第42話覚悟は決まった

 みなもは身支度を整えて朝食を済ませると、ナウムの書斎の扉を叩いた。

 こちらが口を開く前に、中から「みなも、遠慮せずに入れよ」という声が聞こえてくる。


 まだ声も聞いていないのに、どうして誰が来たのかが分かるんだ? 恐らく廊下からの足音や気配を読んでいるのだろうけど……。


 ナウムのこういう資質は、悔しいが流石だと思ってしまう。

 だからこそ気は許せないと身構えながら、みなもは「失礼するよ」と扉を開けて部屋の中へ入った。


 正面に大きな窓と机が臨んでいたが、そこにナウムの姿はなかった。

 みなもが辺りを見渡すと、彼は隅に置かれた本棚の前で、分厚い装丁の本を読んでいた。


 本を閉じて顔をこちらに向けると、ナウムは目を細めて微笑んできた。


「よう。お前からオレの所に来るなんて珍しいな。どうかしたのか?」


 これから伝えることを察しているのか、ナウムの顔がやけに上機嫌だ。

 先読みされてばかりで、甚だ面白くない。思わずムッとしそうになるが、みなもは我慢して己の顔から感情を消した。


「……やっと覚悟が決まったから、ここへ来たんだ」


 次の一言を口にすれば、もう後には引けない。

 軽く目を閉じて大きく息を吸い込み、先の見えない闇に飛び込む勇気を蓄える。

 

 瞼を開けてナウムを見据えてから、みなもはその場に跪いた。


「姉さん……いえ、エレーナ様をお守りするために、私を貴方の部下に加えて下さい。貴方がエレーナ様に忠誠を誓い続ける限り、私はこの守り葉の力を捧げましょう」


 わずかにナウムの目が丸くなり、面食らったような表情を見せる。

 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべてみなもへ近づくと、彼はしゃがんで目線を合わせてきた。


「その言葉、待っていたぜ。お前はオレの欲しいものを全部持っているんだ、どの部下よりも大切にしてやるよ」


 ナウムが腕を伸ばして、みなもの頬に優しく手を当てる。

 何度も見た夢が脳裏に過ぎり、体が強ばってしまう。そんな弱みを知られまいと、みなもは頭を垂れてナウムの手から逃れた。


「ありがとうございます。ただ、一つお願いしたいことがあります」


「何だ? 無茶な内容じゃなければ、どんなことでも聞いてやる」


「どうか、近々エレーナ様と二人きりでお話しする機会を下さい。お伝えしたいことは、まだまだたくさんありますから」


 ナウムから小さく唸る声が聞こえる。

 しばらくして、こちらの肩に手を乗せ「顔を上げろ」と命じてきた。

 みなもが言われるままに顔を上げると、ナウムは苦笑を漏らした。


「その頼み、聞いてやるが……オレの頼みも聞いてくれ」


「頼み、ですか?」


「オレと二人きりの時は、今まで通りにしてくれ。その敬語に態度、思いっきり距離を取られた感じで面白くねぇ」


 今度はみなもの目が丸くなり、不敵な笑みを浮かべ返す。


「部下になる以上、立場をわきまえたほうが良いと思ったんだけどね。まあ、白々しいやり取りをしなくていいのなら、俺もありがたいよ」


「そうそう。それぐらい生意気なほうが、口説き甲斐があっていい」


 愉快げに声を弾ませながら、ナウムが肩に乗せていた手でみなもの顎を持つ。

 咄嗟にみなもはその手を払い、素早く立ち上がる。


「調子に乗るな。俺はあくまでも部下だ、お前を喜ばせる娼婦になる気は一切ない」


「クク……お前はそのままで十分にオレを喜ばせてくれる。娼婦にする必要もねぇよ。だが――」


 ナウムがニヤニヤしながら立ち上がり、こちらの体を舐め回すように見つめてきた。


「気づいてるのか? お前、オレに少し触れられるだけで面白いくらいに熱くなってんだぞ。いつか耐えられなくなって、みなもからオレを求めるようになるかもな」


 ドクン、と鼓動が大きく跳ねる。


 まさか夢のことを知っているのか?

 そんなはずはない。

 夢は夢。独り言ですら口にしたことのない内容を、ナウムが知るはずもない。


 少し落ち着いて考えれば、ナウムには何度も触られている。

 その都度、頭に血が上っていたのだ。体も熱くなって当然だ。


 みなもは呆れたように肩をすくめ、「ありえないよ」と踵を返そうとした。

 が、動きを止めて、顔だけをナウムのほうへと向けた。


「ナウム……先日ここまで足を運んで下さったイヴァン様に、お礼の手紙をお渡ししたいんだ。だから失礼にならないような便箋と封筒を、いくつか譲って欲しい」


「律儀なヤツだな。あの人はそんな物がなくても、まったく気にしない人だが……まあお前が渡したいって言うなら譲ってもいいぜ。後で侍女にお前の部屋まで運ばせる」


「ありがとう。じゃあ、俺は失礼する――」


 今度こそ立ち去ろうとした時。

 みなもの腕が強く掴まれ、後ろへ引っ張られる。


 耳元で、一段と低くなった声が囁いた。


「一つ尋ねるが、ヴェリシアの男に書いて送る気じゃないだろうな?」


 つられるように、みなもの声も低くなる。


「……俺はあの人を裏切って姉さんを選んだんだ。書ける訳がないだろ」


「お前は目的のために、本心も性別すらも偽ってきた人間だ。無条件にお前を信用するほど、オレはお人好しじゃないぜ」


 ざわざわと、みなもの腰から背筋に沿って悪寒が這い上がってくる。

 けれど悪寒が頭の上まで登り切った後、熱を帯びた鈍い痺れが、ゆっくり足から上へと広がっていく。


 早く離れなければ、自分がおかしくなってしまう。


 みなもは震えそうになる足に力を入れ、ナウムを横目で睨んだ。


「今度姉さんと会わせてくれた時に、手紙を姉さんへ渡す。それなら心配ないだろ? 他の人に渡さないか、見張ってもらっても構わないよ」


「なるほど。そこまで言うなら本当に送る気はなさそうだな。疑ってすまなかったな」


 ナウムに声の調子が戻り、みなもの腕から手を離す。

 そして「良い子だ」と頭を撫でてきた。


 慌てて彼の手を払おうと、みなもは手を上げようとする。


 しかし力は入らず、ナウムの手を払うどころか、自分の腕すら動かすことはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る