第63話思い出すほどに怒りは増して
ヒュッ。
鞘から抜かれた剣が、躊躇いなく空を切る。
間一髪みなもは後ろへ飛び退き、かろうじて刃から逃れることができた。
冷や汗が一筋、頬へ流れる。
もし避けなければ、間違いなく斬られていた。
この男は本気で殺すつもりだった。
互いに睨み合っていると、ナウムがククッと笑い声を漏らした。
「前々からそんな気はしてたが……いつから自我を取り戻していたんだ?」
みなもは腰の短剣を抜きながら、冷ややかな視線をナウムにぶつける。
「さてね。お前にだけは教えられないよ」
「まあ、いつだって良いんだけどな。少なくとも、意識を保ちながらオレに抱かれ続けていたってことだからなあ」
ナウムは肩をすくめると、みなもの全身を舐め回すように見つめてきた。
「気づいていたか? お前がオレの体を受け入れている時、たまに泣きそうな顔していたってことは……結構そそられたぞ? だから、ひょっとすると元に戻っているんじゃねぇかって思っていたんだ」
思い出したくもない記憶が、一瞬にしてみなもの頭を駆け抜ける。
途端に羞恥と怒りで体が熱くなり、意識が飛びそうになる。
今、我を忘れてしまえば勝ち目はなくなる。そう自分に言い聞かせ、努めて落ち着いた声を出した。
「気づいていたのに、放っておいてくれたのか」
「ああ。確信がなかったし、オレの欲目でそう見えていたとも思っていたからな。確かめられるまで、いずみに会わせなければ問題ないと読んでいたが――」
ナウムは顔の笑みを消し、忌々しげに舌打ちする。
「お前以外の人間が毒を流したのは計算外だった。しかも城全体に、人の命を奪わない程度に毒を行き渡らせる術も度胸もあるヤツなんざ……やっぱりあのオヤジが李湟だったか」
一族の血を引かないナウムが、どうして浪司の正体に気づいているんだ?
気になるところだが、ナウムが真実を語るとは到底思えない。
それに自分も余計な真実を語るつもりはなかった。
まともに相手をしていられるかと言わんばかりに、みなもは大きく息をついた。
「お前の想像に任せるよ。これ以上、時間を無駄にしたくないからね」
ここで足止めを食らっている内に、いずみが逃げてしまうかもしれない。
もし城から脱出して仕切り直しても、こちらの手の内がバレてしまった以上、いずみを中心にして毒の対策を練られてしまう。
今、姉の元へ行かなければ、彼女を止めることができなくなる。
みなもは短剣を正面に構えると、足に力を貯めた。
「ナウム、奥へ進ませてもらうぞ……お前なんかに邪魔されてたまるか!」
全力で床を蹴り、みなもはナウムに向かっていく。
ナウムとまともに戦えば、力でねじ伏せられるだけ。
素早く懐に入り込んで勝負を挑まなければ、勝てる相手ではなかった。
急な動きに戸惑うことなく、ナウムはわずかに腕を引き、こちらに刃を向ける。
「行かせねぇよ。いずみを本気で傷つける気なら、残念だがここで始末してやる」
口元には笑みが浮かんでいるが、ほの暗い瞳は無機質に前を見据えていた。
みなもが間近に迫ったのを見計らい、ナウムが剣を振るう。
咄嗟にみなもは肩を縮めて刃を避ける。
そして間を開けずに、ナウムの脇腹を貫こうとした。
こちらの動きを読んでいたかのように、ナウムは小さな動きで身を捻る。
切っ先は彼の服をかすったが、体には届かず、服に穴を空けることしかできなかった。
(くっ……いくら耐毒の薬を飲んでいるとはいえ、動きが鈍っていない。でも、負けてたまるか!)
悔しげに歯を食いしばりながら刃を翻し、みなもは再びナウムを斬りつけた。
だが、二度、三度と剣を振るっても、紙一重でかわされてしまう。
「ほらほら、どうした? そんな攻撃じゃあ、オレは殺せないぞ」
ナウムは愉快げな声で挑発すると、みなもの攻撃を刃で受け流し、頭へ目がけて剣を振り下ろそうとした。
動きが大きくなった。
その一瞬を見逃さず、みなもは体を素早くひねる。
そして思いきりよく、ナウムの剣に向かって回し蹴りを放った。
ギィンッ。
高い音が辺りに響き、彼の手から剣が離れる。
ナウムは一瞬目を丸くし、苦笑しながら舌打ちした。
「女のクセに、重い蹴りを入れやがる。……そういえば、靴にも武器を仕込んでいたな」
ダッドの宿屋で対峙した時を思い出し、みなもはフッと笑う。
「あの時は仕留め損なったけど、今度は外さない」
右のつま先を蹴って靴から隠し刃を出すと、顎を切り飛ばす勢いで蹴り上げる。
確実にとらえた――そう考えたのも束の間、ナウムが背中を反らし、うまく靴の刃をかわした。
空振りに終わったが、ナウムの手には武器はなく、体勢が崩れかけている。
この好機を見逃すまいと、みなもは目を鋭くさせた。
(いくら毒の耐性があっても、直接毒が体内に入ればただでは済まない。この剣でかすり傷でもつければ俺の勝ちだ)
みなもは剣を持ち直し、ナウムの胸へ狙いを定める。
今までのことが脳裏に浮かび、身に貯め続けた怒りが煽られる。
かすり傷だけで満足できる訳がない。
この刃を、深く、深く、この男の体に打ち込みたい。
体の奥から湧き出る黒々としたものが、自分の身を蝕んでいくのを感じた。
(お前だけは絶対に許さない。いくら水月だったとしても――)
何度も抱かれ、その合間に昔の他愛のない話を聞かされる内に思い出した。
晴れた日の草っ原の中、水月の周りをはしゃいで走り回っていた自分を。
面倒そうにしながら、いつも遊んでくれる水月が好きだった。
もし隠れ里が襲われなければ、今頃は彼と結ばれ、ずっと一緒にいられると喜んでいたかもしれない。
だからこそ余計に怒りが増した。
隠れ里の大切な思い出を、この男が踏みにじって汚したから。
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