第32話畏れ

「見かけない顔だな。何者だ?」


 話しかけられ、水月は俊敏に跪いてイヴァンに頭を下げる。


「わ、私はナウムと申します。薬師トトの孫で、そこにいるエレーナの兄でございます」


 花束を作りながら、いずみは横目でちらちらと水月に視線を送る。

 緊張しているのが目に見えて分かる。初めてジェラルドと謁見した時よりも萎縮しているように見えた。


 不快そうにイヴァンが顔をしかめると、苛立たしげに腕を組んだ。


「ナウム、顔を上げて立ってくれ。俺は仰々しい態度を取られるのが嫌なんだ。これからは俺を見かけても跪かなくてもいいからな」


「……あ、ありがとうございます」


 恐る恐る水月がイヴァンを見上げ、その場はゆっくりと立ち上がる。


 露わになった顔を少し見つめてから、イヴァンはいずみと水月を見交わした。


「兄妹という割には顔が全然似ていないな」


 イヴァンの何気ない一言に、いずみの心臓が跳ね上がる。

 こちらの動揺に気付かれないように平然と振舞おうとしても、茎を摘む指が震えてしまう。


 しかし水月は堂々と「自分でもそう思います」と笑って答えた。


「いつも初対面の人には言われるんです。身内からも『エレーナはこんなに美人で素直で優しくて可愛いのに、どうしてお前はそんなに目つきが悪くて可愛げのないひねくれ者なんだ』って言われてきましたし……まあ、正反対だからこそ妹が可愛くて可愛くて仕方ありません。自分に似ていたら、こんなに愛せなかった自信がありますよ」


 怪しまれないように応対しているのだと分かっていても、いずみの頬が熱くなってくる。


(水月……私、可愛くなんてないし、美人でもないから)


 動揺よりも恥ずかしさのほうが上回り、さらに動きがぎこちなくなってしまう。


 もう一度、イヴァンは二人を見比べてから、いずみに目を留める。


「確かにエレーナは可愛いからな、お前が兄バカになる気持ちも分かるぞ」


 イヴァンと目が合い、いずみの顔の熱が体の隅々まで広がっていく。

 どちらもお世辞なのだから真に受けなくてもいいのだと考えても、背中がソワソワと落ち着かなかった。


 思うようにならない指をどうにか動かしてようやく花束を仕上げると、いずみは大切に両腕で抱きながらイヴァンの元へ駆け寄った。

 

「イヴァン様、お待たせしました。どうぞお受け取り下さい」


 まともに顔を見ることができず、視線を下に落としたまま花束を差し出す。

 イヴァンから、フッと小さく笑ったのが聞こえてきた。


「ありがとう、エレーナ。また次もよろしく頼むぞ」


 手から重みが消え、いずみは「はい」と深々と一礼する。

 再び頭を上げた時には、イヴァンは背を向けて立ち去るところだった。


 その背を扉の向こうに消えるまで見送った後、すぐに水月が大きく長い溜息を吐き出した。


「なんで王子様が朝っぱらからこんな所に来てんだよ? 不意打ち過ぎて心臓が止まるかと思ったぜ。……キリルがいきなり現れる時よりも驚いたぞ」


 水月の言葉にいずみは少し首を傾げる。


「私もイヴァン様と初めて会った時は驚いたけれど、キリルさんよりもって言い過ぎじゃあ……」


 まともに水月の顔を見て、いずみは言葉を止める。

 血の気が引き、一筋の汗が頬へ流れている……普段通りの表情なのに、水月の緊迫した空気が漂っていた。


 辺りを見渡してから、水月が間を詰めてくる。そして声を潜めて話し出した。


「あの人、まったく隙がなかったぞ。気さくそうに振舞っていても、厳しい目でオレたちを見ていやがった……恐らく、あの王子様はキリルたちと同じ側の人間だ。少しでも害があると判断したら、躊躇なく斬り捨てるだろうな」


 水月の動揺や畏れが伝わってくるのに、そうだと頷くことができない。

 いずみは首を横に振りながら「イヴァン様は違うと思う」と呟いた。


「威圧感もあるし、すごく厳しそうだと思うわ。でも、うまく言えないんだけれど、私みたいな立場のない人であっても、真剣に向き合っていらっしゃる気がするの。キリルさんや陛下のように利用価値のある物としてじゃなくて、人として見てくれる……すごく温かみのある方だわ」


「温かみがある、ねぇ……エレーナがそう言うなら、そんな一面もあるってことか」


 独り言のように水月が言葉を漏らすと、大きく肩をすくめた。


「ところで、イヴァン様にまた花束を頼まれたのか?」


「ええ。あと、これからも作って欲しいってお願いされたの。またいつここへいらっしゃるか分からないけれど、これから何度も顔を合わせることになるわ」


 勝手に判断して良かったのだろうか? 取り返しがつかないことをしていないだろうか?

 不安を拭うことができず、いずみは縋るように水月を見上げる。


 しばらく口元に手を当てて考えてから、水月は何度か頷いた。


「王子様から直々に頼まれたんじゃあ、引き受けねぇ訳にはいかないもんな。断っていたら、変に怪しまれていたかもしれねぇし。良い判断だったと思うぜ」


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