一章:嘘に嘘を重ねて
第5話彼らの目的
隠れ里から連れ出され、すぐにいずみと水月は荷馬車の荷台に押し込められた。
どこにでもある、少し汚れた行商人用の馬車。
荷台の中は薄暗く、幌と馬車の繋ぎ目の隙間から、かろうじて外の光が入っていた。
怪しまれぬよう行商人のふりをするつもりなのか、荷袋や木箱が乱雑に置かれている。
馬車が動き始めると、ごとん、ごとん、と下から突き上げられる度、荷物が驚いたように震えていた。
「大丈夫、水月? ケガはない?」
いずみは四つん這いになりながら水月に近づき、心配そうに彼の顔を覗く。
かなり憔悴しきっていたが、嗚咽は治まり、少し落ち着きを取り戻していた。
「……ああ大丈夫だ。悪ぃな、心配かけさせて」
水月は天井を仰ぐと、手で顔を覆った。
「オレ、情けねぇな。カッコ悪く泣きわめいて、腰も抜かして、怖くて震えることしかできなくて……」
「誰だってこんなことになったら冷静でいられないわ。私だって、ほら――」
いずみは両手を胸元まで上げ、手のひらを水月に見せる。
しっかりしなければ、という自分の意思を無視して、両手は小刻みに戦慄いていた。
「ずっと震えが止まらないの。怖くて、怖くて、このまま消えてしまえたらいいのにって思っているんだから」
仲間と両親が死んでしまった事実からも、これからの自分の行く末からも、逃げてしまいたい。
でも、水月を逃がすまでは絶対に死ねない。
どうにか恐怖を抑えようとして、いずみは大きく深呼吸する。
すると、血の気が戻らない手のままで、水月がいずみの両手を握ってきた。
「オレは散々泣かせてもらったから、次はいずみの番だ。頼りねぇけどオレの胸を貸すから、いっぱい泣いてくれ」
水月はいずみと目を合わせ、ぎこちなく微笑む。
その優しさに、いずみの胸が詰まった。
出し損ねた慟哭が、一気に胸の奥から吹き出した。
「……水月――っ」
堪え切れずに、いずみは水月にしがみつき、嗚咽を漏らす。
大好きだった一族のみんな。
昨日まで当たり前にあった穏やかで笑い合える日常は、完全に壊されてしまった。
あらゆる病を治せる薬師でも、死んだ人間を生き返らせることはできない。
もう元には戻れない……その事実が、いずみの心を深々とえぐった。
こみ上げるままに涙を流し、水月の胸元を濡らしていく。
何も言わずに彼はいずみの背を優しく抱き、時折、子供をあやすように叩いてくれた。
しばらくして涙が底を尽き、いずみの嗚咽が治まっていく。と――。
「気は済んだか、娘。話せるならこっちを向け」
突然、背後から抑揚のない声が聞こえてくる。
弾かれたようにいずみが振り向くと、いつの間にか水月を斬ろうとしていた青年が、木箱に腰をかけてこちらを見ていた。
まったく気配を感じなかった……。
得体の知れない不気味さを感じつつ、いずみは座り直して青年と向き合う。
無機質な目が、こちらを品定めするように見つめてくる。
そしておもむろに青年は小さく息をついて腕組みをした。
「女子供は騒々しいだけだと思っていたが、お前は違うようだな。その利発さなら、我が主の期待に応えてくれそうだ」
我が主とは誰なのだろう?
聞き返そうとして、いずみは思いとどまる。闇雲に話を聞いても混乱するだけだ。
まずは順を追って話を聞こう。
いずみは乾いた唇を湿らせ、口を開いた。
「あの、貴方がたは一体何者なのですか?」
青年は目を細め、わずかに思案してから言葉を紡いだ。
「俺の名はキリル……俺たちはバルディグの偉大なる王、ジェラルド陛下に仕えている者だ」
バルディグ――大陸の北部にある国で、北方で最も厳しい冬を迎えていると噂に聞いたことがある。
あと覚えているのは、大人たちが「バルディグにはなるべく行きたくないな」と口を揃えて言っていたこと。
話を聞いた時に、理由は聞かなかった。きっと酷い寒さで行き来するのが大変なのだろう、としか考えていなかった。
いずみは唾を呑み込むと、キリルへ向ける眼差しを強くした。
「国王陛下が不老不死を望まれたから、久遠の花を捕らえにきたのですか?」
「ああ、その通りだ。陛下は数年ほど前から、死ぬことを非常に恐れていらっしゃる。だから久遠の花の伝承を聞き、何が何でも連れて来いと命じられたのだ」
キリルの話を聞きながら、いずみは手を強く握り込み、感情のおもむくままに言いたくなる気持ちを抑え込む。
「どうして力づくで私たちを捕らえようとしたのですか? どなたか隠れ里に来て久遠の花に事情を説明して、一番知識が豊富な薬師を連れて行けば……」
「最初はそれも考えた。だが、今まで不老不死を望んで近づいた国々が、守り葉によって返り討ちにされている。……真っ向から行けば、毒の標的になるだけだ。それに――」
表情を変えないまま、キリルは大したことではないと言わんばかりの、淡々とした口調で言葉を続けた。
「――陛下のご命令は、久遠の花を生け捕りにすること。命を奪えとは言われていない。……お前たちが抵抗しなければ、誰も死なずに済んだ」
「そんなことは……」
反論しかけて、いずみは言葉を失う。
キリルの言う通り、抵抗しなければみんな死ぬことはなかったのかもしれない。
でも、もしそうだとすれば、一族を守って死んだことも、秘密を守って命を断ったことも、意味はなかったということになる。
一族の犠牲が無駄だったなんて、認めたくない。
再び潤みそうになるのを堪えていると――。
――そっといずみの肩に、水月の手が載せられた。
「誰も死なずに済んだ、だって? ……ふざけんなよ。どうせ何人か確保できれば、残りはさっさと殺して、復讐の芽を全部摘む気だったんだろうが」
怒りからなのか、怯えからなのか、水月の手が細かく震えている。
それを抑えるように、水月の手に力が加わり、いずみの肩に軽く痛みが走った。
「それに、ジェラルド王の噂は聞いている。……逆らう者はもちろん、機嫌が悪いってだけで目の前の相手を斬り殺す、狂った王だってな。そんな人間が不老不死を叶えた後、用が無くなった人間を生かすとは思えねぇ」
感情を感じさせなかったキリルの目に、鋭い光が宿る。
刹那、キリルの腕が伸び、水月の顎を掴んだ。
「……口には気をつけろ。これ以上陛下を侮辱すれば、貴様の顎を砕く」
淡々とした調子はそのままに、キリルの声が低くなる。
容赦なく指が顔に食い込まれ、水月から呻き声が聞こえてきた。
この人は本気でそうするつもりだ。
咄嗟にいずみはキリルの袖を掴み、間近になった彼の顔を見上げた。
「やめて下さい! 陛下のお望みが一刻でも早く叶うよう、精一杯頑張りますから!」
いずみの目を、キリルが無言で見つめてくる。
こちらの心を全て読もうとしているように思えて、いずみの体が強張った。
しばらくしてキリルは腕の力を抜き、水月から手を離した。
「その言葉、忘れるなよ。少しでも妙な真似をすれば、そこの小僧を死ぬより辛い目に合わせるからな」
そう言うと、キリルは音もなく立ち上がり、いずみと水月を見下ろした。
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