第4章 更なる悪影

39 深き森の狩人(1)

「――魔物どもに、村の子供たちが連れ去られた」


 場所は村の教会前の広場。傷ついた人々が集められる場所に部隊の怪我人たちを運び込み、一息ついてからのことだった。

 暗い顔のクレイオスから、そんな悲報がもたらされたのは。

 よそ者ということで村人には遠巻きにされていたが、今はそのほうが都合が良いだろう。話し合いに余人は入れたくなかった。まして、貴族の暗い顔など見せられようはずもない。

 そんな環境下で、モイラスは弱々しい舌打ちを零し、口を開く。


「ふん……勢い込んで真っ先に村へ飛び込んだのだろう。貴様はいったい何をしていたのだ」

「返す言葉もないな。目につく魔物を片端から倒していたら、いつの間にかこんな事態になっていた」


 貴族の口を衝いて出たのは、目の前の戦士をなじる言葉だった。部隊の損耗、そして周囲の悲惨な現状を見て、思わず己の責任の重さから逃れたくなったが故の、恥知らずの言動。

 しかし、クレイオスは緩く首を縦に振り、彼の責める言葉を正面から受け止める。己の不徳を認め、本気で恥じていた。

 自身より年若い青年のそんな姿勢に、モイラスは今度こそ恥じ入るように視線を逸らす。一言の口撃よりも、胸の奥の罪悪感を容易く暴かれるようだった。だが、そうして自己の内側で思い悩んでいる場合ではない、と貴族の男はすぐに意識を切り替える。

 紅蓮の髪の下の翡翠の瞳を見据えて、モイラスは問いかけた。


「詳しい情報はないのか」

「魔物どもはよほど急いでいたらしい。死んでいる大人には目もくれず、逃げそびれた生きている子供を捕まえて逃げていったんだという。恐らく、連中の体躯で抱えて走ることができるのが子供だったということなのだろうが……とにかく、まだ子供が生きている可能性は高い。殺す手間も惜しいだろうからな」


 モイラスの問いに、クレイオスは淡々と答える。だが、その瞳には焦りと怒りが渦巻いており、今すぐにも飛び出していきたいのを抑えているようだった。

 そんな彼へ、自分の大斧を検分していたエスカペオスからも問いが投げられる。


「そこの貴族ノービリスと同じこと聞くようだがよ、テメエはこっちで何してたんだ? あれほどの強さなんだ、ただ小鬼ゴブリンどもをなぎ倒してただけじゃあるめえよ。まさか、攫われるのを指をくわえて眺めてたわけじゃねえだろ」


 鉱人族ドヴェルグから投げかけられたのは、純粋な疑問だった。あの赤い魔物の一撃を真正面から受け止めるほどの豪傑が、村で何をしていたのか。

 己の行動を問われていると理解したクレイオスは、耳慣れぬ呼称に首を傾げながらも答える。


「ゴブリン……あの小さいの魔物のことか。俺もあの赤い魔物と戦い、重傷は負わせたが――逃げられた。すぐに追ったが、その小鬼ゴブリンどもに足止めされて、その間に見失ってしまった。村の魔物を掃討しながら探している内に、お前たちの様子が見えて、急いで駆け付けたんだ」


 と、紅蓮の青年は一瞬だけ背後の四人――ディル、イドゥ、テティス、テルナを見やった。

 敷かれた藁の上に眠る彼らは、この村の治癒司祭の治療を受けられたことでどうにか生き延びている。だが、その顔色は依然として蒼く、死相がへばりついて離れない。

 けが人は彼らだけではなく治癒司祭の力にも限界があるため、受けた治療は最低限なのだ。現在、他の村の治癒司祭を呼んでいるので、それまでの延命でしかなかった。

 そんな彼らの様子にクレイオスは心を痛めるも、それ以上のものを表情に出しはしない。彼らよりも村を優先したのは己なのだから、その結果を正面から受け止めるだけだ。

 青年の視線の先をチラ、とだけ見やった鉱人族ドヴェルグもまた、短く鼻を鳴らしただけ。すぐにクレイオスの方を向き、考え込むように呟く。


「ふうん、なるほどなァ。となると、少なくとも赤くてデケエ奴も生き残って逃げてるってわけか。野垂れ死んでたらいいが……そうはいかねえだろうなぁ」


 先刻の戦いを思い出したのか、髭面を渋面に変えてエスカペオスは面白くなさそうに舌打ちを漏らした。胸に大穴を開けてもなお斧を振るった化け物なのだ、重傷を与えたとはいえ気がかりとなるのも無理はない。

 弓の調子を確かめていたアリーシャも、クレイオスに問いを投げる。


「痕跡は? これまでみたいにあちこちに逃げられていたら、追うなんてとても無理よ」

「いや、どうやら今回はそういうわけでもないらしい。俺たちの存在によほどパニックになったのか、別の意図があるのかは知らないが、どの痕跡も北に向かっていた」

「北、ね……」


 太陽もほとんど沈む中、真っ暗な北の空をアリーシャは仰いだ。

 これまで集めた情報とは違い、魔物たちは一方向に向けて逃げている。追跡は容易であり、急げばもしかしたら子供たちの奪還も可能かもしれない。

 今すぐにでも飛び出したいクレイオスだが、それでも足を踏み留めているのは――モイラスの存在があるからだ。

 先刻の、村へと単独で突っ込むことが出来たのは目的が明確であり、部隊と村がそれほど遠くはなかったから。だが、どこへ向かっているのか、どれほど離れているのかもわからない魔物たちを追跡するには、部隊のリーダーであるモイラスを蔑ろにはできなかった。

 クレイオスは俯く貴族に向き直る。


「モイラス」

「――ふん、わかっている。魔物どもを、追いたいのだろう」


 だが、その気先を制するようにモイラスはため息を漏らした。その言葉が少しばかり意外であった故に、クレイオスは小さく目を見開く。

 そんな青年に、少しだけ艶を失ったブロンドの髪を撫でつけながら男は確かに頷いて見せた。


「行くがいい。目の前で子供を連れ去られたというのに、何もしないでいては貴族の沽券に関わる。だが……そう、このままここを護りもないまま放置することも許されん。故に、貴様とアリーシャのみで追え」


 あっさりと出された許可に、クレイオスは思わずアリーシャと顔を見合わせる。彼女もまた、貴族の男の様子がおかしいことに気付いていた。

 つい先日まで、調査のみに専念するようにしてきた男とは思えぬ言葉なのだ。提案はしてみるが、許可されないと二人ともが思っていたほど。

 そんな頭の固い男の表情には、どこか困惑の色が滲み出ていた。モイラスは目を伏せながら、言葉を探すようにゆっくりと口を開く。


「……本来ならば、斥候としての我々の役割は十分に果たしたと言えよう。むしろ、この情報を何としてでも持ち帰らねばなるまい。その為には、単独でかの赤い魔物と対峙した貴様クレイオスの存在も重要となる。ここで魔物どもを追うべきではないと、わかってはいるのだが――」


 そこで一度、視線を宙に彷徨わせる。自分でもよくわからぬ思考を探るように黙り、それから青年の翡翠の瞳を真正面から見据えた。


「――そう、あのまま放置してはならぬと、そんな気がしているのだ」

「わかった。任せてくれ」


 モイラスのような男が発するには、あまりに曖昧な発言。しかし、それにクレイオスはハッキリと理解したように大きく頷いた。アリーシャもまた首肯し、調整していた弓を肩にかける。

 却って面食らったような表情になるモイラスに、クレイオスは迷いなく背中を向けながら言葉を投げかけた。


「俺にも何が正しいのかはわからない。ただ、その判断だけは間違っていないと思う」

「……フン、一丁前に言いおって」


 不器用な青年の、不器用なりのエール。クレイオスが不安を和らげようと考えたのかはモイラスにはわからないが、それでも貴族は皮肉げな笑みを浮かべることができた。

 そんな男を見て、鉱人族ドヴェルグは髭面を歪めて愉快そうに笑った。







 半月ルーナの輝く下で、暗い平原を二人の狩人が駆けていく。

 先頭をクレイオスが走り、その後ろを遅れまいとアリーシャがついていく形だ。

 二人の追う痕跡――大量の足跡は、月の明かりだけでも充分よく見える。速度をほとんど落とさずに追えるほどであるため、今の二人は下手な駄馬よりもよほど早く平原を駆けていた。

 先述の通り、既に太陽神ソールは彼方に没し、月女神ルーナが顔を出すくらいには時間が経過している。それだけの時間を北上した二人の視界には、星々ステラの煌く夜空と――その下半分を喰らう、底なしの真っ暗闇が存在していた。

 それの輪郭は木々の群れの形をしており、よく目を凝らせば森であるとどうにか看破できる。太陽の輝きすら飲み込む暗い森が、どうして星の輝きで照らされることがあろうか。そう、暗闇の正体はカリオンの眼前からずっと広がる、森人族アールヴの森だ。

 その森へと真っ直ぐ続いていく痕跡に、アリーシャは不安を隠せない。クレイオスもまた、森の周囲の人間に恐れられる森人族アールヴというものにどういう感情を抱けばよいのか決めかねていた。

 それでもそんなことで足を止めるわけにもいかず、二人は無言のまま暗闇の森へと近づいていく。

 近づくにつれ徐々に速度を落とし、足元を突き出た木の根に引っかけられないようにしながら、やがては森に差し掛かり――ついに、足を止めた。

 痕跡は森の中へ確かに入っていっている。何かを引きずっているような跡もある。間違いなく魔物どもはこの森の中に居るのだ。ならば、足を止める理由にはならない。

 故に、二人が足を止めたのには別の理由があった。

 森に差し掛かった途端、意識を圧迫するような濃密な存在感が狩人の知覚を刺激したのである。言い換えるのならば、それは『殺気』というものだろう。

 思わずクレイオスが槍を握り込み、アリーシャが背中の弓に手を伸ばして構えるほど。獣のソレや魔物のソレとは比べ物にならない、「それ以上進めば必ず殺す」というメッセージを孕んだ“怒り”なのだ。

 そんな意図を発する存在について二人は論ずるつもりはなく、また必要性もなかった。すぐに下手人が思い当たる。

 この森に住まう者――森人族アールヴ以外にはありえないのだから。

 無視してもいい、だが、そうなると戦いは避けられない。ならば、二人に出来るのは呼びかけることだけだった。


「森に住まう者よ、木々を愛する者よ、どうか聞いてほしい。先刻、この森に魔物モンストルムが入っていったはずだ」


 濃密な存在感を放つ木の一本に向けて、クレイオスは大きな声で話しかける。

 居場所を見破られた故か、それとも話の内容を聞くつもりになったのか、僅かに殺気が揺らいだ。

 それを感じ取り、アリーシャもまた声を張り上げる。


「奴らは私たち――土人族ヒューマンの子供たちを攫っているの。私たちはそれを何としてでも取り返したい、取り返さなければならないわ。だから、ここを通してほしい」

「――ならん」


 彼女が懇願し、頭まで下げた言葉に、意外にも返事があった。

 バッサリと切り捨てる言葉と共に、木の上から人影が音もなく降りてくる。するりと着地し、二人の前に姿を現したのは、細身の男だった。

 土人族ヒューマン鉱人族ドヴェルグではありえない端正な美を体現した顔立ちに、左右に尖った耳。深緑の瞳と背中まで伸びる同色の長髪。

 簡素な革の鎧を身に纏いながらも無骨さは微塵も感じさせず、それどころか川の流れのような自然な振舞いからは優雅さというものが感じられた。

 これが、森人族アールヴ

 想像とはまるで違う現実の異種族に、クレイオスは思わず面食らって黙り込む。そんな彼を訝しげに睨みながらも、森人族アールヴの男は弓に矢を番えた状態のまま言葉を続けた。


「何人たりとも、我ら同胞以外の森への侵入は認められん」

「そんな……こっちは子供が連れ去られているのよ!」

「知ったことではないな」


 突き放す物言いにアリーシャがカッとなって詰め寄るも、男は無慈悲に弓を向けて森へ入ることを拒絶する。

 向けられた鏃に思わず半歩引くアリーシャを背中に庇いながら、クレイオスは森の奥を見やった。

 星の光すら吸収する木々の葉によって奥を見通すことはかなわないが、それでも音はよく反響して聞こえてくる。

 戦いの音だ。


「何人たりとも通さない、という割には、魔物は通しているようだな」


 クレイオスからしてみれば純粋な感想であったが、聞いた側はそうは受け取らなかったらしい。ピクリ、と端正な眉を反応させ、深緑の瞳でジロリと紅蓮の青年を睨み付ける。


「直に全てを掃討する。数だけは多かったが、我々の敵ではない」

「ならばいいが、そうなると子供はどうなる?」


 クレイオスもまた、翡翠の瞳で森人族アールヴの男を見据えた。対し、男は鼻を鳴らして酷薄な笑みを浮かべる。


「言ったであろう。『知ったことではない』、とな」


 ピリリ、と。

 二人の間の空気がひりつくのを、アリーシャは敏感に感じ取る。そこでようやく、理解できた。

 この森人族アールヴは、本当に自分の種族以外の全てがどうでもいいのだ。森に入りさえしなければ、という言葉はつくが。

 そうなれば、既に森に入ってしまった子供たちは? 答えは簡単だ。殺してしまえば全て解決する。

 アリーシャもまた、そっと矢筒に手を伸ばす。森人族アールヴとの敵対も本気で考えなければならなくなった。

 二人の覚悟と敵愾心を感じているのだろう、笑みを浮かべる森人族アールヴの腕に力が篭もる。

 一触即発、張り詰めた戦意が際限なく膨張し、破裂したその時が開戦の幕開けだろう。

 そんな予感を得た両者が、己の得物を強く握りしめたところで――別の方角から、圧倒的な殺意が爆発した。


『ヴ オ オ オ オ ォ――――ッッッ!!!』

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