Dance with Midians 12

「おかえりなさい、あ・な・た」 犬のおまわりさんのアップリケのついたエプロン――雇い主の老夫婦の上の孫娘が家庭科の実習で作ったものをプレゼントされて、無碍にするわけにもいかないので使っているものだ――をつけたエレオノーラが、玄関先で体をくねくねさせながら甘ったるい声をあげる。

「ご飯にする? お風呂にする?」

「おい」 氷点下の眼差しを向けるアルカードに向かって、心底楽しそうにエレオノーラは続けてきた。

「そ・れ・と・も――」

「早く帰れ」 冷たい声で遮って、アルカードは靴紐を解きにかかった。

「あ、ひどい。せっかく先に食べずに待ってたのに」

「やかましいわ」

 どこで覚えてくるんだ、そんなアホなことを――

 胸中で愚痴りながら、深い深い深ぁい溜め息をついて、投げ遣りな口調でそう答える――靴箱の上に置いてあるカーボンファイバーの下地が剥き出しになったヘルメットの横に、紙切れが一枚残っているのを目にして、アルカードはそれを取り上げた。

「あ、それ、さっき宅急便が来たの。タカスナ酒造って会社から」 アルカードがノッてくれないので悪ふざけはやめにしたのか、エレオノーラが素の口調で言ってくる。

 彼女の言った通り、それは箱から剥ぎ取られた宅急便の送り状だった――発送元は北海道旭川市の酒蔵で、冷蔵便の扱いになっている。

「惜しい、タカサゴ酒造が正しい」

 ふうんとあまり関心無さそうにうなずいて、エレオノーラはアルカードが手にした送り状を取り上げた。

「日本語って難しいわよね」

「語彙が豊富なのはいいことだ」

 そう返事を返して、脱いだ靴の靴紐を靴の中に入れて土間の隅に寄せる。

「少ないよりはな」 

「クール便だったみたいだから、開けて冷蔵庫に入れといたけど」

「ああ、助かる」 うなずいて、アルカードは上がり框に置いてあったブーツを取り上げて足を入れた――ここには賛否両論あるのだが、アルカードは室内でも靴を履く習慣がある。

 ただし土足ではなく、室内履き専用の綺麗な靴だが――非常時にベッドから飛び出してすぐに行動出来るからで、彼は同じ理由で寝間着も着ない。

 床のフローリングが傷むからという理由で、床はすべて海外で使う靴文化向けの毛足の短い絨毯を敷き詰めてある。

 リビングに足を踏み入れると、彼らがプレイしていたのがソニック・ザ・ヘッジホッグではなく発売されたばかりのモンスターハンターの新作なのだと知れた。ポーズをかけられたままのテレビ画面を見遣って、顔を顰める――なぜテレビを消さない。

 胸中でつぶやいて、アルカードは硝子テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを取り上げて電源ボタンを押した。テーブルの上に放置されたビールの空き缶とおつまみを見て、溜め息をつく。

 配管工とは別に、某スタイリッシュアクションの三作目も置いてある――これはDVDと一緒にテレビ台の棚に置いてあった、アルカードの持ち物だろう。

「ああ、悪い。ちょっとやってみたかったからそれ借りた」 こちらの手にしているパッケージに気づいて、フリドリッヒが言ってくる。

「ああ、それはいいけど。でもおまえ、これをやるならちゃんと一作目からやらないと駄目だろう」

「二作目は駄作の評価が高いんじゃなかった?」 エレオノーラの言葉に、アルカードは思わず声をあげた。

「2様を馬鹿にするんじゃねぇッ! 2には2の良さがあるんだッ!」

「なんでそんなに声荒らげるほど好きなんだよ」 エレオノールの鼻面に指先を突きつけているアルカードをやる気の無い眼差しで見ながら、心底疑問に思っている表情でフリドリッヒがそう言ってくる――そうよねえ、とエレオノーラがうなずくのを捉えながら、アルカードは彼女に突きつけていた右手を下ろした。

「そんなに好きなら、アルカードもお店開いたら? Vampire May Cryとかそんな名前で」 軽やかに身を翻して、エレオノーラがキッチンに歩いていく。それを見送って、アルカードは溜め息をついた。

「うるせーよ。メイン顧客がヴァチカンだけになっちまうだろうそれ」

「アルカードにも双子の兄弟とかいたら面白かったのに」 湯気の立つ鍋をテーブルに運びながら、エレオノーラが言ってくる。

 某スタイリッシュアクションゲームのパッケージをソファーの上に放り出しながら、アルカードは胡乱気に眉をひそめた。あいにくと、彼には血のつながらない養父の実子以外に兄弟はいない。

「なんだそりゃ」

「そしたら、貴方とその兄弟でこう、ねえ?」

 鍋をテーブルに置いて、エレオノーラがこちらに歩いてくる。

 大体手順が出来ていたのか、フリドリッヒがそのかたわらに並んで、ふたりしてあさっての方向に指鉄砲を突き出した。

今回だけおまえにつきあってやるI'll try it your way for once

 低く抑えた声でそんな事を口にするフリドリッヒに、エレオノーラがこう続けた。

決め科白を覚えてるRemenber what we use to say?」

 その言葉に――どんどん温度を下げていくアルカードの視線から逃れる様に目をそらしながら――フリドリッヒが笑みを浮かべる。そしてふたりは、一度離れてからかっこつけて指鉄砲を構えると、

「Jackpot」

「おまえらなあ……」 こめかみを指で揉んで、アルカードは嘆息した。実際のところ兄に近い存在はいるのだが、あいにくこんな風にふざけ合う様な間柄ではない――人生の九割以上を費やして、互いに殺し殺されるために剣を交えてきた相手だ。

 突っ込むのも面倒臭かったので、アルカードは小さく息をついてふたりに視線を投げた。

「まあいいや、アンが来る前に用意を――」

「Jackpot」

「……おい、おまえら」

「Jackpot」

 はあ、と溜め息をついて、アルカードは一歩足を踏み出した。

 

   †

 

「お邪魔しまーす……あれ?」 靴を脱いで勝手知ったる青年の部屋に上がり込み――リビングに入ったところで、友人ふたりの頭を鷲掴みにして宙吊りにしているアルカードの姿を目にして、アンは小首をかしげた。

「なにしてるの?」

「たいしたことじゃない。ちょっとした――」

 いつになく冷たい口調でそう答えて――アルカードは宙吊りにしたふたりに氷点下の眼差しを向けた。

「――躾だ」

 言いながら――何気に相当な力が込められているのか、フリドリッヒとエレオノーラが足をばたつかせながら悲鳴をあげる。それを無視して、アルカードが冷たい声を出した。

「で――言い残すことは?」

「ぎゃあああ! 痛い痛い痛い!」

「ごめん、悪かった! 悪かったからやめてえええっ!」

 アルカードがふたりの体を床に降ろす――涙目になっているエレオノーラとフリドリッヒを見下ろして、アルカードは深々と嘆息した。

「まったく――だいたいあれだ、俺にそんな悪ふざけをする様な兄弟なんかいねえよ」 というぼやきの意味はわからなかったが、アルカードはそれ以上なにも言わずにキッチンカウンターの前に置かれたパイン材のテーブルの椅子に腰を下ろした。

「――で、なにしてたの?」

「虐待よ」 真面目くさった顔でそう言ってくるエレオノーラに、金属製のタンブラーに烏龍茶を注いでいたアルカードが冷たい視線を向ける。

「矯正が足りなかったか?」

「ごめんなんでもないの今聞こえたのは幻聴だから全部忘れて」

 一気にそうまくし立ててくるエレオノーラにはかまわずに、アルカードが深皿に鍋の中身をよそっている。

 どうやら献立はボルシチらしい。さっきまで寒風吹き荒ぶ中にいた身としてはありがたい。

 よっつめの深皿に中身を盛ろうとしたところで、アルカードは手を止めた。

 NickelbackのFlat On The Floorが、テーブルの上に置いてあった彼の携帯電話から流れ出したのだ。携帯電話を取り上げて発信者を確認すると、アルカードはアンに視線を向けた。

「悪い、先に食べててくれ」 そう言って、彼はこちらの返事も待たずにリビングから出て行った。

 

   †

 

 寝室に入ってパソコンデスクの椅子を引いて腰を下ろし、アルカードはまだ鳴っている携帯電話の通話ボタンを押した。

「俺だ」

「リッチー・ブラックモアです」 数年ぶりに耳にする若々しい声に、アルカードは少しだけ口の端を緩めた。

「久しぶりだな、香港には無事に着いたか」

「はい。何事も無く」

「それは重畳――仕事のほうは?」

「幸いなことに、今のところなにも――今は情報待ちの状態です。二週間ほど滞在して、なにも起こらなければ帰ります」

「そうか。まあ、奴も俺が撃破した個体以外に下僕サーヴァントを増やす時間的余裕は無かっただろう。仮に余裕があっても、絶対数はさほど多くはないはずだ。仮にいたとしても土地が狭いから、すぐにおまえが気づくだろうしな。ところで、ほかの奴らは元気にしてるか?」

「はい。全員変わりありません。ところで、そっちの仕事は?」

「こっちか」 小さく息を吐いて、アルカードはかぶりを振った。

「さっき帰ってきたところだ。なんとも言えん――帰ってくるなり強盗事件に巻き込まれるあたり、幸先は悪そうだ」

 電話口の向こうで、その言葉にブラックモアがくつくつとくぐもった笑いを漏らす。

「それ、あれじゃないですか? 名探偵の孫体質」

「じっちゃんの名に懸けて――か? やめてくれよ、それあれだろう? 行く先々で事件が起こる、疫病神の証明じゃないか」

 思いきり顔を顰めてそう答え、アルカードは溜め息をついた。

「ま、いずれにせよ、こっちは装備が手元に届くまでは動けん――否、動けるには動けるが、まだ情報が無い――敵もまだ日本に着いていまい。俺がもう到着した旨と、出港した貨物船の行き先を調べて知らせてほしいと伝えておいてくれ」

「はい。装備は午後に発送されてます。いったんヴァチカンを経由して、外交行嚢で近日中に手元に届くでしょう」

 その言葉にそれと、アルカードは目を細めた。パソコンのディスプレイを兼ねたテレビに手を伸ばし、電源を入れながら、

「ほかになにか連絡事項は?」

「今のところは。携帯で出来る内容だと、こんなところです」

 溜め息をついて、アルカードは足を組み直した。電話の向こうから、若い女性の声が聞こえてくる――美玲メイリンの声ではない様だ。

 ご飯だそうです――そんな声を聞いて、アルカードは適当に肩をすくめた。

「リッチー?」

「はい」

「俺のほうも早いところ食べちまわないと、飯冷めるから切るわ。またなにかあったら連絡を頼む。そっちの奴らによろしく伝えておいてくれ」

「はい。それじゃ」

 通話が切れた携帯電話をベッドの上に放り出し、アルカードは立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る