瓦解する心配が無い。このために大型化が可能になったのも特徴であると言える。

 当然物理的な強度の向上は、外部から加えられた攻撃に対する耐久力としても現れる。先ほどチンピラどもが発砲していた自動拳銃、たぶんコピー品のトカレフだろうが、あれが命中したときこのカニはコンクリートの砕片をほとんど撒かなかった。

 拳銃弾の直撃程度では、ダメージにもならないということだ――まあ当たり前の話だ。なんの霊的効果も無く、対物狙撃銃アンチマテリアルに使用される大口径弾の様な圧倒的な初速と質量を持つわけでもない拳銃弾で魔力強化エンチャントされた物体を撃ったところで、そのダメージなど装甲板を指先でつつくのとさして変わらない。とはいえ対物狙撃銃アンチマテリアルを撃ち込んでも、表面を削る以上の被害が見込めるとも思えないが。

 そしてその逆は――カニの脚の一本に胴体をぶち抜かれた吸血鬼化した一体が塵に変わっていくのを確認して、アルカードは目を細めた。

 微弱とはいえ魔力強化エンチャントを施された脚でぶち抜かれたために、霊体を破壊されたのだ。

 魔力強化エンチャントの強度や霊体に対する破壊力はさほど大きくないだろうが、なにせ大きさが大きさだ。魔力強化エンチャントによって鋼鉄をも凌ぐ強度を持ったコンクリートの塊が繰り出す一撃は、受け方によってはいかに最上位の吸血鬼たるヴィルトール・ドラゴスの肉体であっても藻屑の如くに粉砕されることを免れないだろう。

 だが――

 ガーゴイルが唯一残った左の前脚を薙ぎ払う――薙ぎ払われた前脚の一撃を後方に跳躍して躱し、アルカードは唇をゆがめた。

 どんなに大質量の一撃も、当たらなければなんの意味も為さない。

 バックステップした足で床を蹴って、アルカードは一気に間合いを詰めた。振り抜いたまま再び逆方向に振るわれた鈎爪を躱して、カニの左側に廻り込む――左脇を駆け抜けながら左側の脚を片端から斬り落とそうと剣を振るうと、一本目の脚は容易く斬り裂けた。

 もとよりあらゆる霊体構造を侵蝕破壊する機能を持つ霊体武装塵灰滅の剣Asher Dustとその遣い手であるアルカードにとって、大量の魔力を常時供給されていない消耗型の魔力強化エンチャントなどなにほどのこともない。

 使用者がみずから接触して使いながら施す武器や防具といった装備品の魔力強化エンチャントは魔力の供給源が直接使っている以上、理論上その補強は使用者の力量の範囲内であれば時間にも強度にも制限は無い――あくまでも本人の技量によるので出力には限界があるし、そもそも使用者の魔力容量キャパシティに限界がある以上、それが無限を意味するわけではないのだが。

 だが術者が自分の手持ちの装備品に対して行う魔力強化エンチャントは術者本人が魔力供給が不可能になるほど消耗するか、もしくは無力化されない限り、理論上いつまででも強化を続けることが出来る――持続時間や事後の消耗といったリスクを度外視すれば、ごく短時間ながら通常とは比較にならないほどの強度を持たせることも可能になる。

 だがこのカニの魔力強化エンチャントは、魔力供給源を使い果たしてしまえばそれまでだ。先述したとおり、ガーゴイルは体内に動力源となる魔力を蓄積し、これをパワー・ソースにして動力と各部の補強をまかなっている。一定の量しかない魔力で動力源を確保しつつある程度の時間筺体の魔力強化エンチャントを維持し続けなければならないから、おのずと出力にも限界が生じる。

 このカニ型ガーゴイルはいわば電池で動いている様なもので、その電池の電力が各部の補強と動力供給をまかなっている状態だ。すなわち稼働時間と魔力強化エンチャントの強度は反比例する関係にあって、両立させることは出来ない。

 一定の稼働時間を確保し、その間にわたって魔力強化エンチャントを維持し続けようとすれば、その補強強度には一定の限界が出てくる――要するに動けば動くほど、否ただ突っ立っているだけでも消耗していくので、放っておいても勝手に止まるだろう。

 だがそれに何時間かかるかわからない以上、やはりここで破壊しておかなければならないだろう――放っておいても止まるのは止まるのだが、だからといってこのカニをこのまま放置して帰るわけにもいかない。

 ガーゴイルには二種類あって、パワー・ソースの再充填が可能なタイプと不可能なタイプに大別される。

 正確には相違点はガーゴイル本体ではなく、それを構築する魔術式のほうにあるのだが――魔術式がガーゴイルをただ作るだけのものか、それともガーゴイルが術式の近くまで移動するとパワー・ソースになる魔力を補充する機能を備えているかどうかの違いだ。

 前者の場合、ガーゴイルは魔力を使い果たした時点で停止する。

 後者の場合、ガーゴイルのパワー・ソースになっている魔力はそれを構築した『陣』に戻ることで再充填される――ロボット掃除機、ルンバの様なものだ。ガーゴイルは今回の様に敵地にそのまま放り出すこともあるが、本来は拠点防衛用の魔道兵器ディヴァイスなので、本来定位置からあまり離れることは想定されておらず、動作の永続性も必要になるからだ。

 ルンバの場合の充電クレードルがつまり床にあるあの円陣のことだが、この場合はあの円陣に魔力供給源としての機能は無い――円陣がルンバの充電クレードルの様な役割をするためには、地脈から魔力を吸い上げてガーゴイルの動力に使える様に変換する魔術装置と接続する必要があるからだ。ルンバに喩えるなら、コンセントにつなぐ交流電源A Cアダプターだ。

 この建物に魔術装置が設置されている様な気配は無いので、あのカニはが空になればそれで機能を停止する。

 あのカニは自身の巨体を維持するために、常に魔力強化エンチャントを全身に這わせ続けている――携帯電話の液晶をつけているだけでバックランプで電池が減っていくのと、まあ似た様なものだ。まったく動いていなくても、ただそこにあるだけで魔力は消耗してゆく。

 したがってただ放置しておくだけでも、そのうち勝手に止まるのだが――ガーゴイルの魔力容量がどの程度のものかわからない以上、停止するまで適当に引っ掻き回すのも現実的とは言い難い。

 それに、ガーゴイルは魔力を使い果たしても筺体が消滅しない。もし出先で力を使い果たして止まったら、コンクリート製のカニ型ゴーレムの筺体がそのまま残るのだ。痕跡としてはあからさますぎる。

 余計な死傷者を出すのは趣味ではないし、教会的にも痕跡を必要以上に残すのは嫌がるだろう。

 ゆえに――余計な被害と痕跡を出さないためには、ここで破壊してしまうのが最上の手だ。

 だが一本目の脚を紙の様に容易く斬り裂いた一撃は、二本目の半ばまで喰い込んだところで止まった。

 一本目はさほどではなかったというのに、こちらは一本目に比べてかなり硬い――否、この感触はコンクリート製の脚の中に、比較にならないほど硬い異物が混じっている。魔力による補強は対象の強度に左右されるので、内部にある構造物を斬り裂けずに止まったのだ。

 ――鉄筋か!

 ガーゴイルはいわゆる石像から造られたもののほかに、そこらにあるものをベースに造り上げたものも存在する――このカニ型ガーゴイルは後者で、このタイプのガーゴイルは魔法陣が描かれた場所の物理的構造を模倣して構築される――この建物が鉄筋コンクリート製なら、内部に鉄筋を取り込んでいる部分があってもおかしくない。

 魔力強化エンチャントは物体の表面しか補強出来ず、かつ対象の硬度で補強強度が変化する。剣で斬り込み、鉄筋で構成された箇所が傷口から露出した瞬間、そこが魔力強化エンチャントで被覆され瞬時に強化されたのだ。

 塵灰滅の剣Asher Dustを半ばまで喰い込ませたまま、ガーゴイルがこちらを振り払おうと脚を振り上げる――小さな舌打ちを漏らし、アルカードはいったん剣を手放して後退した。

 どのみち塵灰滅の剣Asher Dustを回収しようと思えば、一度消して再構築するだけでいい――相撲取りの四股の様に振り上げられ、そのまま振り下ろされてきた脚の尖端を、さらに後退して躱す。

 轟音とともに叩きつけられた脚の尖端は、しかしコンクリートの床を砕いてはいない。

 今脚の尖端が床に衝突したその瞬間、の床が轟音とともに激光を放つのが見えた――先ほど吸血鬼化したチンピラが発砲した、トカレフの銃弾を弾き返したときと同じだ。入力された衝撃を音と光に変換して放出する、魔力強化エンチャントの純白の光だ。

 そうか――

 あの円陣だ――あれがガーゴイルを作り出すと同時に蓄積された魔力を使って魔力強化エンチャントを行い、この建物の構造物を補強しているのだ。巨体のガーゴイルが床を踏み抜いて、追跡者にあっさり破壊されない様にするためだろう。

 ということは、床を踏み抜いて体勢を崩すことを期待しても無駄か――塵灰滅の剣Asher Dustを再構築しながら、アルカードは小さく毒づいた。

 そしてあの術式がいつまで持つかわからない以上、あまり時間はかけられない――カニを破壊するより先にあの術式がガス欠になったら、その瞬間に魔力強化エンチャントの効果が失われてしまう。そうなったらこの建物の床は、あのカニの自重になぞ到底耐えられまい。

 ずしんずしんという音を立てて建物を揺らしつつ、カニがこちらに向き直る。

 うなりをあげて振り下ろされた前脚、本物の蟹になぞらえれば第一脚の鈎爪に、アルカードは逆袈裟に斬り上げる軌道の一撃を叩きつけた――もとよりアルカードの膂力は、この程度のコンクリート細工に引けは取らない。

 だが、問題はそれだけの力で以て撃ち込んだにもかかわらず、この第一脚を斬り飛ばせないことだった――どうやら最初に斬り飛ばしたもう一方の第一脚、そちらはコンクリートだけで出来ていたのか斬り込み始めてから完全に切断するまで感触が変わらなかった。

 だがこの逆側の第一脚の鈎爪には先ほど切断し損ねた第三脚と同様鉄骨が仕込まれているらしく、コンクリート部分は切断出来てもその奥の鉄骨までは切断出来なかったのだ。

 甲冑程度の鉄板ならともかく、魔力強化エンチャントされた鉄筋か――

 重い風斬り音とともに振り下ろされた一撃を躱して、側面に廻り込む――再び脚を斬り飛ばそうとしたが、腕にすがりついてきた何者かによって中断せざるを得なかった。

 見下ろすと、それは先ほどのガーゴイルの攻撃からなんとか逃れたらしいチンピラたちのひとりだと知れた――吸血鬼ではあるが、下僕サーヴァントではない様だ。こちらに向かって発砲してきた男と似た様な格好だし、少女を嬲り者にするのに参加していたから、下僕サーヴァントの仲間が彼に血を吸われて下位個体になったのだろう。よほどの恐怖を感じているのか、ズボンの内腿がアンモニア臭を放つ液体で濡れている。

「頼む、助けてくれ――死にたくねぇ!」

「知るか馬鹿。邪魔だ、どけ」 みっともなく涙を流してすがりついてくるチンピラの体を、アルカードは一片の同情も感じないまま容赦無く蹴り剥がした。

「そ、そんなぁ……」

 恐怖におびえて再びすがりついてこようとする様はひどく哀れを催した――だろう、その相手が特に悪事を働くでもない普通の一般人であれば。

 たまたま持った力をかさに着て子供をいたぶり回し、揚句に自分が危険に晒されると泣きついてくる、その被害者意識丸出しの態度が逆に癇に障って、アルカードは男の体を再度蹴り剥がした。背後にあったボールリターナーの機械に背中から激突し、激しく咳き込んでいる男に向かって、

「貴様らがあの娘らにしたことはなんだ? ほかに何人にそれをやった? そもそもここを溜まり場にしてなけりゃ、こんなのに巻き込まれたりしてねぇんだよ、間抜け。自業自得だ――強姦魔がどうくたばろうが俺の知ったことか」

 話している間に、鈍重な動きでカニがこちらに向き直る。せっかくの攻撃の機会を馬鹿に邪魔されてふいにしたことに舌打ちして身構えたとき、カニの口に相当する部分がぱかっと開くのが見えた。

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