第百七十話から第百八十九話の厄落とし

※この項では、『夜行奇談』第百七十話から第百八十九話までのネタバレが含まれています。該当するエピソードをお読みになった上で、ご覧下さい。


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 『夜行奇談』第百七十話から第百八十九話は、鳥山石燕「画図百鬼夜行」シリーズの十一冊目となる『ひゃっ徒然つれづれぶくろ 中』に収録された妖怪画二十点をモチーフにしている。

 以下に、各話のタイトルと、モチーフとなった絵のタイトル(妖怪名)を、合わせて記す。


●第百七十話 部活動三題 ―― やりちょういんりょうぜんしょう

 いずれも石燕の創作妖怪で、やりをモチーフとした鎗毛長、きんちゃく(一説には印籠いんろう)をモチーフとした虎隠良、茶釜をモチーフとした禅釜尚が一枚の絵に描かれる。これら三体の妖怪のデザインは、室町時代等に描かれた百鬼夜行絵巻に登場するキャラクターがベースになっている。

 石燕の解説によれば――鎗毛長は剛の者が手にした槍の妖怪で、いかなる怪しいものをも恐れない。虎隠良は虎の革で作られた巾着の妖怪で、千里を走るが如く早い。禅釜尚は、茶道がかんじゃく(物静か)を事とするものなので、その陰気ゆえにこういう怪異が現れるのだという。

 『夜行奇談』では、これら三妖怪を一つのエピソードに織り込み、三題さんだいばなしのように仕立て……ようとしたが無理だったので、三話構成のオムニバスエピソードにした。

 一話目の槍道そうどう部の話は、もちろん鎗毛長を題材にしている。「怪しいものを恐れない」という要素から連想して、肝試し絡みの話に仕立てた。

 二話目の科学部の話は、虎隠良である。虎隠良は巾着の妖怪だが、その名前は「印籠」から来ているのではないかという説がある。印籠は携帯式の薬入れだから、薬から連想して科学部の話とした。また白衣の男が延々と追いかけてくるのは、虎隠良が走るのを得意としていることからの連想になっている。

 三話目の茶道部の話は、禅釜尚である。茶道特有の静寂さの中で、誰も喋っていないはずなのに、何かおかしな声がぼそぼそ聞こえてきたら……というシチュエーションを思いつき、このような話にした。


●第百七十一話 サドル ―― くらろう

 石燕が創作した妖怪の一つで、乗馬の際に用いる鞍の化け物である。石燕の解説によれば、この鞍は、保元の乱で功績を得るも、後に謀殺されたかま政清まさきよの使っていたものだという。

 『夜行奇談』では、鞍の妖怪ということで、競馬絡みの話にでもしようかと考えていたが、もっと馴染み深い道具に置き換えた方がいいと思い直し、自転車のサドルにまつわる怪談に仕立てた。

 こういう「普段見る光景の中に、不可解なものが紛れ込んでいる」というシチュエーションが、結構好きだったりする。


●第百七十二話 一輪車 ―― あぶみくち

 石燕の創作妖怪の一つで、馬具の一種である鐙の化け物。鐙というのは、馬にまたがった際に爪先を置くもので、鞍から左右に一対を吊り下げて用いる。

 石燕は解説の中で謡曲『朝長ともなが』の一節を引用し、この鐙を使っていた武将が、馬上で膝を射られたことを示唆している。ただ、この鐙がなぜ化けたのかは、はっきりとしない。

 『夜行奇談』では、鐙があまり馴染みのない道具なのを考慮して、一輪車のペダルに置き換えてみた。また原典では武将が膝を射られていたようなので、この一輪車に乗っていた男の子も、事故で膝から下を失ったということにしている。

 内容はストレートな幽霊譚である。ここまでストレートなのも珍しいが、割りと気に入っている。


●第百七十三話 神隠しの山 ―― 松明丸たいまつまる

 石燕の創作妖怪の一つ。燃え盛る猛禽もうきんのような姿をしているが、二本の腕があって、その腕は松明の形になっている。石燕はこれを、てんつぶての石が光るものだ、と述べている。つまりこの妖怪は天狗なのだろう。

 『夜行奇談』では、「天狗に関連する妖怪の話は、すべて神隠しを題材とする」というルールを設けているため、今回もそのようにした。

 これまでに書いた天狗系の怪談(「子さらい」「お母さん」「オシルシ」)に比べて、民俗学で扱われそうな、「土着的な怪異」感を強く出してみた。思いの外不気味な話に仕上がって、満足している。


●第百七十四話 怪光 ―― 不々落々ぶらぶら

 ちょうちんの形をした妖怪。石燕はこれを、畦道に現れる狐火の類だと解説している。

 「不々落々」という名前は石燕独自のものだが、提灯の妖怪自体は伝承や絵画などによく残っている。伝承では概ね怪火の類である一方、絵画では器物の妖怪であるつくがみ、あるいは歌舞伎『東海道四谷怪談』のお岩さんを描いている場合が多い。

 『東海道四谷怪談』の見せ場の一つに、提灯が燃え上がり、そこからお岩さん役の役者が現れる「提灯抜け」と呼ばれる演出がある。その印象的なシーンを絵に描いているわけだ。

 なお石燕は、絵の中でこの妖怪の名前を「不々落々」と表記しているが、目次の方では「不落々々」と表記している。どちらかが誤りと見るべきだろう。もちろん不自然なのは「不々落々」の方だが……。

 『夜行奇談』では、提灯ならぬ懐中電灯にまつわる怪談を、オムニバス形式で書いてみた。原典に従うなら、どれも狐の仕業ということになるが、特に正体などは考えていない。


●第百七十五話 玩具おもちゃ箱 ―― 貝児かいちご

 石燕の創作妖怪の一つ。昔の遊びに「貝合わせ」というものがあるが、そこで使う貝殻をしまっておく貝桶かいおけから、貝のようにぐねぐねした稚児ちごが這い出してくる様が描かれている。

 石燕は解説文の中でこの妖怪を、ほうの兄弟だと述べている。這子というのは、四つん這いの幼児を模した人形で、子供のおまもりとして用いられたもの。この貝児は、使われなくなった貝殻や這子が化けたもの、ということかもしれない。

 『夜行奇談』では貝桶と這子から連想して、玩具箱にしまわれた人形が怪を為す話に仕立てた。もっとも、人形ホラーとしてはありきたりなものになってしまったので、何かもう一工夫すればよかったな、と反省している。


●第百七十六話 タトゥー ―― 髪鬼かみおに

 石燕の創作妖怪の一つ。絵には、女の髪が乱れて鬼の角のような形になった様が描かれている。

 石燕は解説の中で、身体髪しんたいはっ(体のすべて)は父母より授かったものであり、髪を粗末に扱うと、その罪でこのような苦しみを受ける、と述べている。つまり絵に描かれた女自身は人間であり、その髪がぎょうに変わってしまったということだろう。

 『夜行奇談』では、自分の体を粗末に扱うということで、タトゥーを題材にしてみた。もっとも、入れ墨が自分の体を傷めるけしからん行為だという考えは、今や時代にそぐわないのかもしれない。

 ……というわけで、あまりタトゥーそのものへの非難にはならないように気を遣いつつ、この話を書いた。まあ、どのみち彫った者が不幸になるオチなのだけど。


●第百七十七話 書くな ―― 角盥漱つのはんぞう

 石燕の創作妖怪の一つで、頭がつのだらいになった女の姿をしている。

 角盥というのは貴族などが用いた道具の一種で、うるし塗りの盥の左右に二本ずつ、合計四本の取っ手が付いた形をしたものである。水や湯を入れて、洗顔や化粧などに用いた。

 またこの角盥漱という妖怪は、謡曲『そうあらいまち』をモチーフにしている。歌人・おおともの黒主くろぬしは、うたあわせののまちと対決することになったが、このままでは敵わないからと、前夜に小町の用意した歌を盗み聞いて、それを『万葉集』に書き加えた。そして歌合の当日、小町が歌を詠んだ際に、「それは『万葉集』から盗作したものだ」と糾弾する。だが小町が黒主の持っていた万葉集を水で洗うと、黒主の書き足した部分がきれいに落ち、その企みを見事に暴いたのだった。

 石燕は、その時の小町の執念がこの角盥漱なのだ、と述べている。

 『夜行奇談』では、小町の草紙洗いに倣って、書いた文字が消えてしまうという怪異に仕立てた。もっとも、漠然と消えてしまうだけではよく分からない話になるので、そこに架空の殺人事件を絡ませ、被害者の幽霊の仕業ということにした。

 最後に女の幽霊がびしょ濡れの姿で現れるのは、角盥漱が水に関連した妖怪だからである。


●第百七十八話 ごみ屋敷 ―― ふくろむじな

 石燕の創作妖怪の一つ。女とも獣ともつかない化け物が、巨大な袋を担いだ姿をしている。「袋狢」という名前から察するに、この女は貉が化けたものなのだろう。

 石燕は解説の中で、「穴の貉のあたりをする」ということわざを挙げている。この諺は「捕らぬ狸の皮算用」と同じ意味で、「意味のない当て推量」を表す。石燕はこの諺をベースに、「袋貉」という妖怪を創作したものと思われる。

 なお、袋貉のデザイン自体は、室町時代に描かれた百鬼夜行絵巻に登場するキャラクターを模したものになっている。

 『夜行奇談』では袋から連想して、ごみ屋敷に関する話に仕立てた。主人公はごみで塞がれた家を見て、そこの住人のことをあれこれと想像するが、これは「穴の貉の直をする」を表したものである。

 当初のアイデアでは、「死体の詰まったゴミ袋がずっと放置されている」という話も考えたが、それだと以前書いた「人がいる」と被ってしまうし、怪異以前に猟奇殺人が怖いだけの話になりそうだったので、没にした。


●第百七十九話 夕暮れの琴 ―― 琴古主ことふるぬし

 石燕が創作した琴の妖怪。そうきょく(琴の音楽)の始祖とされるつくごとが廃れ、聴く者がいなくなったために、その恨みから琴が妖怪になったのだという。

 『夜行奇談』では、楽器が禁止されたマンションを舞台にすることで、曲が廃れた様子を表してみた。もっとも、琴はあくまで琴として、他の現代風の楽器に置き換えたりはせずに、そのまま登場させている。

 ちょっと物淋し気なラストが、自分でも気に入っている。


●第百八十話 音楽堂の怪 ―― 琵琶びわ牧々ぼくぼく

 石燕の創作妖怪の一つで、頭が琵琶の形になった法師の姿をしている。琵琶の名器にげんじょうぼくというものがあるが、「牧々」とは「牧馬」が転じたものである、と石燕は解説の中で述べている。

 この妖怪はおそらく、『徒然草』第七十段に書かれた、以下の話をモチーフにしたものだろう。

 ある時、せいしょどうで行事があり、当時紛失していた玄上の代わりに牧馬が演奏されることになった。ところが演奏者であるきくていの大臣おとどが座に着いて牧馬を確認したところ、じゅうと呼ばれる部分が一つ落ちてしまった。菊亭大臣はそくい(米粒で作ったのり)でこれを固定し、事なきを得た。……実は理由は不明だが、見物していた女が一人、事前に琵琶のもとに寄って柱を外し、それから元の位置に戻しておいたのだという。

 『夜行奇談』では、この『徒然草』第七十段が、もはやこの時点で怪談みたいに思えた(実際は怖い話でも何でもないのだが)ので、これをベースにエピソードを書いてみた。

 怪しい女が楽器を狂わせる――という、ただそれだけの話である。すでに琵琶牧々は影も形もない気がする。全国の琵琶牧々ファンの皆さん、ごめんなさい。


●第百八十一話 学習塾の話 ―― しゃちょうろう

 石燕が創作した妖怪の一つで、名人が使っていた三味線が化けたもの。

 石燕は「しゃから長老にはなられず」(順序を踏まずして上位に至ることはできない)という、分不相応を戒めることわざを挙げ、一方で長老になった「三味」を描いている。これは、名人が使っていた三味線だから長老になって然るべきと言いたいのか、あるいは、三味線が分不相応に長老を気取っている様を皮肉っているのか……。解釈が難しいところだ。

 とりあえず『夜行奇談』では、「分不相応」というキーワードを題材にして、三味線とは何の関係もない怪談を書いてみた。さすがに関係がなさすぎて気が引けたほどだ。

 なので、せめてもの三味線要素として、塾の一階が楽器店になっていることにした。全国の三味長老ファンの皆さん、ごめんなさい。


●第百八十二話 神隠しの行方 ―― 襟立えりたてごろも

 本来の襟立衣とは、高僧が着る装束のこと。この妖怪「襟立衣」は石燕の創作妖怪の一つで、天狗の長である鞍馬山そうじょうぼうの装束が、天狗のような姿になったものである。大天狗の装束ともなれば、それ自体が天狗の力を持っている、といったところだろうか。

 かつて仏教の世界では、天狗は仏道を妨げる存在とされ、堕落した僧が天狗になるとも言われていた。今でこそ山伏姿のイメージが強い天狗だが、もともとは仏教と強く結びついた妖怪だったのだ。

 『夜行奇談』では、「天狗=神隠し」シリーズのラストを飾るエピソードとした。

 第二話「子さらい」を始め、一連の神隠しエピソードの真相として、ついに天狗そのものが登場するという形になっている。ただし大天狗(作中における「××様」)は不在であり、代わりに襟立衣が座していた、というわけだ。

 ちなみに主人公がすぐに帰されたのは、彼の宗教観が天狗達とは明らかに違っていたからだ。特定の宗教をベースにした妖怪は、異教徒を害することができない――という、あくまで僕自身が考えた設定に基づくオチになっている。


●第百八十三話 どこかで鳴る ―― きょう凛々りんりん

 石燕の創作妖怪の一つで、経文の化け物がリンを鳴らす姿が描かれている。『太平記』には、守敏しゅびんという僧が空海くうかいと法力比べをして敗れた話があるが、石燕曰く、その守敏の捨てた経文が化けたものだという。

 『夜行奇談』ではそのまま、お経とリンを題材にした怪談に仕立てた。もっとも、ただ家の中でリンが聞こえるだけだと味気ないので、家捜し的な楽しみも盛り込んでみたのだが……。

 果たして、押し入れのふすまの裏がチェック漏れになることは、あるのだろうか。実際のところ不動産業界には疎いので、何となくノリで書いてしまっている。


●第百八十四話 モーニングコール ―― にゅう鉢坊ばちぼうひょうたんぞう

 絵には、二体の妖怪が描かれている。どちらも石燕の創作妖怪で、乳鉢坊は摺鉦すりがね(打楽器の一種)、瓢箪小僧は文字どおり瓢箪の化け物である。

 石燕曰く、瓢箪小僧に恐怖するも、乳鉢坊の鳴らす音で夢から覚めた、とのことだ。夢落ちと言いたいのだろうか。

 とまあ、解釈の程はともかく、『夜行奇談』ではそのままの意味に受け取って、悪夢を見た後で、得体の知れない音に起こされる、という話にしてみた。

 なお、主人公の悪夢に出てくるのは瓢箪である。首吊りとかではない。


●第百八十五話 寝るな ―― 木魚もくぎょだる

 石燕の創作妖怪の一つで、木魚が達磨になったような姿をしている。ほっもり(第百六十八話の厄落としを参照)同様、仏具がぶっしょうによって化けたものだという。

 木魚が魚を模っているのは、魚が常に目を開けていることから、寝る間を惜しんで修行に励めという意味が込められているらしい。また達磨のモデルとなっただい達磨は、九年の間眠らずに修業したという伝説がある。石燕はこれらの要素を踏まえて、木魚達磨という妖怪を創作したものと思われる。

 『夜行奇談』では、寝てはいけない場所で寝ている主人公をたしなめる、という役回りで登場させてみた。パッと見頭だけっぽい妖怪なので、作中でもそのように書いたが、実際には達磨なので、胴体もあるものと思われる。


●第百八十六話 カリカリ ―― にょ意自いじざい

 石燕の創作妖怪の一つ。仏具の一種である如意を頭に生やし、手には長い爪を持つ。如意はもともと背中を掻くための道具だったとされ、この妖怪も長い爪で痒い場所を的確に掻くことができるという。

 『夜行奇談』でも、背中を何者かに掻かれる話にしてみた。怖いというよりは、ユーモラスな感じになるように仕上げている。


●第百八十七話 寝ていたもの ―― 暮露々々ぼろぼろとん

 石燕の創作した妖怪の一つで、ボロボロの布団の姿をした化け物。

 普化ふけ宗の僧を虚無こむそうといい、またの名を「ぼろぼろ」ともいう。この暮露々々団は、世捨て人である虚無僧の使い古した布団だろう、と石燕は述べている。

 『夜行奇談』では、世捨て人の布団というモチーフから連想して、ホームレスの寝袋を怪異に仕立ててみた。

 寝袋というのはそれ単体で見ると、まるで棺か巨大な芋虫のような異物感がある。独りでに動いたら面白かろうと思い、このような話にした。


●第百八十八話 祖母と箒 ―― ははきがみ

 石燕の創作した妖怪の一つ。ほうきの姿をした化け物で、秋の朝に紅葉もみじを掃き集める姿が描かれる。石燕の解説から、『徒然草』第十九段と白居はくきょの詩をモチーフに創作された妖怪であると考えられている。

 一方、民間伝承の世界では、ほうきがみ産神うぶがみ(お産の神)の一種として知られる。安産祈願のお守りとして箒が使われたりもするので、ご存知のかたも多いかもしれない。

 『夜行奇談』では、後者の産神の要素を盛り込んだエピソードに仕立てた。作中に登場する胎児の群れは、産まれることなく亡くなった子供達の幽霊で、生きた胎児の体に入り込むために集まってきたという設定になっている。


●第百八十九話 ふわり ―― みの草鞋わらじ

 石燕の創作妖怪の一つで、くわを担いだ蓑の下から草鞋が伸び、人のように雪の中を歩く姿が描かれている。

 石燕は解説の中で、「雪はもう(ガチョウの羽毛)に似て飛でさんらんし、人はかくしょう(鶴の羽毛)をきてたって徘徊せし」と白居易の詩を引用し、その徘徊者の古蓑がこの妖怪なのだと述べている。詩をモチーフにして創作した妖怪、ということだろう。

 『夜行奇談』では、氷の上を歩いていた蓑草鞋さんに、風に乗って大空を飛んでもらった。例の詩から鳥を連想したためである。

 ……いや、本当にただそれだけのエピソードなので、これ以上特に説明することはない。ごめんなさい。

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