厄落とし編

『夜行奇談』の厄落とし

※この「厄落とし編」は、本編のネタバレを多分に含みます。ご理解の上、ご覧下さいませ。


 さて――ここからは「厄落とし編」と題し、本編で語った二百三の怪談について、その伏せてあった「得体」を明かすこととしたい。

 怪異は、得体が知れないからこそ、恐ろしい。

 しかし得体が知れれば、あまりにも呆気ない。

 読者の皆様には、数多の怪談を読んで溜まりに溜まった厄を、ぜひともここではらっていただければ、と思う。

 ただし――。

 以前にも述べたとおり、ここから先は、『ぎょうだん』を純粋に怪談として楽しんでこられたかたにとっては、かなり蛇足的なものとなる可能性が高い。

 もし、恐怖は恐怖のまま、その余韻を失いたくないというのであれば、敢えてこの「厄落とし編」は読まずにおく――というのも選択肢の一つだ。

 ……そして大事なことを、もう一つ。

 ここから先で明かされる「得体」というのは、「実はすべてのエピソードは、このように合理的に解き明かすことができたのだ!」という、探偵小説の回答編的なものではない。

 いや、個人的にはそういう話も好きなのだが、あいにく『夜行奇談』にそのような要素はじんもないため、そちらを期待されているかたには、ごめんなさいと先にお詫びしておく。

 それではいよいよ、「解く」こととしよう。


   * * *


 まず「はじめに」より――。


【これからしたためる怪異譚のすべてには、に基づいて、番号を振らせてもらうことにする。そしてその数字を、そのまま話数とさせていただく。

 したがって、執筆の順番と話数の並びが噛み合わないことも、多々起きると思う。おかげで目次が不自然になるだろうが、あくまで「怪異の内容と番号が密接に関係しているため」ということで、これまたご了承願いたい。

 もっとも、怪異と番号の関係そのものは、決して難しい暗号ではない。僕と同じような趣味嗜好のかたであれば、きっとすぐに答えが分かるはずだ。】


 本作『夜行奇談』は、話数順不同でお送りしてきた現代怪異譚である。

 怪異の内容に応じて話数が決定しているが、連載中は、必ずしも話数の順番どおりにエピソードが進んでいたわけではない。ただし連載終了後は、目次の煩雑さを避けるために、ある程度期間を置いてから、話数どおりに順番を並べ替えている。

 さて、ここで大事なのは、「怪異の内容と番号が密接に関係している」という部分だ。

 実は、本作のすべてのエピソードを話数順に並べると、そこで扱われている怪異の並びから、「あるもの」が連想できるようになっている。

 いや、連想といっても、当然その「あるもの」についての知識がなければ、いきなり思い描くことは難しいだろう。しかし僕と同じような趣味嗜好――要するにお化けや怪談が好きな人であれば、今までどこかしらで、その「あるもの」の一端に(たとえ無意識にでも)触れている可能性が高い。

 ……さて、そろそろもったいぶるのはやめて、答えを明かそう。

 その「あるもの」とは、何か。


 鳥山とりやま石燕せきえん「画図百鬼夜行」である。

 いやそんなものは知らん、というかたのために説明すると――。

 鳥山石燕というのは江戸時代の狩野かのう派の絵師で、数多くの妖怪を描いた画集「画図百鬼夜行」シリーズで知られている。

 この「画図百鬼夜行」シリーズは、「画図百鬼夜行」「今昔こんじゃく画図続百鬼」「今昔百鬼拾遺しゅうい」「百器徒然つれづれぶくろ」という四シリーズ、全十二巻から成る。

 いずれも一ページごとに妖怪一点を描くという、当時の妖怪画としては異例な図鑑形式を採っており、そこに描かれた妖怪達は、原典のあるものから石燕の創作したものまで、多岐に渡る。

 さらにこれらの妖怪達は、その優れたデザインとネーミングセンス故に、後世に強い影響を及ぼすこととなった。

 率直な話、現代の世に出回っている妖怪図鑑や妖怪物の娯楽作品を見れば、大抵は石燕の妖怪が紛れ込んでいる。そういう意味では、「画図百鬼夜行」シリーズは、妖怪作品の金字塔と言っても過言ではないだろう。

 そして僕自身もまた、そんな石燕の妖怪に強く魅了された一人である。

 だからこそ――今回の創作に至ったわけだ。


 本作『夜行奇談』は、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」シリーズに収録された妖怪画、全二百三点をベースに創作した、怪談短編集である。

 妖怪画一点につき一話を書くというルールで、全二百三話をもって完成となる。各エピソードに付けられた話数は、モチーフとなった妖怪画の掲載順を表す。

 創作上の基本的な方針としては、「この妖怪が現代に現れたら、どのような怪談になるか」を第一に考えた。

 怪談というのは、言わば出来事である。「コレコレコウイウがあった」が怪談だとすれば、「それはコレコレコウイウに遭ったに違いない」と解釈を加えたのが、妖怪ということになる。

 そういう意味では、妖怪というのは、怪談本来の恐怖を薄れさせるために生まれたものなのだ。しかし、逆にその得体を伏せて語れば、どんな妖怪も不気味な怪談になり得るのではないか――。そう考えたわけである。

 もっとも、この方針で執筆できたのは、あくまで連載初期の話がほとんどである。石燕の妖怪は多彩なので、この方針のままだといずれ行き詰まるのは、始めから目に見えていた。

 例えば、特定の古典文学や芸能作品にしか登場しない妖怪。

 あるいは、駄洒落や風刺の意味を込めて創作された妖怪。

 またあるいは、現代には存在しない器物の妖怪……等々。

 こういったものは、そのまま現代怪談に仕立てようと思っても、なかなかしっくりと来ないものだ。

 そこで、こうした扱いにくい妖怪については、妖怪そのものをストレートに登場させるのではなく、元の妖怪画に込められた意味や原典となった古典作品から要素を抜き出し、それをモチーフに怪談を創作する――という手法を採った。

 おかげで「なぜこの妖怪がこんな話になるの?」と言われそうなエピソードも多数産まれたが、書いている分には、あれこれと頭を捻るのが楽しかったので、良しとしたい。


 さて、ここから先はエピソードごとに「得体」を明かしていくこととする。

 話数順に、モチーフとなった妖怪を紹介し、さらに各エピソードのあとがきのようなものを書きつづるつもりだ。

 まあ、要するに作者の自作語りなので、読者の皆様がそういうのをお嫌いでないことを祈るばかりである。

 それでは――ごゆるりと、お楽しみくださいませ。

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