第64話目的を果たすために
みなもはナウムへ切っ先を突き立てようと、剣を振り下ろした。
鋭い刃が煌くと同時に、昔の記憶が鮮明になる。
ただ無邪気にはしゃいでいた自分。
いつも遊んでくれた水月。
そんな自分たちを、微笑ましそうに見ていた姉。
『貴女が人を傷つける姿なんて、見たくないわ』
いずみの声が頭に響く。
思わず体が硬直し、みなもの剣は虚空で止まった。
ドンッ。
胸に衝撃が走り、みなもは思わずよろける。
ナウムに体当たりされたと理解した直後、剣を持つ手が掴まれた。
きつく締め上げられる手首に気を取られていると――。
――足を払われ、床へうつ伏せに倒されてしまった。
慌ててみなもは起き上がろうとするが、ナウムに腕を取られてしまい、強く押さえつけられてしまう。
どうにか逃げようともがくが、うまく力が入らず、彼から逃れることはできなかった。
ククッ、と人の悪そうな笑い声が漏れた後、みなもの耳元に熱い息がかかった。
「さっきのは危なかったぜ。あのまま剣が振り下ろされていたら、確実に命を取られていたぞ」
みなもは首だけを動かし、背後を向く。
間近に見えるナウムは、笑っているのにどこか泣きそうな目をして、こちらを見下ろしていた。
「まさかお前があそこで躊躇するとは思わなかったな。抱かれ続けて、少しはオレに情を持ってくれたか?」
「違う! そんなことある訳ないだろ」
「どうだかな、みなもは嘘つきだからなあ。お前の言うことは、もう二度と信用しねぇよ」
さらに力を入れられ、みなもの手から短剣が離れる。
それを手に取り、ナウムはジッと剣を見つめた。
「さて……こうなった以上は始末するしかないと思っていたが、やっぱり殺すのは惜しいな。かと言って、また同じことをされる訳にもいかねぇし――」
しばらく一人でブツブツと呟いた後。
ナウムは口元を歪ませ、瞳を色めき立たせた。
「まずはお前を歩けなくしちまって、逃げないように部屋へ閉じ込めておこう。先のことを考えるのは、その後だな」
こちらの顔から足にナウムの視線が動いたことに気づき、みなもは息を呑む。
手に持っている短剣で、足首の腱を切ってしまうつもりだ。
念には念を押して、鈍器で足の骨を砕かれてしまうかもしれない。
すぐに訪れるであろう苦痛よりも、ナウムに完全に捕らわれてしまうことが恐ろしかった。
ナウムの手がゆっくりと動き、剣の切っ先を足へ向ける。
そして何の躊躇もなく、思い切りよく振り下ろした。
――キィィィンッ!
突然、金属を強く弾く音が響き渡った。
ほぼ同時に、みなもの体からナウムの重みが消える。
すぐに体を起こそうとした時、こちらへ誰かが駆け寄ってくる気配がした。
「みなも、無事か?!」
顔を上げると、そこには血相を変えたレオニードがいた。
助かった……。
みなもは思わず安堵の息を零しながら頷くと、彼の手を借りて立ち上がる。
視線を横に動かすと、いつの間にか自分の剣を拾い、距離を取ってこちらを見つめるナウムの姿が見える。
彼はおどけたように肩をすくめると、口元にいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「やっぱりテメーも生きていたか……みなもがオレに何をされたか知ってんだろ? それでもみなもについてくるなんて、健気な忠犬だな」
それ以上は言うな。聞きたくない。
怒りと、反論できないもどかしさで、みなもの胸に吐き気が込み上げる。
カッ。
大きく靴音を鳴らし、ナウムからみなもを隠すようにレオニードが前へ出た。
「……知っている。これ以上、貴様に彼女を傷つけられる訳にはいかない」
いつもより低く、冷たい声が押し出される。
レオニードから伝わってくる怒りに、みなもは頭を下げたい思いに駆られる。
うつむきそうになっているところ、不意にレオニードの手が肩に置かれた。
反射的に視線を合わせると、彼は瞳だけを動かし、部屋の奥を見やった。
「俺がナウムを足止めする。だから、みなもは先に行ってくれ」
かろうじて聞き取れる声に、みなもは小さく首を横に振る。
「いや、俺も戦う。二人で戦ったほうが――」
「ここで時間稼ぎをされて、エレーナ王妃を逃がしてしまう訳にはいかない。……一番の目的は、あの男を倒すことじゃないんだ」
レオニードに言われなくても、頭の中では分かっていたことだ。
でも心が、もう彼と離れたくないと叫んでいる。
これは単なるワガママだ。迷っている時間が惜しい。
己にそう言い聞かせ、みなもは激しく波立つ胸の内を押さえ込んだ。
「分かったよ。目的を果たしたらすぐ援護に戻ってくる。それまで絶対に死なないで」
こちらの答えにレオニードは頷くと、体の向きを変え、ナウムを正面にとらえた。
一瞬、レオニードの体が沈み込む。
そして弾かれたように、ナウムへ跳びかかっていった。
避けきれないと悟ったのか、ナウムは即座に笑みを消し、返り討ちにしようと前へ踏み込む。
ギィンッ!
刃が力強く交わり、一際大きな音がみなもの耳を揺らす。
わずかに痛みを覚えながらも、戦う二人から目を逸らさず、ゆっくり後退して距離を取っていく。
ナウムの顔を見ると、レオニードの気迫に押されたのか余裕は消えていた。
みなもは柱に身を隠し、静かに息を整えつつ気配を消していく。
二度、三度と剣がぶつりかり、どちらも負けじと押し合い始める。
それを見計らい、みなもは部屋の奥へと走り出した。
「チッ、先には行かせねぇぞ」
ナウムはレオニードに蹴りを入れて離れると、こちらへ振り向き、近づこうとする。
しかしレオニードが素早く動き、二人の間を隔てるように立ち塞がる。
「なに……!」
動揺を見せたナウムへ、レオニードは容赦なく斬りつけた。
再び剣を交えて押し合いとなったが、力は均衡しているらしく、二人の足はその場から離れない。
「耐毒の薬を使っているようだが、少しは効いているようだな。前に会った時より動きが鈍い」
「勘違いするなよ、まだ本気を出していないだけだ。たかが一兵卒に負ける訳にはいかないんでな」
互いに殺気を隠さず、歯を食いしばりながら対峙する。
これ以上レオニードを見ていたら、先へ行けなくなってしまう。
二人を一瞥して背を向けると、みなもは全力で足を動かした。
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