第29話気乗りしない宴

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 月が夜空へ高々と上がる頃、城の近くにあるペルトーシャの屋敷では宴が開かれていた。


 きらびやかに着飾った中年の貴族たちはグラスを片手に談笑し、彼らの娘たちは胸を強調したドレスをまとって、若い貴族の男たちと恋の駆け引きに興じている。


 鬱々とした空気が流れる城下街とは無縁の、華々しい社交の場。

 強い違和感を覚えながら、イヴァンは貴族たちを冷ややかに見つめていた。


(民が貧困で苦しんでいるのに、こんな宴に金をかけやがって……)


 本音を言えば、こんなくだらない集まりに参加したくはなかった。

 しかし、ペルトーシャや他の貴族たちの動向を伺える貴重な場でもあり、これ以上勝手な行動をしないように睨みをきかせられる機会でもある。


 女たちの香水の匂いが充満した室内に居続けるだけでも腹立たしかったが、辛抱しなければと己に言い聞かせていた。


 イヴァンが顔見知りの貴族たちと話をしていると、


「イヴァン様、楽しんでいらっしゃいますか?」


 横から声をかけられて振り向くと、そこには酒が入ってほんのり頬を赤くしたペルトーシャが上機嫌に笑っていた。


 国の状態が悪化しつつあるというのに、こんな中身のない宴を呑気に楽しめる人間の気が知れない。

 嫌味の一つでも返したいところをグッと堪え、イヴァンはわずかに口端を上げた。


「ああ、楽しませてもらっている。たまにはこういう集まりもいいな」


「そう言って頂けて光栄です。今日はイヴァン様をお招きするために、最高級の葡萄酒を取り寄せたのですよ。料理も各国の珍味を取り揃えて――」


 ペルトーシャの話は長くなりやすい。適当なところで相槌を打ちながら、イヴァンは話を聞き流していく。


 話の輪の中心をペルトーシャが独占したところで、横から赤いドレスを着た女が近づいてきた。


 ドレスの裾を摘んで軽く一礼すると、彼女はペルトーシャの腕に手を添えた。


「お父様、私との約束をお忘れじゃなくて?」


「忘れてはおらんよアイーダ。ちょうど今、イヴァン様にお前を紹介しようと思っていたところだ」


 アイーダに笑いかけてから、ペルトーシャはイヴァンに向き直る。


「イヴァン様、この子は末娘のアイーダです。昔からイヴァン様に憧れていたのですよ」


 小さくアイーダは頷くと、上目遣いに瞳を潤ませながらイヴァンと目を合わせた。


「ずっとお声をかけたかったのですが、恥ずかしくて……。こうしてイヴァン様とお話できて光栄ですわ」


 まだ歳は十代だろうが、派手なドレスとそれに張り合うような濃い化粧のせいで、初々しさの欠片もない。

 はにかむ仕草でこちらの気を引き、取り入ろうとしているのが分かってしまい、そのあざとさに吐き気がした。


 父親の手前、無視する訳にもいかない。イヴァンは微笑を浮かべて「喜んでもらえて何よりだ」と受け答えると、ペルトーシャに視線を移した。


「こんな美しい自慢の娘がいるなら、もっと早くに教えてもらいたかったな」


「ハハ……しっかり教養を身に着けさせて、一人前の淑女となってからイヴァン様に会って頂きたかったのですよ。娘の一番美しい姿をお見せできて私も感無量です」


 満足そうにペルトーシャは頷くと、そっとアイーダの肩を抱いた。


「イヴァン様もそろそろ妻を娶られてもいい時期……どうかアイーダも候補の一人として考えて下さいませんか?」

 

 従者ルカから宰相一族の金遣いの荒さは聞いている。特に女性陣はドレスや装飾品に目がなく、際限なく買い集めているらしい。

 そんな女を娶れば、ただでさえ厳しい国庫が完全に食い潰されるのは目に見えていた。


 どうにかイヴァンは「考えておこう」と話を切り上げようとする。

 しかしペルトーシャがすかさず言葉を重ね、いかにアイーダが素晴らしい娘かを訴え続けられてしまった。


 こちらの神経が磨り減るばかりで、得られるものは何もない。イヴァンは心の奥でため息をつく。

 その時、コツ、と硬い靴音が耳に入り、反射的にそちらを見やる。


「お話中失礼します。イヴァン様、そろそろ城へお戻りになる時間です」


 話が一区切りついた瞬間を見計らい、ルカがペルトーシャに聞こえるほどの小声で伝えてきた。


 早くここを離れたいとはやる気持ちを抑え、イヴァンはゆっくりと頷いた。


「もうそんな時間か。ペルトーシャ、宴の途中で悪いがこれで帰らせてもらう」


「まだまだ楽しんで頂きたかったのですが……まことに残念です。どうかお気をつけて戻られて下さい」


 大げさにペルトーシャは目を見開いてから、心から残念そうに眉尻を下げる。

 少し遅れてアイーダも同じような表情を浮かべ、胸元で手を組みながらイヴァンを見上げた。


「またお会いできる日を楽しみにしています。今度は二人きりで、もっとゆっくりお話したいですわ」


「分かった、できる限り早く機会を作ろう。また会える日を楽しみにしている」


 あくまで社交辞令。むしろ関わり合いをできるだけ避けたいのが本音だった。

 己の心を偽り続けているせいで、どんどん胸がムカついてくる。


 顔に本心が現れる前に離れなければと、イヴァンは軽く会釈して踵を返し、ルカを従えて颯爽と歩いていく。

 

 屋敷の外へ出て馬車へ乗り込んだ瞬間、溜め込んだ苛立ちが開放され、眉間に深い皺ができていた。

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