第百七十話 部活動三題
学校生活に欠かせないものの一つに、部活動がある。
運動部から文化部まで、その種類はとても多岐に渡るが、こうした部活動の場では、通常のクラスに比べて独自の世界が築かれやすい。
もともと、趣味や夢を等しくする者同志の集まりだからだろうか。メンバー同士の結びつきが強く、それでいて狭い、極めて強固かつローカルな社会が形成されがちである。
だからこそ――だろうか。どうかすると、その部活内だけで語られるような特異な怪談が、生まれることがある。
関西圏の、とある高校の
今から三十年ほど前のこと。部員達の間で、こんな噂が囁かれるようになった。
――深夜、槍道部の部室に、男子生徒の幽霊が出る。
その幽霊は、生前先輩からのシゴキの辛さに自殺したのだとか、胸に
それでも――信じずとも、面白がることはできる。
ある時、幽霊話を面白がった男子部員達が、集団で深夜の部室に忍び込んだ。
肝試しというよりも、完全に悪ふざけの乗りだったようだ。全員がたった一本の懐中電灯を頼りに、真っ暗な廊下を辿って、これまた真っ暗な部室に足を踏み入れた。
もちろん、幽霊などいやしない。
部員達は、用意してきたジュースや菓子を机に並べ、その場で飲み食いを始めた。中にはアルコールを持ち込んだ者もいた。
そうして、暗闇の中で酒盛りの真似事をしているうちに、ふと一人が、トイレに行くと言い出した。
当然トイレは部室の外にある。ドアから出ていこうとする彼に、他の一人が「幽霊に気ぃつけや」とふざけて声をかけた。
彼は頷き、部室の片隅にまとめて置いてあった練習用の槍を一本、手に取った。
護身用――ということだろう。槍を携え、彼は出ていった。
その後も酒盛りは続いた。少しして一人が、「俺もトイレ」と立ち上がった。
そうなると心理的作用というやつで、「俺も」「俺も」と、次々に後に続こうとする。結果、全員が出入り口のドアに向かったのだが――。
スライド式のそれに手をかけた先頭の部員が、「あれ?」と声を上げた。
……開かないのだ。
鍵をかけた覚えはない。なのに、どんなに力を込めても、ガタガタと揺すっても、ドアはビクともしない。
まさか閉じ込められたのか――と、誰もが不安に思った時だ。
「何や、槍
一人が懐中電灯を手に、声を上げた。
光の輪が、ドアの横を照らす。全員がそちらに視線を向けると、なるほど、ドアをスライドさせるレールの部分に練習用の槍が嵌り、つっかえ棒のようになって、ドアを開かなくしている。
もちろん、自然にこのような形になるはずがない。誰かの悪戯だ。
「誰や、アホなことしたんわ」
懐中電灯を持った部員が、そう言って笑いながら槍を外した。
そこで――不意に一人が、ぼそりと呟いた。
「……なあ、ここに来てから、誰か槍触ったか? あいつ以外で」
あいつ、とは、もちろん最初にトイレに立った部員である。
全員が、首を横に振った。
しかし誰も触っていないのなら、なぜ槍がドアを塞いでいたのか。
「あいつが槍持ってく振りして、こっそりここに仕掛けてったんちゃう?」
「アホ、先にドアが開かなくなったら、あいつも外に出られんわ」
確かに、槍を仕掛けてから外に出ることは不可能だ。また逆に、外に出てから内側に槍を仕掛けることもできないだろう。
つまり、最初にトイレに立った部員の仕業だ、と考えるのは無理がある。
「……そう言や、あいつ、何で戻ってこんねん」
また一人が呟いた。
トイレに行っただけにしては、ずいぶん遅い。誰もが首を傾げた。
その時だ。懐中電灯を持っていた部員が、サッと全員の顔を照らし、言った。
「……おい、何で今ここに全員おるん?」
声が震えている。一同が、思わず顔を見合わせた。
……全員がいる。
……一人も欠けていない。
ならば――槍を持って最初にトイレに立ったのは、いったい誰だったのか。
刹那、一人が「うわぁ!」と悲鳴を上げた。
その悲鳴に突き動かされ、全員がパニックに陥って、慌てて部室から飛び出した。
そして、飲み散らかしたものを片づけることすら忘れ、真夜中の校舎から大急ぎで逃げていったという。
……もちろん翌日には、部室で酒盛りを開いていたことが学校にばれ、全員がひどくお叱りを受けたそうだ。
また別の高校では、科学部にこんな怪談が伝わっている。
放課後、Kさんという部員が遅くまで残って、実験室でひとり作業をしていると、隣接する準備室のドアが、不意にカタッと鳴った。
準備室は、授業で使う教材や薬品などが保管されている部屋だ。基本的に教員しか入れないし、今は無人だったはずである。
Kさんが不思議に思って目を向けると、準備室のドアが開き、そこから青白い男の顔が、にゅぅ、と覗いた。
……見知らぬ中年の男だ。
……白衣を羽織り、手に劇薬のビンを持っている。
……うぅぅぅぅぅ、と意味の分からない呻き声を漏らしている。
Kさんは身の危険を感じ、とっさに逃げ出した。
実験室を飛び出し、廊下を走る。と、すぐ後ろから男がビンを手に、凄まじいスピードで追いかけてきた。
Kさんは悲鳴を上げながら、階段を駆け下りた。
下の階には職員室がある。そこまで行けば、誰か先生が残っているはずだ――と。
しかし、途中で足がもつれた。
段を踏み外し、踊り場に転げ落ちた。
幸い怪我はなかった。だが、白衣の男はもうすぐそこまで迫っている。
ビンを手に、一気に階段を駆け下りてくる。
そして――追いつかれた。
「っ!」
声にならない悲鳴を上げ、Kさんは思わず目を閉じた。
……しかし、何も起きない。
恐る恐る目を開けると、男の姿はどこにもなかった。
立ち去った気配はなかった。……消えたのだ。
そこへ騒ぎを聞きつけ、顧問の先生が様子を見にやってきた。Kさんが事情を話すと、先生は難しい顔で、その男の特徴を尋ねた。
そして――話を聞いた上で、こう言ったそうだ。
「……それ、十年以上前におった
Kさんは頷き、以後決して一人では実験室に残るまい、と心に誓ったそうだ。
しかし――その後も白衣の男は、Kさんの前に現れ続けたという。
次に見かけたのは、前回追いつかれた踊り場だった。
下校しようと階段を降りている途中、ふと気配がして振り返ると、上から白衣の男がビンを持って駆け下りてくるのが見えた。
Kさんは慌てて逃げ、今度は昇降口のところで追いつかれた。
……男はまた、そこで姿を消した。
後日、この昇降口で、再び追いかけてくる男に遭遇した。
男は、Kさんが学校の外に逃げても追ってきた。
そして追いつくと消え、次は必ずその追いついたところから、再び追跡が始まる。
顧問の先生にも相談したが、いい解決策は見つからなかった。
その後――ついに自宅まで辿り着かれたのだろう。ある日顧問の先生宛に、Kさんから電話がかかってきたという。
『……もう逃げる先がありません』
その電話を最後に、Kさんの行方は分からなくなったそうだ。
最後に、また別の高校の、今度は茶道部であった話だ。
この茶道部では毎週末、和室で茶会が開かれる。
茶会は部員以外の生徒も参加できるが、自主的に来る人は、あまりいない。顔触れもほとんどが部員か、その友人ばかりである。
そんな茶会でのことだ。
女子ばかり八人で和室に集い、部長が茶を
「……って……ん」
何を言っているのかは、聞き取れない。
男子の声かも、女子の声かも分からない。
ただ、妙にガサガサとして、耳に
「……が……い」
「……んで……だって……」
囁き声は、止む様子がない。
次第に誰もがそわそわし始めた。
作法の場とはいえ、必ずしも私語が厳禁というわけではない。しかし、ある程度の
いったい誰が喋っているのだろう、と全員が視線を走らせ、各々を確かめた。
「……んだら……やん」
声は、聞こえ続けている。
しかし――ここで誰もが、顔に
口を動かしている者など、一人もいないのだ。
かと言って、外から聞こえてくるわけでもない。声はとても近い。
「……しん……って」
声の出所を追って、全員の視線が、和室の一点に集まった。
そこには――誰もいなかった。
ただ、
しかし、声はどうやら、この茶釜から聞こえている。
「……っと……んで」
確かに、茶釜が喋っている。
一同は顔を見合わせた。
まさか狸が化けているわけでもあるまいし――と、昔話を思い浮かべたかどうかはともかく、異様な事態である。
部長が茶を点てる手を止め、釜の蓋を、そっと開けてみた。
……声は、パタリと止んだ。
おそらく湯気の加減で出る音が、声のように聞こえていたのだろう――。一同はそう思って気を取り直し、茶会を続行しようとした。
だが、そこで部長が声を上げた。
「このお茶、臭いが変」
そう言って、もう一度釜の蓋を開け、湯気を
そして、盛大にむせた。
釜から、濃い
結局湯は捨てられ、その日の茶会は中止となった。
もっとも、具体的に湯にどのような異常が起きていたのかは、誰にも分からなかった。
……ただ、この時参加していた部員の一人が、妙なものを見たという。
部長が最初に釜の蓋を開けた時だ。
釜の口から、真っ赤に
もしそれが本当なら――あの臭いの正体は、果たして何だったのだろうか。
ちなみにこの茶道部では、他にもたびたび、奇妙な噂が語られている。
――真夜中、誰もいないはずなのに、和室から茶会の声が聞こえてきた。
――宿直中の先生が中を覗くと、茶釜の代わりに女子生徒の首が炉に載って、何かを呟いていた。
――あるいは、茶釜がゴロゴロと転がりながら追いかけてきた。
――時々、午前二時からの茶会の招待状が、部員宛に届く。送り主は分からない。
――部員の一人が面白半分で、本当に深夜の茶会に足を運び、二度と帰ってこなかった。
――この話を聞いた人のもとにも、三日以内に招待状が届く。即捨てること。
本当に――いろいろな怪談があるものだ。
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