第百四十三話 庭女

 K県で訪問介護の仕事をしている、Sさんという男性から聞いた話だ。

 Sさんは、数年前に担当していた訪問先で、いつも奇妙な光景を目にしていたという。

 と言っても、その訪問先に問題があったわけではない。

 そこはマンションの一室で、部屋の窓からは、道路一つ隔てた向かいの家が見下ろせた。

 問題は、その家だ。

 外観はごく普通の、庭付きの一戸建てである。やや広めの庭には、住人の趣味なのか、南国をイメージした樹々が、何本も植わっている。

 ところが、その樹々に紛れるようにして――。

 ……女が、立っているのだ。

 髪の長い、喪服のような黒い服を着た女である。それが塀の間際の、いつも同じ位置に、じっと佇んでいる。

 顔は、常に塀の方を向いている。だから、こちらからは、相手の背中しか見えない。

 ちなみに「いつも」というのは、誇張抜きの話だ。曜日や昼夜を問わず、窓から見下ろせば、必ずいる。

 たとえ雨の日であっても、傘も差さずに、ずぶ濡れで立っているという。

 なお、その家の住人というわけではないらしい。一度、訪問先のご家族にそれとなく聞いてみたのだが、あそこは中年の男性が一人で暮らしていて、女性が出入りしている様子はない、とのことだ。

 ……いや、そもそも、向かいの庭に妙な女が立っていること自体、知らないという。

 実際、Sさんはその場で窓から例の位置を指したのだが、ご家族はそちらを見やり、「誰もいないですよ」と、不思議そうな顔をしただけだった。

 つまり――あの女の姿は、Sさんの目にしか映っていないのだ。

 それを知ったSさんは怖くなって、以降は、向かいの家について詮索するのをやめた。

 それでも時折、窓から恐る恐る、庭を見下ろしてみたことがあった。

 女は、やはり、必ずいた。

 いつ何時見ても、いなくなることはなかった。

 やがて数箇月が過ぎた頃、Sさんは、おかしなことに気づいた。

 ……女が、少しずつ、大きくなっているのだ。

 初めは塀よりも低かったはずの背が、すでに塀の天辺に届いている。

 このままなら、あと一箇月もすれば、顔が塀の上に覗くかもしれない――。

 そう思ったものの、あいにくSさんがそれを見届けることはなかった。

 ちょうど会社側の都合で、ここの担当を外れることになったからだ。

 以降Sさんは、この近くには、足を運んでいない。

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