第54話種明かし

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 夜も深まり、月はバルディグを囲む山々に隠れてしまう。


 淡い光すら届かなくなり街を包む闇がより一層濃くなる中、ナウムの屋敷の裏庭を歩いていく者がいた。

 足音を消し、慎重に辺りを見回しながら、林に面している塀へと近づいていく。


 塀の手前に生えている木の幹に手を置くと、裏庭を振り向き、辺りの気配を探る。


 ……大丈夫、誰も来ていない。

 彼の者は身軽に木へ登ると、一旦塀の上に乗った後、敷地の外へ着地する。

 そして暗闇の中、木にぶつからないよう、ゆっくりと林の奥へ進んでいった。


 しばらく歩いていくと、遠くにぼんやりとした明かりが見える。

 それと同時に、ほんのり飴を溶かしたような甘い香りがした。


 どうやら近くまで来たらしい。

 今にも走り出したい気持ちを抑えつつ、彼の者は明かりのほうへと進んでいく。


 次第に明かりは強くなり、赤々と燃える焚き火が目に入った。

 だが、周りに人の姿はない。


 どこにいるのだろうと、辺りをうかがっていると――。


 ――グイッ。

 強く腕を引かれたかと思うと、急に体が締めつけられる。


 突如として視界が暗くなり、驚きで体が強張る。

 しかし、伝わってくるがっしりと硬い感触と、よく知っている低い息遣いに気づくとすぐに緊張は解け、頬に押し付けられていた彼の胸元を強く掴んだ。


「レオニード……良かった、無事で……」


 嗚咽が混じりそうになり、みなもは唇を噛んで震えてしまう喉を抑えようとする。

 ぎゅう、と背中に回された腕の締めつけがさらに強まった。


「それは俺の台詞だ。……もう勝手に俺から離れないでくれ」


 かすれた声でレオニードが囁くと、それに合わせて彼の胸から振動が伝わる。


 ひどく心配させてしまったと気を重くする一方で、まだ心配してくれることが嬉しい。

 勝手にナウムの元へ向かった挙句に、わざわざここまで来てくれた二人の前で、あんなやり取りを見せつけて――。

 裏切られたと、もう姿を見せるなと言われても当然のことをしたのに。


 もっとこのままでいたかったが、話を先延ばしにする訳にもいかない。

 レオニードが腕の力を弱めたのを見計らい、みなもは少し身を離して彼を見上げた。


 赤く染められた短髪、浅黒い肌……今はいつもの色に戻っているが、昼間は瞳が茶色になっていた。

 ここまで姿を変えて会いに来てくれたのだと思うだけで、みなもの瞳は潤みそうになった。


 話したいことが沢山あるのに、いざとなると言葉が出てこない。

 しばらく何も言わずにレオニードと見つめ合っていると、


「お前さんら……いちゃつくなら、話が終わってからじっくりやってくれ」


 横から緊張感のない、からかいの色を乗せた声がした。

 我に返って声がしたほうを振り向くと、浪司がにっかり歯を出して笑っていた。


 いつもと変わらない顔にホッとしつつも、みなもはわずかに身構える。


 レオニードがここまで来たのは分かる。

 けれど、浪司がお人好しというだけで、危険を冒してまでここへ来たとは考えられない。

 今まで一緒に行動していて、何か目的があるのだろうとは思っていたけど……。


 こちらの警戒が伝わったのか、浪司は「安心しろ、ワシは敵じゃない」と苦笑を漏らした。


「取り敢えずあそこに座って、みなもの話を聞かせてくれ」


 浪司に促され、三人は焚き火を囲んで地面に腰かける。

 パチッ、パチッ、と焼かれる木の弾ける音を聞きながら、みなもは二人の顔を交互に見た。


「二人とも……わざわざ来てくれたのに、傷つけるようなことをしてごめん。腕の手当てはしたの?」


「ああ、君が浪司に渡していた傷薬を塗らせてもらった。もう痛みは引いている」

 

 レオニードが小さく頷き、みなもの目をじっと見つめてきた。


「俺たちよりも、みなものほうが大変だったんじゃないか? ずっと暗示にかかったフリを続けて――」


 今までの出来事が次々と脳裏に浮かび、みなもの気が遠のきそうになる。


 すべてが夢だったと思いたいのに、体があの生々しい感触を覚えている。

 熱い吐息。

 体に這わされた手。

 呪いをかけるように耳元で囁かれた睦言。そして――。


 忘れようにも忘れさせてくれない。

 逃れられないなら、いっそ自分の体ごと消してしまいたかった。


 みなもは目を伏せ、大きく息をついてから口を開いた。


「本当はナウムの暗示で、俺は完全にアイツに支配されていたんだ。自分の意思を持たない、ナウムの命令に忠実な人形に……でも、これのおかげで意識を取り戻すことができたんだ」


 そう言いながら懐を探り、手にした物を二人に見せる。

 焚き火の明かり照らされたそれは、星の瞬きのように静かな輝きを放っていた。


「首飾り? それでどうやって暗示を解いたんだ?」


 浪司に尋ねられると、みなもは微笑を浮かべて首飾りの石を指で撫でた。


「ここに来てから何度も同じ悪夢を見て心細かったんだ。だから心がめげないように、いつもこの石を見ながら『俺は自分を失わない』って思っていた。……それで自己暗示がかかったんだろうね。着替えの時にこの首飾りを見たら、意識が戻ってくれたんだ」


 自分を取り戻した直後の気分は最悪だった。

 前の晩の情事が残ったままの体は汚らわしくて、このまま命を絶ってしまおうかと思っていた。


 けれど目的を果たすまでは死ねない。

 死ぬ気ならば、この体がどれだけ汚れようが構わない。

 そう開き直って、そのままナウムの暗示がかかったフリを続けていた。


 もしこの首飾りがなければ、二人を確実に殺そうとしただろう。

 自分の意識を保ったままナウムに従い続けるのは辛かったが、最悪の事態を避けられたことが救いだった。


 どうにかナウムの隙を突いて「裏の森で落ち合おう」と伝えたが、ナウムの部下に殺されないか心配だった。

 こうして顔を合わせられて心から良かったと思う。


 みなもは首飾りを懐へ戻すと、瞼を開いてレオニードを見据える。

 こちらの視線を受けて彼の目が悲しげに細まる。罪悪感が胸の奥底から沸き上がり、感情任せに謝り倒したくなってしまう。けれど、今は話をすることが先決だと一旦軽く口を結び、昂りを抑えてから再び口を開いた。


「俺をヴェリシアへ連れ戻す目的もあると思うけれど……今は、ごめん。貴方の元に戻れない。どうしてもやりたいことがあるから」


 最初から察しがついていたのか、レオニードから驚きの色は見えない。

 どこか諦めたように小さく息をつき、普段よりも低い声で尋ねてきた。


「君のやりたいことは……毒を作っている仲間を止めることなのか?」


「そうだよ。もう誰が作っているのか、どこに居るのかは分かっている。ただ、特別な場所にいるから、そう簡単には会いに行けない。だから嫌でもナウムを利用して、隙を伺っていたんだ」


 みなもが話を区切って息継ぎをしていると、浪司から強い視線を感じた。

 視線をレオニードから浪司へ移すと、彼は身を乗り出し、緊張した面持ちを見せていた。


「みなも、教えてくれ。一体誰がバルディグの毒を作っていたんだ?」


 口調は穏やかだが、一言一言がやけに重く聞こえる。

 浪司の事情は分からないが、これを尋ねるためにここまで来たのだろうかと思いたくなるような、切羽詰った響きがした。


 ここで誤魔化すことは言いたくない。

 みなもは唾を呑み込んでから、意を決して答えた。


「毒を作っていたのは、この国の王妃エレーナ様。……名前も姿も変わってしまったけど、間違いなく俺の姉さんだ」

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