第百九話 赤い村と、赤くない館

 かつて、とある妖怪関係のイベントに遊びにいった際、Yさんという怪談作家のかたとお話しする機会があった。

 以下は、そのYさんから提供された怪談である。

 プロの怪談作家から仕入れたネタを、怪談素人の僕が文章にして世に出す……というのも妙だが、その辺は諸事情のため、ご容赦願いたい。


「赤い村――という怪談を知っていますか?」

 Yさんの話は、こんな一言から始まった。

 もともとどういう経緯でこの話題になったのかは、いまいち記憶が定かでない。ただ、一緒にいた共通の知人である編集氏の「都市伝説ですか?」という返しからの流れは、よく覚えている。

「なんか都市伝説っぽい名前ですね。ほら、『赤いチャンチャンコ』とか『赤い沼』とか……そういうの、ありましたよね確か」

「『赤い沼』って、それ二十歳までに忘れないとヤバいやつじゃないですか?」

「二十歳過ぎてから知ったんなら、セーフですよ」

 そんな冗談を交わす僕と編集氏に、Yさんはあくまで神妙な面持ちで、こう続けた。

「そういう根も葉もないような都市伝説とは、少し違うと思うんですけどね。まあ、にタイトルを付けるとしたら……やはり『赤い村』になるでしょうね」

「すると、何か具体的なストーリーがあるわけですか?」

「……私の体験談ですよ」

 Yさんは意味ありげな笑顔を見せ――そして、こんな話をしてくれた。


   *


 Yさんが大学生だった頃のことだ。

 ある初夏の折、友人数名と、某県の高原にあるキャンプ場へ遊びにいった。

 移動はレンタカーのワゴンで、運転は友人の一人にお任せだったため、Yさんは後部座席で他の仲間達と喋っていた。

 窓の外には、空から明るい日差しが降り注いでいる。絶好の行楽日和である。

 車はやがて、曲がりくねった森道へと入っていく。都会ではなかなか見られない、青々とした樹々の景色に囲まれ、Yさんは自ずと目を細めた。

「あとどれぐらいで着くの?」

「二十分ぐらいかな」

 そんな他愛のない会話が、周りで交わされる。ここまでは何事もない、穏やかな旅路だった。

 ……様子がおかしくなったのは、長いトンネルを過ぎてからだ。

 車が、なかなか目的地に着かない。

 もう四十分も走ったが、キャンプ場が一向に見えてこない。

 森はこの先、どこまでも続いているようだ。他に走っている車も、一台もない。

「道が違うっぽい」

 運転していた友人が、スピードを落とし、努めて冷静に呟いた。

 どうやらカーナビの表示がおかしいらしい。さっき通ったトンネルも、パネルには映っていなかったという。

 車を路肩に停める。地図を取り出して確かめるが、やはり現在地がはっきりとしない。

 ただ、幸い道は分かりやすい舗装路である。幅が広く他に車も来ないので、Uターンして戻れば問題ないはずだ。

 Yさん達は、さっそく車を戻すことにした。

 念のため周囲を確認してから、ぐるり、と方向を変える。

 窓の外の森景色が勢いよく流れ、三半規管が軽く刺激される。

 ……そんな時だ。

 Yさんが、を目にしたのは。

「あれ、今の何?」

 思わず声に出すと同時に、車のUターンが完了した。

 一瞬見えたものが、再び視界から外れる。急いで目で追い、後部のリアガラスに顔を向ける。

 そんなYさんの様子を見て、友人達も口々に「どうした?」「何かあった?」と、身を乗り出してくる。

 そして――その場にいた全員が、を目にすることになった。

 まばゆい太陽を浴びる新緑の樹々。

 その樹々の隙間を縫うようにして、いくつものが、チラチラと覗く。

 正体は、目を凝らすことで分かった。

 ……家だ。

 古びて朽ち果てた木造の日本家屋が、森の中のそこかしこに点在している。

 一軒一軒の大きさは、小屋ほどしかない。しかし、数は多い。

 打ち捨てられた村の跡、だろうか。

 しかし――赤い。

 どの家も、屋根と言わず壁と言わず戸と言わず、すべてが赤黒く染まっている。

 まるで、森の中に血のかたまりが散乱しているかのような錯覚さえ覚える。

 不可解で禍々まがまがしい光景に、誰もが少しの間、押し黙った。

 ……あの家々は何なのか。

 ……なぜ赤いのか。

「ペンキ、だよな?」

 友人の一人がそう呟いた。

 そうであってほしい、とYさんも思った。

 もっとも、あの赤がペンキにしろにしろ、意図的に塗りたくられたものには違いないだろう。でなければ、家があそこまで隙間なく染まったりはしない。

 しかし――誰が、なぜ、染めたのか。

 塗料の黒ずんだ具合いからして、昨日今日染めたものではない。つまり、この村が――仮に村だとしてだが――打ち捨てられる以前から、赤くなっていたと考えるのが自然だろう。

 観察しているうちに、おぞましさよりも好奇心の方が膨らんできた。それは周りも同じだったようで、「降りて様子を見にいこうか」という声も出た。

 ……だが、結局Yさん達は、車を降りることなく、元来た道を引き返しただけだった。

 運転を任せてあった友人が、かなり強い口調で反対したからだ。

 時間が押しているから、というのがその理由だった。しかし、後でYさんは、その友人からこんなことを言われたという。

「Y、お前ホラーとか好きだよな?」

「ああ」

「……は大丈夫か?」

「え?」

「さっきの、あの赤い家な――」

 そして一瞬言葉を切り、友人はこう続けた。

「……どれも、人が窓から覗いてた」

 しかも、だったそうだ。

 何がどう真っ赤なのかは、教えてもらえなかった。

 その会話は、それっきりになった。

 ちなみに、後で資料などを調べてみたところ、確かにこの辺りには、戦前まで村があったという。しかし、廃村になったのを機に建て物はすべて取り壊され、今は何も残っていないらしい。

 そういう意味では、何とも不可解な話だった。

 そして――いずれにしても、家が赤く塗られていた理由は、どこにも見つからなかった、ということだ。


   *


「取り壊されたはずの村が現れた……ということですか」

 話を聞いた編集氏が、興味深そうに頷いた。

「つまり村の幽霊?」

「幽霊だか残留思念だか、とにかくでしょうね」

 Yさんが応える。なるほど、か、と僕も何となく納得する。

「しかも、真っ赤なんですよね」

「気味悪いですね。猟奇殺人の跡だった、とか?」

「いや、そんな村全体を真っ赤にするほどの血が流れたなら、さすがに記録に残ると思いますよ」

 三人でそんなやり取りをしていると、Yさんがふと真顔になって、「あ、それでですね」と、話を切り替えた。

「この『赤い村』なんですけどね。私、最初に『赤い村という怪談を知っていますか?』って聞いたじゃないですか」

「そうでしたね」

 ふと僕は、ある予感を覚えた。

 もしこの怪談が、Yさんの個人的な体験談に留まるものならば、「知っていますか?」などとは尋ねななっただろう。

 これは、つまり――。

「……どうやら、他にもいるみたいなんですよ。『赤い村』を見た、という人が」

 Yさんは案の定、そう答えた。

 ニヤリと、意味深な笑みを浮かべながら。


 聞けば、Yさんは怪談の仕事をするようになって以来、以前見た「赤い村」を題材にするため、少しずつ取材を進めていたという。

 もっとも、真相めいたものは何一つ見つからなかった。例の土地にかつて村があり、それが廃村になった――という歴史的な背景以外は。

 ただ……の方は、あったのだという。

 ――森の中を車で走っていたら道に迷い、気づいたら真っ赤な家に囲まれていた。

 ――キャンプ場から双眼鏡で森を眺めていたら、そこに真っ赤な家があって、窓から真っ赤な顔がこちらを睨んでいた。

 ――森の中のトンネル内の路肩に、大勢の人がうずくまっていた。ヘッドライトに照らされたそれは、どれも全身が真っ赤だった。

 ……等々。いずれも、ここ何年かの間に、であった話だという。

 それで、もしかしたら有名な怪談なのかもしれないと思い、僕のような妖怪関係の人間にも話を聞いてみた――ということらしい。

「また何か分かったら、お話ししますよ」

 Yさんがそう言ってくれたのは、僕の食いつきが存外よかったからだろうか。ともあれこの話題は、ひとまずここで終わった。

 彼から連絡があったのは、それから数箇月後のことになる。


『進展がありました』

 Yさんからのメールには、そんなメッセージとともに、長めのテキストが添えられていた。

 テキストの中身は、おそらく彼がどこかで聞き取ったと思しき、一本の怪談だった。

 もっとも、きちんと書かれた文章ではなく、ほぼメモ書きのような状態である。きっと、取材時に書き記したものを、そのまま送ってきたのだろう。

 それでも箇条書きにされた要点から、この話の気味悪さは、ひしひしと伝わってきた。

 しかし――実のところ、僕はこれを読んでいる途中、怪談の内容とは別の意味で不可解な気持ちになっていた。

 なぜならこのメモの怪談は、例の「赤い村」とは、まったく関係なさそうに思えたからだ。

 いったいなぜYさんは、この怪談を僕に寄越してきたのだろう――。そう考えていた。

 しかし話を最後まで読み、さらにメールの末尾に添えられていた一文を見て、ようやく理解できた。

 最後にYさんは、こう書いていたのだ。

『これも、で起きた話です』

 ……以下の怪談は、このYさんのメモをもとに、僕が改めて書き起こしたものである。

 なお、一応メモ内にあった要点は押さえてあるが、足りない部分は、ある程度想像で補わせていただいた。その点はご容赦願いたい。


   *


 Bさんという女子大学生から聞いた話だ。

 やはり初夏のことである。Bさんは連休を利用して、同じサークルの仲間達と、例のキャンプ場に遊びにいくことになった。

 ワゴンに七人で乗り込み、森の中を走った。だが途中で道を誤り、カーナビにないトンネルを通って、知らない道に出た――。

 ……と、ここまでは「赤い村」の話と同じである。

 しかし、その道の先でBさん達が見たのは、まったく違うものだった。

 館――だった。

 二階建ての、古びた木造の巨大な洋館で、元は白かったであろう板壁を黒ずませ、森の中にずっしりと佇んでいた。

 もしかしたら、道を尋ねることができるかもしれない。そう思ってBさん達は、車をそちらに向けた。

 だが実際に近づいてみると、人が住んでいる様子はなかった。

 外れて傾いた正面の扉。ことごとく割れた窓。柵の折れたテラス――。

 ……どう見ても、廃墟はいきょである。

 誰ともなく溜め息が漏れた。しかし続いて、ちょっとした好奇心が首をもたげたのは――やはり「道を引き返せば戻れる」という安心感があったからだろう。

「入ってみようか」

 一人がそう提案し、全員がそれに乗った。

 正面の扉は外れている。足を踏み入れるのは簡単だった。

 中に入ると、まず広々とした玄関ホールが、一同を出迎えた。

 誰かがペンライトを点けた。剥き出しの床がキラキラと光った。そこかしこに窓ガラスの破片が散乱しているのだ。

 踏まないように気をつけながら足を動かすと、そのたびに、靴の底で床がきしみを上げた。

 周囲にはガラスだけでなく、木片も転がっている。崩れた扉があちこちに見えるから、その残骸だろう。

「ボロボロだね」

 一人が率直な感想を漏らした。しかし的確である。床に穴が開いていないのが、不思議なぐらいだ。

 壁際に大きな柱時計が見える。それから、ラッパ部分の外れた――今となっては珍しい、蓄音機もある。

 逆に、電気製品の類は一切見当たらない。照明も、壁に燭台しょくだいが付いているから、蝋燭ろうそくを使っていたようだ。それだけこの館が古いということか。

 Bさんは手近な部屋を覗いてみた。暗くてよく分からないが、床にはいろいろなものが転がっている。

 鍋、薬缶、お椀、箸……。厨房だろうか。

 目を凝らすと、壁のそこかしこで、板が剥がれ落ちているのが分かった。

「ここから二階に上がれるよ」

 向こうで仲間の一人が叫んだ。Bさんが振り返ると、ペンライトに照らされた闇の中に、ぼんやりと、大階段が浮かび上がっている。

 ライトが上に向く。しかし、さすがに上階に届くほどの光量はない。

「上ってみようか」

「そんなことしたら階段が壊れるんじゃね?」

「いや、結構しっかりしてるよ。ほら」

 そう言いながら、一人が率先して上り始める。Bさん達も、恐る恐る後に続く。

 階段は、多少軋むものの、崩れる様子はない。ただ左右の手摺りは、すっかり壊れて歯抜けになっていた。

 どうしてこんなに荒れ果てているのだろう――。Bさんはふと疑問に思った。

 廃墟だから、という単純な理由でか。しかし、どこか違和感がある。

 その時だ。不意に先頭から、小さな悲鳴が上がった。

 驚いて見上げる。と、ペンライトの光の輪の中に、奇怪なものが浮かび上がっているのが見えた。

 ――顔だ。

 ボロボロに崩れた、真っ白な顔だ。それが段上の壁に、ベッタリと張りついている。

 思わず息を呑む。だがすぐに、それが勘違いであることに気づいた。

「……絵だよ」

 一人が引きつった笑みを浮かべ、呟いた。

 確かに、光の中にあるのは、一枚の油絵――。いわゆる肖像画である。

 古いものだからか、絵の具がところどころ剥げ落ちている。だからボロボロに崩れたように見えたわけだ。

 ……しかし誰一人として、安堵の息を漏らすことはなかった。

 改めて、重苦しい沈黙が一同に訪れる。理由はひとえに、この絵の異様さにあった。

 ――これは、

 Bさんも含めて、誰もがそう思ったという。

 絵に描かれているのは、どうやら女の顔のようだった。

 ほおを覆う黒髪は細かく縮れ、伸びた前髪の隙間から、異様に黒い目が覗く。

 目の形は、丸い。

 目蓋がないのか。しかも、両目の間が妙に空いていて、どこか動物じみた印象を与える。

 鼻は、小さな穴だけが二つ、ポツポツと穿うがたれる。

 その鼻の下には、やたらと長い横線が、左右の頬を貫くように引かれる。これは口だ。

 横一文字の口からは、小さく尖った歯が、何本もはみ出している。

 やはり――人間の顔とは思えない。

 それに、配色も奇妙である。

 まるで塗りたてのようにぬらぬらと輝く白――顔を中心に、その上部と左右を、髪の黒色が縁取る。ここまではいい。

 しかし、顔の下。首筋から鎖骨にかけてを、どぎつい朱色がベッタリと覆っている。人体を表現した色にしては、あまりにも不自然だ。

「……ヤバくないか、これ」

 一人が呟いた。確かに、いつまでも見ていてはいけないような禍々しさを、この絵は放っている。

 引き返したい、とBさんは思った。同じことを思った人は、他にもいたかもしれない。

 しかし、一同は先へ進むことになった。

 グループがバラバラになってはならない――。誰もがそれを本能的に察していた。だから、一人が先へ進んでしまうと、あとはもう無言で従うしかなかった。

 二階の廊下は、玄関ホールに輪をかけて暗かった。 

 そこかしこに、扉の残骸と思しき木片が散乱している。一同はペンライトで足元を照らしながら、慎重に進んだ。

 ふと一人が壁を照らし、「ひっ」と悲鳴を呑んだ。

 ……肖像画があった。

 ……階段の上に飾られていたと、まったく同じものが。

「何でここにもあるんだよ……」

 先頭が絶句しながら、辺りを照らす。

 闇の中を光の輪が、ゆっくりと動く。

 その輪の中に、少なくとも四つ、まったく同じ絵が浮かび上がった。

 真っ白な顔。真っ黒な目。真っ赤な体――。

 ……あの女だ。

 あの女の絵が、廊下のあちこちに飾られている。そのことに気づき、Bさんは全身を一気にあわ立たせた。

 ――いったいこの絵はなのか。

 ――描いたのか。

 ――なぜ飾ってあるのか。

「……あの、俺気づいたんだけどさ」

 男子が一人、張り詰めた声で言った。

「この館、あちこちぶっ壊れてるじゃん。ドアとかさ。でもこれって絶対、自然にこうなったわけじゃないって」

 人為的なもの――と言いたいのだろう。Bさんも、この説には合点が行った。

 壊れているのは主に扉だ。他にも一部の壁や手摺りに損傷があったりはしたが、階段が崩れることはなかったし、床にも穴はない。

 足場に問題がないのは、もともとの造りがしっかりしていたからだろう。その上で扉ばかりが壊れている、ということは――。

 ……誰かが荒らしたのだ。

「まあ、廃墟なんだし、面白半分で荒らすやつもいるだろう」

「いや……そういう悪ふざけじゃないと思う」

 ペンライトがスッと動いた。床が照らされる。

 板の黒ずみに混じって、うっすらとが見える。

 誰もが押し黙った。

 異様な空気が立ち込めている。

 ……悉く破壊された扉。何枚もの不気味な絵。床の赤い汚れ。

 いったいここは、何なのだろう。

「出ようか」

 一人が言うと、誰もがすぐに頷いた。

 そうして、一同がきびすを返しかけた時だ。

 ふと――何かが聞こえた。

 真っ暗な廊下を震わせるように、彼方から。

 ……あぁぁぁ。

 ……あぁぁぁぁ。

 声か。しかし

 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。

 恐る恐る、全員が廊下の先に目を凝らした。

 暗くて何も見えない。しかし――。

 ……ああぁぁぁぁ。

 ……あああぁぁぁ。

 近づいてくる。

 声が、はっきりと近づいてくる。

 甲高い。喩えるなら、赤ん坊の泣き声か。

 しかしそれは、廃墟で聞こえるはずのないものだ。

 一人が悲鳴を上げた。

 それを合図に、Bさん達はいっせいに逃げ出した。

 ……ああああぁぁ。

 ……あああああぁ。

 迫る赤ん坊の声に背を向け、軋む二階の廊下を走り、階段をドタドタと駆け下りた。

 玄関ホールを抜け、眩い陽光のもとに飛び出した時には、全身から汗が流れるように溢れていた。

 それでも足を止める者はなく、草の上を駆け、次々とワゴンに転がり込んだ。そして素早く人数確認をした上で、すぐに車を出した。

 元来た道を走り、しばらくしてBさん達は、ようやく息をついた。それでも、誰もがなかなか話を切り出せず、やがてトンネルを抜け、カーナビの表示がまともになるまで、ワゴンの中は重苦しい沈黙に支配されていた。

 その沈黙を破ったのは、一人の女子だった。

「あの、さっきは言わなかったんだけど……言っていい?」

「何?」

「二階にあった絵ね。どれも絵の具が剥げてボロボロだったんだけど――」

 ……何だかどれも、爪でえぐった痕みたいだった。

 その言葉に、しかし新たに恐怖が募ることはなかった。

 もう充分だ――。すでにそんな気持ちになっていたからだろう。

 その後キャンプ場に着いたBさん達は、他のキャンパーとの会話で、「赤い村」の怪談を知ることになる。

「え、この辺に洋館なんて建ってないよ。ああ、もしかしてアレかな? 存在しないはずの真っ赤な廃村っていう――」

 ……そう、こんな風に。

 しかし例の館は赤くなかったし、あれを指して「村」とは呼べないだろう。

 それに――とBさんは、後になって奇妙に思うことがある。

 あの館、ずいぶんと荒れ果てていた割には、ほこりやクモの巣の類が、まったく目立っていなかった。

 ……だとしたら、あれは本当に廃墟だったのだろうか。

 いずれにしてもBさんは、以来このキャンプ場へは、足を運んでいないそうだ。


   *


 ……以上が、Bさんの体験談である。

 実に気味の悪い内容だ。

 存在しないはずの洋館。廊下に何枚も飾られた奇怪な肖像画。おびただしい暴力の痕跡。そして、迫る赤ん坊の声――。

 気味が悪い。しかし気味が悪い一方で、どこかつかみどころのなさも感じる。

 ……それぞれの怪異に繋がりがないからか。

 僕はそう理解した。

 絵が怖いのか。赤ん坊が怖いのか。事件の痕跡が怖いのか。あるいは、館そのものが怖いのか――。いまいち恐怖の焦点が定まらないのである。

 いや、そもそも――。

 一番解せないのは、なぜこの体験が「赤い村」と同じ場所で起きたのか、だ。

 話の終わりにある「他のキャンパーとの会話で、『赤い村』の怪談を知ることになる」という部分から察するに、Bさん達が館に迷い込んだ時期は、「赤い村」の噂が流れている時期と、そう離れているわけではない。

 むしろ、完全に同時期と言っていい。しかしそんな同時期に、同じ土地で二種類の「不気味な廃墟」が目撃されるとは、どういうことだろうか。

 奇妙に思った僕は、ひととおりの感想をYさんにメールで送ってみた。

 返事はすぐに来た。

『私も気になって土地の記録を調べてみたんですが、過去に村があったという事実以外には、何も見つからないんですよ。例えば、もし村の跡地に洋館が建っていた時期があって、その洋館の幽霊だか残留思念だかが村と同様に現れたというなら、理解できるのですが……。あいにくそういった記録はなかったですね。あの辺りは廃村後に人工林にされて、以後はそのままみたいです』

 なるほど、ずいぶんと難解のようだ。

『また何か分かったらご連絡しますよ』

 Yさんからのメールは、そう締められていた。


 しかしこれを最後に、Yさんからの連絡は、ぱったりと途絶えてしまった。

 それどころか、同業の集まりで会うこともなければ、新作が発表される様子もない。活動を休止してしまったのか、それとも何かあったか――と心配していたら、例の共通の知人である編集氏から、こんなことを聞かされた。

「そう言えば、知ってます? Yさん、ずっと入院してるそうですよ」

「え、全然知らなかったです。どこかお悪いんですか?」

「いや、それが……」

 編集氏はそこで妙に言葉を濁した。

「……精神病院らしいです」

「……はあ」

 僕は何とも言えない相槌を返すに留まった。

 もっとも、編集氏も詳しい事情は知らないらしい。ただ、音信不通になっていたYさんのことを心配して、あちこちに事情を聞いていたら、そういう情報をつかんだのだというのだ。

「面会しようにも、どこの病院かも分からないんですよ。東さん、何か聞いてません?」

「いや、まったく……」

 そう答える他ない。そもそもYさんが入院していること自体、僕は初耳だったのだ。

 だからこの話題は、すぐに終わった。

 ただ――それから程なくしてのことだ。

 僕の家に何の前触れもなく、Yさんからの封書が届いたのは。


 封筒は、A4サイズの大きなものだった。

 裏面の差出人はYさんの名である。住所は記されていない。

 一方で表面には、当然僕の家の住所が記されている。しかし、僕はYさんに自分の住所を教えた覚えはない。

 ……いろいろと不可解だった。

 僕は慎重に、封筒を開けて中身を取り出した。

 A4サイズの紙が数枚出てきた。

 活字をプリントアウトしたもので、ざっと眺めた限りでは、例によってメモ書きのようである。それ以外の、例えば僕への私信のようなものは、特に見当たらない。

 だから僕は、改めてメモを読んでみた。

 そして――どうすればいいのか分からなくなった。

 ……送られてきたメモは、怪談のプロットのように思えた。

 内容は、例によって「赤い村」を題材にしたものである。

 Yさんを始めいくつもの目撃例がある「赤い村」。そして、Bさんが同じ土地で迷い込んだという、「赤くない館」。この二つを繋ぎ合わせ、一本の創作怪談として成り立たせている――。

 それが僕の解釈だった。

 創作だと思った。

 しかし、それにしては細部の補強が不充分にも思えた。

 特に、洋館の正体や赤ん坊のことなど、肝心の疑問点は、まったく答えが示されていない。

 いや、そもそもYさんは、何を思ってこれを僕に送ってきたのか。

 ……正直、扱いに困った。

 いっそのこと、編集氏に渡して委ねてしまおうかとも思った。消息不明の人物からの郵便物となれば、僕一人で抱え込むよりも、関係者に報せるのが正解だろう。

 そう思っていたのだが――翌朝になって、さらに不可解なことが起きた。

 封書が、のだ。

 部屋に置いておいたのに、封筒も中身も、どこにも見当たらない。

 かと言って、間違って捨てた記憶もないから、文字どおり「消えた」のである。

 もはや困惑する以外になかった。

 結局、この封書のことは誰にも伝えず、僕の記憶に留めるのみとなった。

 さて――以下は、そんな僕の記憶を頼りに、この時Yさんから送られてきたメモの内容を、改めて書き起こしたものである。

 ただ、文体は僕なりのものに直している。その点はご了承願いたい。


   *


 二〇××年××月××日。私は今日も車であのキャンプ場へと向かった。

 これでもう何度目になるか分からない。仕事の合間を縫って、再びあの「赤い村」に辿り着けないものかと、現地へのドライブを繰り返している。

 この日は天気もよく、かつて自分があの村を目にした時によく似ている。

 もしかしたら、今度こそ行けるかもしれない――と、根拠のない淡い期待を抱きながら、ハンドルを握る。


 トンネルが現れた。

 カーナビ上には存在しない、あのトンネルだ。

 全身が粟立つのを感じながら、慎重に車を進める。


 四十分、森の中を走る。

 新緑の樹々が並ぶ中、ちらり、ちらり、と赤いものが見え始める。

 道路沿いに開けた草地を見つけ、そこに車を停めた。

 リュックを背にして降りると、どこかひんやりとした空気が、シャツ越しの肌に染み込んできた。

 まだ初夏だというのに。


 ……村があった。

 赤い、あの村だ。

 辺りに人の姿はない。あの時仲間が見た「真っ赤な人」というのは、ただの錯覚だったのか。それとも、霊感の個人差の問題か。

 いずれにしろ、村を散策する機会は今しかない。

 私は恐る恐る、赤い家が建ち並ぶ一角へと、足を進めた。

 ザク、ザク、と靴の下で草が鳴る。土の臭気が鼻を突く。

 家は、すぐ間近だ。


 家は、やはり赤かった。

 造りそのものは古びた日本家屋だが、屋根と言わず壁と言わず戸と言わず、すべてが赤一色でベッタリと覆われている。

 いったいどんな塗料を用いたのか。そう思いながら、そっと戸に手をかけてみる。

 開かない。長い年月の果てに、すっかり固まっているのか。

 裏手に回ると、格子状の窓があった。中を覗く。

 誰もいない。そして――中は、至って普通の色だ。

 こちらから見て奥に、土間と囲炉裏いろり。そして手前には、わずかな広さの座敷がある。布団が敷きっぱなしである。

 ……布団は、赤い。

 いや、布団の上から赤い布をかけているのだ。防寒用とも思えないが、何か的な意味でもあるのか。

 私はそこまで考えて――ハッと気づいた。

 まじない。案外、これが正解かもしれない。


 赤という色には、魔除けや厄除けの意味があると聞く。

 村全体が赤く塗られているのは、もしかしたらこれが理由ではないのか。

 そう思って、別の家を見にいく。赤い建て物はそこかしこにある。手近な一軒を覗くと、やはり中の座敷に、真っ赤な布団が敷かれている。

 さらに何軒か回ってみたが、どの家も同じだった。

 外側はまんべんなく赤く染まり、中には赤い布団――。家によっては、加えて赤い布が壁に吊るされていたり、赤い小物が枕元に置かれていたりした。

 やはり、意図的に「赤」を配置してあるのだ。

 ……だとすると、例の「真っ赤な人」というのも、正体が見えてくる。例えば赤い服を着ていたとか、顔や手足を赤く塗っていたとかだ。

 もちろん、これも魔除け・厄除けのためだろう。

 ということは――つまり、こんな仮説が成り立つのではないか。

 ……この村はかつて、何かとてつもない災厄に見舞われた。

 それを防ぐために、村が総出ですべてを赤く染め上げた。家も、自分自身も。

 しかしその甲斐も虚しく村は滅び、結果廃村になった……。

 これならば、筋が通るのではないか。


 私が頻りに考えていると、ふと視界の端に、奇妙な違和感を覚えた。

 振り返り、森の奥に目を凝らす。

 ……洋館があった。


 私は今さらになって、我が目を疑った。

 すでに超常的な村を前にしながら、それでも困惑と焦燥が胸をむしる。

 洋館――。なぜここにあるのか。いや、目撃された場所は確かにここなのだが、なぜ洋館が村と同時に存在しているのか。

 かつて私がここで見た赤い村と、Bさんが迷い込んだという不気味な館。この二つは場所を同じくしながらも、決して同じタイミングで重なることはない、と――。

 ……そのはずだった。いや、私は何となくそう考えていた。

 しかしそれは、単なる思い込みだったようだ。

 考えてみれば、Bさん達はこの周辺を念入りに散策したわけではない。たまたま車上の彼女達が赤い村を見過ごし、あの洋館のそばに迷い込んでしまった、という可能性は否定できない。

 それにもしかしたら、この土地の記録についても、私はだいぶ先入観を持っていたのではないか。

 この土地には村はあったが、洋館が建っていたという記録はなかった。しかしそもそも、、と考えることはできたはずだ。

 そう、それならば、辻褄は合う。

 ……もっとも、腑に落ちない点もある。

 日本家屋が建ち並ぶ村の中に、一軒だけ洋館があるという不自然さ。そして、その洋館だけが赤く塗られていないという違和感。

 ――あそこに行けば、答えが分かるのだろうか。

 私は森の奥、赤くない館に向かって、足を進めることにした。


 館の有り様は、Bさんから聞いたイメージと概ね一致していた。

 二階建ての巨大な木造建築で、元は白かったであろう壁を黒ずませ、森の中にずっしりと蹲っている。扉や窓はことごとく破壊され、人為的に荒らされたことも分かる。

 私は用意しておいた懐中電灯を手に、中に足を踏み入れた。

 ガラスと木屑にまみれた内装に迎えられる。光を周囲に走らせながら、まずはBさんが見たという厨房を捜す。

 捜しながら、私の頭の中には、この館に対する疑問がいくつも渦巻いていた。

 ……村の中に交じる、場違いな洋館。

 いったいこの館は――そして館の主人は、村において、どのような立ち位置だったのだろう。

 おそらく財力はあったはずだ。でなければ、このような豪華な家など建てられるはずがない。

 そして、村の中で財を持つ者と言えば、やはり村長のような有力者だった、ということになる。

 ……しかし、仮にそうだったとして、だ。

 新たな疑念が頭をよぎる。それはひとえに、この館が荒らされているからだ。

 ――いつ荒らされたのか。

 この館が村の一部であった以上、廃村後には他の家ともども取り壊されたはずである。となると荒らされたのは、やはり村が存在していた時期と考えるのが自然だ。

 ――誰に荒らされたのか。

 他の家々がまったく荒らされていないところを見ると、村の外部から襲撃があったとは考えづらい。つまり、この館を荒らしたのは、ということになりはしまいか。

 ――では、なぜ荒らされたのか。

 その答えは……。


 考えがまとまらぬまま、私は厨房を見つけて中を覗いた。

 ふと気づいたのだが、他の部屋と比べても、ここだけ荒れ方が酷いように思える。

 村人達は、なぜ厨房など荒らし回ったのだろう。


 大階段の下に立って、懐中電灯を上に向けた。

 ぼぅっと、が浮かび上がった。

 あの絵だ。この位置からでは、まだはっきりとは見えないが、その異様さは窺える。

 私はゆっくりと、階段を上がった。

 奇怪な絵が、次第に迫る。

 ……これは、誰を描いたのだろう。

 そう考えた刹那、私はすぐに、頭の中で言い直した。

 ……描いたのだろう。

 到底人間とは言い難い異形を前に、私はそう思わざるを得ない。


 二階に上がる。同じ絵は、やはりいくつもあった。

 模写ではない。あくまで同じ顔を描いた、別々の絵である。

 意図が分からない。

 ただはっきりと感じるのは、この館は襲撃を受けて荒れ果てる以前から、まともではなかった――という事実だ。

 ……なぜこの館だけが、赤くないのだろう。

 私は改めて、それを思った。


 可能性を考えてみる。

 例えば……この館が赤くないのは、ここが村八分に遭っていたからではないか。

 家を赤く塗るとなれば、村人総出の仕事になる。しかしこの館だけが、村人達に手を貸してもらえなかった――と考えれば、辻褄は合うだろう。

 さらに言えば、この館の主人は村の有力者などではなく、むしろ「異端者」の方だったと推測できる。

 しかし他の可能性もある。

 この館が赤くないのは――そもそも村を襲った災厄の元凶が、この館にあったからではないか。

 もちろん、この仮説を裏付ける証拠は、どこにもない。単に、不気味な絵が飾られているという一点から感じた、ただの印象である。そもそも私は、村を襲った災厄の正体すら分かっていない。

 ただ、もしこの仮説が正しければ、村人達が館を襲撃したのも納得できるのだ。


 ……ふと、何か大きな音が聞こえた。

 一階からだ。

 見下ろすと、赤い村人達がひしめいていた。


 これは……かつての襲撃の再現だろうか。

 厨房を始め、いくつもの部屋が荒らされていく。

 彼らは、ただ闇雲に暴れていると言うよりは、何かを捜しているように見える。

 何人かの村人が、大階段に向かってきた。こちらに上がってこようとしている。

 私は廊下を逃げた。


 隠れられそうな部屋は見当たらなかった。

 どの部屋も、扉が壊されている。過去に村人達に破られた名残だろう。ならば今回も、彼らはすべての部屋を襲撃するに違いない。私が身を隠す場所などない。

 ……私はどうなるのだろう。彼らに捕まるのか。そして、当時の館の主人のように――。

 おぞましい想像が頭をよぎる。だがそこで、私は不意に閃いた。

 急いでリュックを探り、目的のものを引っ張り出した。

 雨に見舞われた際にと思い用意してきたレインコートだ。

 色は、赤い。

 急いで広げ、身に羽織った。

 ほぼ同時に、数人の村人がこちらへやってきた。

 しかし彼らは、私を無視して通り過ぎていった。

 私は安堵した。


 書斎があった。

 何か館の記録のようなものがないか、と期待して中を探す。しかし、過去の手がかりになりそうなものは、何もない。

 諦めて廊下に戻ろうとした時だ。

 ……声が聞こえた。

 ……赤ん坊の声だ。

 巨大な書棚の奥からである。

 もしやと思い調べてみると、書棚の裏側に扉が隠されていた。


 赤ん坊がいた。

 まだ、生きている。


   *


 Yさんから送られてきた最後の怪談は、ここで途切れている。

 未完の創作であろう、とは思う。……だが一方で、こんな不安も抱く。

 もしも――もしもこのメモが、実は創作怪談のプロットなどではなかったとしたら。

 Yさんが自身の体験を、そのまま書き起こしたものだったとしたら。

 ……彼は果たして、何を目にし、何を知ったのか。

 ……そして、何を僕に伝えようとしたのか。

 確かめる術は、もうない。

 それにあいにく、これ以上この話に踏み込むほどの度胸を、僕は持っていない。

 ただ、今後他の誰かが「赤い村」と「赤くない館」に迷い込まないことを、祈るばかりである。

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