第百五話 夜明けまでは

 Dさんが中学生の頃に体験した話だ。

 ある夜、自室で寝ていて、ふと目が覚めた。

 真っ暗な部屋の中、半ば夢うつつの状態でぼんやりとする。

 まだ夜のはずだ。もう一度眠りたい。

 ……なのに、眠ってはいけないような気がする。

 なぜだろう――と寝惚けた頭で考えるうちに、自分がトイレに行きたいのだということに、ようやく気づいた。

 起き上がって部屋の明かりを点け、時計を見ると、まだ午前三時である。

 嫌だなと思いながら、部屋を出た。

 明け放した自室のドアから漏れる光を頼りに、廊下を辿り、トイレに入る。そして用を足し、もう一度廊下に出たところで――。

 ……ふと、妙なことに気づいた。

 その場所から遠目に見えるリビングに、だいだい色の薄暗い光が灯っているのだ。

 常夜灯である。いつも消しているはずなのに、なぜ……と思い、そちらへ行ってみた。

 覗き込むと――そこに、父と母がいた。

 二人とも無言で、じっと椅子に座っている。

 互いに会話もなければ、視線が絡み合う様子もない。ただそれぞれが、まるで彫像にでもなったかのように身じろぎ一つせず、まっすぐに前を見つめ、固まっている。

 こんな時間に、部屋を薄暗くして、何をしているのだろう――。

「……どうしたの?」

 Dさんは声をかけたが、二人からの反応はなかった。

 ――もしかしたら、喧嘩けんかでもしているのかな。

 だとしたら、あまり口を挟まない方がいいかもしれない。

 そう思ってDさんは、肩をすくめ、自分の部屋に戻った。

 朝まで、まだだいぶ時間がある。明かりを消し、もう一度眠りに就いた。


 翌朝Dさんは、リビングで父と母に、昨夜のことを尋ねてみた。

「二人とも、夜中にここで何してたの?」

 だがその質問に、二人はキョトンとした顔で答えた。

「……部屋で寝てたけど?」

 どうやら父も母も、そんな時間にリビングになど、いなかったらしい。

 しかし……だとしたら辻褄が合わない。Dさんは間違いなく、昨夜ここに座る両親を見ているのだ。

 ――誤魔化しているのかな。

 そうとしか考えられなかった。

 だが、もし本当に喧嘩でもしていたのなら、理由を詮索するのもはばかられる。

 結局Dさんは、昨夜見たものは忘れることにした。


 それから数箇月が経った、真冬のことだ。

 Dさんは久々に、まだ暗いうちに目を覚ました。

 前回ほど早い時刻ではなかったが、今から寝ても一時間後には、目覚ましのアラームが鳴る。

 面倒臭いので起きてしまおうと思い、部屋を出た。

 冷え込んだ廊下の闇は、まだ真夜中のそれだ。

 もうちょっとしたら夜が明けるな――と思いながら、リビングに行き、蛍光灯のスイッチに触れた。

 ……点いたのはなぜか、常夜灯だけだった。

 闇一色だったリビングに、橙色の薄暗い光が、ぼぉっと灯った。

 そこに――また、いた。

 今度は、三人だった。

 父と母。それに――。

「ええっ?」

 Dさんは、思わず声を上げた。

 そこにいた三人目の姿が、どう見ても、と瓜二つだったからだ。

 その途端――パッと明かりが消えた。

 慌てた刹那、ベランダに面したカーテンから、うっすらと外の光が差し込んでいるのに気づいた。

 急いでカーテンを開けると、昇り始めたばかりの太陽が、リビングに立ち込める夜の闇を、一気に払い去った。

 ……そこには、本物のDさんの他に、誰の姿もなかった。

 父も母も、もちろんもう一人の自分も、いない。

 Dさんが呆然としていると、ふと両親の寝室でアラームが鳴り、二人の起きてくる音が聞こえた。


 それ以来Dさんは、どんなに早い時間に目が覚めても、夜が明けるまでは、絶対に自室から出ないようにしている――という。

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