第92話滲み出る毒
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どこに行きやがった、あの野郎!」
キリから教えてもらった一階の物置き部屋の片隅。
みなもは壁に背をつけ、乱れた呼吸を整えていた。
耳を澄まし、男たちの怒声や駆けずり回る音を聞く。
まだ部屋の前まで来ていないが、確実にこちらへ近づいていた。
(そろそろクリスタさんが裏口から逃げている頃だ――)
懐を探って黒い丸薬をつまみ出し、口の中へ放り込む。
奥歯でガリッと噛み砕くと同時に、苦味が全身へ広がった。
(――やっと攻めに出られるよ)
体から、かすかに摘みたての草のような香りが漂い始める。
昔から『守り葉』にのみ伝えられてきた毒。
ただそこに立っているだけで、毒が放散されていく体質に変わるのだ。
しばらくこの部屋にいれば毒が充満し、連中がここへ入ってきた直後に体を痺れさせる事ができる。
ここに潜んでいれば、まず自分の身の安全は確保できる。
しかし、ずっと助けが来るまで待つ気はなかった。
(連中が身動き取れなくなるように、毒を振りまかないとね。……絶対に逃さないからな)
頭は冷静だが、腹立たしさで目が据わってくる。
鋭くなっていく視線を、そのまま扉へ向けた。
壁の向こうから、ドンッと激しく扉を開く音がする。もう彼ら隣の部屋まで来ているようだった。
みなもは息を殺し、彼らの訪れを静かに待つ。
バァンッ!
響き渡る音とともに、男たちが部屋へなだれ込む。
どうやら追って来た連中が全員、一気にこの部屋へ入ったようだった。
(あーあ、無用心だな。そんな事すれば……)
みなもが小さく肩をすくめた刹那。
派手に中の物を倒しながら、次々と男たちは倒れていく。
苦しげにうめき声を出していたが、次第にか細くなっていく。
体に力が入らず、声を出す事すらままならなくなっていた。
起き上がる気配がない事を確かめてから、みなもは男たちを踏まないよう、足元に気をつけながら扉まで近づく。
首を伸ばし、左右の廊下を見回す。上の階まで響き渡るような音がしたのに、新たな追手が来る気配はなかった。
助かったと思う反面、強い違和感を覚えて目を細める。
(国宝を盗むなんて大仕事の最中なのに、さっきの音に反応しないなんて……ありえない)
わずかな音も聞き逃すまいと、みなもは目を閉じて耳を澄ます。
右に伸びる廊下の向こう側から、ざわめきと落ち着きない足音が聞こえてきた。
どうやら異変が起きているらしい。だから人をこちらに割けないのだろう。
好都合だと思う反面、少し胸騒ぎがする。
(キリが連中とやり合っているのか? それとも……レオニードが来ているのか?)
まだ建物内に毒を行き渡らせてはいないのだ。本調子の連中に取り囲まれれば、レオニードも苦戦を強いられるはず。
みなもは懐の丸薬をもう一つ取り出し、口の中へ入れる。
これを飲むほどに、体から放たれる毒は強さを増していく。
ただ、威力が強くなるほどに、体への負担は大きくなってしまう。
クラリ、と目眩がして足がよろめく。
どうにか膝に力を入れて体勢を直すと、みなもは壁に手を付きながら、騒がしくなっている方へと足を進めた。
近づくにつれて、刃がかち合う音や、床を落ち着きなく踏み鳴らす音が聞こえてくる。
突き当りの角まで来た時、その音は鮮明になった。
みなもは壁に背をつけ、顔を少し覗かせて先の様子を探る。
視線の先では、三人の男が一人を取り囲み、剣を交える光景。
囲まれながらも応戦しているのは、外套のフードを被った男――キリだった。
レオニードでなかった事に、落胆しつつもホッとする。
その後、目を細めて小さく唸った。
(さて、どうしようか。助けに行ってもいいけど、連中と一緒にキリも毒にやられるし――)
仕立て屋の時に使った手袋の毒よりも、今自分から放たれている毒のほうが効きは強力だ。
いくら毒に耐性があると言っても、この毒専用の中和剤がなければ完全には防ぎ切れない。
頭を働かせている最中、キリがこちらに顔を向ける。
そして剣を交えていた男の腹を蹴飛ばして相手三人の体勢を崩すと、こちらへ駈け出してきた。
まるで突風が鋭く吹き抜けるような素早さで。
「待て――」
咄嗟にみなもは声を出す。だが、もうキリは目前まで来ていた。
駄目だ、間に合わない。
焦ったその刹那、キリがみなもの横に並ぶ。
かろうじて聞き取れる声で、キリは呟いた。
「ここは任せたぜ。オレはオレの目的を果たしに行く」
そう言い残すと、キリはみなもが元来た道を走って行った。
毒に侵され、体が麻痺した様子は微塵もなかった。
(ちょっと待て、この毒も効かないのか?! あいつの体は一体どうなっているんだ)
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