第40話相反する二人

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 年の瀬が近付くにつれて、冴えた風は荒れ狂い、横殴りの雪が絶え間なく降り続ける日が増えてくる。

 何度冬を迎えても、その息すら凍りつく寒さに慣れることはない。

 しかし外へ出ることが困難なこの時期は、他国から攻め込まれる心配もなくなり、少しは心穏やかに過ごすことができた。


 イヴァンは自室のソファーに腰掛け、目前の机に置かれた遊技盤――チュリックを凝視する。

 駒を並べて陣地を奪い合っていくこのゲームは、バルディグの数少ない娯楽の一つだった。


 ちらりと向かい側に座っているルカの表情を伺う。中盤の戦局を優位に進めているためか余裕が漂っている。


 どう戦局を引っくり返して悔しがらせてやろうか。

 イヴァンは頭を目まぐるしく働かせ、勝利への軌跡を描いていく。


 いくつか道が見えたところで駒を摘み、右隅の手前に置く。

 カツン、という音と同時に、ルカの唸る声が聞こえてきた。


「そうきましたか。どうお応えしようか……王子、少し時間を下さい」


 ルカがわずかに身を乗り出して遊技盤を真剣に見つめる。

 闘争心が無さそうな外観だが、ルカは昔から負けず嫌いで、自分よりも立場が上の者であっても容赦しない。

 そんな彼を終盤で逆転して負かすことが、イヴァンの密かな楽しみだった。


 しばらく沈黙が流れた後、ルカが駒を摘み、イヴァンが置いた駒と対象になる位置に置く。

 彼にしては珍しく、守りに入っている。違和感を覚えてイヴァンは目を細めた。


「何かあったのか、ルカ?」


 ハッと息を引く音の後、ルカからため息が聞こえてきた。


「実はこの間、兵舎にいる者たちとチュリックで競い合っていたのですが……飛び入りのナウムに負けてしまいました」


 意外な名前が出てきて、イヴァンは目を瞬かせる。


「エレーナの兄? お前を負かしたとなると、かなりの強者だな」


「ええ。私だけでなく、その場にいた誰もが何度挑んでも彼に敵いませんでした。あの若さであんなに強いなんて、末恐ろしいですよ」


 ルカはゆっくりと顔を上げると苦笑を浮かべた。


「少しでもこちらが攻めに出たら、その隙を上手に突いてくるんですよ。しかも自分は意図して隙をちらつかせて、罠にはめてしまうんですから……おかげで最近は強気で攻められなくなりました」


 笑って話しているが、ルカの胸中は穏やかではないだろう。

 イヴァンが知っている中で、ルカの腕前は群を抜いている。自分も強い部類に入るが、十回勝負をすれば、六、七回はルカが勝ってしまう。


 なんと稀有な逸材だと感心する一方、その回り過ぎる頭脳が恐ろしくなってくる。

 イヴァンは駒を持ちながら腕を組み、背もたれに寄りかかった。


「なんと食えない小僧だ……エレーナとは大違いだな」


 息をつきながら、エレーナの顔を思い浮かべる。

 見た目からして清らかな少女だが、何度も会って話をしていくと、その中身も純粋で真っ直ぐなものだと分かってきた。


 他愛のない話をしていても言動の端々から、相手が喜んでくれたならばそれだけで嬉しいと心から思っているのが伝わってくる。

 初めは女性特有の計算高さから人畜無害な人間を演じているのかと思ったが、いくら話しても鼻につくことはなく、今ではこれが素なのだろうと思えるようになった。

 今まで多くの人間と相対してきたが、ここまで欲が滲み出ない人間は初めてだった。


 城へ来る前は生家がある山奥の村から離れたことはなく、いつも森で両親に薬草のことを教えてもらっていたと聞いている。だからここまで世慣れしていないのだろう。

 最近はエレーナを疑うだけ無駄ではないかと思い始めているが、確証がないまま決め付ける訳にもいかず様子を伺い続けていた。


 ルカが上体を軽く前に倒し、イヴァンへ顔を近づける。


「エレーナに関しては、怪しい動きがまったく見受けられませんね。温室と薬師たちの部屋を行き来するだけで、接している人間も限られています。ですが――」


 視線をずらし、思案してからルカは再びイヴァンへ目を合わせる。 


「――ナウムの方は怪し過ぎて気が抜けません。城へ来てから数ヶ月しか経っていないのに、多くの人間と接点を持って情報を聞き出しています。ただ、あの頭の良さなら、もっと怪しまれずに立ち回ることもできるハズ。もしかすると……」


「わざと怪しまれる行動を取っているかもしれない、と?」


 イヴァンの言葉にルカが小さく頷く。


「はい。何か秘密があって、それを悟られぬために敢えて大胆な行動に出ている気がします。それに、あの少年の体に触れてみましたが、兵士の肉付きに近かった……何かしらの訓練を受けている可能性が高いですね」


 段々とルカの表情が険しくなり、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。


「こうやって疑うことすら、彼の思惑通りな気がしてなりません。こんな厄介な相手は初めてですよ」


 いつも冷静さを失わないルカが、珍しく頭に血が昇っている。

 思わずイヴァンは一笑し、肩をすくめた。


「もしかしたら、単に可愛い妹を守るために鍛えているだけかもしれんぞ? 前に話をした時に、妹への愛を熱弁してたからな。人脈を作っているのも、出世してエレーナに苦労させないためとも考えられる」


 間近でナウムの顔を見た時、妙に隙がなくていけ好かない印象を受けた。

 だが、エレーナのことを語った時だけは目に力が入り、本気でそう思っていることが見て取れた。


 普通の兄妹よりも行き過ぎている気はするが、確かな愛情がそこにある。

 少なからず妹のために必死になっていることは間違いなかった。


 ルカが面目無さそうに瞼を閉じると、「そうですね」と相槌を打った。


「もし裏がなければ、そうと考えるのが妥当ですね。……あの少年が何の狙いもなく、真っ直ぐ生きているだけとは考えられませんけれど……」


 晴れない表情のまま駒を置くルカを、イヴァンは口元に苦笑を浮かべながら見つめる。

 かなり煮詰まっているのが見て取れる。こんな視野が狭くなったルカに負ける気がしなかった。


 案の定、一気に調子を崩してしまったルカは悪手ばかりで相手にならず、結果はイヴァンの圧勝だった。


 イヴァンは立ち上がってルカの後ろに回ると、ボロ負けの惨状を呆然と眺める彼の肩を叩いた。


「ルカ、一回外に出て気持ちを落ち着かせろ。ちょうど頼みたいこともあるしな」


「……はい分かりました。それで、頼みたいこととは何ですか」


 気だるげな動きでルカがこちらを見上げる。

 目を合わせてから、イヴァンは口端をニッと上げた。


「城下街にある菓子屋に行って、何か買って来い。美味いのは当然だが、できるだけ見栄えの良いヤツを頼む」


 一瞬ルカは目を点にした後、小首を傾げた。


「え? お菓子って……珍しいですね。王子がお食べになるのですか?」


「そんな訳ないだろう、俺は甘い物は苦手だ。この間エレーナと話をしていたら、つい先日十五の誕生日を迎えたと聞いてな。せっかくだから、花束の礼も兼ねて渡したいと思っているんだが――」


 段々と目を見開いて驚いた表情になっていくルカを、イヴァンは睨みつけた。


「――おい、何だその顔は?」


「いえ、その……今まで王妃様以外の女性へ、自分から贈り物をするなんてありませんでしたから、ちょっと意外で……」


 何度か目を瞬かせると、ルカは小さく微笑んだ。


「用心すべき相手ですが、お世話になっているのは確かですからね。分かりました、できるだけ可愛い物を見繕ってきます」


 ソファーから腰を上げ、扉へ歩き出したルカの背を見ながらイヴァンは思案する。


(これで少しはエレーナが、ここへ来て良かったと思ってくれればいいが……)


 まだ裏があるのかないのか真偽は掴めていないが、一つだけ確信していることはあった。


 エレーナはいつも穏やかに微笑んでいる。しかし、過去の話や家族の思い出を語る時、口元は微笑んでいるのに泣き出しそうな目をする。

 身内を亡くし、今まで当たり前に過ごしていた日々を失い、心の傷が癒えぬまま城へ来た――口に出さずとも、ふとした表情や物言いから読み取れた。


 あの憂いを帯びた表情をされると、痛々しくて見ていられない。


 誕生日の祝いも花束の礼も口実だ。本当の理由は、一日でも早く心の傷を癒して、翳りのない笑顔を取り戻してやりたいという自己満足だった。

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