番外編・毘沙門天のグルメ
第37話
――とにかく腹が減っていた……
――私は集めた漫画本を置いておく本棚で格安の良い本棚があるというのでウンエイ神殿周りの商店街まで見に来たが予想を上回るボロさだった
SR子はウンエイ神殿周りをポケットに手を突っ込みながら、渋い顔で歩いていた。ウンエイ神殿周りは商店街――ファマゾン以外で生活物資を入手出来る場所として成り立っており、殆どのものが揃っている――それこそ、外の世界で言えば東京都の一区にも匹敵する巨大さであり、手に入らないものも、体験できないものも、殆ど無いという、まさに彼女達の生活の起点である。
基本はウンエイ神殿からの電子化されたスタッフが商っているが、ボックス村のキャラクターが趣味で店を出している場所も多い。しかしそういう場所は大抵が不定休であり、休みにかち合う確率は高い。
ボックス村の住人しかお客がいないために、殆どガラガラなこの商店街を、SR子は帰路に向かってひた歩く。
今日の夕飯はN子のオムライス定食だと聞かされている。N子のオムライス定食とは肉多めのオムライスにコンソメスープ、サラダにウインナー二本。そして何故か着いてくる梅干しという組み合わせだ。
最後のはともかく、オムライスはSR子も好物とするもの。何の異論もなかった。しかし――
――腹は減り過ぎている。……どうしよう
空腹感。
腹を満たす空虚の存在感だけはどうにもならない。
あと夕食まで4時間――しかし、お腹が空いてしまったものは仕方がない。お昼は適当に済ませようと思ったのだが目当ての場所が今日は休業だったのだ。
SR子は目を光らせた。
どこか。お眼鏡にかなうような場所で、何か腹に入れたい。
家までの距離を凌げればいい。
――なにかちょこっと食べて行こう
――あせるなあせるな
牛丼屋。フレンチ。定食屋。ハンバーガーショップ。
SR子は自分の舌と相談する。何が食べたいのか。
しかし、湧いてこない。
――腹はすっからかん。目標は宙ぶらりん。食べたいものが出てこない……
まずい。SR子の頬に冷や汗が流れる。
このままでは最悪のパターン・何も食べることなく帰宅してしまう。しかし道筋で倒れでもしたら……。SR子は一食抜くだけで駄目になってしまうタチなのだ。
あの時に妥協していなければ。
苦い水が唾液に混ざったようだ。
だが、そんなSR子の前に、焦りが湧いてくるはらぺこの前に――それは突然、あつらえたように現れた。
洋食屋・『ガタノ』。
――あれ。こんなのあったっけ
新規の店だろうか? しかしSR子の足先は自然にガタノのドアに向いている。その反射の理由は、SR子自身が遅れて理解していた。
オムライスを思い浮かべていた以上、舌は完全にオムライスの舌になっていた。然るに、オムライスのイメージが直結する洋食屋――それも小洒落た洋食店ではなく、所謂「洋食屋さん」。
ハンバーグステーキがどっしりと鉄板に居座り、ナポリタンが赤々と皿を彩り、ブロッコリーとポテトが箸休めとして待ち構え。別の皿では平皿に盛られたライスがてらてらと純白を主張し。マグカップのスープが、ひと時の安寧を受け入れてくれるエアポケットとして存在する。
それは断じて、テーブルクロス上の白無垢の皿に盛られ、ソースを細心にかけまわされた、上物のフィレ肉と赤ワインのような「洋食」とは違う。もっと身近で、舌がいつでもその時を思い出し、定期的に欲するような「洋食」なのだ。
故にSR子は、素朴なチューリップの鉢植えが添えられたこの店に引き寄せられた。それは本能や自然の摂理といったものではない。もっと根源的なもの。ガーターに乗ったボウリングの球のような、必然の軌道修正であった。
チリン、チリンッ。
ベルの音。手に感じる引き戸の冷たさ、中から漂う新築の香り、うっすら漂うスパイスの香りが混じり合った刺激を感じつつ、中を見回した。
「オウ! 毘沙門天さんじゃないデスか!」
「ガタノソアじゃないか」
黒い肌にドレッドヘアー。そしていつも絶やさない楽しそうな笑顔。クトゥルフ神話の邪神が一角・ガタノソアが笑顔でSR子を迎えた。
店内も、いわゆる「町の洋食屋さん」としてあまりにも模範的な作りだった。観葉植物を脇に添え、3つの正方形のテーブルと水玉模様の椅子。素朴な電球に、格子状の模様が入った床。このまま写真を撮れば家庭科の教科書にも持っていけそうな、模範的な洋食店である。
「いつの間にお店なんか?」
「いやはやー、それがデスねえ。ついこないだここのお蕎麦屋さんやってたクシナダさん、お蕎麦屋さん飽きたっていうことで辞めちゃって。そこに入らせてもらったんデスよ!」
――パッとやってサッと消えたのか……。クシナダらしくて酷い……
「クシナダは気まぐれだからなあ……」
「デスねえ。何でも一見さんお断りのお店を作ったらしいんデスが、誰も一見さん以外がいないことに気が付いたみたいで」
「はは……」
――適当だ……クシナダは何もかも適当過ぎる
「それで、何か食べていきマスよネ!? 入って来たってことは! 時間は結構ズレてマスけど!」
「ああ。頼むよ。何か軽いものを」
「イア! いあ! サー!」
ガタノソアは邪神という肩書きに似合わないとびっきりの笑顔を見せ、奥に引っ込んでいった。揺れるドレッドヘアーを見送って、SR子は適当な席についた。
――外食か。何か月振りだろう……
――考えてみれば殆どN子の料理だからなあ
――最後に行ったのは確か……N子が友達のとこに泊まりに行ってた時か
――誰も何も作れなくて……はは、馬鹿だ
――その時食べたのは、確か……
「お待たせしまシター!」
「え?」
――な、なんだと? まだ注文したばかりなのに
余りの提供の速さに狼狽するSR子をよそに、ガタノソアは笑顔でSR子の前にお盆を置いた。
だが、SR子の疑問は――そのお盆に置かれていたものの、余りの奇怪さに、脆くもすり替えられることになる。
「!?」
それはまさにインパクト満点と呼ぶにふさわしかった。
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