Dance with Midians 20

 

   *

 

 片腕を切断された敵がぐるぐると獣じみたうなり声をあげながらかがみこんで、仲間が取り落とした移植鏝を拾い上げた。もうひとりは九-六-四で倒されたときに手放した小刀の代わりに床の上に転がっていた大型の円匙ロパタを拾い上げて、長剣よろしく正眼に構えている。破壊してやった肘関節は、完全に治癒しているらしい――このぶんでは九-六-四を決めたときにへし折ってやった肋骨の痛みで、動きが鈍ることも期待出来なさそうだ。

Uuuu――ryyyyyyyyyyyyウゥゥゥゥ――リィィィィィィィィィィッ!」 金切り声とともに、ふたりの敵が――否、家人であることがはっきりした以上敵と呼んでいいものかどうか――床を蹴る。

 先に襲いかかってきた男が振り下ろしてきた円匙ロパタを、ヴィルトールは横に体を投げ出す様にして躱した。躱し様に両脚を絡める様にして足を捕り――そのまま前方につんのめらせる様にして転倒させる。

 技に入るために手放した長剣が床の上でからんと音を立て、転倒した敵が投げ出した円匙ロパタがガラガラと音をたてて床の上を滑っていき、壁に当たって止まった。

 転倒の瞬間、靭帯の切れる音とともに男が短い悲鳴を発した――三-十-四は相手の足元に飛び込んだり、あるいは攻撃を躱し様に相手の脚を自分の両足で挟み込む様にして倒す技だ。その性質上、倒れたときよりも倒されるのをこらえようとしたときのほうが膝関節や靭帯を損傷する可能性が高い。

 とどめを刺しておきたいが――それ以上のことをしている暇は無い。

 そのときにはもうひとりの家人が、すでに間近まで接近してきている。

 これで完全に仕留められるかどうかわからないが、すぐには動けないだろう――いずれにせよ、一対一になりさえすればあとはどうでもいい。

 立ち上がっている暇は無い――突き込まれてきた園丁用の鏝の刃が頬をかすめ、傷口に砂が入って痛みが走る。

 刃もついてねえ園丁鏝で切れるのかよ――小さく毒づいて、ヴィルトールはぎりぎりのところで押しのけた園丁鏝から飛び散った土が視界をかすめるのに顔を顰めた。床に膝をついたまま片足を踏み込み、攻撃者の鳩尾に肘を埋め込む。

 げぇ、と踏み潰された蛙の様なうめき声をあげて、攻撃者の体が前方に泳ぐ――ヴィルトールは床に膝をついたままその場で転身し、園丁鏝を突き込んできた攻撃者の腕を捕って担ぐ様にして投げ倒した。

 高さが無かったために受け身を取れないまま頭から床に落とされ、家人が床の上にうつ伏せに倒れ込む――ヴィルトールは右脛に装甲板の上から括りつけて固定した鞘に納めていた格闘戦用の短剣を抜き放ち、その鋒を頭部への衝撃ですぐには動けないらしい相手の後頭部へと突き立てた。

 その場で立ち上がり、再び立ち上がって突っ込んでくる最後のひとりに向き直る。突進を牽制するために装甲の隙間から引き抜いた投擲用の短剣を投げつけ、ついでヴィルトールは床を蹴った――短剣を躱すために横跳びに跳躍した攻撃者に向かって、先ほど落とした長剣を拾い上げて一気に殺到する。

 攻撃者が跳躍から着地するよりも早く、なにかに躓いてそのまま転倒した――最初から狙いをはずして投げた短剣が、壁に跳ね返って火花を散らす。

 最初から、若干狙いを横にずらして投げていたのだ――相手がとっさにでも、逆に跳ぶよりもそちらに跳んだほうが確実に、楽に避けられると判断する様に、かなりあからさまに。

 彼が躓いたのは、先ほど串刺しにして斃した園丁の遺体だった――床に倒れ込んで壁に派手に頭をぶつけ、小さくうめく彼に向かって長剣を振り下ろす。

 なにがあったのかはまだわからないが――だが、せめて一撃で死なせてやるのが情けというものだろう。

 一撃で首を斬り落とすつもりだったが、彼は先ほどのヴィルトールと同じ様に床の上で転がってその攻撃を躱した。それでなくともろくに手入れもしないまま激戦をくぐり抜けてぼろぼろになった長剣が石造りの床と衝突して傷むことを恐れたために、剣速を抑えていたことが原因だ――いつもの感覚で振り下ろしていれば、躱す間も無く首を落とせていたのだが。それが失策だったことを自覚して、小さく舌打ちする――跳ねる様にして飛びかかってきている攻撃者に向き直ったときには、すでに遅かった。掴みかかられ、床の上に押し倒される。

 ごん、と後頭部を床に打ちつけ、視界の中に火花が飛び散った。

 右手で顔を抑えつけられ、石造りの床の上に押しつけられる――狂気の様相を呈した敵の唇の端から甲冑の胸部装甲の上に涎がしたたり落ち、ぽたぽたと音を立てた。

 ゲオルゲと同じだ。まるで三十日も水しか飲んでいなくて餓えに苛まれた獣が獲物を目にしたときの様な、狂気を孕んだ食欲が視線に満ちている。

 なんなんだ、これは……!?

 小さくうめいて、左手で太腿の装甲をまさぐる――剣を手にした右手は抑え込まれているものの、左手は自由なままだ。

 装甲の隙間に仕込まれた鞘から引き抜いた刺殺用の短剣を、ヴィルトールはろくに狙いもしないまま攻撃者の下腹部に突き立てた。あまり深くは刺さずに引き抜いて、すぐに腹へと突き直し、最後は右脇から肋骨の隙間を通して胸郭に刺し入れる。

 おそらくその一撃は、心臓には届かなかっただろう――右脇から心臓までは遠いし、左腋から刺しても刃渡りが短すぎてそこまでは届かない。

 だが――次の瞬間、攻撃者が電撃に撃たれた様に体を硬直させた。鎧徹の柄頭を、そのまま掌で押し込んだのだ。

 鎧徹は針の様に細い短剣で、手元を守る鐔や護拳のたぐいを備えていない。鐔や護拳のたぐいは相手に剣で迎え撃たれたときに手元を保護すると同時に、突き刺したときに深く突き刺さりすぎない様に止める役目も持っている。それを持たない鎧徹は、突き刺したあと柄頭を掌で押したり足で踏んだりすることで柄の先端まで完全に傷口に押し込める様な造りになっている――代わりに場合によっては回収出来なくなるが、必要に応じて刃渡りに加えて柄のぶんの長さだけ鋒を体内に押し込める様になるのだ。今抜いた短剣の長さは――視認していなかったので――わからないが、彼の装備する刺殺用の短剣はもっとも短いものでも刃渡りが小指の長さの二倍程度で、柄の長さもそれとほぼ同じ。つまり、小指四本ぶんの深さまで鋒が届いたことになる――押し込んだときに角度が変わっていなければ、確実に心臓に届く。

 仮に心臓をはずしても、肺は間違い無く貫通している――肺から喉に上った血のせいで嗽の様な水音の混じった悲鳴をあげながら、馬乗りになっていた敵が体をのけぞらせた。頭を床に抑えつけていた手が離れ、右手も解放される。

 同時に両腕で上体をずらして馬乗りになっていた攻撃者の体の下から足を抜き、ヴィルトールはそのまま胸元に全力で蹴りを叩き込んで敵の体を蹴り剥がした。

 剣は手放して、その場で跳ね起きる――ヴィルトールはそのまま床を蹴り、引き剥がされてよろめいている攻撃者に向かって殺到した。

Woooaraaaaaaaaaaaaaaオォォォォアラァァァァァァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに敵の頭を右手で掴み、ヴィルトールはそのまま彼の体を床の上に押し倒した――掴んだ頭を床に後頭部から叩きつけ、同時にその胸元に膝を落とす。

 グシャリという厭な感触とともに後頭部が砕け、敵の体が大きく痙攣した――同時に体重を乗せた膝が敵の胸骨を粉砕し、巻き添えで折れた肋骨が無事だった肺や心臓、心臓周りの動脈を滅茶苦茶に傷つけたのだ。

 動かなくなった相手が、やはり間違い無く自分の知っている相手だったことを確認して――小さく息を吐く。

 どうなっているのかもわからない――原因がわからない以上対処のしようが無いし、襲われたら排除する以外に方法も無い。

 ふと思いついて、ヴィルトールはかがみこんで今しがた殺した屍の首筋に触れた。水分がいくらか飛んでぬめりけの強くなった血に塗れた首筋に、しかしゲオルゲの首筋にあった様な傷跡は無い。

「……?」 眉をひそめて脇腹に突き刺したままの短剣を引き抜き、すぐ近くにあった腕を斬り落とされた死体のかたわらに歩み寄る。かがみこんで同様に首筋を探ると、こちらは首筋にふたつの小さな穴が穿たれていた。

 突き刺したままにしていた短剣を回収する作業を兼ねて全員の首筋を検めると、五人のうち三人は首に大量出血の痕跡があるにもかかわらず首筋の傷跡が無いのがわかった。

 傷跡のある奴と、無い奴がいる……?

 床に転がっていた長剣を拾い上げる。刃を矯めつ眇めつしてみると、人間の肩を叩き割る様な荒い使い方をしたためにかなり傷んでいるのがわかった――すぐに折れる様なことは無いだろうが、それでなくてもここ数ヶ月ろくに手入れもしていなかったのだ。もう長くはもつまい――胸中でつぶやいて長剣を鞘に叩き込み、ヴィルトールは歩き出した。

 廊下の角は立ち回っている間に過ぎていたので、そのまま歩を進める――鼻を突く生臭い錆びた鉄の臭いに、彼は顔を顰めた。

 ひどい血臭だ――おそらくそう離れていないところに、複数の死体がある。

 そう判断して、ヴィルトールは長剣の柄を握り直した。

 この先にあるのは調理場のはずだ。

 雑貨屋の店主の家の中の状況から判断する限り、この異変は夕餉の時間よりも前に起きている。夕餉の食器の支度はされていたし、鍋の中で芋のスープが作りかけの状態だったから、本当にその直前の時間帯だ。なにしろ人数が多いので、準備にも配膳にも時間がかかる。

 となると、ここにいるのは料理人一家あたりだろうか。

 亭主のボグダンと妻のクララ、上の娘のディアナ。園丁の老人の長男との間に、ウジェーヌという名の孫がひとりいる。

 彼が出征するときには、ウジェーヌはやっと半年になったばかりだった――よく笑う様になってきた小さな赤子に指を掴まれて、それが思ったより強い力だったことに驚いたのを覚えている。

 夜泣きがひどくて家人がみんなそれで起き出し、ボグダンたちが家族そろってよく恐縮していたものだ――そんなときはたいてい、すわ盗賊か夜襲かと起き出して武器を手にとって屋敷中を走り回り、赤ん坊の夜泣きだと気づいて拍子抜けしてから、寝台に戻って夢の続きを見るのが通例だったのだが。

 厨房を覗き込んで、ヴィルトールは小さくうめいた。ひぅ、という厭な音が喉から漏れる。視界が暗転する様な厭な感覚に、今気が遠くなりかけているのだと自覚する。強烈な嘔吐感に口元を抑えて抗いながら、ヴィルトールはその場で膝を突いた。

 まだそれほど時間は経っていない――噎せ返る様な血の臭いに混じって、なにかが焦げて炭化するひどい臭いが漂ってきている。それが竈にかけられたまま薪が燃え尽きるまで放置された鍋の内容物が焦げついている臭いなのだということは、見なくともわかった。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 これをやった者は、いったい彼女にどんな恨みがあったのだ?

 ほかの者たちの姿は見当たらない――喉の奥から熱いものがこみあげてきて、彼はその場で嘔吐した。昼過ぎに森の中で捕まえて食べた兎の肉が、ほとんど溶けかけた状態で胃液とともに床を汚す。

 汚れた口元を手甲で乱暴に拭い、ふらつく足取りで水甕に歩み寄る。さほど離れていないところを流れているコレンティナ川から汲んできたものと思しい水が、半分ほど使われないまま残っている――毎朝汲んできて、余ったぶんは庭に植えられている植物に撒くのだ。

 彼もよく水汲みに参加した――養子だからと遠慮していると思ったのだろう、周りの大人は幼い彼が使用人の指定と一緒に働くことをよく止めようとしたものだ。体を動かすことを楽しんでいるのだと理解してからは、誰もなにも言わなくなったけれど。

 甕に残った水を手で掬い、彼は一気に嚥下した。

 壁に手をついて、調理台の上に仰向けに転がされたディアナへと歩み寄る。

 ディアナはひどい有様だった――それをやった者が面白半分にそうしたのか、首が捩じれて頭が背中を向いている。体にはほとんどなにも身につけていない――空白の時間の間になにがあったのかは明白だった。

 よほど激しく抵抗したのだろう、何度か殴られて顔が腫れ、頬を鼻血が伝っている。胸のふくらみの頂点には、頂の突起を食いちぎらんばかりに深々と喰い込んだ歯形が残っていた――皮膚が避けて歯列がその下の肉に喰い込み、出血した痕跡がある。内腿を伝い落ちる凌辱の痕跡に、ヴィルトールは目をそらした。

 一番恐ろしい想像は、これをやったのが家人だということだった――ディアナを襲った惨劇をもたらしたのが『敵』、ゲオルゲの言葉を借りればドラキュラ公爵だが、もしであるのならば、町の雑貨屋の遺体が同様の目に遭っていないのはおかしい。

 つまり、これをやったのは公爵ではないことになる。

 となれば、この家にいた者がディアナに対してこんな所業を働いたということだ。

 屋敷に仕えている者は皆知っている――女性を無理矢理に辱める様なことを、良とする様な者はいない。いないはずだ。

 だが――考えまいと努めて、ヴィルトールは首を振った。

 すっかり乾いた涙と血で汚れた顔に手を伸ばす。汚れを拭ってやる布の一枚の持ち合わせも無い――数日前、ルステム・スィナン率いるイェニチェリと騎兵の混成部隊との決戦前に、仲間の矢疵の手当てに使ってしまった。見開かれたままの瞼だけをそっと閉じてやり、ヴィルトールは踵を返した。こんな状態のまま放置していくのは可哀想だが、だがだからと言ってここに留まっているわけにもいかない。

 厨房の出入り口から周囲に視線を投げ、ヴィルトールは歩き始めた。

「……若様?」

 数歩歩いたところで背後からかかった声に、ヴィルトールは戦慄しながら振り返った。

 いつの間に背後に立っていたのか、しわくちゃの顔の半分を髭に埋もれさせた庭師の老人が剪定鋏を手にたたずんでいる――先ほど厨房で死んでいたディアナの夫、それに先ほど斃したひとりの父親だ。

「ヤコブ? 無事だったのか? いったいなにがあったんだ、ほかの者は? ラルカはどうし――」

 そう言いながら老人に歩み寄ったとき、不意に老人の手が翻った。目にも止まらぬ速さで突き出された園丁鋏を、膨れ上がった殺気で読んでなんとか回避する。

「……おまえも――」

 ゆっくりと見開かれた老人の目が紅い――紅い。

 ざり、という靴底が床をする音が背後で聞こえ――反射的に横に体を投げ出す。側転する様な動きで体勢を立て直すと、背後から飛びかかってきていた太った女性が目標を失って踏鞴を踏んだところだった。

「……ローゼ」

 ゆっくりとこちらを振り向く女性――屋敷で一番古株の女性使用人だ――を見据えて、名を呼ぶ。薄暗がりの中で爛々と輝く深紅の瞳がすっと細められ、その口元に一瞬笑みが浮かんだ様に見えた。

「ほかの者はどうしたのかと聞いとられましたな、若様」 酷薄に目を細めて、ヤコブがそう言ってくる。

「ウジェーヌは捕まえ損ねましたわ。ボグダンとクララはそこらに転がっとります。ディアナは――掴もうとしたはずみで服を破いてしもうたら、ずいぶんと抵抗されましてな。おとなしくさせるために殴ったら、えらくおびえまして――泣き喚く様が面白うなってきましたので、少々堪能いたしました」

 では、ディアナのあの有様は――

「貴様か――貴様の仕業かぁッ!」 憤激に顔をゆがめ――ヴィルトールは床を蹴った。

 老人に殺到し、一撃で首を刈らんと剣を振るう。しかし老人は信じられないほどの反射速度でその一撃をくぐり抜け、側面に廻り込んできた。

 速い――!

「若様――私ども、少々喉が渇いておりましてな」 戦慄とともに小さくうめいて振り向くより早く、老人がそう言ってくる。

「若様の血で、喉を潤させて戴きたい」 その言葉とともに――ようやく老人の顔が入り始めた視界を、老人が顔めがけて突き出してきた園丁鋏の先端が埋め尽くした。

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