27 商隊護衛(5)

 初めて目にする緑の異形に、迎撃に意気込んでいたディルの動きが完全に停止する。馬車を支えにどうにか立ち上がっていたイドゥも言葉を失っていた。それは襲撃者の姿を確認せんとしていた商隊キャラバンの面々も同じ。

 故に、唖然とするディルを狙って容赦なく放たれる矢の群れに対し、誰しもの反応が遅れた――ということはなかった。

 駆け馳せる疾風。紅蓮の髪をなびかせ、思わず見やった誰かの視界に赤き幻像を引きながら、クレイオスが一直線にディルへと疾駆する。

 忘我する彼目掛けて射られた矢の全てを躱すため、クレイオスはぶつかるようにディルの革鎧の首根っこを引っ掴んだ。そしてその勢いのまま、引きずるようにして射線から逃れるために数歩分だけズレる。

 結果、二人の真横を死の雨が通り過ぎていくも、誰の命もとることはなかった。

 そんな脅威が間近に迫ったせいか、それとも引っ掴まれた勢いで一瞬首がまずい角度になりかけたせいか――思わず我に返ったディルが咳き込みながら「だ、だすがった……」と感謝を述べる。

 それに短い返事を寄越しながら、クレイオスは燃える薪に照らされる魔物モンストルムどもを睨み付ける。緑の異形たちは矢を番えんとしながら、不気味に声も上げずにニタニタと笑っていた。

 しかしその弓矢の腕はお粗末なようで、連中の居る場所と野営地は想像していたより遠くない。少なくとも、アリーシャが本気を出した時の命中距離の半分であろう。

 だが問題となるのは、その弓矢を扱うのが魔物であること。かつて相対した蛇人間は、一本二本の矢くらいものともしない生命力と頑丈さを持っていた。同じ距離で戦う場合、こちらが不利になりやすいのだ。

 ならば、自分が速攻をかけるべきか、とディルから手を離しつつ、クレイオスが『狩り』へと思考を傾けるのと同時。

 連続で空気を破裂させる、炸裂音。

 耳慣れたソレが鳴り響くのと同時に、鋭い何かがクレイオスの視界の端を一瞬で通り過ぎる。

 直後、何かを頭部に喰らった異形が三匹、一斉に後方へと吹き飛んだ。

 一回、二回と派手に転がってから停止した連中の狭い額から生えているのは、一本の矢。頭部半ばまで貫いたソレに力なく手を伸ばし、しかし掴むこともできずにそのまま三匹が息絶える。

 ちら、とクレイオスが後方を見やれば、そこには矢を放った姿勢のアリーシャがさらに三本番えんと矢筒に手を伸ばしているところだった。すぐさま行動に移せたのはクレイオスだけではない、カーマソス村で蛇人間と戦った経験のあるアリーシャもまた、迅速に反撃したのだ。

 クレイオスがアリーシャを見やったのと同様に、アリーシャも彼を見据えている。二人の翡翠と常盤の視線が一瞬だけ交錯し、お互いの意図を悟って同時に首肯した。


 刹那、足元のディルに「ここは頼む」と告げ、クレイオスは大地を踏み砕いて野営地を飛び出す。

 或は平原を駆けまわる駿馬よりも疾い健脚が、反射的に止めるディルの言葉すら置き去りにして、クレイオスの身体を一直線に異形のもとへと肉薄させた。

 見据える先で、クレイオスを迎撃せんと弓を投げ捨てて背中の斧やら剣やらを手に取る異形の数は、九匹。矢で迎え撃とうとしない辺り、知能はかなり低いと見えた。

 その上、アリーシャの矢の一射で絶命する脆さ。かつての蛇人間ほどの脅威性はないのかもしれない、とクレイオスは暫定的に判断を下す。

 故に、背中の槍を抜く――神罰を受けてでも商隊を護るという覚悟をひとまず捨て置いて、代わりに黄金の篭手で拳を作った。

 そして、半神半人アモルデウスの身体能力を活かし、爆発的な加速を発揮して一気に接近。異形どもの眼前に躍り出る。

 ここぞとばかりに一斉に突き出される剣やナイフを、地面を蹴飛ばして宙へ身を躍らせることで回避。空中でひらりと身を翻し、異形の群れの背後に着地しながら周囲に素早く視線を巡らす。

 暗闇に隠れた気配は――ない。ならば目の前の群れを仕留めて終わりだ。

 そんな余裕を見せるクレイオスへと、振り返った異形の一匹が勢いのまま斧を振り下ろす。

 大狼の顎ですら傷一つつかなかった篭手の頑丈さを信じ、青年は斧へと裏拳を叩きこむことでその一撃を弾き飛ばした。が、しかし、クレイオスはそれによって右手にはしった衝撃に、僅かな驚愕を覚える。

 子どもぐらいの背丈から繰り出されたとは思えぬ一撃の重さ。土人族ヒューマンの大人が勢いよく斧を振り下ろしたのと同等の威力に、やはり目の前の異形は魔物モンストルムであると確信を深めた。

 だが――たかが・・・土人族ヒューマンの成人男性程度の力、クレイオスの敵ではない。蛇人間の方がまだ一撃が重かった。

 そのパワーの違いは、既にひとつの戦果を挙げている。

 攻撃に使ったはずの斧が、異形の手の中で無数の破片に変わっていた。その有様を目撃した緑の異形の瞳が醜く見開かれ、間髪入れずにその眉間にクレイオスの振り上げた右脚の爪先が突き刺さる。

 革靴ブーツの先端が骨身を砕く感触を感じながら振り抜けば、その異形は勢いよく野営地の方へと吹き飛んだ。頭蓋を砕かれて絶命したソレの末路を見届けぬまま、残る左足だけで地面を蹴飛ばして跳躍。クレイオスの脚を切り裂かんと下段に薙ぎ払われたナイフと剣を見事回避し、紅蓮の青年は空中で身を捻りながら右脚を小さく折り畳む。

 その畳んだ脚を引き絞り、全力で解放すれば、その足先は放たれた鞭の如き弧を描いた。

 直後、異形の一体の頭部へと吸い込まれた破壊的な威力の蹴撃は、破裂した柘榴ざくろを生み出して一つの生命を終わらせる。

 血飛沫ちしぶきを撒き散らしながら、クレイオスは落ちる身体を左手で支えるように地面に着地。腕の関節だけで全体重を滑らかに受け流し、そしてその腕一本で地面と反発させるように跳ね上げ、再度宙へと身を躍らせた。

 今度は少し離れた後方へ退避し、足から着地して素早く身を屈める。直後、頭の上を狙いの雑なナイフが風を切って通り過ぎ、背後の闇夜に消えた。

 瞬く間に仲間を二匹も殺された異形どもは、着地を狙った投擲すらも避けられてようやく危機を認識したのか、「ギギィ……ッ」と悔しげな表情を浮かべながら耳障りな鳴き声を発している。

 だが逃げるつもりは毛頭ないらしく、手の得物をそれぞれ構えてクレイオスへと一斉に突撃せんとしていた。


 しかし、愚か。命を脅かすのは、クレイオスだけではない。二匹が殺されるよりも前に死んだ仲間が居たことを忘れたか。


 直後、風を切る音と同時に三匹の異形がクレイオスの方へと吹っ飛んだ。明らかに後方から攻撃を受けたのを理解して、残る全ての異形が思わず背後――野営地を振り返る。

 そこには、やはり弓矢を構えるアリーシャの姿。クレイオスと距離が開いた瞬間を狙って、一息に放てる最大本数を見事命中させていた。

 後頭部を狙った射撃は、粗末な革の兜を容易に貫いて三匹全てを絶命せしめている。襲撃したはずが簡単に不意打ちされている現状に、異形どもが愚かしく騒いで動揺していた。

 そうして後方へ注意を向けてしまえば、前方の脅威が更なる不意打ちを重ねるというのに。

 当然、クレイオスは隙を晒す異形の群れへ向け、力強く大地を蹴って再度接近。

 風神ウェンドゥスが巻き起こす風の如き速度で一匹の眼前に踏み込んだクレイオスは、そのまま乾いた地面を踏み砕きながら右腕を真っ直ぐストレートに叩きこむ。

 残像すら残す黄金色の一閃は、異形の細い首をへし折るどころか引きちぎり、頭部だけが暗闇に吹き飛んだ。

 そして主を失ったその矮躯が倒れるよりも早く、さらにクレイオスは腕の勢いを利用して近くの一体へと、大股に右脚を広げながら踏み込みを落とす。

 ちょうどいい位置にあったそいつの右足を踏みつぶしつつ、悲鳴を上げさせる間もなく左拳を異形のこめかみに向けて金槌のように薙ぎ払った。今度は先ほどのような威力はなかったが、しかし確実にその頭蓋骨を粉砕した手ごたえを得ている。

 ぐるん、と白目を剥いて息絶えたその異形をそのまま殴り飛ばしながら、残る二匹を殲滅せん、と振り返りながら身を引いて構えた――その時、鋭敏な聴覚が異音を聞き取った。

 悲鳴だ。しかも、野営地の方角から。

 思わず視線をそちらに走らせれば、たき火に照らされて壁面で踊る無数の影を見る。子どもほどの大きさと異様な形のソレの主は、今しがた戦っているはずの異形どもだった。

 十数体という数は、次々と野営地が背にしていた小高い丘の上から飛び降りてきており、重ねられた急襲で商隊キャラバンはまたも混乱している。


 ――別動隊が居たのか!


 よもやそんな知恵の回る真似をしてくるなど想定していなかった――否、そもそも戦力を分けるという戦術すら頭から抜け落ちていたクレイオスは、己の甘さと経験不足をまざまざと見せつけられた思いだった。

 発生した非常事態に焦り、目の前の獲物から視線を外すという狩人として最悪の行動をしてしまったクレイオス。そんな青年の隙をついて、眼前の二匹が耳障りな声を上げて襲い掛かる。


「ギギィッ!」

「ガァッ!」

「ぐ……ッ」


 斧と剣片手に躍りかかる二匹の斬撃。直前で気づいたクレイオスが咄嗟に差し出した黄金の篭手で受けんとするも、止められたのは斧だけ。剣は防御をすり抜け、狩人の革衣を引き裂いてその下の逞しい胸部に裂傷を刻む。

 咄嗟に斧を弾きながら後退するクレイオスに、異形どもは気をよくしたように嗤い声をあげた。


「ギヒッ、ギギヒッ!」


 その声にあるのは、どこまでもクレイオスを馬鹿にする嘲り。悪意と残忍さばかりを押し込めた感情の発露に、ようやくクレイオスは蛇人間との類似性を見た。

 故に――即座に最善の選択を取る。

 大地を蹴ると同時に間合いがゼロに変わり、反応できない異形の膨らんだ腹部へと高速の前蹴りを叩きこんだ。鋼すら割るであろう威力は異形の胴体を爆散させ、その内臓を辺りに撒き散らす。

 同時、全身と地面を踏んでいる足の筋肉をフル活用して、片足を上げたまま制止。ピタリと慣性を忘れたかのように止まった姿勢から、真横の残る一匹へと上げっぱなしの片足を振り薙いで蹴り飛ばした。

 袈裟から放たれた大槌のような一撃は、異形の肩口に直撃しながらも一切抵抗を感じぬ勢いで大地に向かって駆け抜ける。結果、異形は倒木に圧し潰されたかのように斜めに潰れた骸を晒して冥府に旅立った。


 そうして瞬く間に残りの異形どもを屠ったクレイオスは、間髪入れずに野営地へ向けて疾走を開始する。

 視線の先、野営地ではディルとアリーシャの奮戦もあってか異形の数は大幅に減っていたが、しかし馬車へとりつく影は多い。中に逃げ込んだ人々へ幌越しに刃を突き込んでいて、その度にあがる悲鳴を面白がるように嗤っていた。

 アリーシャもそれらを何とかしようと弓を構えるが、群がってくる別の異形どもを相手するのに精いっぱい。ディルは異形の思わぬ力に苦戦し、背中に提げていた円盾を巧みに振るいながら攻撃を防ぎ、その返す刃で敵を仕留めながらも余裕はない。

 イドゥの魔法マギアに期待するには、異形たちと近すぎた。詠唱ウォカーレを始めた瞬間に気取られ、護ってくれる者の居ない彼女ではどうにもならない。

 故に、全力を賭してクレイオスは急ぐ。もはや己の正体を隠すというぜいたくは言っていられない、人の命と等価の秘密などありはしない。

 己の内にある『何か』を燃やし、クレイオスは紅蓮の炎を――


「――ッ!?」


 ――纏え、なかった。

 思わず止まりそうになる足を無理やり動かしながら、驚愕で思考が一瞬漂白する。

 邪龍との戦いからこれまで、一度も試さなかった『神の憤怒デウス・イーラ』。その力はいつでも己の手綱に握られていると信じて疑わなかったというのに、今この大事な瞬間にそうではないとわかってしまった。

 何故自分の機能ちからの確認を先送りにしたんだ、と後悔が噛みしめた唇から血の筋を流させるも、時すでに遅し。

 最悪のタイミングだった。野営地を睨む視線の先で、腰が抜けてどうしようもなくなった少年の姿がある。

 人懐っこい気質でクレイオスに話しかけてくれた、アヴだった。そしてその目の前で、残忍な嗤い声をあげてナイフを振り上げる異形。


 自分の脚は――間に合わない。

 ディルは――遠い。

 イドゥは――姿が見えない。

 アリーシャは――壁際に追い詰められている。

 他の誰か――襲われているのは皆同じ。

 投擲で阻もうにも石を拾う暇はない、投げられるものなど持っていない――否、あるではないか。


 思い至るのと同時に右手を回し、ソレを握りしめる。それによって一瞬抱いた畏れは、即座に自分の意思で捨て去った。

 そして、次の一歩で力強く大地を踏みしめて制動。前へと進もうとする慣性を生かし、勢いよく右腕を振りかぶって――神槍・・を投げ放つ。


 神罰などいくらでも受けよう、少年の命を救えるならば後悔はない――!


 その覚悟と共に放った投槍は、クレイオスの願いを聞き届けたかのように大気の壁を引きちぎり、一瞬にして異形へと到達した。

 直撃した――と理解できた者は、クレイオスと異形本人含め、誰も居なかったであろう。それくらい、いつの間にか異形の上半身は消え失せ、アヴの背後の壁面には白銀の槍が深々と突き立っていた。

 それだけではない。

 遅れて、爆風が野営地に吹き荒れる。大気の壁をぶち抜いた影響か、凄まじい風がそこら中を荒らしまわり、体重の軽い異形どもを一様になぎ倒した。

 当然、商隊キャラバンや護衛のアリーシャらも動きを止めざるを得ず、野営地の戦いが一瞬、完全に止まる。

 自身の馬鹿力だけで起きたとは思えない現象にクレイオスも驚くが、その間にも足は止めなかった。

 故に、すぐに野営地に到達し、アヴに駆け寄る。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 呆然としている少年だが、しかし頷く通りにケガはない。間に合ったことに安堵の息を漏らしながら、クレイオスはすぐさま神槍へと駆け寄って丘の岩壁から引き抜いた。

 乱暴に投げた上に、岩壁に打ち込むという狼藉。流石にまずいか――という思いは、すぐさま別の驚きで彼方に吹っ飛ぶ。


 なんと、白銀の神槍ミセリコルディアの形が、変わっていた。


 先端へ緩やかに伸びていく円錐の形だった穂先は、いつの間にか両刃の長剣のような形になっていて、絢爛たる装飾のあった柄は穂先の根元から石突に向かって四本の溝が出来ている。

 そんな、長さ以外はまるで別物の有様になってしまった神槍。理解不能の現象に言葉を失っていると、突如手の中の槍が小さく振動した。

 驚くのと同時に――変化が起きる。

 槍の溝が内側からせり出した同質の素材で埋まり、柄には元の装飾が浮かび上がっていく。穂先の根元から円盤が展開し、その縁から先端に向けて滑らかな白銀が伸びて隙間なく閉じると、穂先はかつての円錐の形に戻っていた。

 手の中で起きた意味不明の変化は、神槍の形状をクレイオスの知るソレへと戻したのである。

 まるで理解できない、と忘我する青年。しかし、現状はそんな悠長なものではなく、その耳に異形の鳴き声が滑り込んだ。

 ハッとなって顔を上げれば、投槍の突風から異形が復帰しようとしている。ディルらも体勢を整えられたようで、その一人のアリーシャと目があった。

 彼女は一瞬だけクレイオスの手にある神槍に視線を落としたが、何事もなかったかのように常盤の目で彼の翡翠を見つめると、小さく微笑みを浮かべる。

 神槍を握るというクレイオスの選択を、彼女は良しとしたのだ。

 元より気にしてはいなかったが、しかし幼馴染から否定されないのは嬉しいものだ。クレイオスも同じく薄い笑みを浮かべ、改めて槍を握りなおす。

 黄金の篭手シンケールス越しの感触は、まるで長年使い続けたソレのように違和感なく吸い付いてきた。長さもかつての槍と同等、重心も似ている。少し重いが、揮うのに問題はない。

 力強く白銀を旋回させ、クレイオスは異形どもに向かって槍を構える。覚悟を決めた今、このまま槍を以て素早く終わらせんと青年は異形どもを睨んだ。

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