第九十四話 怪病院

 かつてN県の某所に建っていた大病院は、常に良からぬ噂が絶えなかった。

 もともと「み地」とされる場所に建てられていたようで、歴史的に見れば、古くから陰惨な事件が幾度となく起きた土地だという。

 それもあってか、院内では頻繁に、怪しいものが目撃されたそうだ。


 例えば――こんなことがあった。

 ある医師が廊下を歩いていると、誰もいないはずの病室から、物音がした。

 不審に思って中を覗いてみると、ベッドの上に、が横たわっている。

 全身がしわしわで肉をたるませたそれは、医師を見るとしゃがれ声で「もう死なせて……」と呟き、すぅっと消えた。


 また、こんなこともあった。

 深夜に見回りをしていた看護師がエレベーターに乗ろうとすると、開いた扉の先に、女がと詰まっている。

 女は皆ナース姿で、背が天井に届くほど高かった。

 それがいっせいに、表情のない目でこちらを見下ろし、降りてこようとした。だが寸前で、エレベーターの扉が閉まった。

 看護師は、慌ててその場から逃げ去ったという。


 夜間の手術室に、生首が散乱していることもあった。

 辺りには血まみれのメスが転がっていたが、いずれも人に見られると、すぐに消えたそうだ。


 また若い看護師達は、更衣室を使う時は、必ず新聞紙を顔の正面に掲げて中に入ったという。

 そうしないと、時々頬にうっすらと、刃物を滑らせたような傷が出来るからだ。


 こんな怪しい話がいくらでもあるのだが、特に目撃者が多かったのは、深夜の病棟を黒い影がいくつもうごめいていた――というものだ。

 影は、妙に細長い手足をカクカクと動かしながら、廊下を行き来する。

 そして時々病室に入っては、入院患者の顔を覗き込むという。


 Yさんという患者が、毎晩影に覗かれていることに気づいて、抵抗を試みたことがあった。

 密かに果物ナイフを隠し持っておいて、夜中にやってきたところを、斬りつけたのだ。

 影はすぐさま病室を飛び出していった。Yさんが急いで後を追うと、相手は地下階への階段を、カクカクと駆け下りていく。

 そして、バタン――と、どこかの部屋に逃げ込む音がした。

 Yさんも後に続いて階段を下りたが、地下階にはただ、「霊安室」と書かれた扉が一つあるきりだった。

 扉には、鍵がしっかりとかかっていた。

 他に、人が逃げ込めそうな場所は、ない。

 ……何だか気味が悪くなって、Yさんは、すぐに病室に戻ったそうだ。

 後で親しい女性看護師にその話をしたところ、問題の霊安室は、もう何年も使われていないという。

 そもそも一般的な病院では、遺体を長期間置いておくということ自体が、滅多にない。だからここの霊安室も、定期清掃を除いて、誰も立ち入っていない――とのことだった。

「念のため、後で確かめてみますね」

 看護師は、Yさんにそう言った。

 だがそれっきり、彼女は病院からいなくなってしまったという。

 辞めたのか、それとも何かがあったのかは、分からない。少なくとも、患者達の間で事情を教えてもらえた人は、一人もいなかったようだ。


 ……このように、何かと怪異の絶えない病院だったが、平成に入って間もない頃に、経営難を理由に閉院したという。

 建て物も、すぐに取り壊された。

 その際、病棟が建っていた地面の下から、数え切れないほどの人骨が出てきたそうだ。

 ただ――この人骨がたたっていた、と考えるのは早計かもしれない。

 そもそも過去に病院が建った時に、ここの土地は一度掘り起こされている。その時点では、骨などまったく埋まっていなかった――というのだ。

 ……果たして無数の人骨は、どこから現れたのか。

 答えは出ないまま、今ではただ小さなが、草ぼうぼうの跡地の片隅に、ポツンと佇んでいるだけである。

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