獣は生きるため

 超高級宿屋で目覚める朝。

 枕が変わって寝付けないと心配していたのも、度を越した高級ベッドの前では杞憂だった。


 まるで魔法をかけられたかのように寝入ってしまって、昨日の記憶がない。

 確か、夕食が部屋に運ばれてきて、普段は食べられないような料理を堪能していたことは覚えている。

 エリスが「食事はボクが作る」と言って騒いでいたのも覚えている。


 しかしそのあとの記憶がない。

 エリスをどうやって落ち着かせたのか、いつベッドに入ったのか、まったくわからない。

 起きたら隣にアリアがいたのだ。


「アリア、アリア」


 ぐっすり眠っているアリアを見ると、目覚めないんじゃないかと不安になる。

 つい、ちょっかいを出してしまう。

 ほっぺたをつんつん。


「んん、リルちゃん、そこじゃない」


 まどろむアリアに指示されて、つっつく場所を口元に変える。

 ペロリとひと舐めされた。


「んん、もっと下」


 反応があるのが嬉しくって、アリアの言う通りに続ける。

 アリアの輪郭をなぞるように、あごを伝って首へ、胸へ。


「まだぁ」


 さらにお腹からおへそを通り、太ももの方へとひと差し指をそわせていく。


「あ、もっと上」


 ん、上?

 急きょたどってきた線を戻り、下腹部のあたりでストップ。


「あとすこしだけ横、そう、おへそから、まっすぐ下に」

「どこ触らせようとしてるのっ」


 アリアの思惑がわかって、思わず太ももを叩いた。

 そこは、触っちゃダメでしょう。


「あー、ざんねん」

「アリア、最初から起きてたよね」


 指示が具体的だった。

 寝ていたのならもう少しイタズラをしていたのだけど、起きているとハズかしいもの。

 そんなことを思って踏みとどまるから、アリアに私の全部が欲しいと言われてしまうのかな。


 でもまだムリ。

 アリアにデレデレしている自分がイメージできない。

 照れ隠しにベッドから降りて、朝の準備を始めようとすると、エリスがタオルを持ってきてくれた。


「……もう、朝から乳繰り合って。ボクもいるのに」


 周りから見れば十分にべったりしているらしい。

 まあ、最初の頃は一緒に寝ることもなかったし、なんだかんだ価値観が変わっていているのだろう。

 アリアの思い通りになるのも時間の問題、かもしれない。


「……ん」


 と、エリスが私の肩に頭を預けてきた。

 最近やけに甘えたがり。

 こういう時、いつもアリアは無表情になって私とエリスを引き離そうとするのだが。

 後ろを振り返ると、にっこりと笑っていた。


「……お風呂、準備できてるよ」


 エリスに押されるようにして、バルコニーへ。

 目覚めのおフロも、入れば絶対気持ちいいだろう。

 一生のうちに中々できない経験だから、ここは欲望に甘えてしまおう。


 館内着を脱ごうとしたら、すかさずアリアが走ってきた。

 また一気に取っ払われるのかと身構えていると、予想に反して優しく脱がしてくれる。


「リルちゃん、こっちこっち」


 全裸にされたと思えば、アリアは先におフロに足を踏み入れ、私に手を差し出していた。

 変なコトをされないのに違和感を覚えつつ、その手をとって湯船に浸かる。

 エリスはアリアの行動をキョトンとして見ていた。

 今日のアリアは紳士的。


「ボクの仕事……」


 何かをしようとエリスが後ろに立とうとするも、アリアが先回り。

 私の髪がお湯につかないように、ハンドタオルで整えてくれた。

 そういえば、知らない間にだいぶ伸びてきたな。


 アリアの髪は私が切っていたからいつ見ても可愛い。

 けど、自分のことには気が回っていなかった。


「……アリア、ボクの、し、しごと」


 エリスの揺れる声色。

 後ろを振り返ると、エリスが目に涙を浮かべて座り込んでいた。


「今日はわたしの仕事なの!」


 アリアが私の前に移動し、足のマッサージを始める。

 いつもは下心満載で触ってくるのに、今回はしっかりマッサージの体裁を保っていた。

 驚きである。


「……ぐすん」


 そして泣いてしまった700歳児エリス

 後ろから静かに鼻をすする音が聞こえる。

 昨日の夜も、エリスが夕食を作ると言って、料理を運んでくる従業員を一生懸命ジャマしていた。


 これまでの旅では身の回りのことをエリスが全部やってくれたので、こちらも困らなかったし、エリスも普通にしていた。

 ここにきて、いきなり仕事が奪われてしまって、こんなにも取り乱しているのだ。


 かわいそうだと思いました。


「エリス、朝ごはんの前に、お茶をいれてくれる?」

「……え?」

「わかったリルちゃん! 行ってくるね!」


 おフロから出ようとするアリアを押さえつけ、エリスに仕事をお願いした。

 アリアが動けないのを見ると、エリスは急に生き生きした表情になって、部屋の中へ駆けて行った。


「……ふう。私、初等部の先生になれるかも」

「リルちゃんは働かなくていい! わたしががんばる!」


 アリアもなんかおかしい。

 じっとしているとどんどん事態が悪化していくから、まず行動した方がいいのかな。

 ひと息つく間もなく、私はおフロから上がって、エリスのいれたお茶を飲みながら、旅支度をする。

 もう一度領主の屋敷を訪ねて、王の遺産が見つかったか聞いてみよう。


 アタマの中で予定を組んでいると、部屋のチャイムが鳴らされる。

 宿の従業員が朝食を運びにきたのだろうか。

 エリスが入り口の方に向かって、警戒心をあらわにしている。

 そんなエリスを差し置いて、アリアが自ら従業員を出迎えに行った。


「ご朝食ののち、街のご案内をいたします。領主様が探し物をしている間、お楽しみいただけますように、とのことです」


 そう言って、しわひとつないエプロンドレスを着込んだ従業員が、給仕台を転がしてぞろぞろと入ってくる。

 アリアが椅子を引き、私に座るように促してきた。


 まるで私がお姫様になったような気持ちだ。

 席につくと、目の前にどんどんお皿が並べられていく。

 そんな光景を、エリスは悔しそうに見ていた。


 アリアが私の隣に座るころに、私の方は配膳し終わったらしい。

 最後にグラスに飲み物が注がれて、完璧な配置が出来上がっていた。

 アリアとエリスのぶんが並べ終わるのを待って、ナイフを手に取る。

 さすがにこの場で暴れるひとはいない。


 この場は、よく言えば貴族の食卓。

 わるく言えば使用人の監視の下の食事。


 最近のアリアは時と場合をわきまえた行動をとってくれるし、エリスも事をあらだてるようなわがままは言わないのだ。

 安心して朝食が取れる。


 昔の記憶を思い出しながら、マナーを遵守して食事にはげむ。

 ナイフとフォークをちょこちょこと動かし、これでもかと小さく切り分けた根菜を口に運ぶ。


「結構なおてまえで」


 ここがエルフィード式食事法のメンドクサイところで、食べ始めの一口は代表者が料理を褒めなきゃならない。

 味なんてまだわからない状態で言ったことに、給仕が一礼で返し、物陰の見えないところへ移動した。

 ものすごくじれったい。


 そこらへんの冒険者みたいに、目の前のものを口に詰められるだけ詰める方が、見た目は汚くてもよっぽどラクだ。

 アリアは何の不自由もなさそうに、わけがわからないほど小さくちぎったパンを食べている。


「あの、部屋から出てもらって、いいですか……?」


 マナーに縛られた食事に耐えきれなくなって、私は従業員に退去を命じた。

 リーダー格っぽいひとが無言で呼び鈴を置き、深く礼をして去っていく。

 そういえば、昨日の夕食も同じようにした気がする。


 そして、リーダー格が扉を閉めきった瞬間、勝負がはじまった——。


 人目がなくなり、無礼講。

 アリアとエリスが、フォークにさした料理をこちらに向けてくる。

 私に食べさせ合戦。


 ふたりが何をするか、もう長いこと一緒にいたから予想がつく。

 放っていおたら乱戦間違いなし。

 真っ先に自分の料理をとって、一気に頬張った。


 キッシュ。

 シャキシャキソウと、燻製の乱豚が入ったおいしい卵料理。


 貴族の料理は、どうして大きなお皿の真ん中にちょっとの食べ物をのせるのだろう。

 まあ、食べやすいからちょうど良い。


 アリアとエリスの手をかいくぐり、順調に朝食を味わっていく。


「リルちゃん! いじわるしないで!」

「……お世話させてよぉ」


 自分のぶんを平らげると、何もできなかったふたりから文句がでる。

 仕方がないから私がアリアとエリスの料理をとって、交互に食べさせてあげる。

 そうすると喜ぶ。

 でっかい子供のお世話をしているみたい。


 そうしてなんとか全てのお皿をキレイにして、朝食を終わらせた。




・・・・・・・・・・・




 食後は従業員の宣言通り、街の案内に連れて行かれることになった。

 そんなことより領主の家に乗り込もうと決心していたのだが、ダメだった。


「おはようございますリルフィ様! それとお仲間のみなさま! 昨日の女商人です! 領主様に命じられて、グロサルト領の街を見てもらうことになりました!」


 朝っぱらから元気すぎる女商人の勢いに押され、知らないうちに領主の屋敷と逆方向へ。

 女商人は私の周りをちょこちょこと動き回り、隙間なくアメやらクッキーやらを出してくる。

 そうやって私がへんな方向に行かないように誘導しているのだ。


「こちらグロサルト麦のビスケットです! それとビザール柑を使ったプリンです! どうぞお食べください!」

「いや、お腹いっぱいだから」


 どこからともなく出てくるお菓子を、興味がないフリをして断る。

 甘いものが久しぶりだから、本当はもらいたいこともなくはないのかもしれないと考えられるのだが、手で押しやって見ないようにする。

 知らないひとからものをもらってはいけないのだ。


「欲しがりさんですね!!」


 出した手にお菓子の入った袋を突き出され、握らされる。

 なかなかずっしりと中身が入っていた。

 もう、仕方がないなあ。


「リルフィ様に喜んでいただいたところで、本日女商人がご紹介させていただきますのは、こちらでございます!」


 移動している間に街の景色が寂れて行き、気づけば地の果てまで見えそうな野原。

 野原と市街地を隔てる木の柵に、大きなアーチが繋がっている。

 そこには『グロサルトハッピー牧場』の文字。


「ご覧の通り、ここはグロサルト領が誇る畜産農家でございます! これからリルフィ様にグロサルトの良さを知ってもらう所存です!」


 いや、私はここに観光しにきたワケじゃないんだけど。

 領主が「王の遺産」を見つけ出すまでの暇つぶしとして、ここに連れてこられたのはわかる。

 しかし、これはあまりにもヒドい。

 ムダな時間稼ぎをしているように思える。

 やっぱりすぐに領主のところへ催促しに行った方がいいのかもしれない。


「……アリア、エリス、帰ろ」

「ちょーっと待ってください! わかりました! 5分だけでも! お願いですからハッピー牧場を見ていってください! おーい牧場主さーん!」


 後ろに回り込んで行く手を阻む女商人。

 進もうとしたが足を止めたアリアにぶつかった。


「あれれれれ? 牧場主さんが出てきませんね。みんなで一緒に呼びましょう! さん、はい、牧場主さーん!」


 女商人の大声で耳が痛い。

 そんな近くで叫ばないで。


「おっかしーなー?? まだまだ元気が足りないようです! さあもう一度! せーの、牧場主さーーん!!」

「はーーーい!!」


 私たちは一切参加していないが、ようやく元気な声が届いたのか、管理小屋らしきところからひとが出てきた。

 ピンク色の作業着に身を包み、笑顔で手を振りながらこちらに向かってくるおじさん。

 その両肩にはデフォルメしたうさぎとウマのぬいぐるみが乗っている。

 あれが牧場主らしい。


「今日はグロサルトハッピー牧場にきてくれてありがとー! おじさんと一緒に、可愛い動物たちといっぱいふれ合おうね!」


 ——。


 目頭をおさえる。

 疲れ目に効くツボだ。


「それではリルフィ様! ここからの案内は女商人から牧場主に交代です!」

「みんなー? じゃあまずはうさぎさんとお散歩しよう!」


 いい歳したおじさんが、猫なで声で話している。

 領主は私にコレを見せてどうしたいのだろう。


 アリアとエリスのどっちでもいいから、どうにかしてくれるよう目で訴えてみる。


「リルちゃん、よく考えたらこれデートだよね! いままであんまり遊ぶ時間がなかったから、たのしみ!」

「……ここなら良い肉が手に入りそうだね。今日こそはボクが料理するの」


 手で顔を覆って上を向く。

 私が、おかしいのか。


 この状況を受け入れられない、私だけがおかしいの??


「みんなー? おじさんについてきてねー?」


 女商人は逃げ道を塞ぐように立っていた。

 アリアとエリスが両隣につき、いつものポジションから私の腕をグイグイ引っ張る。

 前を行くおじさんのお尻には、ブタの尻尾が取り付けられていた。


 グロサルトハッピー牧場のアーチをくぐり、まず向かう先は屋根がついた休憩場所。

 ベンチがいくつも置いてあって、そのすぐ隣に小屋がある。

 中を見てみると、何体ものマッチョウサギがひしめいていた。


「はーい。おじさんがうさぎさんを出してあげるから、みんなは優しく抱いてあげてねー?」


 マッチョウサギは魔物だ。

 人間と争うことはあっても、触れ合うことなんてできないハズ。

 そんな常識を覆すように、おじさんは小屋の中に入って、うさぎを鷲掴みにして持って帰ってきた。

 背中の皮が手繰り寄せられ、あわれな表情になったうさぎを受け取る。


「美味しそう」

「かわいい」

「……脂が乗っているね」


 私、アリア、エリスの感想。

 正しい感想を述べているのはアリアだけだ。

 マッチョウサギは、生きる気力をどこかに落としてきたかのように、大人しく私の腕の中に収まっていた。

 せっかくなので、背中を撫でる。

 うさぎさんの表情を見ても、何を考えていらっしゃるのかわからない。


「はい、アリア」


 私がひとりじめしないように、うさぎさんをアリアに渡す。

 アリアはうさぎの長い耳を持って、目の前にかかげた。


「あああアリア、やさーしく、扱おう?」

「どうして? リルちゃんいつもこうやってるよ?」

「それは死んだやつだから!」

「でもこれ、死んでるのと変わらないんじゃない?」


 耳を持たれたうさぎさんはブラブラと、アリアのされるがままになっている。

 本来のマッチョウサギとは大きくかけ離れた姿だ。


「ハッピー牧場のうさぎさんはね、みんなをかじっちゃいけないことを、ちゃんとお勉強しているんだよ? 頭がいいね!」


 牧場主はアリアを止めるどころか、解説に入った。

 私はアリアからうさぎを奪い取って、ちゃんと腕で抱くようにさとす。


「それじゃあみんな、うさぎさんと一緒に、次はブタさんを見に行こう!」


 アリアにうさぎを抱かせて、次のエリアへと歩き出す。

 うさぎは無表情だった。


 牧場の奥へと進んで行くと、だんだんにおいがキツくなる。

 豚小屋が近づいている証拠だ。

 牧場主は私たちに待つように指示し、全力疾走で遠くの小屋に駆けて行く。

 豚小屋の扉が開かれるのを、遠目で見えた。


 すると中から数十匹の乱豚が出てくる。

 私たちの姿を発見すると、一直線に突進してきた。


 乱豚ももちろん魔物で、普通なら冒険者を見た瞬間、狂ったように暴れ出す。

 しかしここの乱豚は暴れるどころか、フレンドリーに接してきた。

 私たちに突進してきたブタは、そのまま体当たりをするのではなく、全力で体を擦り寄せてくるのだ。

 アリアも負けじと私にくっついてきた。


「びっくりしたかなー? ハッピー牧場のブタさんはね、人間が大好きなんだ!」


 小屋から帰ってきた牧場主がすかさず解説をする。

 ブタに囲まれる中で、うさぎがアリアの手の中で鼻を動かしていた。




・・・・・・・・・・・




 それから馬、牛、ヤギと、何種類もの魔物たちを見学して。

 いつのまにか日が沈んでいた。

 昨日に引き続き今日もまた、時間をムダに浪費させられてしまったような。


 牧場を一通り見終わったところで、入り口のアーチに戻ってきた。


「楽しく観光してしまった……」


 本来の性質とはかけ離れた魔物たちと触れ合えるのが新鮮で、ついつい夢中になっていた。

 これでは領主の策略にまんまとはまったことになる。


「あ、アリア、うさぎ返さないと」


 返すタイミングがなくって、一日中ずっと連れ回していた。

 懐に抱いているのが疲れたのか、今はアリアの脇腹に抱えられているうさぎ。

 相変わらずの無表情だ。

 アリアが牧場主にうさぎを返そうとして、両手に持ち替えると。


「——ちょっと! 暴れないで!」


 今まで大人しかったうさぎが突然、体をねじってアリアの腕を蹴り、拘束から抜け出した。

 地に降りたうさぎは全速力でアーチに向かい、牧場の敷地から抜け出そうとする。


「あーあ、逃げちゃったねー?」


 ニコニコ顔のおじさんが作業着のポケットから短剣を取り出した。

 うさぎは一直線に牧場から脱げ出す。

 その背中に向かって、おじさんは短剣を投げた。


 短剣はうさぎの後頭部に刺さって、一瞬にして動きが止まった。


「みんなー、ちょーっと待っててねー」


 何事もなかったように、牧場主は逃げたうさぎを拾い、事務所らしき建物に入った。


「これは……うーん……」


 複雑な気持ちになって、なんと言っていいかわからない。

 ここだけ見れば、私たちがいつも狩りをして食料を得ているのと変わらない。

 しかし、今日1日うさぎを持ち歩いていて、愛着が湧いてしまったのだろう。

 かわいそうだという気持ちと、今さらそんな事を思う資格はないという気持ちが混じる。

 結局のところ、考えてもわからない。


「アリアさんや、ケガはない?」

「——っ」


 言葉の返事はなかった。

 代わりに見せられたのは、直角に折れ曲がった腕を、もう片方の腕で支えようとするアリア。


「え、だ、大丈夫!?」

「いたいよ……」


 仮にも魔物の一撃を直に食らったのだ。

 無事でいられるワケがないだろう。

 大人しかったうさぎの印象に騙されていた……!


「ちょっとガマンしてね!」


 アリアの曲がった腕を、力尽くでまっすぐにする。


「それっ!」

「あああぁぁぁ————っ!!」


 曲がった状態で回復魔法をかけると、その形のまま骨が繋がってしまう。

 だから無理矢理にでも、戻さなければならない。

 歯をくいしばるアリアの目尻から涙が出てくるのが、見るにたえない。


「傷よ、治れっ!」


 とっさに唱えた回復魔法は、詠唱を省略した形に。

 それでも私の魔法はちゃんと発動してくれた。


「うぅ……」

「もう大丈夫だよ、ごめんね、アリア」


 どうして私はちゃんとアリアを守れないのだろう。

 油断をしないようにと思っていても、ほんの少し、気を抜いた時にアリアを傷つけてしまう。


 エリスは、こちらをじっと見ていた。


 そんなエリスのことは無視して、アリアの腕に他に異常がないかよくみる。

 折れていたところを触って、ちゃんとまっすぐ繋がっていることを確認した。


「はーいみんなー、お待たせー」


 こちらの一連の騒ぎがおさまると、牧場主が帰ってきた。


「今日のお土産をあげるよー。出来立てホヤホヤの、ウサギ肉だよー」


 渡されたのはアリアを傷つけた魔物の肉。

 まだ暖かい。

 さっきまでの複雑な心境は、アリアを傷つけた事実によって一転した。

 あんな魔物、肉になって当然だ。

 美味しく食べてアリアの栄養になってもらうのが一番の復讐。


「それじゃあねー。おじさんはこれからお仕事に戻るよー」


 こちらに向かって両手で手を振りながら、後ろ歩きで牧場の奥へ戻っていく。

 牧場主に軽い会釈で別れを告げると、見計らったかのように荷馬車を引いた女商人が出てきた。


「お疲れ様です! どうでしたか! グロサルト領自慢の牧場は!」

「ごめん、はやくアリアを休ませたい」

「し、失礼しましたー! みなさん、荷台に乗ってください!」


 女商人に、世間話よりも宿屋に案内してもらうように頼む。

 平和に1日が終わればよかったけど、思わぬ事故で気分は落ち込んでしまった。

 アリアの様子を逐一確認しながら、女商人の荷馬車に乗って宿屋に戻った。


「それでは、女商人はここで露店を開いていますので! 何かあったらいつでもお申し付けくださいませ!」


 商品の入った箱を荷馬車から取り出して、地面に並べていく。

 あっという間に露店の完成だ。


「これから商売?」

「はい! お客の需要がある限り、いつでも応えなければ商人失格ですから!」


 もうすぐ夜になってしまう。

 それでもお店は続けるのだと言う。

 商人とは大変なものだと思いながら、私たちは宿屋に入った。


「……ボクはもらったうさぎを調理してくる。今日こそはボクが夕食を……!」


 エリスが途中で厨房に向かい、アリアと私が部屋に向かう。


「リルちゃん、もうだいじょうぶだから。ほら元気元気!」

「でもアリアが心配なの。ゆっくり休むよ」


 本人には自覚がなくても、大怪我による精神的なダメージが抜けていないことがある。

 嫌がっていても、休ませてやらないといけない。

 部屋に戻ってすぐに着替えさせて、アリアをベッドに押し倒し、隣に私が添い寝をして休んでもらった。


 アリアは終始、鼻息を荒くして眠ってくれなかった。


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