第44話二通の手紙

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 昼過ぎになり、ナウムが屋敷へいずみを連れてきた。


(姉さん……!)


 顔を見た瞬間、思わずみなもは嬉しくて駆け寄ろうとしたが、すぐ我に返る。

 事情を知らない人間が見ている前では、臣下の姿勢を崩す訳にはいかない。みなもは平静な顔でいずみを出迎えると、「どうぞこちらへ、エレーナ様」と硬い声で促し、ぎこちない足取りで来賓室へと案内した。


 三人が部屋の中へ入り、扉を閉めて中央のソファーへ腰を下ろす。

 みなもの向かい側に座ったいずみが、申し訳なさそうに眉をひそめた。


「ごめんなさい、みなも。もっと堂々と会えたら良かったのだけど……」


「謝らないで。姉さんの立場を考えたらしょうがないよ。こうして会えるだけで俺は十分だから」


 慌ててみなもは首を横に振っていずみに微笑み返すと、自分の隣へ座ったナウムに顔を向けた。


「こうやって姉さんと会えるのも貴方のお陰。本当にありがとう、ナウム」


 不本意だったがナウムの部下になっている以上、白々しくても彼を立てなければ。

 にっこり破顔するみなもへ、ナウムが胡散臭いまでの爽やかな笑顔を見せた。


「やっと離れ離れになった姉さんに会えたんだ。これからも機会を作って、会えるようにしていく。約束するぜ」


 ナウムのヤツ、姉さんの前だと上手に猫を被るな。……俺も人のことは言えないけれど。


 表面上は親しい空気を漂わせ、ナウムと心を通わせ合っているように見せる。

 いずみを心配させまいとする思いが一緒のせいか、嫌になるほど息がピッタリ合ってしまう。


 しばらく談笑を続けた後、ナウムがソファーから立ち上がった。


「私はこれで失礼します。イヴァン様の了承も得ていますから、今日はみなもと心ゆくまでお話し下さい」


 いずみはナウムを見上げると、穏やかに口元を綻ばせる。その眼差しは揺るぎのない信頼を向けていた。


「ナウムにはいつも支えてもらってばかりだわ。本当にありがとう」


 自分の知らない間に作られた、二人の繋がり。

 それを見せつけられた気がして、姉が遠くにいるように感じてしまう。


 みなもはいずみと一緒に、部屋を出て行くナウムを見送る。

 淡い寂しさと、姉の心を掴んでいるナウムへの嫉妬で胸が疼いた。


 ナウムの足音が遠ざかった後、いずみがフフッと笑った。


「ねえ。みなもはナウムのこと、どう思っているの?」


 急に予期せぬことを言われて、みなもの目がわずかに泳ぐ。


「どうって――」


「あの人に言われたわ。みなもが許すなら、伴侶として迎えたいって」


 ナウムの伴侶……ありえない。想像すらしたくない。


 嘘でも「嬉しい」なんて言いたくない。

 しかし、あからさまに拒否をして、姉の傷つく顔も見たくない。


 みなもが答えに詰まっていると、いずみは不思議そうに目を瞬かせて小首を傾げた。


「あら、嬉しくないの? 小さい頃『大きくなったら、水月お兄ちゃんのお嫁さんになる』って、何度も言ってたのに」


 ……なんて見る目がないんだ、子供の頃の自分は。


 この身に覚えのない過去を消し去りたいと思いながら、みなもは小首を振る。


「俺もナウムも昔とは違うから、そう簡単には考えられないよ。まだバルディグへ来て日も浅いから」


「そうね、ちょっと焦り過ぎちゃったわ。貴女たちが一緒になってくれたら嬉しいな、って思っていたから、つい――」


 いずみが頬を赤くして、恥ずかしそうに頬を掻く。

 髪や目の色が変わっても、幼い頃に見ていた姉の中身は変わっていない。

 それが嬉しくて、みなもの口端が上がる。


(そういえば、姉さんは昔からしっかりしているように見えて、意外とそそっかしいところがあったな)


 みなもは懐に手を持っていくと、仕舞っていた手紙を取り出す。


 きっと優しい心根も、人を気遣う優しさも変わっていないだろう。

 だから、これを渡せば自分の望みを汲んでくれるかもしれないと、淡い期待が胸に滲む。


「姉さん、お願いがあるんだ。この手紙をイヴァン様にお渡しして欲しいんだ。

わざわざ俺と話すためにここへいらっしゃったから、そのお礼を伝えたくて」


 まずは一通だけ差し出すと、いずみは「分かったわ」と両手で丁寧に受け取る。

 そして、みなもの手に残ったもう一通の手紙を、いずみは指さした。


「そっちの手紙は誰に渡せばいいのかしら?」


「これは姉さんへの手紙だよ。こうして顔を合わせると嬉しくて、話したいことが頭から抜けちゃうんだ。だから手紙に書いてきたんだよ」


 いずみの目に優しい色が宿り、少し瞳を潤ませる。


「そうなの……今、読んでもいい?」


「うん。そのつもりで持って来たんだ」


 同じように目を潤ませながら、みなもはもう一通の手紙と、服のポケットから取り出した銀の紙切りナイフを差し出す。

 それらを受け取ると、いずみはしばらく眺めてから封を開けた。


 いずみの目が手紙の字を追っていく。

 最初の一枚は、嬉しそうに目を細めて読んでいた。


 しかし二枚目を読み始めた途端、いずみの顔から笑みが消えていった。


 読み終えた後、いずみは頭を上げる。

 その顔は血の気が引き、肌の白さが増していた。


「みなも……これが、貴女の答えなの?」


 いずみが今にも消え入りそうな声で尋ねてくる。

 

 やっぱり傷つけてしまったと、みなもは眉根を寄せた。


「そうだよ。そこに書いたことが俺の願い……本心だよ」


 どうにかして自分の願いを、直接いずみに伝えたかった。

 そのために、ずっと我慢してここへ居続けた。

 自分を犠牲にしてでも、姉を傷つけることになっても――。


 いずみは手を震わせながらソファーの上に手紙を置くと、硬い表情のままみなもを見据えた。



「私は久遠の花。貴女の言いたいことは分かるわ。でも今の私はバルディグの王妃……毒を作ることを止める訳にはいかないの」



 揺れながらも凛とした姉の声を聞きながら、みなもは目を閉じる。


 自分は守り葉。

 人を癒す久遠の花を守る者。

 一族の血と、知識と、技術を守る者。


 そして、使い方を誤れば安易に人を傷つけられる力を、身を守ること以外には絶対に使わないという一族の願いと誇りを守る者。


 自分の願いは、これ以上は毒作りをさせないこと。

 二度と同じことが起きないよう、いずみから知識や技術を奪うこと。


 何度も自問自答し続けてきたが、最後の守り葉として、姉を特別扱いする訳にはいかなかった。


 みなもは襟の裏を探り、隠していた小さな紙の包みを取り出した。


「姉さん……犠牲になったみんなのことを思うなら、この薬を飲んで欲しい」


 包みの中には、記憶を消すための薬が入っている。

 飲めば今までのことをきれいに忘れてしまう。

 己が久遠の花であることも、幼い頃の思い出も、自分たちが姉妹だということも――。


 いずみは視線を落とし、肩を震わせる。

 すうっ、と大きく息を吸い込むと、彼女は首を横に振った。


「……ダメよ。今、私たちが毒を手放せば、また昔のように国のみんなが苦しむ世の中に戻ってしまうわ」


「そのために他の国の人たちを苦しめ続けてもいいの?」


 こちらの言葉を聞き、いずみの体が固まる。

 が、すぐ弾けたように顔を上げ、みなもへ強い眼差しを向けた。


「私はもう、この国の人たちが苦しむ顔を、絶望する顔を見たくないわ」


 姉さんは軽はずみな考えで、毒を作る人じゃない。

 目に映る苦しむ人々を放っておけなかったことぐらい察しがついている。

 けれど……。


 みなもは怯まずに、いずみの視線を受け止める。


「俺はこの国が酷かった時を知らない。でも、姉さんは知っているの? 他国で傷を受けた兵士たちが、一つの部屋で大勢が毒に苦しみ、喘ぐ姿を……」


 今思い出すだけでも、胸から歯がゆい思いが湧き出てくる。

 せっかく助けた人間を、再び命を落とすかもしれない戦場へ向かわせなければいけない。

 生きて欲しいから治療したのだ。延々と苦しみを与えるために治療した訳ではない。

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