第15話嘘に嘘を重ねて

「チッ……アンタの用事は、オレを庇うことだけか? もう用がないなら部屋に戻らせてもらうぜ」


 水月が背を向けて歩き出そうとした時、「待て」とキリルが呼び止めた。


「お前のこれまでの報賞金は、すべて用意してある。欲しくなったらいつでも言え」


 一瞬、水月の体が硬直する。

 弾かれたように頭を上げ、部屋の扉が閉じているのを確かめてから、キリルを振り返った。


「テメェ、何考えてんだよ! 万が一いずみに聞かれでもしたら――」


「もし娘が会話を聞き取れる所まで近づけば、すぐに気配で分かる。安心しろ、あの娘の気配は感じられない」


 激しく動揺するこちらとは裏腹に、キリルの海が凪ぐような平静さは微塵も揺らがない。

 訓練を受けていない小娘の気配など読めて当然、という自負が見え隠れした。


 キリルの一つ一つの言葉が、動作が、無性に腹立たしくなる。

 そして、更に熱くなった怒りが己に向けられる。


 自分に言う資格はないと分かっていても、言わずにはいられなかった。


「金なんかいらねぇよ。褒美をくれるっていうなら、アンタらが殺したオレの家族と……久遠の花と守り葉を生き返らせろよ!」


 口にした途端、周囲への用心も、有利に事を進めるための計算も、すべて吹っ飛んだ。

 溢れ出す感情のおもむくまま、水月はきつくキリルを睨みつけ、言葉を続ける。


「オレたちはな、誰も死なせないためにアンタらの言うことを聞いていたんだ。金なんかより命が欲しかったんだよ。……だから、命を返せ」


 脳裏に今までのことが、暴れ狂う川のような勢いで流れていく。




 キリルたちと出会ったのは、四年ほど前になる。


 最初は、宿にいる仲間が倒れたから、すぐに薬が欲しいと言って近づいてきた。

 宿へ行くと今にも死にそうな病人がいて、薬だけ置いて去るのは忍びないからと両親が懸命に看護していた。


 だが持ち直した途端、彼らはその病人を斬り殺し、「命が惜しければ協力しろ」と血まみれの剣を突きつけてきた。

 自分たちの商隊が久遠の花の薬を扱っていることを調べ上げ、捕らえるために罠を張っていたのだ。


 キリルたちはこう約束してくれた。

 不老不死を叶える一族を、殺すようなことはしない。

 少しでもおかしな真似をしたら殺すが、従順に動けば命は保障する。莫大な褒美も付けると――。


 先祖代々から世話になっている久遠の花の一族を、裏切りたくはなかった。

 けれど、彼らは殺されることはない。だから素直に言うことを聞き、逃げる機会を伺うつもりだった。


 絶対に死にたくない。

 だから知恵を働かせ、必死に情報を集め、キリルたちに報告をしていた。

 子供だったためか、一族の大人たちは油断して色々なことを教えてくれた。恐らく商隊の中で一番情報を手に入れたのは自分だろう。


 手伝うフリをして、薬や毒の在り処を確かめたことも、護身術を教えて欲しいと守り葉に請うて、彼らの戦い方を聞き出したこともある。ひとりから得られる情報はほんの少しでも、人数が増えれば膨大になる。そして語られぬことは情報を寄せ集め、隠されていた部分を暴くことができた。


 嘘を教えれば良かったのかもしれないが、キリルたちは人の嘘をよく見抜き、嘘をついた者を容赦なく傷つけた。結果を出さなくても殴られた。

 それが怖くて、ずっとキリルたちへ逆らわずに動き続けていた。


 そして、キリルたちが里へ攻め込んできたあの日。

 あらかじめ盗んでおいた特殊な守り葉の毒を中和する薬のおかげで、キリルたちは守り葉を力でねじ伏せることができた。


 当初は商隊を人質にして、他の守り葉や久遠の花を牽制するはずだった。


 しかし、守り葉は人質を犠牲にしてでも戦おうとし、久遠の花は逃げきれないと悟って自害した。

 人質として役に立たないと分かった途端、商隊の人間は順番にキリルたちに斬り捨てられた。


 誰も死なせないはずだったのに、いつの間にか生きているのは自分だけ。


 逃がすまいとこちらの腕を掴み続けていたキリルが手を離した時、腰が抜けて座り込んでしまった。


 このままだと殺される。まだ死にたくない。

 みんなを死に追いやった人間に、そんなことを望むのは許されないと思っていても。

 

 キリルの剣が振り下ろされそうになった瞬間。


『殺さないで! 彼を殺すなら、私も死にます!』


 いずみの声が、額に突き刺さる寸前で剣を止めてくれた。


 助かったという安堵と、消えてなくなってしまいたいほどの後悔が、港町をいくつも呑み込む大津波のように襲ってきた。

 かろうじて残った正気が流されてしまわないよう、何も知らない彼女にしがみつくことしかできなかった。




 いずみに助けてもらった直後のことを思い出し、水月の頭が冷えていく。


 一族の命を奪ったのはキリルたちだが、その原因を作ってしまった自分も同罪だ。

 こんな人間にキリルを批難する資格はない。言えば言うほど、自分の罪は重みを増していく気がした。


 いたたまれずに水月が目を逸らすと、キリルが小さく息をついた。


「不可能だと分かっていることを言って、何か意味があるのか? そんな不毛なことよりも、これからの身の振り方を考えておけ」


 胸がカッと熱くなり、水月は再びキリルを睨みつける。

 しかし反論の言葉は出てこなかった。


(言われなくても分かってんだよ。……これからコイツらを相手にしていかなきゃならねぇんだ。感情的になれば不利になっちまう)


 身を焦がしかねない熱い怒りが表へ出そうになり、胸元を強く掴んでどうにか抑える。


(もうオレはどうなってもいい。けど、いずみだけは助けたいんだ。アイツがここから逃げて自由に生きられるなら、どんなことでも耐えてやる)


 何をしても、背負ってしまった罪を償うことなどできない。

 それでも彼女を守り切らなければ、死んでしまった者たちに合わせる顔がなかった。


 荒かった水月の息が落着いていくのを見て、キリルはかすかに頷く。


「それでいい。冷静さを失えば、相手に付け入る隙を与えるだけだ。あの娘を生かしたいなら、これから一切の隙を見せるな」


 胸奥から刺々しい反発がこみ上げてきたが、水月は言い返さずに押し黙る。


 キリルの言うことはもっともだ。感情的になってしまえば、取り返しのつかない事態を生んでしまう。

 不老不死の嘘も、仲間を裏切ってしまったという嘘も、知られる訳にはいかない。


 水月は細長く息を吐き出して心を落ち着けた。


「……オレにくれてやる金があるなら、いずみの食事をもっと良くしてくれ。今までみたいな囚人用の食事じゃあ気も滅入るし、体にも負担がかかっちまう。アイツはお前らよりも繊細でか弱いんだから、そこの所はもっと考慮してくれよ」


 王をけなされなければ怒らない。理由が成り立てば、あっさり受け入れてくれる。

 キリルの性格を知っているからこそ、ここまで生意気な口がきけた。


 案の定、キリルから苛立った気配は感じられなかった。


「分かった。報奨金を受け取れる人間は、もうお前だけだ。お前が望むならそうしよう」


 やおらと音もなく踵を返すと、キリルが元来た道を戻っていく。

 と、不意に立ち止まり、少し首を回して水月を見た。


「これからも今まで通り、俺の指示に従ってもらう。ゆっくり休めるのは今の内だけと思え」


 水月は何も答えずに首を元に戻すと、扉のほうへと戻りながら、心の中でぽつりと呟く。


(オレの体が苦しいからって、休む訳にはいかねぇよ)


 痛みと熱で、体の倦怠感はさらに増している。けれど頭の中は妙にハッキリしていた。


(残りの人生、全部いずみのためだけに使うと決めたんだ。待ってろよ、必ずこの生き地獄から抜け出させてやるからな)

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