第70話 作戦





「な...... なんで...... 」

「 ..... 」


赤い雨を降らせるブラウンは何が起こったか判らず、ゆっくりと騎馬武者へ震える手を伸ばす。

が、その手は虚しく何もない空間をなぞるだけだった。

そして彼の絶望に染まった目は光を失い、伸ばした手や青白くなった顔はプツッ.....と紐が切れた操り人形の様に項垂れ、力なく地面に倒れ込んだ。


「て...... てめぇぇぇええ!!!」

「......」

「何故だ!! 何でブラウンを殺したんだ!! 彼はお前達が守るべき一般人だろ!?」

「疑わしき者は殺せと命令を受けている......」


白銀の鎧に蒼と白のマント...... そして顔の一部を紅く染め上げた騎馬武者は静かに、だが腹の底から響いてくる様な、深みのある声でそう言った。


騎馬武者は瞬き1つせず、ガントレットに包まれた手の甲で顔に付いた血を拭う。


その騎馬武者はたった今、人を殺した事など気にも留めていなかった。 まるで人を殺す罪悪感など、とっくの昔に無くなってしまったみたいに......


男の話を聞く限り、彼は忠実に任務を遂行しているだけだが、彼の抑揚のない声が俺のドス黒い衝動を沸き立たせる。

人の命をなんとも思っていない様なあの目...... 何時ぞやの奴隷商人達を見た時にも感じたドス黒い物が頭を侵食する......


「命令か...... 命令なら仕方ないな...... でも......半殺しにしてでもブラウンに償いの言葉を言わせてやる!!」

「ま、待ってミカド!?」

「そうですミカドさん!落ち着いてください!」

「何時ものミカドらしくねぇぞ!!」

「ミカドっ.....!」

「っ止めるな!俺はブラウンの仇を取るんだ!」


腰にぶら下げた太刀の柄を握り、1歩騎馬武者に向け足を踏み出すとセシル達が羽交い絞めにして来る。勿論、俺が冷静さを欠いているのは自覚している。


だが、この騎馬武者の行いは我慢出来ない。


例えそれがラルキア王国軍の鎧を来た軍人でも! 助けを求める無抵抗の人間をいきなり切り捨てる様な奴に、俺は温厚に接する事なんて出来ない!


「翼竜の陣」

「!!」

「えっ!?」

「そ、そんな! 何故ラルキア軍が!?」

「ま、待てよ! 僕達は味方だぜ!?」

「なんで...... 」


激昂する俺を一瞥した騎馬武者の冷静な声が周囲に響き、後続のラルキア王国軍の一団...... 目測で一個中隊程度の規模、凡そ150名から200名の軍人達が、良く訓練された素早い動きで瞬く間に俺達に対峙し、俺達の正面の大通りを塞ぐ様に陣形を整えた。


名前は全くの別物だったが、俺はその陣形を知っていた。


ハルバードを持つ槍兵を1番手前にし、順にロングソードを持った剣兵、モーニングスターを持つ重装兵の順で3重構造の「V」の形を作り、中心に先程の騎馬武者が立つ。

この陣形は日本の戦国時代にも良く使われ、半月型のこの陣形に敵が突っ込んでくると、突っ込んできた敵を両翼の部隊が包み込む様に動く事で、包囲・殲滅する事に適していた。


この鳥が羽を広げた様な見た目から、【鶴翼の陣形】と呼ばれている戦術陣形の1つだ。


この世界は【魔龍石】を始め、曜日の名前等、龍に肖った物や呼び名が多い。

この【翼竜の陣】と言うのも、かつてこの世界を作ったと伝えられる7匹の龍のご利益に肖っての命名だろうか......


この鶴翼の陣形は、敵の兵力の方が多かったり、複数の方向から攻められたりすると脆いが、今の俺達のように少数の敵...... そして同時に、複数の方向から攻められる心配がない場合、これが街中の地形などと相まって、最も合理的な陣形だ。と、あの騎馬武者は判断したのだろう。


「前進...... 包囲、殲滅せよ」

「クソッ!」


このラルキア王国軍の一団は俺達を敵と勘違いしている。

どうする? 改めて俺達は敵じゃないと説得するか?


そう思ったが、直後殺されたブラウンの顔が頭を過った。 それに騎馬武者あいつの言葉も頭から離れない。


ブラウンは自分がギルドの職員だとあの騎馬武者に伝えた。だが...... 騎馬武者はその言葉を無視し、ブラウンを切り殺した。


ブラウンを殺した騎馬武者あいつは、「疑わしき者は殺せと命令を受けている」と言っていた。つまり...... 今、ペンドラゴはやはり何者かに攻撃を受けていて、疑心暗鬼に陥り神経質になってしまったお偉方は、自国民でさえも怪しい者は殺せと指示してしまったのか。


ザッザッザッ!


焦り、思考する俺の事などお構いなしに、鋭い光を放つ剣や槍、重厚感を与える鈍器を持った一団が1歩......また1歩とゆっくり、確実に近づいて来る。


どうする......


このラルキア王国軍の一団は完全に俺達を殺しに来ている。 正直な所、許せない所があるとは言え、俺の第2の故郷と言えるラルキア王国の人と戦うのは気が引ける......出来れば戦いたくない......


でもこのまま大人しく殺される訳にはいかない。ならば割り切るしかないのか。


クソッ!

こんな所で殺されてたまるか!


俺は決意した。

この目の前の一団は、現時点で俺の敵だ。

これはブラウンを殺した騎馬武者あいつに対する怨みから決めた事じゃない。生きる為だ!


そう割り切る事で、心を侵食するドス黒い感情が微かに和らいだ。


まずは状況の整理だ。

敵は150人を優に超えている。あの暗殺者集団に襲われた時と比べても、目の前の相手の数は俺達の10倍以上......

しかも今回の相手は訓練を受けた完全武装の軍人達。極め付けに、包囲殲滅戦に適した陣を敷いている。

正面からぶつかり合っても勝てるわけがない......


一団は、前方にある道幅30mは有るだろう道を、端から端まで隙間無く塞いでいる。

一点集中突破で我武者羅に突っ込めば何とかなるかも知れないが...... 今の俺には守らなくちゃならない存在がいる。だからこの子達の為に無茶は出来ない......


となれば戦略的撤退だ。


逃げ道として使えそうな道は、建物の間の小さな路地だ。どこも狭く入り組んでいて、人1人通るのがやっとな程だ。

ここなら、流石にあの団体様も大人数が仇になって思う様な行動が出来ない筈だ。


なら俺達が取るべき行動は......


「皆! 馬車の陰に隠れろ!」

「ふぇ!? わ、判った!」

「了解です!」

「ちくしょう!」

「くっ......!」


俺は咄嗟に指示を出して、驚き硬直していたセシル達を馬車の陰に呼んだ。


あの一団は見た限りでだが、弓は持っていなかったから遠距離からの攻撃は無いだろう。


だからこの馬車を盾にして......

幸か不幸か、この馬車を牽引してきた2匹の馬はペンドラゴに侵入した際、留め具が外れたのかどこかに逃げてしまっている。少なくとも、この馬車が勝手に動く事はなかった。


「み、ミカド! どうして! どうして王国軍が!?」

「たぶんラルキア王国のお偉いさん達が、不審者が居たら殺せと命令しているんだ。

実際、俺達は結構な無茶をして此処に来た..... あの騒ぎが連中の目を引いちまったのかも知れない......」

「そんな事よりどうすんだよ! あいつ等、僕達を倒す気満々だぜ!?」

「戦う......?」

「レーヴェ、マリア落ち着け......俺に考えがある」

「考えですか......? でも相手は200人近く居ます! どんな考えが......!」

「良いから落ち着けドラル! 俺を信じろ!」

「っ...... はいっ!」

「よし、俺の作戦を教える......耳を貸せ」


一連の流れを説明し終わると、ラルキア王国軍の一団は馬車の目の前...... 俺達から20m程まで迫って来ていた。



▼▼▼▼▼▼▼



「あの若者達...... 馬車の裏から出てきませんね。しかし、良かったんですか中隊長。さっきの男性...... ギルドの職員って言ってましたが......」


ゆっくりと前進を続ける王国軍の一団の中心部、白銀の鎧と碧いマントの一部を真紅に染めた騎馬武者の傍らに立つ副官が、遠慮がちに質問する。


その副官の言葉は微かに震えており、今回の任務に対する疑問や良心の葛藤が見て取れた。この副官はまだ年若く、先程馬車の陰に身を潜めた若者と比べても、歳はそう離れていない。


そんな副官に騎馬武者は声を掛けた。


「逃げるタイミングでも窺っているのだろう...... それに、疑わしきは殺せ。それがベルガス丞相のご命令だ......」

「そうですが...... 市民を手に掛けるのは......」

「お前も軍人なら考えを割り切れ。軍人とは命令を忠実に遂行する者の事を指す。今回の件も変わらない......」

「は、はい...... 」

「今だ!」

「む!? 攻撃か!え......何だあれ?」

「な、なんだ?」


少々頼りない副官と話していると、前方ほうから黒髪の少年の声と、最前線の兵の間抜けな声が聞こえた

副官と同時に目を正面に向けると、小さな筒状の物が5つ、空中をゆっくりと浮遊していた。


「よし! 皆走れ!!」

「「「「はいっ!」」」」


馬車に隠れていた少年と、仲間の少女の覚悟を決めた様な、力強い声が騎馬武者の耳に届いた次の瞬間......


バァァァァン!!!


その筒状の物は、激しい轟音と閃光を齎した。


「なっ!?」

「うわっ!?」

「め、目がぁぁあ!!」

「耳が!耳が痛ぇ!!何も聞こえねぇよ!!」


この爆音と閃光は、最前線に居た兵を中心に襲い掛かった。

油断しその爆音を聞いた者は顔を顰めて耳を抑え、閃光を見た者も同じ様に目を抑える。


誰も彼もが少なくとも一時的に聴力と視力を、もしくはその両方を失った。


僅か数秒で、ラルキア王国軍の中でも有数の錬度を誇るベルガス・ディ・ローディア丞相直属の治安維持部隊【王都特別警務中隊】200名は大混乱に陥った。



▼▼▼▼▼▼▼



「っく......新手の魔法具か......」

「恐らく......幸い死者は居ないみたいですが...... 爆発時にあの筒の近くに居た兵は......」

「あの轟音と閃光で耳や目をやられたようだな......」

「はっ...... 我らは1番奥ばった場所に居たので、あの轟音や閃光の効果が薄かったのやも」

「ちっ...... それより、馬車の陰に隠れていた者達を探せ!」

「は、はっ!」


側に居た比較的軽症の剣兵がしきりに目を擦りつつ、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら馬車の方へ歩み寄る。


「居たか」

「ダメです。馬車の裏にも、内部にも居ません!」

「あの轟音と閃光が起こる前、走れと声が聞こえました。あの者達は、先程の騒ぎに乗じて路地へ逃げたのでは......」

「だろうな...... しかし、部下達がこの様な状態では追跡も出来ん。止む終えんが一旦駐屯地まで引き、体勢を立て直す。

軽症な者は重傷者に手を貸してやれ!一時撤退だ!全員がある程度回復した後、路地裏を重点的に散策しろ」

「「「「「は、はっ!」」」」」


それから5分も立たず、壁の様に道路を塞いでいたラルキア王国軍は1人残らず消えていた。

遠くから微かに爆発音が聞こえるが、辺りは静まり返った。


「ふぅ...... 上手くいったみたいだな......」

「よ、良かったぁ~......」

「一時はどうなるかと......」

「うぅ......目がチカチカするぞ......」

「耳が...... キーン、ってする......」


周囲に誰も居ない事を確認した俺は、【馬車の下】からヒョコッと姿を見せる。

それに続いてセシルにドラル、レーヴェにマリアの順番で這い蹲りながら姿を見せた。


「2人ともすまん......もっと詳しく説明しておけば良かったな......」

「だ、大丈夫だから気にすんなよ......」

「ん......私も大丈夫だから......」

「で、でも作戦成功ですねミカドさん!」

「ん。あぁ、そうだな」


あの爆音と閃光が起こる数分前、俺はセシル達に有る指示をしていた。


それは、俺が合図をしたら、皆で大きな爆発音と激しい閃光で、敵の視覚や聴覚を一時的に奪う閃光手榴弾フラッシュバンを投げ、馬車の下に隠れる事。


そして俺が『走れ!』と言ったら元気に返事をする事......この2つだ。


この閃光手榴弾フラッシュバンを簡単に説明すると、フラッシュバンとは、プラスチック製の本体の中に、アルミニウムの筒と、筒の中にマグネシウムを主とした炸薬が入っており、この炸薬が爆発するとアルミニウムの筒は、マグネシウムなどの炸薬で燃え、その際に起こる化学反応で爆発時に爆音と閃光が発生し、付近の人間に一時的な失明や眩暈、耳鳴りに難聴などを引き起こす......


と言う、出来るだけ人を傷付けず、無力化する事を目的に作られた非殺傷兵器の1つだ。


これは、ノースラント村を出る前に召喚し、太い鎖で厳重に塞いだ木箱の中に入れていたのだ。


もしこの前みたいに奇襲された時、目くらまし程度になるだろうと持って来た秘密兵器の1つだったのだが、早速使ってしまった......


だが、結果として役に立ったから良しとしますか。


そしてもう1つの指示は、ワザと彼奴等にも聞こえる様な大きな声で走れと言い、セシル達に大きな声で返事をしてもらう事で、閃光手榴弾フラッシュバンの爆発で軽いパニック障に陥っているだろう敵に、俺達が裏路地へ逃げたと思い込ませる為の芝居だったのだ。


馬車の下に隠れたのは、馬車の下は死角になりやすいからだ。混乱している敵は必ず見過ごすと思ったけど、目論見どおりになった訳だ。


下手に路地裏に逃げ込んでも、俺達にはペンドラゴの土地勘は無い。闇雲に逃げて道に迷い敵と遭遇する位なら、何度か通った事のある道の周辺から離れない方が良いに決っている。


閃光手榴弾フラッシュバンを投げると同時に馬車の下に隠れ、爆発直前に走れと大声で言う......

閃光手榴弾フラッシュバンが齎す効果と、敵の心理を突いた作戦が見事成功してくれた。


「それよりミカド、なんなの? さっきの筒みたいな物......武器?」

「あの道具の事に付いては移動しながら説明する!皆、走れるか?」

「うん!大丈夫だよ!」

「問題ありません!」

「ぼ、僕も大丈夫!」

「ん......いける」

「よし、行くぞ!!」


ある程度レーヴェとマリアの目や耳が治ったのを確認した俺達はある場所へ向かって走り出した。

あそこへ行けば、きっと何とかなる...... そう信じて、俺は前を見据えた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る