第57話けじめ

 少し見つめ合ってから、レオニードが距離を詰めて座り直す。

 間近になった彼を、みなもは無言で見上げる。


 ヴェリシアを離れてから、まだ二週間ぐらいしか経過していない。

 けれど何年も離れていたような感じがして、ひどく懐かしい。


 会いたかった。

 でも、会うことが怖かった。

 目的のために汚れ続ける自分を見せたくなかった。


 袖を掴んだままの手が震え出す。

 何か言わなければと口を開きかけた途端、みなもの頬を涙が一筋流れた。


「ごめん、レオニード……貴方を傷つけることばかりしてしまって……」


 意思を取り戻したことを隠すためとはいえ、レオニードの前でナウムを相手に娼婦まがいのことを見せつけてしまった。

 あの時に見た、少し視線を逸らして傷ついた表情を浮かべたレオニードが忘れられない。

 

 いくら謝っても許されることじゃない。

 どんな批難でも受け入れなければと、みなもは身構える。


 しかし、レオニードは申し訳なさそうな顔をして、ゆっくり首を横に振った。


「いや、俺のほうこそ悪かった。少しでも君のことを疑ってしまって……ナウムに見せていたあの表情が、演技に見えなかったんだ」


 怒って当然のことをしたのに、まさか謝られるとは思わなかった。

 何度か目を瞬かせてから、みなもは控えめに苦笑した。


「中途半端なことをしたら気づかれるからね。だから貴方にするつもりでやっていたんだ。本人を目の前にして、かなり滑稽な話だけど――」


 話の途中で、こちらの肩に腕を回したレオニードが、強い力で抱き寄せる。


 こんな自分でも受け入れてくれるんだ。

 そう思うと胸が締め付けられ、無意識にみなもは彼の胸に縋っていた。


 ぎゅっ、と肩を抱くレオニードの力が増した。


「……もう二度と他の人間には向けないでくれ」


 耳元で低く囁かれた声に乗り、レオニードの息遣いが聞こえてくる。

 罪悪感は膨らみ続けるのに、また触れ合えることが嬉しくて仕方がない。

 みなもは小さく「うん」と頷くと、レオニードへもたれかかり身を預ける。


 触れている所から熱が生まれ、全身に広がっていく。

 痛いほどに強ばっていた心が、和らいでいくのが分かった。


 もうこの温もりを手放したくない。

 ただ、レオニードが許してくれても、自分が自分を許せない。

 けじめをつけなければ――。


 みなもは細長く息を吐き出してから、「レオニード」と声をかけた。


「ちょっと手を出してもらえるかな?」


 わずかにレオニードが顔を上げ、言われるままに手を差し出す。

 躊躇いがちにみなもは懐から首飾りを手にすると、彼の手の平に載せた。

 そして体を起こして、間近になった彼の目に視線を合わせた。


「一度、貴方にこれを返すよ」


「君に贈った物だ。返す必要は――」


 首飾りをこちらに戻そうとしたレオニードの手へ、みなもはそっと上に重ねて制する。


「嫌な話だけど、ナウムが言っていた通りのことを俺はやってきたんだ。しかも我を取り戻して自分の意志で……そんな人間が貴方と今まで通りでいたいって言うのは、図々しいと思う」


 また瞳が潤みそうになり、言葉を止める。

 これ以上、泣いて同情を請うような真似はしたくない。


 みなもは目に力を入れて涙を押し込めると、声が震えないよう、慎重に口を開いた。


「……だから目的を果たしてヴェリシアへ戻った時、俺がレオニードと一緒に居続けることを許してくれるなら……貴方の手で、この首飾りをもう一度かけて欲しい」


 レオニードが何か言いかけて、口をつぐむ。

 しばらく目を細めてこちらを見つめた後、彼は首飾りを握りしめた。


「分かった、預からせてもらう」


 受け取る気はないと突っぱねられるかもしれない、と覚悟をしていたけど、思った以上にあっさり了承してくれて良かった。


 みなもはホッと胸を撫で下ろし、顔から力を抜く。


 その刹那、顎が持ち上げられ、レオニードの唇が重ねられた。

 何度となく繰り返してきた口づけなのに、初めて交わした時のように胸が高鳴る。

 

 少しでも長く触れ合いたくて、みなもはレオニードの首に抱きつく。

 こちらの望みに応えるよう、彼の腕が背中に回され、強く、強く、抱き締めてくれた。


 みなもが息継ぎをするために、唇をわずかに離す。

 と、レオニードの手が頬に当てられ、間近に瞳を覗き込まれた。


「もう一度、必ずみなもにこの首飾りを贈る。だから……明日は絶対に死なないでくれ」


 一切の迷いを見せない、揺らがない声。

 こんな自分を受け入れてくれるのだと考えるだけで、嬉しさと彼への懺悔が膨れ上がって、胸が痛くなってしまう。


 けれど、今はこの痛みがあることを幸せに思う。

 きっと明日が過ぎても、彼と一緒にいられる。そんな確信を与えてくれるから。


 みなもがかすかに頷いた後、レオニードが深く口づけてくる。

 胸の痛みがさらに増して、思わず目をきつく閉じた。


 絡み合う吐息と彼の体温を、より強く感じてしまう。

 これを最後にしたくない。


 今まで生きてきた中で、こんなに生きたいと願ったことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る