第65話黒鞘の短剣

 みなもの足音が遠ざかっていく音を確かめた後、レオニードはさらにナウムへ集中する。


 この男の顔を見るだけでも、胸からとめどもなく湧き出る怒りが全身を埋め尽くしていく。

 しかし頭に血が上ってしまえば隙ができてしまう。確実に勝つために、努めて冷静になろうとする。


 そんな自制心をあざ笑うかのように、ナウムがこちらの瞳を覗き込んできた。


「淡白そうなツラして、随分と独占欲が強いんだな。そんなにみなもを寝取ったオレが憎いか?」


 挑発するために言っているのだと分かっていても、頭が熱くなってくる。

 レオニードはきつく目を細め、歯ぎしりした。


「当然だ……卑怯な手を使われながら辱められて、どれだけ彼女が傷ついたと思っているんだ」


 フンッ、とナウムが鼻で笑う。


「意思がなかったのは最初の頃だけ……演技ができるほど経験もないだろうに、その後のほうが反応は良かったぞ?」


「黙れ!」


 レオニードの腕に力が更に入り、二つの刃がナウムの鼻先まで近づく。

 それでもナウムは苦しげな顔は見せず、むしろこの状況を楽しんでいるように口端を上げた。


「お前の怒りはよーく分かるぞ。オレからすれば、前々から狙っていた獲物をお前に奪われたんだからな」


 不意にナウムが真顔になる。

 道化の空気を無くした彼は、今までの言動からは想像がつかないほど真摯で、ひどく疲れ切った印象を受けた。


「お前がいなくても、最初は憎まれただろうな。だが、昔のオレたちを思い出せば、みなもからオレを求めていたハズ。……アイツにとって初恋の相手だったからなあ」


 ナウムの正体は浪司やみなもから聞いている。

 水月という名の、隠れ里に出入りしていた商人の息子。


 また適当なことを言っている、と思いたいのに思えない。

 自分の知らない過去を共有している――その見えない部分が戸惑いを作っていた。


 突然ナウムの剣が重くなり、レオニードの剣を弾いた。


「ずっとオレは我慢し続けたんだ。欲しくて、欲しくて、気が狂いそうでも、オレには手を出す資格はねぇって言い聞かせながら……でも、そろそろ報われても良いと思わねぇか?」


 刹那、ナウムはレオニードへ更に近づき、懐へ入ってくる。


「だから、お前はもう消えろよ」


 ナウムが頭部を貫こうと、下から剣を突き上げてきた。

 咄嗟にレオニードは身を捻り、避けながら剣を振るって反撃に出る。


 激しく刃をぶつける度に互いの熱気が混ざり合い、辺りにこもっていくように感じる。

 息苦しさを覚えながら、レオニードは攻撃の手を休めずにナウムの様子を伺う。


 剣から伝わってくる力に翳りはない。が、顔色は見るからに悪い。

 耐毒の薬を飲んでいるとはいえ、ゆっくりながらでも毒は進行しているはず。


 それでもここまで動けるのは、この男にも譲れないものがあるのだろう。手負いの獣だと思ってはいけない。

 レオニードはそう自分に言い聞かせながら、緊張感を保ち続けた。


 剣を弾き返し、こちらの攻撃も弾かれ続けていくと――。

 ――ナウムが一瞬、顔をしかめ、足元をふらつかせた。


(今だ!)


 レオニードはこの隙を見逃しはしなかった。

 大きな一歩を踏み込み、ナウムの腹部に狙いを定める。


 鋭く剣を突き出そうとした時。


 ナウムの目が不敵に笑った。


 こちらの動きを見透かしたように、ナウムは下から上へ剣を振り上げる。


 ギィィンッ!

 予想外に強い力が剣を伝い、すさまじい衝撃がレオニードの手を襲う。

 思わず指が緩んでしまい、剣が大きな弧を描いて弾き飛んだ。

 

 レオニードは驚いて目を見張り、息を止める。

 その顔をしっかり目に留めると、ナウムは口元を大きく歪ませた。


 ヒュッ!

 間髪入れずに、ナウムがこちらの首をめがけて勢いよく剣で突いてきた。


 ここで殺される訳にはいかない。


 レオニードは膝を曲げて素早く頭を下げる。

 髪に刃はかすったが、かろうじて避けることができた。


 とにかく距離を取らなければ。

 レオニードは強く床を蹴り、ナウムの胸部へ体当たりを食らわす。


 鈍い音と「グッ……」という詰まった声が同時に聞こえる。

 ナウムの体が大きく後退した。


 咄嗟に剣を拾おうと、レオニードは横へ跳ぼうとする。が、


「諦めが悪いな。しつこいヤツは女に嫌われるぞ」


 軽口をたたきながら、ナウムがこちらへ斬り込んでくる。


 後退することしかできない自分が不甲斐なくて、レオニードは下唇を噛む。


(素手で勝てる相手じゃない。今使える武器は――)


 考えている最中に体が勝手に動き、気がつけば懐から黒鞘に入った細身の短剣――みなもから渡された、猛毒の短剣を手にしていた。


 少しでも体をかすれば、致命傷を与えられる。

 しかし得物の長さも強度も、ナウムの剣のほうが上。

 まともに刃を交えても、弾き飛ばされるのは目に見えていた。


 迫り来る剣を睨みつけ、レオニードは短剣と黒鞘を握りしめる。


 どうすれば意表をつける?

 剣を正面から交えず、ナウムに毒を与えるにはどうすれば――。


 ――脳裏に閃きの光が走った。


 レオニードは黒鞘の端を持ち、ナウムに投げつけた。


「おっと、危ねぇな」


 僅かにナウムが身を引き、シュッ! と剣を振るって黒鞘を弾こうとする。


 短剣よりも脆い鞘は、真っ二つに割れた。


 その中から薄茶色の滴が溢れ、ナウムの手に落ちた。


「…………っ!」


 一瞬にしてナウムの顔が蒼白になり、全身を震わせ、低く唸りながら滴のついた手を押さえる。


 かすれば人を確実に殺せる毒。

 それが皮膚に付着するだけでも激痛が走るとみなもは言っていた。

 だから鞘に入っている毒も利用できると思ったのだ。


 この好機を逃す訳にはいかない。

 レオニードは短剣を逆手に持ち、ナウムに向けて鮮やかな一閃を放つ。こちらの攻撃に気づいたナウムが、避けようとして体を傾ける。


 切っ先がナウムの腕をかすった。


 刹那、ナウムの体が床に崩れ落ちる。

 そして白目を向き、体をピクピクと痙攣させた。


「よ、くも……やって、くれ……た……」


 声にならない声が言い終わらぬ内に、ナウムの呼吸が止まる。


 レオニードは物言わなくなった彼を見下ろし、眉根を寄せた。


(……こんな代物を、みなもは持ち続けていたのか)


 確実に殺せる毒とは聞いていたが、こんなに即効性があるとは思わなかった。

 ずっと生き抜くための、最後の手段だったのだろう。


 今回は助けられたが、二度とみなもには手にして欲しくなかった。


 もうみなもは目的を果たしたのだろうか?

 レオニードは自分の剣を拾い上げて鞘に収める。そして短剣を手にしたまま、みなもの後を追った。

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