第95話刹那の隙

(何だ……? 何が起きた?!)


 咄嗟にみなもが音の方へ顔を向けると、真っ先に大きな背中が視界に入ってくる。


 殺気立った、レオニードの背中。

 彼の右肩から、じんわりと黒く滲むものが見えた。


 そしてレオニードが顔を向けた先には、いつの間にか天井の隅に四角い穴が現れていた。

 穴からこちらを伺う、細く鋭い目と視線が合った。


「ゲイル!」

 

 みなもが叫ぶと、目はさらに細く、緩やかな弧を描く。

 次の瞬間、穴から大きな影が落ちてきた。


 レオニードの前に、ゲイルが降り立つ。

 顔は笑っていたが、目は血走り、怒りで口が引きつっている。


 その肩には、ぐったりしている小柄な女性が担がれていた。


「動くなよ。動けばコイツの命はないぜ?」


 ゲイルが短剣を抜き、女性の首筋へ刃をあてる。

 そして顎をしゃくり、武器を手放すように促してきた。


 悔しいが言う通りにするしかない。

 みなもとレオニードはゆっくりと手にしていた獲物を床に置いた。


 ニヤリと満足気にゲイルが笑う。

 しかしそれも一瞬だけで、すぐに表情を曇らせた。


「この臭い……毒を流しやがったか。お前らが平気ってことは、中和剤を持っているんだろ? 早くよこせ」


 ゲイルが女性の首筋に、うっすらと赤い線を刻む。

 すると彼女が小さく身じろぎ、弱々しくこちらに顔を向けた。


 元は整った顔立ちだったのだろうが、今は顔が赤く腫れ上がり、見る影がない。

 今までゲイルにいたぶられていた事が、容易に想像できる。

 

 思わずみなもは唇を噛み締め、ゲイルを睨みつける。


(あの人、かなり弱っているな……もしかすると体が毒に耐えられないかもしれない)


 彼女を犠牲にする訳にはいかない。

 みなもは「分かった」と早口に呟き、懐から小瓶を取り出す。


「これが二人分の中和剤だ。先に彼女に飲ませて欲しい」


 言いながら小瓶をゲイルに投げ渡す。

 受け取ってすぐに女性を肩から降ろすと、彼女の口へ中和剤を流し入れる。

 そして少し様子を見てからゲイルは残りを飲み干した。


「おい、女。気がついているなら立てよ」


 ゲイルに足先で軽く頭を蹴られ、女性は体を小刻みに震わせながら上体を起こす。

 しかし踏ん張りがきかず、なかなか立ち上がることができなかった。


 しびれを切らせてゲイルは彼女の細い腕を掴むと、力づくで引っ張り上げ、無理に立たせた。


 再び女性の首へ刃をあてるとゲイルは顎を動かし、「後ろへ下がれ」と指図してくる。


 レオニードがこちらをわずかに振り向いて、目を合わせてくる。

 それを合図にゆっくりとみなもは後ろへ下がった。

 一拍遅れでレオニードも後退し、みなもを庇うように前へ立った。


 ゲイルが前に進み出て、顔をこちらへ向けたまま、布がはみ出ていた鉄製の箱を開ける。

 中には折りたたまれた乳白色のドレスと水色のショール、そして装飾品が置かれていた。

 ゲイルは手を伸ばし、一気に装飾品を鷲掴みした。


「オレは石さえ手に入ればそれでいい。だからドレスはお前らにくれてやる。衣装さえあれば女神の役はできるだろ?」


 悔しげにレオニードが拳を震わせる。怒りで殴りかかってしまいそうな自分を抑えているのは明らかだった。

 その様子を見て優越感に浸っているのか、ゲイルは唇を歪ませ、濁った目を細める。


 心の中でみなもは冷ややかに微笑む。


(気が大きくなっているならありがたいな。隙が生まれやすい)


 ほんの少しの隙さえあれば、人質を取り戻してゲイルをこの場で倒せるはず。

 油断を誘うために、みなもは悔しげに顔をしかめてみせた。


 それと同時に、ゲイルから見えないようレオニードの背中をつつく。

 レオニードは振り返らず、ゲイルから目を離そうとしない。

 動きはなくとも、しっかりこちらの意図に気づいていることが分かった。

 

 みなもはゲイルから顔が見えるよう、あえて一歩横にずれる。


「ゲイル、このまま逃げ切れると思っているのか? もうお前の仕業だということは城にも伝わっている。今頃は街中に兵士が散らばってお前を探しているよ」


 ゲイルが顔をしかめて小さく舌打ちする。だが、すぐに勝ち誇った表情を浮かべ、みなもと視線を合わせてきた。


「逃げ切れるさ。連中の知らない逃げ道なんざいくらでもある」


 狙い通りに注意がこちらへ向いている。今なら――。

 

 みなもは目を細め、射ぬくような眼差しでゲイルを睨む


「随分と余裕があるな……こんな大それた真似をするのは、初めてじゃないってことか」


「その通り。ああ残念だな、時間があればオレの武勇伝を聴かせてやれるのに」


「時間があっても遠慮するよ、その手の話は酒場でよく聞かされたから――……っ!」


 体を一瞬強張らせ、みなもは息を引く。

 間髪入れず、弾かれたように扉へ顔を向けた。


「な、何だ?」


 視界の横でゲイルの肩がピクリと跳ね、同じように振り向く姿が映る。


 ほんのわずかな隙。

 刹那の好機を見逃さず、みなもの前で大きく動く気配がした。


 床を蹴り、レオニードが一気にゲイルの懐へ飛び込む。

 そして勢いよく手を振り上げた。


「グゥッ!」


 濁ったうめき声と同時に、鈍い音が重なる。


 素早くみなもは顔の向きを戻す。

 期待していた光景に、思わず笑みが浮かんだ。


 ゲイルの手からは、短剣も、人質の女性も見当たらない。


 短剣は床の隅に転がり、静かに横たわっている。

 女性はレオニードの片腕に抱えられ、ぐったりしながらもか細く息をしていた。


 空いていたもう片方の手が、ゲイルへ伸ばされた。


「ここまで来て捕まってたまるかよ!」


 後ろへ退き、ゲイルがかろうじてレオニードの手を避ける。

 しかし体がふらつき、よろめいた。


 瞬時にレオニードは一歩踏み出し、ゲイルの肩を押す。

 押し込まれた力に逆らう事はできず――。


 ――ダンッ!

 ゲイルの体が大きく倒れ、派手に床へ叩きつけられる。


「チッ!」


 吐き捨てるように舌打ちし、ゲイルが起き上がろうと床に手をつける。

 

「逃がさないよ、ゲイル」


 みなもはその手を蹴り払い、再びゲイルを床に伏せさせた。

 そして袖に隠していた毒の針を、ゲイルの手に刺した。

 

 即効性の、自分から放たれている物とは違う毒。

 さっき口にした中和剤では抗いきれない。

 すぐに毒は全身を巡り、ゲイルの意識を奪っていった。


 レオニードが女性をゆっくりと床へ降ろすと、ゲイルの手から装飾品を取り上げる。

 特に破損した様子はない。みなもの口からようやく安堵の息がこぼれた。


「まったく……これでようやく帰れるよ。後は衣装も返してもらわないとね」


 気が抜けてくらくらする頭を押さえながら、みなもは開きかけた箱へ歩み寄る。

 蓋を開けると、折り畳まれた水色のショールとドレスが置かれていた。


 みなもは先にドレスを手にとり、汚れがないかを確かめる。

 これらも売れば高い値がつく。丁寧に扱ってくれたようで、奪われる前と変わらずきれいなままだった。


 ドレスを机の上に置くと、今度はショールを手にして眺める。

 こちらも特に問題は――。


(……あれ?)


 ふと違和感を覚え、みなもは首を傾げる。


 とても柔らかく滑らかな上質の絹。ショールの上で咲き誇る百合の刺繍。

 誰が見ても、その美しさに唸らずにはいられないだろう。


 これが偽物だとは到底考えられない。

 ただ、衣装合わせをした時よりも、その美しさに磨きがかかっているような気がする。


 手触りも、刺繍の細かやかさも、より上質になっている。

 それに心なしか刺繍の百合の花びらが、前よりも細長くなっているように見えた。


「みなも、どうしたんだ?」


 レオニードに声をかけられ、みなもは我に返る。


「……ううん、何でもないよ」


 わざわざ前よりも上質な偽物を用意して、入れ替える必要がどこにもない。

 きっと自分の思い違いだろうと結論付け、みなもは体から放たれる毒を抑える丸薬を飲んでから、レオニードに歩み寄った。


「助けに来てくれてありがとう。……肩の傷は大丈夫?」


 傷口を見ようと、レオニードの肩に顔を近づける。

 さほど深い傷ではない。毒の気配も感じられず、みなもは安堵の息をつく。


 と、レオニードの手が優しくみなもの肩を抱いた。


「連中の確保と室内の解毒は俺に任せて、君はゆっくり休んでいてくれ」


「気持ちは嬉しいけれど、早く家に帰りたいから俺も――」


 一緒にやる、という言葉は言わせてもらえなかった。

 急にレオニードに唇を塞がれ、みなもは目を瞬かせる。

 しかしすぐに瞼を閉じて、唇から伝わってくる彼の熱を受け止める。


 これで今まで通りの、レオニードと一緒に過ごせる日々が戻ってくる。

 そんな実感が胸奥に穏やかな火を灯し、体が真綿のような柔らかな温もりに包まれる。


 ただ、ただ、嬉しい。

 どれだけの大金を手に入れても、大粒の宝石を身に着けても、やっと手にしたこの日常に勝るものはなかった。

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